第十九話 始まりのとき
リビングにある電話が鳴ったのは、僕たちが朝食を終えてすぐのことだった。
席を立ち、受話器を取ったのは優菜。
彼女はすでに制服に着替え終えている。それは、残る僕たち三人も同じだった。
「はい、瀬川です。――あ、お父さん? うん、うん……」
どうやら親父からだったらしい。
優菜は何度かうなずいてから、受話器の下のほう――送話口を手で押さえ、僕へと視線を向けてきた。
「えっと、親父、僕に代われって?」
「うん、最初に電話してきたのは兄さんのほうだからって」
「ああ、なるほど」
確かに、優菜と光一には『いまの状況を電話で説明しておいた』としか伝えてなかったからなあ。
そんなことを考えながら、立ちあがって優菜から受話器を受けとる。
「ほいほい、代わったぞ~」
『呑気な声だなあ、和樹。本当に命を狙われてるのか?』
「本当だって。あ、その片方――死神ならいまリビングにいるけど、代わるか?」
『いや、いまはいい。とりあえず、精神的に参ってはいないようだな。安心したぞ』
「……実を言うと、マジで発狂する五秒前」
『うんうん、冗談も言えるようでなによりだ』
「……や、信用してもらえないかもだけど、けっこう精神的にはしんどいんだって。で、親父。一体、いつになったら帰ってくるんだ?」
『聞いて驚け。実はいま、俺と母さんは空港にいる』
「……どこの?」
『日本のだよ!』
「う~んと、北海道?」
「成田だよ! なんでお前はそうひねくれてるんだ! 父さん悲しいぞ!!』
「いやさ、昔、すご~く遠い国の空港から『俺、竜樹。いま、空港にいるの』って電話かけてきたことがあっただろ? そのときから、疑う癖が抜けなくなっちゃって……」
『あー、あれのせいか。我ながら、しょうもないことをやったもんだ……。
まあ、人の言うことを鵜呑みにしないのはいいことだけどな。……しかし、やっぱり育て方間違えたかなあ……』
「やっぱりってなにさ!」
『待て、話が脱線してきている。一度戻そう』
「脱線させたのは誰だよ!?」
『いや、お前だろ……?』
言われて、ちょっと電話を取ってからの会話を思い返してみる。
すると……
「……そうでした。ごめんなさい」
『うん、よく言えました。――それでだな、和樹。父さん、お前のもとに一刻も早く駆けつけてやりたいって気持ちはありまくりなんだが、いかんせん、こっちでも済ませておかなきゃならない用事ってのがあってだな』
「用事?」
『ああ、ちょっと知人と会う約束があってな。そこで……まあ、なんだ、ちょっと事件をひとつ解決しなくちゃならないんだ』
「事件って……。いやまあ、死神やらなんやらに命を狙われてる僕に、突っ込む権利なんてないんだろうけどさ……」
『だな。それで、帰ろうと思えばすぐにでも帰れるんだが……悪いな、その用事のせいで、俺たちが帰宅できるのは今日の午後になりそうなんだ』
「別にいいよ、ちゃんと帰ってきてくれるんなら、それで」
『……本当に悪いな、和樹』
「へ? ど、どうしたよ? 親父」
『いや、なんでもない。それより、そろそろ学校に行く時間なんじゃないのか? 俺もそろそろタクシーに乗らなきゃだし』
「うん? ……って、ああっ! 本当だ!! じゃ、じゃあ、またあとでな、親父!」
言って僕は、親父の『おう』という返事を聞くや否や受話器を戻した。
「みんな、もう食べ終わってるよな? 時間、けっこうギリギリだぞ!」
しかし、優菜と光一から返ってきたのは、『なにをいまさら』とでも言いたげな視線だけだった。
ああ、そうだよな! 僕が無駄に話を脱線させてたから、こんな時間になったんだよな! 本当に申し訳ない限りだよ、もう!
そんなわけで僕たちは、事情がよくわかってないっぽいまどかを急かして、少しばかり慌しく家を出たのだった。
◆ ◆ ◆
「あっ! あ、あの、か、か、かかか……!」
玄関の扉を開けたら、すぐそこの道路に秋葉が立っていた。
おまけに彼女の口からは、意味不明な『か』の一音が連呼されている。
なんなんだ? この後輩は一体なにがしたいんだ?
「あの、か、かず、かず、かずかず先輩! い、一緒に登校しましょう!」
「落ちつけ、秋葉。あと僕の名前は『かずかず』じゃない」
あだ名だとしても、本名より長いんじゃ意味ないし。
そんなことを思っていたら、自分も瞳という女性のことを『ひーねぇ』と呼んでいることにふと気づいてしまった。
……ま、まあ、しょせんはあだ名だからさ、好きにつけたって別にいいじゃない。
「うん、そう考えると、かずかず先輩もそれはそれでアリだな」
「は、はい? どういうことでしょう?」
戸惑う秋葉の肩を、優菜が嘆息しながらポンと叩く。
「兄さんのことだから、どうせまたどうでもいいこと考えてたんだよ。いつものこと、いつものこと」
そうそう、いつものこと、いつものこと。……って、おいこら、優菜。
「お前、そんな、兄を変人みたいに……!」
「だって変人じゃない、兄さん。特に学園では」
それを言われると反論できない。
でも、ここで引き下がるわけには――
「――っ!?」
――視線を、感じた。
目を向ければ、道路のやや遠めに黒髪の青年の姿がひとつ。
身につけている赤い鎧が、太陽の光に煌めいていて――。
「おや、これは意外。死神のお嬢さんよりも先に、私の視線に気づくとは」
こちらへと向けて歩いてくるその男は……言うまでもなく、灼騎士。
くそっ! なんだって今日現れるんだよ!
これが明日のことだったら、親父たちとなんらかの対策が立てられてたかもしれないのに……!
――心が、震える。
魂が、恐怖に凍りつきそうになる。
そんな僕の心情を察してか、まどかが彼の進路を阻むように僕の前へと出てくれた。
「ずいぶんとのんびりしてましたね、裏世界のエージェントさん」
「こちらにも色々と事情があってね」
「事情ですか?」
「今日までは待機命令が出ていた、と言えば理解してもらいやすいかな?」
「なるほど、応援でも呼ばれちゃいましたか? 一対一では敵わないと判断されて」
「ノーコメント、とさせてもらおう。――ところで、きみのほうはどうかな? まだ瀬川和樹の魂を回収していないようだけれど」
「こちらにも、色々と事情がありまして」
まあ、餌づけされました、とは言えないわな。
そんなことなどまるで知らない灼騎士は、しかし、愉快げに笑って。
「なるほど。瀬川和樹の手料理は、私もぜひ一度ご馳走になってみたいところだな」
うわ、知ってたし!
「むろん、そんな機会は絶対に訪れないだろうがね」
「あなたが和樹さんを殺すから、ですか?」
「ふむ、なにか思い違いをしていないかい? まどかくん。私に瀬川和樹を殺すつもりはない。それはどちらかというと、きみのやろうとしていることだ」
「……まあ、確かにそうですね。でも和樹さんたちとは、あなたを倒すまで休戦するという約束をしていますので」
「ああ、知っている。その上でなお、問いたい。――まどかくん、私に協力する気はないかい?」
「具体的な協力の方法はおろか、目的すら言っていないというのに、それで本当に私を協力させられると思ってるんですか?」
「目的は……ちょっと明かせないな。事態が進行していく中で理解してもらうしかない。『そのとき』にまどかくんが瀬川和樹を殺したりしないよう、前もって協力の約束を取りつけておきたかったんだが……」
「私が和樹さんを殺そうとすることになる? どういうことです?」
「なに、『そのとき』になればわかることさ。……では――」
灼騎士はそこで一度、言葉を切って。
なにやら小声でぶつぶつとつぶやき始めた。
そして、右の手を天高く掲げ。
「――瞬間転移」
その手の中に、赤い刀身を持つ長剣が納まった。
それに対抗するように、まどかも着ている服を制服からいつものワンピースにチェンジ。
そして、彼女専用の得物――『死神の鎌』を作りだす。
「魂を刈り取る『鎌』の魔道武器、『デスサイズ』か」
「正確には、私の記憶にあるそれをイメージして生み出した、『デスサイズ』の模造品、ですけどね。そちらは、火属性の魔道武器ですか?」
「魔道武器、炎の魔剣『ヒートセイバー』だ。霊体であっても斬ることのできる優れものだぞ?」
「また、厄介なものを……」
「そうは言うがね、こういった武器がなければ、人間が神霊に勝つことなど到底出来はしないぞ」
言って、赤い長剣をかまえる灼騎士。
「さて、まどかくん、最後の問いだ。『自覚もなく強い『力』を持っている人間は危険』、それは聖教会の誰もが言っていることだが、ならば、『そうと自覚して強い『力』を持っている場合』はどうする? それも危険と判断するのかな?」
「その質問に答えることに、一体どんな意味があるのかはわかりませんが……。
『自覚がある人間』にも聖教会は目を光らせていますからね、危険じゃないとは言えませんよ。『自覚がない』よりはいくらかマシ、という程度です」
「なるほど、よくわかった。ならばきみの存在は、最終局面において、やはり私の任務完遂の妨げとなりそうだな。――言っておくけど、今回は殺すつもりでいくよ?」
「どうぞご自由に。ですが私としても、あなたに『神殺し』の大罪を負わせるわけにはいきませんからね。おとなしく殺されてなんて、あげませんよ?」
そして、『戦闘』が始まった。
『草試合』では起こりえない、わずかなミスが文字通り命取りとなる戦い。
まさしく『戦闘』としか形容できない、『魂と魂のぶつかり合い』が――。




