【彼方 世界の記録】
――それは、『瀬川和樹』の『暴走』を止めた日の夜のこと――。
この街で活動するにあたっての拠点としていた、ビジネスホテルの一室。
そこに戻り、私はベッドに仰向けの体勢で寝転がっていた。
「はあ……」
何度となく漏れる嘆息は、文字通り、己の力不足を嘆いてのもの。
慣れない。
やるせない。
死ぬ必要のない人間が命を落とすという光景は、本当に、何度目にしても……。
「まさか、『覚醒』すると同時に『呑まれ』てしまうとはな……」
その可能性は、皇帝から聞かされていた。
だから、それを念頭に置き、私は常に慎重に立ち回っていた。
最終局面においても、そうするつもりで、いた。
『死神』を、味方につけられるように。
絶対、誰も死なずに済むように。
そして、瀬川和樹が『黒き魂』に『呑まれ』ないように。
だと、いうのに……。
「私もまだまだ未熟、ということか……」
物事は、自分の思いどおりには運ばない。
どうしたって、不確定要素というものが存在する。
どれだけそれを潰すように動こうとも、その要素は決してゼロにはならない。
「頭では、わかっているんだがな……」
私の今回の目的は、瀬川和樹の『覚醒』だった。
そしてそれは、彼に相応の負の感情を抱かせ、彼自身の『魂の輝き』を『黒き魂』のそれに近づけさせればいいはずだった。
つまり、瀬川和樹が『大切』だと認識している人間に怪我を負わせ、彼に『怒り』の感情を抱かせ、それを私に向けさせる。
それだけで、よかったのだ。
それは、とてもわかりやすい展開だといえる。
『大切な人が傷つけられた怒りを力に変えて、敵を討つ』。
そんな使い古された、しかし、だからこそ頭に思い描きやすかった筋書き。
だがそのシナリオは、『美園秋葉の死』によって、実にあっけなく破綻してしまった。
おそらくは、瀬川和樹の受けたショックが強すぎたのだと思う。
私という『わかりやすい敵』に怒りを向けることが、できなくなるほどに。
また、『怒り』の感情を、彼の『悲しみ』が塗り潰してしまったらしいこと。
あろうことか、『自分』という存在を否定、完全に放棄してしまったらしいこと。
それが私にとっては、あまりにも予想外に過ぎた。
誤算もいいところだった。
いまにして思えば、手掛かりは間違いなくあったというのに……。
今日の一件に至るまで、私は瀬川和樹を観察してきた。
だから、彼に『生きる理由』がないことを知っていた。
『黒き魂』に『呑まれ』やすい人間であることを、知っていた。
それなのに――
と、そこで枕元に置いておいた携帯が振動した。
手にとって、かけてきた相手を確認する。
「皇帝、から……?」
起き上がり、私はベッドに腰かけた状態で背筋を伸ばした。
意識してのことではない。自然と、そうしていた。
そして、通話開始のボタンを押す。
「――はい」
『ご苦労だった、彼方』
返ってきた声は、重々しい、威厳に満ちた男性のもの。
それに私は、感情がこもらないよう注意して返す。
「……いえ」
『ふむ。……やはり、沈んでいるか』
虚勢は、あっさりと見抜かれた。
私はそれに苦笑し、「はい」と漏らす。
「端的に言って、後味の悪い結末となりました……」
『よくあることだ、気にするな。……とは言ってやれないが、ほどほどにはしておけ』
「……はい」
『今後も私の下で働いていこうというのならば、似たようなことはこれからいくらでもあるだろう。その度に気に病んでいては、とてもではないがやっていけぬぞ』
「……はい、承知いたしました。――それで、今日はそれを言うためだけに、私に電話を?」
『部下の精神状態を把握しておくのは上司の務めだろう。むろん、それだけが用件というわけでもないのだがな。
だが、『アルク』から事の顛末を聞いて、心配になったのも本当だ』
「……ご心配、痛み入ります。――それで、他の用件とは?」
皇帝の厚意がありがたくないわけではない。
だが、この話題を続けられるのはやはり苦痛で、私は早々に話の矛先を変えさせてもらうことにした。
それに皇帝は『うむ』とうなずく気配をみせ。
『いま、私のところに『カノープス』が来ていてな』
「『カノープス』が、ですか?」
『それで、お前に少々訊きたいことがあるらしい。……代わるが、いいか?』
「はい。かまいませんが……」
しかし、私に一体なにを訊こうというのか。
そんなことを考えていると、年端もいかぬ幼い少女の声が耳に飛び込んできた。
『久しぶり、カナタ! 元気にしてるかしら?』
「いえ、少々気落ちしています……」
『そう? まあ、変に開き直ってるよりはずっといいわ。いまは失われた命の重さと、あなたはその人間の『可能性』を奪ったんだってことを、目を逸らさずに受け止めなさい』
彼女――『カノープス』は私より年下だというのに、まるで私以上に長い年月を生きてきたかのような口ぶりで話す。
だから私は彼女に対して、丁寧な口調で返すのが当たり前となっていた。
そう、それは彼女と初めて会ったときから、ずっとだ。
「相変わらず手厳しいですね……。あなたのほうは変わらずお元気そうで、なによりです」
『聖教会絡みで、ちょっと忙しくなってはきてるけどね』
「聖教会絡み……。……ああ、『託天使』――『フォウマルハウト』を抑えておかなければ、という件ですか」
『そう、それ。身の程知らずの牽制。――あ、それはそれとして、ちょっとあなたに訊きたいことがあるのだけれど、いま、いいかしら?』
「ええ、かまいませんよ。しかし、私になにを訊こうというのです?」
『えっとね、今日の早朝、『アーカーシャー』にアクセスしてきた『魂』があったのよ。それでちょっと辿って調べてみたら、それ、『カズキ』っていう人間のものだったの。――あとは、わかるわよね?』
『アーカーシャー』。
それは、『アカシック・レコード』や『創造主の頭脳』とも呼ばれる、『世界の記録』のことだ。
過去、現在、未来を問わず、この世界の『すべての事柄』が記録されているモノ。
当然、存在しているのは『この世』にではなく、『あの世』――『階層世界』にであり、『カノープス』を含む数名にしかアクセスすることはできない……はずなのだが。
「瀬川和樹が、『アーカーシャー』にアクセスした? 一体いつ、どうやって……?」
『それを訊きたくて、私はあなたに連絡をとったのだけれど?』
「そう、でしたね……。これは私の推測になりますが、瀬川和樹は今朝、『黒き魂』に『呑まれ』、一度『自己』というものを放棄したように見受けられました。
そのあとに意識も失いましたから、おそらくはそのときでしょうね。……『自己』を放棄することで、『魂』が肉体から離れやすくなってしまった、と」
『それにしたって、『アーカーシャー』のある『第八階層世界』にまで行けるものなのかしら? いえ、この問いは無意味ね。だって、現実にアクセスできているのだもの。――となると問題は、なぜアクセスできたのか、か……』
「理由があるとすれば……そうですね、瀬川和樹は『救世主因子』と『黒き魂』を同時保有していましたから、そのあたりではないかと」
『ああ、それはもちろん知ってるわ。というか、私がサラ・クリスタンヴァルから聞き出して、ゲンゾウに教えたのだし』
そういえばそうだった。
ちなみに、『ゲンゾウ』というのは皇帝の下の名前だ。
フルネームは『黒田厳蔵』。もちろん、私がその名で呼んだことは、ただの一度もないのだけれど。
「ちなみに、瀬川和樹はどのあたりの『記録』にアクセスしていたのですか? つい最近? それとも、ずっと昔のものですか?」
『後者ね。昔も昔、この新世界が『創造される以前の記録』。それと、このアクセスの仕方がまた妙なのよ。『視る』だけに留まらず、こう、なんていうか……』
言いよどむ彼女の声には、困惑の色があった。
それが意味するのは、まさか……。
「まさか、過去の改変が行われたのですか? 瀬川和樹が『アーカーシャー』にアクセス……いえ、『本質の柱』に辿りつくことによって?」
『ありえない、とは言い切れないわ。だって、彼は『蒼き惑星の救世主』ルアルド・デベロップの転生体で、おまけに――』
「『蒼き惑星』? あの、それは一体……?」
『え? ああ、そっか。そこまでは聞かされていないわよね、カナタは。だって、まだ『皇帝騎士団』の人間でしかないのだから。
でも、なんとなくはわかったでしょう? 『カズキ』が放置しておいていい人間じゃないっていうことは』
「ええ、まあ、なんとなくでいいのでしたら、一応は」
『いいわ。いまのところは、『なんとなく』わかっていれば、それで。これ以上の情報がほしかったら、私と同じ『高み』まで上ってきなさい』
言われるまでもなく、そうするつもりだ。
何年かかるかは、わからないけれど。
しかし、いまはそれ以上に問題とするべきことがあるはずだった。
「それで、『この世界』に過去改変の影響はないのですか? いや、そもそも本当に過去の改変が行われたのですか?」
『行われたといえば行われたし、行われてないといえば行われてないわ。というのもね、『カズキ』は確かに『ルアルド・デベロップ』と意識を共有したのだけれど、でも、特にこれといったことをせずに『この世界』に戻ってきているのよ。
『視る』以上の行為は確かにしたのだけれど、歴史を改変するような行動はなにひとつとっていない、ということね』
「それはそれは……。積極的に動かれなくて、助かりましたね」
『まったくね。でも、『カズキ』が『アーカーシャー』にアクセスする以上のことをしたのも確か。放っておくことは、できないわ』
「……どうするおつもりで?」
『そうね……。とりあえず、聖教会の者にでも監視させようかしら。それなら『カズキ』にも、『自然な流れ』と感じられるでしょうし』
「なるほど。過去干渉及び改変のことを抜きにしても、『黒き魂』の『力』を『暴走』させた彼は、間違いなく要監視対象でしょうからね」
『ええ、そういうこと。適任は……やっぱり『死神』かしらね、今回の件で『カズキ』の魂を回収しようしてたっていう。
近々、聖教会に顔を出すつもりでいるから、そのときにでも『智天使』として彼女のことを推しておくわ』
まどかくんに、か。
なるほど、それなら確かに『流れ』としては自然なことこの上ない。
だが……。
「彼女はまだ、瀬川和樹の魂を回収する気でいるのでは?」
『『暴走』の場に居合わせたのだから、そうでしょうね。でも、それは無用な心配というものではないかしら? 二、三日くらいならタツキとナギが抑えておいてくれるわよ』
「そしてその二、三日の間に、あなたはサラ・クリスタンヴァルに『魂の回収命令』を取り消してもらえるよう掛け合う、というわけですか?」
「大体は、そんなところね。――あ、それと今回の一件でカナタが殺しちゃった女の子のことなんだけど』
「っ……!」
唐突に変えられたその話題に、息が詰まった。
その話はもう終わったとばかり思っていたものだから、余計に。
しかし、それは私の犯した『罪』だ。目を逸らすことは許されない。
そう自分に言い聞かせ、絞り出すように問いかける。
「――彼女が、なにか……?」
『えっとね、なんか彼女、全然『階層世界』に向かおうとしてなかったのよ。ものすごい未練や強烈な負の感情があるわけでも、自分が死んだっていう事実を受け入れられてないわけでもないのに』
「それは……また、不思議なこともあるものですね……」
『で、ちょっと話しかけてみたんだけど、なんかこう、彼女の留まってる理由って、『カズキ』の精神を鍛えるのに使えそうでね。……もちろん、いますぐに、とはいかないんだけど』
「なるほど。タイミングを見計らって、ということですか」
『ええ。いますぐやったら、『カズキ』の精神が壊れちゃいそうだもの。……で、まあ、そんなわけで、とりあえず『盟約』だけでも交わしておこうか、となったわけ』
『盟約』。
それは『カノープス』の得意とする、創造主の力を借りて行使する術――『新生の盟約』のことだ。
冥土に迷う者を成仏させるための術。
その際に死者と交渉し、協力を取りつけることのできる術。
といっても、無理に言うことを聞かせるための術というわけではない。
交渉にしたって、死者の弱みにつけ込んで行うわけでもない。
この術の主目的は、あくまで死者を『成仏させる』こと。
次の人生――『来世』へと導くこと。
そのときに、『自分に協力してもらえないか?』と頼むこともできる、というだけのことだ。
そして、この術の使い手は、多く見積もっても世界に十人いるかいないかだという。
『シュテルン』において、『カノープス』は優れた『魔術の使い手』であると同時に、『現代における真にして唯一の死霊術士』とも呼ばれているのだが、それもすべては、これゆえである。
少なくとも、私の知る限り、『死者の相手をする』という一点においては、彼女の右に出る者など存在しない。
『それにほら、『カズキ』には近い将来、『シュテルン』に協力してもらう必要があるわけだし。『ヒトミのお気に入り』というのを抜きにしても、ね。
とにかく、そのときにちゃんと使い物になるよう、精神はしっかり鍛えておいてもらわないと。『仲間になりました、でもすぐに壊れちゃいました』じゃお話にならないし、なによりヒトミが悲しむもの』
「世界の平和よりも個人の心情優先ですか、あなたは」
『そんなの当たり前じゃない。そもそも私、世界を救おうなんてこれっぽっちも思ってないもの。私やヒトミ、カナタといった『個人』と比べればね、『世界』の価値なんて低いにもほどがあるわ』
この『カノープス』という少女は、こういう考えの持ち主なのだ。
そう自分に言い聞かせ、私は、それでも『シュテルン』のメンバーか、と突っ込みたくなる衝動をなんとかこらえる。
『そんなわけで、私からは以上。アキハの天国行きはもう決まったも同然だから、カナタも必要以上には気に病まないようにね』
「もしかして、わざわざ私に電話をしてきたのは、それを一番言いたくて……?」
『……否定は、しないわ。――え? なによ、ゲンゾウ? ……うん、わかった。ちょっと待って。
――カナタ、ゲンゾウがそろそろ代われって言ってるわ。そういうわけだから、私はこれで』
「はい、わかりました。……それと、ありがとうございました」
『カノープス』の言葉に、私の心はいくらか軽くなっていた。
だから最後に礼の言葉を告げたのだが、それは果たして彼女の耳に届いたのだろうか。
そんなことを考えていると、通話口から再度、皇帝の声が聞こえてきた。
『――私だ。『皇帝騎士団』の任務のことで電話を寄越したのに、最後、『カノープス』に切らせるのもどうかと思ったのでな』
「なるほど、それは確かに。ですが、もう報告すべきことは全部――」
『まだ報酬の話が済んでいないだろう。――なにか、望みはあるか? 彼方』
いえ、特にこれといって。
そう言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
思うところが、あったのだ。
『皇帝騎士団』の一員であるというだけで、普通に生活していくぶんには充分すぎるほどの額が、私の口座には毎月振り込まれている。
それを給料や賃金と呼ぶのには、正直なところ、違和感を覚えて仕方ないが、まあ、実質的にはそんな感じだ。
つまり、『皇帝騎士団』として活動したぶんの報酬は、常に先払いでもらっているということになる。
そして当然のことながら、皇帝はそのことを知っている。
それを理解した上で『報酬の話を』と言っているのだ。
なら、たまには戯れを口にしてみるのも、いいのではないだろうか。
「……そうですね。では、『シュテルン』のメンバーに推薦してもらいたい、というのはいかがでしょう?」
もしかしたら、馬鹿者と一喝されるかもしれない。
そう思いもしたものの、しかし、そんな不安は皇帝の返答に吹き飛ばされた。
『了解した。では、『欠員』ができたときにでも推してみるとしよう。……だが、過剰な期待は禁物だぞ?』
「…………」
『どうした? 彼方』
「……あ、いえ、その……。なにごとも言ってみるものだな、と……」
『つまり、なんだ? 冗談のつもりだったのか?』
「冗談半分、本気半分。そんな感じでした」
『そうか。だが、私のほうは元からそのつもりでいたぞ? 竜樹の次に推薦するとしたら、それはやはりお前だろう、と。
しかし……そうか、お前にもその気はあったか。それは僥倖。――さて、そろそろ通話を終えようと思うのだが、かまわないか?』
「はい。では、『欠員』ができたときにはよろしくお願いいたします。……失礼します」
そう言って私は、向こうから電話が切られるのを待った。
そして、プツッという音がしてから、通話終了のボタンを押す。
それからベッドへと仰向けに寝転がり、誰にともなくつぶやいた。
「私が『シュテルン』のメンバーに、か。そうなれたらと思ったことは、もちろん何度となくあったが……」
まさか、こうもあっさりと推薦してもらえることになるとは。
「もちろん、そう簡単に『欠員』が出るわけもないから、本当に実現するのは、あと数年は先のことになるだろうがね」
だが、それでも胸には誇らしい気持ちが生まれている。
つい先ほど、電話がかかってくるまでは、どうしようもないくらい沈んでいたというのに、だ。
まったく、本当、我ながら現金なものだ。
そう、呆れ混じりに苦笑するしかなかった。
そうして、私は。
明日には引き払うことになるビジネスホテルの一室で。
久しぶりに訪れた、退屈ながらも平和な時間を、しばしゴロゴロと満喫するのだった――。
長くなりました。
なんでこんなに長くなったんだろうと思うほど、長くなりました……。
でも、やりたいことは全部やれたし、僕としてはかなり満足してます。
『同居人も魔法使い』に先んじて登場している『カノープス』も、声だけとはいえ出せましたしね。
残る問題は、この構成が『物語としてわかりづらくなっていないか』どうか。
一応、『和樹』と『ルアルド』を軸に物語を組み立ててはいるのですけどね……。
では、また次回。




