10 王様の秘密とセレネの秘密
「なっなななっ泣くな、っな?な!?」
無表情なまま、はらはらと涙を零す少女の傍らで、麗人が青ざめてワサワサと手をばたつかせて取り乱している光景は、かなり滑稽だ。
「ううむ。早くに母君を亡くし、さぞ大変であったろう。解る、解るぞ、つらかったなー。うむ、同情する、同情するぞー」
心にも無い言葉を支離滅裂に並べる王様は、間違いなく動揺していた。
いっそ喚き散らすか、或いは悲劇に酔いしれ浸りきるなどしてくれた方が王様としては調子を合わせやすいのだが、目の前の少女は無言で無表情のまま、ただ遠い一点を見つめて、ひたすらに涙をだーだーと流しているだけ。
そこに悲しみがあるのか、後悔があるのか、はたまた喜びか。
……まあ、この展開で喜びは無いか。
とは言え、彼女が何を思って涙するのか、王様にはサッパリ解りかねた。
理解しがたい現象に見舞われた王様は、柄にも無く混乱した。
……と、それに気付いたセレネが、未だ涙零れる瞳をほんの少しだけ王様に寄越して、眉間に皺を寄せた。
あっ、あれは数少ないセレネの表情!
パニくる中、それでもそんな事だけは目敏く発見してしまう王様。
負の感情だけは心境がそれなりに顔に出るのだな、等と思っていると、
「…ないわね」
ふと嫌そうな顔をして、セレネはプイと顔を背けてしまった。
またしても、王冠を否定されたのか?
そんな事を思っている王様の前で、俯いたセレネがグーにした手で、勢い良く乱暴に目元をゴシゴシこすっている。
「そ……」
「…貴方、殆ど感情が動かないのに、いつも感情的な振りをしているでしょう。なのに、こんな時にソレは無いと思うの」
そんな力任せにこすったら顔が赤剥けるぞ、と王様は言いたかったのだが、すっかり涙を引っ込めてしまったセレネによって遮られてしまった。
俯いたまま、何処か憮然とした様子のセレネは、王様を見ようともしない。
王様はというと、そんなセレネの言葉に多大な衝撃を受けていた。
何故コイツはいつもいつも、私の言葉を遮るのだ……!
とは、思っていない。
ほんの少ししか。
それよりも。
セレネは、気付いていたのか?
そんな驚きに、言葉を失っていた。
自分が感情の起伏に乏しい事は、先代のレプティリアの王だけが知っている事だ。
親友だった先王でも、そうと気付くまでには随分と長い年月を要した。
それぐらい、王様の“演技”は完璧だった。
それを、僅か数日のうちに、こんな小娘に看破されたというのか。
もしかして、自分は何か、聞き間違えたのではないか?
そうだ、きっとそうに違いない。
本当は何か、違う事を言っていたのだ、絶対そうだ。
しかし、続くセレネの言葉に、王様の淡い期待も打ち砕かれる事になる。
「…いつも大袈裟に振舞って、皆を巻き込んでいるみたいだけれど。どれもお芝居だわ。何故そんな面倒な事をしているのか、理解できない」
心が動いてもいないのに、そのように見せかけて、しかもとても大袈裟だわ。
セレネは、王様に会ってからの数日間を思い返していた。
ずっと見ていて、ずっと思っていた事だった。
「…皆の前で、偉そうにしてみたり、ささいな事に一喜一憂してみせたり。それを誰かに見せたい訳でもないのに、貴方何がしたいの?」
わざと怖い王様を装ったり、つまらない事に騒いでみせたりする王様は、セレネの瞳には奇妙で滑稽に映った。
「…なのに、今の貴方は、本気で動揺してる。おおよそ貴方らしくない。半端な同情ならお断りするから、すぐにそれを止めて頂戴」
え……ええーっ……
止めて頂戴と言われてもな……
自分自身、この動揺が何であるのか解らないというのに、どうしろと?
たかがセレネの涙ごときに柄にも無く動揺するわ、親友以外に誰にも気付かれた事の無い自分の秘密は暴露されるわで、王様の胸中は穏やかではない。
そんな王様を、セレネが横目で、じとーっと睨んでいる。
何か言わねばならないような空気に、背中をどつかれているような気がして、王様がやむなく口を開いた。
もちろん、何を言うかは、まるで考えてもいなかった。
「うー、うむ。これはだな、さっきは同情と申したが、実はそうでは無くてな。何と言えば良いか…………正直、……私にも良く解らぬ……」
そこまで言って、ぽん、と手を叩く。
「そうだ、私にも解らぬのだ。王である私をこのように惑わすとは、お前はやはり只者ではないな!凄いぞセレネ、誇るが良い!」
とってつけたような言葉に、自然とセレネの目つきが険しくなっていく。
色白で儚げな美しい面立ちが無表情に、しかし瞳だけが苛立ちを隠さずに王様を責めているようだった。
「…何、自分の事も解らないっていうの」
しばし訪れた沈黙を破って、セレネの容赦ない言葉が飛び出した。
貴方それでも王様なの。
一体何歳になるのよ、子供じゃあるまいし。
大体誇れって、たいして誇れるような事でもないじゃない。
そんな容赦の無いセレネの言葉に、さりげなく傷つく王様。
先程も思った事だが、セレネの言葉は恐ろしく鋭利な刃物のようだ。
こんな自分の心さえ、容易に切り刻むのだから。
「お前こそ子供の癖に、知ったような口をきく」
言っている事が、我ながら子供っぽい。
そう思いつつも、言われっぱなしは癪なのだ。
軽い気持ちで、反撃したつもりだったのだが……
「…………………」
「…………??」
てっきり、手厳しい反撃があるものと思って構えていた王様は、セレネが口を閉ざして無言になった事で拍子抜けした。
が、次の瞬間目にしたのは、怒りを湛えた瞳が鮮烈に輝く無表情のセレネだった。
しかも、その白い頬が、長い時間をかけて徐々に赤味を帯びていく。
「ど、どうしたのだ?」
恐る恐る声をかける王様の眼を、ただただ燃えるような瞳で睨みつけるセレネの顔が、どんどん赤く染まっていく。
よくみると、その細い首までもが真っ赤になっている。
一体なんだ、どうしたというのだ。
目の前で、あっという間に赤くなっていくセレネに、かける言葉も見つからない。
人形のように美しい少女の眼だけが爛々と怒りに輝く様は、見る者がいたならばきっと恐怖に腰を抜かしただろう。
王様はそれを恐怖と感じ無かったので、ただ単に戸惑っていた。
これがタコならば、見事な茹り具合と褒めたであろうに。
セレネの急激な変化に戸惑いつつも、そんな呑気な事すら考えていた。
「……ぅ………ょ」
「………うむ?」
すっかり赤く染め上がった頃、ようやくセレネがスゥっと息を吸った。
おっ、何か言うぞ、と王様は身構えた。
だが、セレネは小さく口を動かし何かを言っているが、あまりにもその声は小さく、何を言っているのか聞き取れない。
身を乗り出し「何を言っているのだ??」と聞き返す王様を、セレネは「近寄るなー!!!」と叫んで突き飛ばしていた。
「私はこれでもはたちなのよ!子供じゃないわ!!!」
今や茹ダコのようになってしまったセレネが喚く。
セレネの力強い突っ張りに、不意をつかれた王様が、ヨロヨロとよろめいた。
更に、セレネの言葉に衝撃を受けて、数歩あとずさる。
「……………は!?」
漸くの事で出た言葉は、僅かにこれだけだった。
よくよく考えてみると、セレネが何歳なのか聞いた事は無かった。
辛辣な発言が奇妙ではあったが容姿がとても幼い為、10代半ばか、それ以下といった所だろう、と勝手に思っていた。
まさか、成人しているなどと、誰が思っただろう。
セレネを見た全ての者が、彼女を少女だと思っている。
いやいや、まてよ。
人間界から遠ざかってもう数百年になる。
知らぬ間に、人間は随分と晩成型になったのではあるまいか。
だから、この娘は未だ成長の初期段階にあるのでは……?
……という王様の心の声は、心に留まらず、自然と呟きという形で心から零れ落ちてしまっていた。
はっと口元を押さえるも、時既に遅し。
目の前には、仁王のような様相の乙女が一人。
「もうとっくに成長は止まりました!完成形です、打ち止めです!!悪かったわね、どうせ私は幼女体型ですよ!!!」
気にしてたのに!!!
という、セレネの叫びが、緑深い森中に木霊した。
実は、母親がとっても豊満なないすばでぃだったので、何でも母と自分を比べてきたセレネにとって、体型については密かなコンプレックスだった。
王様は、そんなセレネの傷を、ぐーりぐりと抉る暴挙に出てしまった訳である。
「…もう、自分が何者かとか、どうでも良くなってきたわ」
一通り罵詈雑言を王様にぶつけたセレネは、漸く落ち着いたのか、はぁはぁと息切れを起しつつ声のトーンを落として言った。
もう何年ぶりになるだろうか。
これほど怒ったのは久しぶり過ぎて、思わず疲れを感じてしまった。
がっくり肩を落とすセレネに、かける言葉も無い王様。
「…感情が乏しいくせに、変な所で同情したりする人がいるからいけないのよ」
いっそ、全てに無関心を通してくれた方が、潔くていいわ。
途切れ途切れにぶつぶつと呟く。
未だに怒りの篭ったセレネの言葉が、いちいち痛かった。
「…しかも晩成型って。馬鹿にして」
「……………………」
「……………」
「……」
不意に沈黙が訪れた。
若干、怒りのボルテージが下がったのだろうか……
もしやこれは、チャンス?
何か言わねば何か言わねば、と思い続けていた王様は、しかし、何を言うのかを全く考えていなかった。
何でもいいから、取り合えず言っとけ言っとけ。
そんな悪魔の囁きが、王様の背を押した。
果たして王様は、容易く背中を押されて口を開いてしまった。
「あー、あれだ、セレネ。お前は充分大人だ。魅力的だ。立派なレディだ」
コホンと咳払いしてから、スラスラと飛び出る言葉の数々は、正に、心にも無い行き当たりばったりな賛辞の羅列だった。
美辞麗句を口にしない王様が手放しで誰かを絶賛するなど、ありえない事だ。
勿論そのどれにも心は篭っていないわけだが、他人を誉めるような言葉を王様が口にした事がそもそも異例の出来事である。
そんな訳で、王様としては物凄く褒めたつもりだったが、セレネにはそんな事情は知ったこっちゃないのである。
口先感満載過ぎて、ただセレネの怒りを加速させただけだった。
実は、先程沈黙していたのは、ふつふつと湧き上がる苛立ちを抑える為だったので、王様の言葉はまさしく“火に油”であった。
「…半端な同情はいらないって言ったでしょうー!!!!!」
ビリビリと周囲を震わせるような、魂の叫びともいえるセレネの大絶叫。
その効果たるや凄まじいものだった。
近くの泉が細波をたてて揺れている。
周囲で囀っていた小鳥達のうちの数羽が、気絶して落下してきた。
また、セレネの絶叫の届く限り全ての動物が一斉に逃げ出すという、脅威的な叫び声だった。
そんな中ただ一人、王様だけが、涼しい顔で両耳に指を突っ込んで立っていた。
「そうか、そうだったのだな」
ややあってから、王様の呟きが漏れる。
ぷんすか憤慨しているセレネを余所に王様は、成る程な、と一人納得していた。
「セレネ、解ったぞ、お前と母君が何者か」
「………え……っ」
王様の自信満々な言葉は、セレネの怒りを治めるのに充分すぎる効果があった。
早くも無表情に戻ったセレネが、王様の言葉に期待を持って、じっと金の瞳を見つめている。
「心して聞くがよいぞ」
王様は自分が辿り着いた結論に確信を持って、自慢気な笑みを浮かべて見せた。




