11 魚と小鳥
「つまり、セレネ殿はセイレーンと人間のハーフという事でございますか」
森での一連の出来事を聞かされたミゲレンが、ほうほうと頷いた。
「道理で、セレネ殿のお声を耳にすると、妙な精神攻撃を受けるわけですな」
成る程!と手を叩いて納得しているミゲレンの言葉に、王様は、やはりお前もそう思っていたか、と同志を得たとばかりに言った。
「時々、古傷を錆びたナイフで抉られている気分に陥る事がございましたよ」
真顔で打ち明けるミゲレンに、それは難儀な事だと同情すらした。
「…つまり私は、喋る公害と言いたいわけね」
王様と宰相のやりとりをずっと傍らで見守っていたセレネが、ぽつりと呟いた。
表情は依然、無に等しいが、その目は随分と物騒に輝いている。
「いや待て。違うぞセレネ。お前は素晴らしい。お前は美しい。お前は最高だ」
「…心にも無い事をいうのはやめて。虫唾が走るのよ」
慌てて機嫌取りを始めた王様を、セレネは言葉の刃でバッサリ切り捨てる。
棒読みの賛辞を並べられれば、誰でも滅多切りにしたくなるだろう。
「む……虫唾とな……」
そこまで言わなくても。
女性の心がイマイチ理解できない王様が、しょんぼり頭を垂れた。
ちなみに今は大蛇の姿をしているので、落とす肩が無い。
「王、流石に今のは、歯が浮きますなぁ」
「…歯が浮くとかの話じゃないのよ、馬鹿じゃないの。私は適当に褒め言葉並べただけって言いたいのよ。何を見当はずれな事を言っているの、感電おじさん」
王様の賛辞を額面通りに受け取ったミゲレンの発言に、セレネは激しく嫌そうな顔をしてみせた。
なまじ普段から表情らしい表情の一つも無く、また人形のように美しい顔立ちをしているだけに、その負の表情が放つ威力は半端無かった。
ついでに、言っている事も辛辣ときて、その総合ダメージは想像を絶する。
何か飲み物を持ってくるわ。
短く告げて、さっさと退室するセレネ。
会話の途切れた王の間には、がっくりと床に手をつく宰相と、頭をだらりと下げた覇気の無い王様が残された。
飲み物を持ってくる、と言って出てきたものの、セレネは素直に王様の元に戻るのが何となく嫌だった。
調理場へは行かず、そのまま中庭へ足を向ける。
王様にくっついて王宮の中をぷらぷら歩く時に遠巻きに見るだけだったので、そこへ足を踏み入れるのは初めてだった。
綺麗に手入れされた中庭は、しかし座れるような所が無かった。
折角、色とりどりに花が咲き乱れているのに、ここの人達はこれを、どのように眺めるのだろう。
隅々まで歩きながら見て回るのも勿論いいとは思うが。
何処かに腰を下ろして、ゆっくり眺めたいとは思わないのだろうか?
この中庭ときたら阿保ほど広いというのに小さな野花みたいなものばかりで、何処にいても隅から隅まで完璧に見渡せてしまう。
歩き回る必要性を全然感じない。
長椅子の一つも置いてあれば、言う事無しだというのに……
心で抗議しつつ無いものは無いのだからと、仕方なしに中庭へ降りる石段へ腰を下ろして花を眺める事にした。
少し気分が落ち着いたところで、森の中での出来事を思い返してみる。
王様はあの時、自信たっぷりに言っていた。
「恐らくお前の母君は、海を根城にしているセイレーンの末裔か何かであろう」
セイレーン、セイレーン……
遠い記憶から、合致するものを必死に掘り起こしてみたが、“セイレーンといったら魚人”としか思い出せなかった。
確か昔、母が寝る時になると語って聞かせてくれた物語に、そんなのが出てきたような、いないような……?
本はなく、ただの寝物語だったので、物凄く曖昧な記憶しか残っていない。
それでもぼやけた記憶の断片を繋ぎ合わせると、それなりに形にはなって来た。
『昔昔、あるところに……』
母の語る、そんな言葉から始まる物語には、半分人間、半分魚、という変な生き物が確か時折出てきたはずだ。
人魚とか言っていた気もするが……多分同じものだろう。
ともかく、セレネが思い描く情景や人物は、本の挿絵などといった情報が一切無かった為、実際のものとはかなりかけ離れていた。
幼少期の想像力は侮れない。
優美なマーメイドなどといった物は当然想像のしようがなく、当時の幼いセレネが持つ知識を合体させた結果として、手足の生えた魚を想像していたのだから。
「…かあさまは、魚じゃないわ」
あんなモノだったと言うのかしら。
何だか侮辱された気がして、むっとして呟くと、王様は不思議そうな顔をした。
王様の脳内には妖艶な美女の人魚がカモーンしている姿が思い浮かんでいるので、二人の想像するものにはとてつもない差がある。
「人魚だからといって、別に魚そのものなわけではないぞ?」
「…そうなの?」
「それに、力の強い者であれば、仮初の姿を持つ事も可能だ」
「…そ、そう?」
王様も、元の姿は大きな白蛇だ。
だから、そういった事には免疫があるのかもしれない。
魚が人になったり、虫が人になったり、動物が人になったりするのは日常茶飯事なのだろう、……きっと、……多分……。
慣れてない自分は突然の変異にいちいち驚いてしまうけれど、王様にとっては当たり前の事に違いない。
そんな勝手な解釈を交えつつ、話は進む。
「セイレーンならば、もともと海を支配する勢力では、一、二を争うような種族だけに、潜在能力は随分と高いであろうな」
海を支配?争う?
セレネの脳内では、幼少期に作り上げた人魚の物語の世界が広がっていた。
そこに登場する手足の生えた魚が、その手に剣や槍を持って他種族(セレネ的発想では、昔聞いた物語に出てきた巨大イカが敵役として大量に登場している)と抗争を繰り広げるシーンが思い描かれている。
勿論、王様が言いたい事とは、かけ離れた世界だ。
「好奇心旺盛な種族だけに、陸に興味を持って人の姿を借りて人の世に混ざり込む者も多いと聞く。海においては船に興味を示して、歌う様に呼びかけては乗組員をうっかり破滅させる事がしばしばあると聞いたな」
王様の話を聞きながら、セレネの想像は暴走を続けている。
手足の生えた魚に人間の頭を乗せて、無理やり人の服を着せた“人魚(?)”が、歌いながら、手に持った剣で船を殴る構図が展開していた。
なにかしら、これ。
ワケが解らないわ。
セレネは、自分の脳内に広がる妄想ワールドが間違っている事を知らない。
「…でもおかしいわ。かあさまは全然サカナっぽくなかったのよ?」
「…………魚?」
王様の言うとおりだというならば、母は半分魚でなければいけないのではないか、とセレネは考えたらしい。
人の姿を借りたとなれば、セレネの想像だと尚グロテスクな姿になってしまう。
美しく豊満な母を思い出し、想像上の生き物と比べてみるが、やはりどこをどう頑張っても王様の言うモノとは似ても似つかないとセレネは首を傾げた。
「…かあさまはスタイル抜群だったし、とっても綺麗だったわ。人間そのもので、ウロコなんて何処にも無かったわよ」
「だからお前、少し魚から離れ……む、何、スタイル抜群で綺麗とな。惜しい。実に惜しい。是非、母君にお会いしたかったぞ」
男女の色恋に疎いセレネでも、何やら王様が良からぬ事を考えてニマニマしている事だけは、なんとなく解ってしまった。
「…さっさと話を続けて頂戴」
やや浮かれ調子の王様に、ぴしりと指を向ける。
「冗談の通じぬヤツめ」
と、王様は言ったが、セレネには冗談を言っているようには思えなかった。
軽く睨むと王様はわざとらしく真顔を作って、咳払いをした。
「この森の結界を何度と無く行き来した事を考えれば、可能性はかなり絞られる。強大な力を持つ者である事は言うに及ばずだが」
そういえば、最初に問い詰められた時も、そのような事を言っていた。
強力な妖魔か、精霊なのでは、と。
「結界内で何かおかしな真似をした形跡が見つけられなかった事も重要な点だ。レプティリアを害する『神の峰』の連中の仲間、という可能性は消えた」
『神の峰』って何かしら。
聞いた事無いわ。
王様の話に聞き馴染みの無い言葉が混じっていて、セレネは無意識のうちに眉間に皺を寄せて首を傾げていた。
それを見ていた王様が、ふっと笑みを浮かべた。
セレネは表情に乏しいが、些細な仕草や、その瞳に、心中が如実に表れる。
恐らく、『神の峰』が何なのか理解に苦しんでいるのだろう。
「お前も、無理やり結界に突っ込んで、多少なりとも結界の強度を落としてくれたが。まあ、その後何をするでもなく無駄に日々を費やしているお前を見れば、『神の峰』の連中とは無関係である事は一目瞭然だ」
脅威の回復力を当てに、強引にここへやってきて、何か良からぬ工作をするつもりなのかとも思っていたのだがな。
王様は薄く笑いながら言った。
何だか良く解らないが自分は疑われていたのか、とセレネは思った。
不愉快だ、と思っていると、
「あまりにもお前は、隙だらけで無防備だ。裏表も無きに等しく、心に隠し事をしておける人間では無い。間者である可能性は早くから棄てていたよ」
疑ってはいたが、それは本当に、ほんの少しだ。
そんな事を言われて、複雑な気分だった。
ただ、今は疑われていないのかと思うと、ちょっとだけ嬉しいような気がした。
「さて、こうして図らずもお前達親子の疑いは晴れたわけだが。本題はそこではないのでな」
言いながら、王様が泉のほとりをぐるりと半周した。
ちょいちょいと手招きされて、セレネもあとを追う。
「お前は、そして、母君は、何者であったか、だ」
座るのに丁度いい岩を見繕い、そこへセレネを座らせる。
少し離れた草むらに、おもむろに手を突っ込んだ王様が、何かを見つけたらしく、そっと持ち上げた。
大事に両手に包んで、それをセレネの目の前へ差し出す。
ゆっくりと上に被せた手をどけると、もう片方の大きな掌の上には小鳥が乗っていた。
目を瞑り、ぴくりとも動かない。
まるで、それは。
「…死、んでる、の?」
頬の紅色の斑模様が何とも愛くるしい小鳥を目の前に、セレネの瞳が潤み始める。
「早とちりするでない。これは気絶しておるだけだ」
言いながら、王様が唇を寄せて、小鳥にフウっと息をかけた。
すると、それまで微動だにしなかった小鳥が、ふるふると体を震わせたかと思うと、ぱっちりと目を開けた。
真っ黒でつぶらな瞳が、キョロキョロと周囲を見回し、次いで、ぱっと空へ飛び立っていく。
「…よかっ、良かったわ。生きてて良かった」
ほっと溜息をつくセレネの頭を、王様がぽんぽんする。
先程は、子供扱いされているようで嫌だったそれが、今は妙に心地いい。
「で、泉を見て欲しいのだがな。……魚が、皆浮いておるだろう。あれと、小鳥の気絶の原因は同じなのだ」
言われるまま泉に目を向けると、王様の言うとおり、泉の水面にはたくさんの魚がプカプカ浮いていた。
真っ白いお腹が太陽に煌いて眩しい。
と、それ以上何も言おうとしない王様に気付き、顔を上げる。
自分を見下ろしニコニコと微笑む王様と、ばっちり目が合った。
何、その笑顔。
不審に思っていると、つっと王様がセレネを指差した。
「…な、何?」
つられて自分を指差してみたセレネだったが、何の事やら。
「お前だよ。原因は」
頭上に大量の疑問符を浮かべて、自分の指と王様の指を交互に見つめるセレネを見かねて、とうとう王様が答えを明かした。
「海妖セイレーンの特技と言ってもいいだろうな、これは。特殊な波長の声を発するが故に、時に大気を震わせ、時に心を揺るがす」
雪妖にも似た力はあるが、あれには冷気を喚び、人を惑わす力はあっても、大気を震わせる力は無い。
これはセイレーンのみに備わった力だ。
淡々と語る王様は、自信たっぷりに言い切った。
「母君は、海に長い事潜っていられた、とも言っておったしな。セイレーンでまず間違いなかろう。お前の言葉は直接心へ踏み込んでくるので、ずっとおかしいとは思っていたのだ」
流石、セイレーン。
精神攻撃と物理攻撃、完璧だな。
勝手に一人で結論を出して、勝手に一人で納得して、満足気に頷いている王様の横で、セレネは呆然としていた。
「…私、人間ではなかったのね?」
「少なくとも半分は、人間ではないだろうな」
あとの半分が人間なのか、それ以外の種族なのか、そこは解りかねるがな。
そんな王様の言葉はもう、頭に入ってこなかった。




