【秋葉 特別なことなんてないけれど】
和樹先輩の家で行われた草試合が終わり、私と鳴時くんは一緒に帰路へとついていた。
「……神原まどかさん、強かったね」
「桜井くんが何度挑んでも、軽くあしらわれちゃってたもんね」
もっとも、本当に相手にならないくらいの実力差があったから、怪我らしい怪我なんてひとつも負わずに済んでいたけど。
あ、その点、優菜はなかなかに手痛い攻撃を食らってたなあ。
実力が近ければ近いほど、怪我をさせずに勝つというのは難しくなるんだろう、きっと。
「ところで、美園秋葉さん」
淡々とした声に、意識が引き戻される。
「ん? なに?」
「灼騎士には、その『強い神原まどかさん』でも苦戦することになるかもしれないのに、なんで『手を引く』という選択をしなかったの?」
「鳴時くんは、手を引くことにしたんだよね?」
「うん。ぼくじゃ、どうやったって足手まといになるだけだから、この件が片づくまでは瀬川和樹さんに関わらないことにした。危険だというのもあるし。
そして、それは自分にも当てはまるんだと、美園秋葉さんだって理解してるはず。なのに、どうして?」
「どうして、か……」
いまさらだなあ……。
苦笑をこぼして、私は赤く染まった空へと目をやった。
でもそれは、別に自分の考えを整理したかったわけじゃなくて。
「瀬川先輩……ううん、和樹先輩の前では、言ったよね? 私だけ安全なところに逃げるなんて、事件が無事に解決したらまた仲良く過ごしましょうだなんて、そんなことはしたくないって」
だって、そんなの虫がよすぎるって思うから。
「でも、それで美園秋葉さんを責める人は誰もいない。それに、安全なところに逃げるのは、美園秋葉さんだけというわけでもない」
「鳴時くんは、私と一緒に逃げることを選んでくれたんだもんね。……私は、それに乗らなかったけど」
「そう、そこが不可解。瀬川和樹さんの置かれている状況を正確に把握できているはずなのに、どうして美園秋葉さんは降りようとしないのか。
それもまた美園秋葉さんが選んだ道ではあるけれど、やっぱりぼくには疑問が残る」
「それはきっと、男女の違いってものなんじゃないかな。……そう、単純な理由なんだよ。とてもとても、単純な理由」
優菜やまどかさんといった、私以外の女の子が全員残るというのに、私だけが降りるだなんて、そんなことは絶対にしたくなかった。
和樹先輩と同じ家で過ごしている二人と、学園でしか先輩とは会えない私。
もしかしたら、それだけでもすでに差がついてしまっているかもしれないというのに、これ以上、先輩と一緒にいられる時間が少なくなってしまったら。
おまけにいまは、もうすぐ夏休みに入るという時期。
そうなったら私は、昨日や今日みたいになにか理由がないと和樹先輩には一ヶ月以上も会えなくなってしまう。
……ううん、でもきっと、一番の理由はそれじゃなくて。
「……先輩と、対等につきあえなくなる気がするんだ、ここで降りたら」
「瀬川和樹さんは先輩、美園秋葉さんは後輩。その関係性は、元から対等なものとは呼べないと思う」
もう、鳴時くんは。
私の言いたいこと、本当はわかってるくせに。
「そうじゃなくて……ここで逃げたら、先輩に告白なんて一生できないだろうな、とか……そういう、私の気持ちの問題」
だから、降りるという選択だけは、絶対にしない。ううん、できない。
そう思って両の拳を握り込むと、鳴時くんが疲れたように嘆息した。……珍しい。
「なあに? ため息なんてついて」
「美園秋葉さんを心変わりさせることは、ぼくにはやっぱりできそうにない。それを改めて感じていただけ」
「心変わり、させようとしてたんだ?」
「一応は。――それはそれとして、ひとつ訊きたい。美園秋葉さんの原動力となっている『その感情』は、一体なにがきっかけで生まれたの?」
その言葉に、顔が熱を持ったのがわかった。
「ど、どういう意図があっての質問なのかな……?」
「純粋な興味。確かに、ぼくよりも美園秋葉さんのほうが瀬川和樹さんとは先に知り合ってるけど、その差はわずか五ヶ月ほど。そして僕の記憶にある限り、瀬川和樹さんと美園秋葉さんとの間に、劇的な『なにか』はなかった。
ということは、そのぼくの知らない五ヶ月ほどの間に『なにか』があったとしか考えられない」
恋愛の話には似つかわしくない論理的な思考に、私は思わず吹きだしてしまう。
それに、『なにか』なんて言われても。
「鳴時くんの考えてるような劇的な『なにか』なんて、これといってなかったよ?」
「……なかった? ひとつも?」
「うん、ひとつも。和樹先輩とはね、優菜と友達になって、家に遊びに行って、そこで初めて会ったんだけど、それから『なにか』があったかって訊かれても……うん、和樹先輩の弾くピアノに感動した、くらいしかないかなあ」
「それだけ? それだけのことで恋愛感情って抱くものなの?」
その疑問に、私は手をパタパタとやりながら苦笑した。
「違う違う。先輩の弾くピアノの音色が綺麗だったから好きになったとか、そういうわけじゃないんだよ。もちろん、理由のひとつではあるかもしれないけどね」
「……ちなみに、初めて瀬川和樹さんと会ったときの第一印象は?」
「ん? 最初は『優菜のお兄さん』としてしか見てなかったから、優しそうなお兄さんだなあ、だったかな」
それが『優しい先輩』、『ちょっと不気味な先輩』、『変わった先輩』となっていって。
いまは……なんだろう、『面白い先輩』? 『一緒にいると楽しい先輩』?
よくはわからないけど、それでもひとつだけ言えることは。
「結局ね、こういうことがあったから好きになったとか、そういうのはひとつもないの。優菜を通して出会ってから二年以上、ときに親しみを感じて、ときに幻滅して、そんなことを繰り返してたら……いつの間にか、好きになっちゃってた」
「つまり、なんとなく好きになった、ということ?」
「う~ん、なんとなく、とはちょっと違うかな。一緒に過ごす時間がとても楽しくて、とても温かくて、とても落ちつけて。でも、段々とドキドキするようにも、なっていって。
そういうふうに、私は和樹先輩を好きになっていったの。ゆっくりと、ゆっくりと。特別なことなんて、なにもなく。劇的な『なにか』なんて、なにもなく」
そう、私の恋には、特別なきっかけなんて、なにもない。
ともすれば、地味とか面白みがないとか言われるかもしれない。
でも、ゆっくりと時間をかけて育んできたこの想いを、私は、素敵なものだと思うから。
「なるほど、いまの美園秋葉さんを支えているのは、その『時間』。命を賭けてもいいと思えるほどの、濃密ではないけれど、幸福だった『時間』。
……納得した。その積み重ねがあれば、確かに美園秋葉さんは強くいられる。恐怖よりも、瀬川和樹さんの近くにいたいという気持ちのほうが勝ってもおかしくない。その『時間』をこれからも積み重ねていこうとしているのだから、なおのこと」
「う、う~んと?」
納得してもらえたのはよかったんだけど、ちょっと鳴時くんの言ってることがよくわからなかったり……。
「気にしないで。それと、せっかくだから助言をひとつ」
「じょ、助言?」
「そう、初恋もまだのぼくから、助言」
「それって、あんまり頼りにならなさそうな気が……」
「まあまあ、そう言わず。――美園秋葉さん、つり橋効果って知ってる?」
つり橋効果っていうと、あれだろうか。
危機的状況に覚えるドキドキを恋のドキドキと勘違いしちゃう、みたいなやつ。
「知ってるけど、それが?」
「瀬川和樹さんは現在、複数人から命を狙われている。つまり、これ以上ないほどの危機的状況」
「ええと、告白するならいまがチャンスってこと?」
「そういうこと。それに、精神的に追いつめられているときは、ちょっとした優しさでも嬉しいものだから。まして、それが自分のみに向けられた『特別な好意』となれば……」
「な、なるほど……!」
「もちろん、あまりゴタゴタしてるときに告白するのはお勧めできないけど」
「タイミングが重要ってことだね! 和樹先輩が不安で不安で仕方ない状態で、なおかつ落ちついて話ができるときがベスト、と!」
「そう、たとえば昨日や今日みたいな休日とか」
「あっ……! ま、まさか一番のチャンスを逃しちゃった!? 私!」
「そうかもしれない。でも、まだ機会はある……と思う」
「そ、そうだよねそうだよね! よし、燃えてきた~! 明日、朝一番で――」
「あ、あと。瀬川和樹さんの前でも『和樹先輩』と呼べるようにしておいたほうがいいと思う」
「ううっ……。や、やっぱり……?」
「もちろん、絶対に必須というわけではないけど」
「でも、できるなら『和樹先輩』って呼んだほうがいいよね……! わかった、本人を目の前にするとついどもっちゃうけど、それでも頑張ってみる!」
「うん、上手く行くことを祈ってる」
「ありがとう、鳴時くん! よし、決戦は明日!!」
そう声を張りあげ、私は右の拳を空へと向けて突き出した。
「それはそれとして、美園秋葉さん。人が見てる」
「あうっ……」
この、どこでもかまわず熱くなっちゃう癖は、いずれ直さないとなあ。
道行く人の目に頬が熱を持つのを感じながら、そんなことを思う私だった。
そして、月曜日の朝がやってくる――。
今回は秋葉視点の幕間でした。
序章のメインヒロイン、本領発揮です。
特別な『なにか』のない彼女の恋愛は、小説としてはタブーになるわけですが、それでも僕は、どうしても書きたかったんですよね、こういう『何気ない日常を一緒に過ごしていくうちに主人公を好きになるヒロイン』を。
さて、物語はもうすぐクライマックス。
失速することなく書いていきたいところです。
では、また次回。




