第四章 奥羽国奪還戦 ⑥ 衣川城攻防戦・表
書き上げたばかりでまだ内容を見返していないとりあえず版です。後日修正を入れる予定です。誤字脱字、文章におかしい点がありましたら報告よろしくお願いいたします。
◆◆◆
奥羽国藤宮領・衣川城――源義憲
奥羽国の北西に位置し、海に面して良質な港を有する奥羽国屈指の領地。
それが藤宮領である。
ここは海を挟んで対岸にある大国――現在は大雅国と名乗っている――との交易で栄えてきた奥羽国第二の経済都市という側面も抱えている。
隣国との貿易により莫大な収入を得ることが出来るこの地は、奥羽国でも一二を争う要衝と言っても過言ではなかった。
当然ながら、この地は代々信頼のおける王家の一族によって支配されてきた。
逆に言えば、この地と王都である平泉を押さえることで、王家である源一族はその治世を盤石にしてきたと言ってもいい。
とはいえ、初代の義経公から始まり代々民に寄り添い善政を敷いてきた源家に対し、民も家臣たちも二心を抱くようなことは今までに一度たりともなかった。
もっとも、それも野心と叛心に溢れた現在の領主、源義憲が領主になるまではという但し書きが付くことになるのだが……。
◆◆◆
大雅国の誘いに乗り、奥羽国を裏切って義憲は謀反を起こした。
個々の強さではサムライには到底及ばないものの、大雅兵の持つ銃器の性能は奥羽国のそれを圧倒的に上回っており、その圧倒的火力と次々と海の向こうから送り込まれてくる兵たちによる人海戦術を背景に大雅軍は奥羽国の王である義國の首を求めて現在破竹の勢いで進軍中で、既に王都平泉を陥落させている。
このままの勢いであれば間もなくその残党も討伐できるだろう。
王都を手にした今、残るは敵の首魁である義國の首一つである。
そしてその瞬間が訪れるのはもはや時間の問題だと思われた。
つまりそれは、大雅国との盟約に従って義憲がこの奥羽国の王となる瞬間が刻一刻と迫ってきているということでもあった。
「ふふ、いよいよわしがこの国の王となるか。とはいえ、本来は嫡男であるわしのものであったものを、父に溺愛されたというだけで王となった不肖の弟の息子から取り戻すだけのこと。だがまあ、気分は悪くはないな……」
義憲は前代の王であった弟義幸が父に取り入ってこの奥羽国の家督を自分から奪ったのだと思い込んでいる。
だが、本来ならばこの国の嫡男であり正統な跡取りであった彼が王の座を継ぐことが出来なかったのは、その素行があまりに悪かったからであった。
彼を溺愛して甘やかし尽くした母千歳からの歪んだ教育故か、代々名君として名を馳せる源家の者とは信じられないほど凶暴で短慮的な性格を持ち、幼いころから密かに城下へ繰り出しては盗み、強盗、殺人、放火、強姦……ありとあらゆる悪事を行い、その事実が発覚した後も一切の反省の色を見せようとはしなかった。
そのため彼は、この国の王として不適格だとみなされてしまったのだ。
本来ならばとうに処刑されて当たり前の人物であったが、仮にも王家の一員であるということと、義憲、義幸兄弟の母親である千歳の強い嘆願もあり、幽閉されることも寺に預けられることもなく、王位継承権を剥奪された上で藤宮領を治める息子のいない叔父の家へと養子に出されるだけという軽い処分で済んでいた。
彼が今も王族を名乗ってのうのうと生きていられるのは、単なる父と弟義幸からの恩情に過ぎなかったのだ。
しかし、その境遇は当の義憲からすれば到底受け入れることのできないものであった。
彼にとって下賤な者の命財産は全てこの国の次代の正統な後継者である義憲の所有物であり、それをどう扱おうが他者からそれについて咎められる筋合いがないはずのものであったからだ。
自我同一性というものは一度強固に設定されてしまうと後から自力でそれを修正することは容易なことではない。
義憲もその例外ではなく、王である父からどれほど注意され叱責されようが、それに強く反発するばかりで自身のその歪んだ価値観を顧みることは一切なかった。
彼にとって高貴な血を引くわけでもない民をどれほど虐げようがそれは当たり前のことであり、それに対して父がどうして怒っているのかが理解できなかったからだ。
義憲が一歩も歩み寄っていないのだからその後も両者が相容れることは当然ないのだが、自身の価値観が間違っているとは考えられない彼は、やがて父が自分を叱責するのは自分のことが嫌いだからだと思い込むようになっていった。
結果、義憲は王都から離れた遠い藤宮の地においても変わることなく父を恨み、弟を妬み、そして弟の息子である義國に憎悪の念を抱きつづけた。
いつか自分が奪われたものを絶対に取り戻すと暗い情念を燃やし続け、その深い怨念はこの藤宮の地に来て二十年経っても全く褪せることはなかった。
義憲は、養父が亡くなり自身が藤宮領の家督を継いで以降、これまで幾度もクーデターを画策してきた。
それが成就しなかった理由はただ一つ。
王となった弟義幸や、義幸亡き後王の座を受け継いだその息子義國の民や他の領主たちからの信頼が厚くて、誰も自分の企みに乗ってくれなかったからだ。
自分こそが奥羽国の王にふさわしいと思っているのはこの国で義憲とその息子の義竹の二人だけ。
それどころか、巷では自分のことを皆はバカ殿と呼び嘲っているらしい。
このクーデターの失敗で、この国の正統な後継者であるはずの自分に民や家臣たちからの人望が全くないことに気付いた義憲は、ますます今の王である義國へと恨みつらみを募らせるようになっていく。
そして、そんな自分を尻目に、若くして父義幸に劣らぬ善政を敷いて民からの信望を集めて確固たる名君の地位を築いていく甥の義國。
自身の描く理想と現実の落差に、義憲のイライラは爆発寸前だった。
そして、そんな時に自分の目の前に現れたのが、海を挟んで向こう側に新たに興った大雅国からの使者であった。
その使者が言うには、奥羽国を裏切って自分たちの軍門に下れば、大華国から兵を出して憎っくき義國の首を取る手助けをしてくれるばかりか、大雅国の属国としてではあるが奥羽一国の王として自分を認めてくれるということらしかった。
国に対する真っ当な愛情や忠誠心を持っていれば易々とそんな誘いに乗ることもなかったであろうが、あいにくと義憲にはそんな愁傷な心根は持ち合わていなかった。
そもそも自分に人望を寄せない民や他の領主たちに対し、どうして王者たる自分が遠慮してやらなくてはならないのか。
当たり前のように義憲は大雅国からの提案に飛びついた。
義憲のために奥羽国を占領してみせると豪語した大雅国の軍隊は、言うだけはあってあっという間に王都を陥落させたようだが、最新の報告だと王都を放棄し大森林に立てこもっている義國たちの最後っ屁である「げりら戦術」とやらに苦戦しているらしい。
懸念すべきは神人の一柱であり雷を司る『空狐』である玉藻の持つ強力な雷撃術であったが、それも大雅国の派遣してきた三人の鬼術師と多数の兵たちによる強力な銃器による後方支援で少なくとも膠着状態までには持っていけているらしい。
一人でその戦力と渡り合っていると考えればかなりの脅威ではある。
しかし、いかに強力な力を持とうが所詮は単体の戦力。
このまま圧倒的な兵力による人海戦術で絶え間なく玉藻を追い詰めていけば、いずれは疲労により消耗して倒れる時が必ずやってくる。その時をじっと待ち構えて仕留めればいいのだ。
友軍がどれだけ血を流そうが、どれだけ目の前に仲間の屍を積み上げることになろうが、湯水のように人の命を使い捨て最後に勝てばそれでいいと考える大雅国ならではの戦術である。
逆に言えば、それが平然と出来るからこそ大雅国は強く恐ろしいのだ。
そう思いながら今か今かと吉報を待っていた義憲であったが、城に詰める大雅兵たちの様子が変わり始めたのは三日前の夜のことだった。
いぶかしく思って確認すると、どうやら義國たちの企てた奇襲によって大雅軍の本陣が大打撃を受けてしまったということらしい。
幸いにして襲われた司令官たちは重傷を負いながらも命を取り留めたらしいし、大雅軍の主力は大半が森に入っていた最中で失った戦力も全体からみれば大したものではなかったらしいのだが、用意していた糧食の多くを奪われてしまったため、それに合わせて急いで補給を行わなければならなくなってしまったようだ。
また大雅軍の指揮官から報復として奥羽国の民を見せしめとして処刑したいと許可を求められたので、ゴーサインを出した。
とはいえ、義憲の出した許可はあくまでも形ばかりのものである。
侵攻先の住人を人質に取って奥羽軍に見せしめながら殺すというのは、事前に大雅軍の指揮官と義憲が共謀して立てた既定の作戦であったからだ。
しかし、両者にとっての大きな誤算は、大雅国が侵攻した先の地域は、小賢しくもこちらの動きを事前に察知した義国の采配によって安全な場所への領民の避難が完成された後だったため、既にもぬけの殻だったということである。
そのため、大雅軍は宛てにしていたその領地の住民の人質を予定通りに得ることができず、作戦の変更を余儀なくされてしまった。
計画通りに見せしめ作戦を実行するためには、人質にする奥羽国民を他のどこからか調達しなければならなかったからだ。
そんな現状を大雅軍の指揮官から聞いた義憲は、即座に提案した。
「義國たちに対する人質なら自分の領地から連れて行けばよい。あれも一応は奥羽の民だ。問題なかろう」
「義憲殿が支配している領地の民なのだろう? 本当によろしいのか?」
さすがの大雅軍の指揮官も驚愕の表情を浮かべながら問い返してきたが、義憲の感情は1ミリも動かなかった。
「構わん。その辺にいるのを適当に見繕って連れていけ」
驚くべきことに、自分の領地の民を捕らえさせて現地に送り出したのも、彼らを奥羽軍に対する見せしめとして殺すよう大雅軍の司令官に提案したのも、他ならぬ義憲自身だったのだ。
元来自分のことを頼りにしているわけでも慕ってくれているわけでもない藤宮領の領民のことを、決して愛しているわけでも守りたいと思っているわけでもない義憲ではあるが、一応のところは自分の支配下にある領民なため、積極的に生贄に差し出したいと思っていたわけでもなかった。
しかし、他に人質を得るあてがないということであれば、それ以上躊躇する理由はどこにもない。
それどころか、自分をバカ殿呼ばわりして一向に信頼を寄せようとしない領民共に対する義憲なりの復讐という意味では、むしろざまぁみろとしか思えなかった。
しかして翌日、現地の司令官が取り仕切って見せしめ作戦は実行された。
無事作戦が開始されたというところまでは報告が届いていた。
だが、どうしてかそれ以降、現地からの連絡がぱったりと途絶えてしまった。
さすがに今の奥羽軍に大雅国の大軍をどうこう出来るとは考えられなかったので、義憲も城に詰める大雅兵たちも当初は通信兵に持たせた無線機の調子が悪いのかもしれないと高をくくっていた。
しかし、さすがに数日経っても連絡が取れないことや、現地へ偵察に行かせた兵や現地からの要望に応じて送り出した糧食部隊が道中の橋が破壊されていたことで城に出戻ってきたことから、いよいよただ事ではない何かが現地で起こっているのかもしれないという怪しい空気が城内に漂いはじめた。
こちらから新たな援軍を進軍させるにしても、橋の向こう岸に残された友軍を帰還させるにしても、まずは落とされた橋を一刻も早く復旧させなければ話にならないので、どれくらいの規模の工事が必要なのかをまずは確認させるため土木に詳しい偵察兵を現場に送り込んでいたのだが、その内の一人が早馬で駆け戻ってきたことから状況は一転する。
彼からの報告によって、破壊された橋の向こう岸に明らかに大雅軍のものではない軍勢が陣を構えており、対岸から受けた狙撃によって戻ってきた彼以外の偵察部隊は全滅してしまったというショッキングな報告がもたらされたからだ。
その事実が示す可能性はいくつか考えられるが、おそらくその中で最も可能性が高いのは、何らかの理由によって大雅国の大軍は既に敗れ去っており、この藤宮領へ向けての来るべき反転攻勢の準備のために奥羽軍が橋の対岸に陣を張っているということだ。
もしその仮定が事実だとしたら、これは本当にゆゆしき事態である。
「義國の奴めが! 一体どのような妖術を使いよったか!!」
怨念交じりに叫んでみても、何も変わらない。
これから考えられるであろう奥羽軍のシナリオは、
① 橋を修復する。
② 藤宮領へ向けて進軍する。
③ 藤宮領から差し向けられた迎撃軍を撃退しつつ本丸である衣川城を目指す。
④ 衣川城を包囲して攻城戦を行う、もしくはそのまま包囲を維持して兵糧攻めを行い、首魁である義憲の首を狙う。
といったところであろうか。
破壊された橋レベルの大きな橋を一から作り直すとなると、一朝一夕というわけにはいかない。
その点だけから考えても、敵からの侵攻に備えるための大きな時間が稼げるはず――。
……そう思っていたところ、新たに偵察に出した兵から、いかなる手段を以てしたのかまでは分からないものの、奥羽軍は既に川のこちら側に渡り終えており、この藤宮領へ向けて整然と進軍しているとの報告が上がってきた。
「そんな馬鹿な! いくらなんでも早すぎる!」
思わず叫んではみたものの、さりとてそれで現状が好転するはずもない。
義憲は傍に控える家臣たちに急ぎ迎撃の準備を整えるよう指示を出すと、別の配下を呼び出した。
「はっ、いかがなされましたか?」
義憲の呼び出しに応じて現れたのは、藤宮領の勘定方を取り締まっている佐古田光郎であった。
「お前は急ぎ城下へ向かい、籠城に備えて食料をありったけ買い求めよ。商人どもが売り渋るようであれば強制的に召し上げても構わん」
「…………強制的に? よろしいのですか?」
「構わん。どの道負ければ全てを失うのだ。無事勝利したあかつきには奥羽国の国庫からいくらでも損失を補填してやれば良い」
「分かりました。私めにお任せくださりませ」
そう言いながら勢い込んで出て行った佐古田であったが、夕方頃になって義憲の前に顔を出した時にはその威勢のよさはどこへ行ってしまったのか、一転して力なく項垂れていた。
「佐古田、浮かぬ表情を浮かべていかがしたのだ?」
「そ、それが…………」
言うと、彼はおずおずと手にした一枚の紙を義憲へと差し出してきた。
「む? 見たところ随分と出来の良い紙のようだが……これがどうしたのか?」
怪訝に思いながらもその紙を受け取り目を通すと、そこに記されていた驚愕の内容を目にし、思わず目を見開いた。
細かい内容は略してざっくりと説明すると、そこには義憲が大雅国と名乗る海の外の国と通じることで奥羽国を裏切り、外から大軍を招き寄せて現在の国王である義國の首を狙ったこと。奥羽国は一時王都平泉を占領されるところまで追い込まれたが、義憲の通じている国とは敵対関係にある別の大国の助力を得ることで大雅国の大軍を打ち破ることに成功し、現在謀反人である義憲を打倒すべく藤宮へ向けて進軍中であること。また、王都を追われ、敗北一歩手前まで追い詰められた際、大森林に身を隠した義國たちをおびき出す目的で、義憲は自身の支配地である藤宮領から罪のない一般人を攫ってきて、義國たちへの見せしめとして拷問・凌辱しながらいたぶり殺させたこと。殺された者の中には妊婦やまだ幼い子供たちもいたこと、そして被害に遭い亡くなった人々の出身地と姓名。ぎりぎりで救出出来た者たちの出身地と姓名等々、義憲の犯した悪事とその関連情報がつらつらと事細かに並びたてられていた。
そして、最後の結びとして、このチラシを読んだのならば、義憲が引き籠る衣川城が陥落するまでは食料財産を持参して衣川の城下町から速やかに退避した方がよいこと。そして何らかの事情でそれが不可能であれば、完全な安全までは保証できないものの、家の奥に籠って事が終わるまで決して外には出ない方がよいという忠告が書き添えられていた。
「それに、これと一言一句違わぬ同じ物が数千枚以上昨晩の内に町中にばら撒かれていたようでして、私が部下を引き連れて食料の徴収へ向かった時点で大店小店問わずほとんどの商人が金と食料を持って逃げだした後でした」
「数千枚だと? そんなことをされるまで誰も気づかなかったのか?」
「はい。町を見回る兵たちに聞いてみましたが、朝見回りに出た時にあちらこちらに町中にこのチラシが散乱しているのを発見したようで、誰一人としてそれをばら撒いた下手人を見た者はいないそうです。市井の者たちからは、昨夜遅くにこれらが空から降ってくるのを見たという証言が複数でているようですが、今のところその証言の真偽の確認はとれてはいません」
「空からだと? 飛竜を大量に使ったとでもいうのか?」
「分かりません。しかし昨晩は月の明りも全くない新月。そんな中飛竜を飛ばせるとは到底思えません」
「何もわからんということか。まあいい。で、食料の調達はいかがしたのだ?」
「思ったよりも芳しくありません。殿の命を頂いた後すぐさま出発致しましたが、早朝からこのチラシが市中に出回っていたこともあり、動きの速い者たちは既に財産食料を抱えて街を出た後でした。動きの遅かった、もしくは動こうとしなかったために間に合った者の分については何とかなりましたが、全体から見ればごく少数に過ぎません。殿からの命を受けた時点で既に領内から脱出している者たちについては私にはどうすることも……ですね、その……つまり…………」
ごにょごにょと語尾を濁しているが、要は自分は悪くないということを遠回しに主張しているのだ。
「ああいい。もう分かった。咎めはせぬからもう下がっておれ」
義憲ははっきりせぬ言葉でなおも言い訳を続けようとしている佐古田の意図を察して、語気強く割り込んだ。
ホッと安堵の表情を浮かべながら去っていく佐古田の姿を横目に見て軽くイラっとするが、今は彼に怒りをぶつけている場合ではない。
時間的にどうにもならなかった事まで厳しく罰するような理不尽を配下たちに繰り返したなら、もはやこの先誰も自分についてくる者などいなくなってしまうだろう。
それくらいのことはさすがの義憲にだって分かっている。
大雅国という大きな後ろ盾があるからこそ皆大人しく自分に従っている、しかし、配下から明確な支持があるわけでもない義憲はいつ彼らから寝首をかかれてもおかしくない立場でもあるのだ。
「よほど大雅国で過ごすことが楽しいのか、旅立って行ったままろくろく便りすら寄こさぬが、今頃義竹のやつは大雅の地で懸命に勉学に励んでいるのであろうか。ふむ。あやつがいつ帰ってきてもいいよう、この際義國たちとはきっちりとケリをつけてしまわねばならぬな。そう考えれば大雅国の助力がある状態で奴らの方からやってきてくれるのはむしろ僥倖と言えるかもしれぬ」
跡取りを差し出す人質名目ではあるが、義憲は大雅国の進んだ技術を学ばせるため自身の愛息を大雅本国へと留学させていた。
向こうからは長らく便りはないが、こちらの状況はその都度手紙にしたためて事細かに知らせている。
義國が大雅国に匹敵する武器を求めて遠く西方の国へと雪乃姫を送り出したことを大雅国首脳部へ伝えたのも、あちらにいる義竹を通じてであった。
大雅国からは既に大雅国外へと逃亡してしまった雪乃姫の首に莫大な賞金をかけ、高ランク派遣者を含む多数の追っ手をけしかけたと報告を受けている。
その中にはこの奥羽国にまでその名が知られるAランク派遣者や、更には所属している全員がSランク、東方最強の派遣者パーティーとも謂われるあの悪名高い『狂火の猟犬』も含まれているという。
である以上、いかに姫に腕利きの護衛が付き従おうが彼らから逃げ切ることはまず不可能であろう。
こうして、義國たちの知らぬところで一つまた一つと彼らの勝利の芽はしっかりと摘まれているのだ。
「そうだ! 今の状況はこちらの方が有利。あのような若造になどわしは決して負けぬ。負けるわけにはいかんのだ」
自己暗示にも似た気合を入れたところで、天にもその執念が届いたのか、城に詰めている大雅国の指揮官・周王凱の口から突然の吉報が告げられた。
「おお、義憲殿、こちらにおられましたか。探しましたぞ」
「周殿、何かありましたか?」
「喜ばしいしらせです。大雅国上層部がこの藤宮領への援軍の派遣を決定したとのことです」
「まことですか?」
予想してすらいなかった吉報に、反射的に義憲はその情報の真偽確認を行ってしまう。
周王凱は義憲の目を正面から見据えると、強く頷いてみせる。
「間違いありません。援軍を乗せた船は既に港を出港しているようです。航海が順調にいけば明日の昼過ぎには到着する予定とのことです」
「それは心強い」
明日と言えば、現在この衣川城へ向けて進軍を続けている奥羽軍がここへ到着と予想されている日でもある。
城に詰めている藤宮軍と居残りの僅かな大雅兵とで協力して迎撃する手はずは既に整えられているものの、友軍の兵力は多いに越したことはない。
それは即ち、明日に予想されている奥羽軍の攻撃がこちらの援軍よりも多少速かったところで、じっと籠城して援軍を待っていればこちらが戦力的圧倒的優位に立てるということだ。
義憲にとって絶妙なまでに都合が良いタイミングである。
まるで天だけではなく運までもが義憲に味方してくれているようだった。
もはや負ける要素などどこにも見当たらない。
自分の人生を賭けた大勝負が待っているが、今晩は枕を高くして寝れそうだった。
そして、義國と雌雄を決する決戦の朝がやってきた。
◆◆◆
奥羽軍が衣川城へ姿を見せたのはまだ早朝の頃だった。
総数は目視でおよそ12000名。こちらの迎撃兵力がおよそ13000名なので戦力は拮抗している。防衛戦であることを加味すればこちら側の方が有利であろう。
奥羽軍の戦力12000。決して少ない数ではないものの、想定していた数よりもかなり少ないなというのが義憲の正直な感想だった。
義國が動員できるはずの兵数はもっと多いはずだが、撃退したとはいえ大雅国の大軍と戦闘を重ねたことで敵軍はこちらの予想以上に大きく疲弊していたのかもしれない。
というか、よくよく考えてみれば、いかような手段を以てしてあの大軍を退けることが出来たのかは分からないものの、寡兵であれに立ち向かって無傷で済むなどということがそもそもあり得ないのだ。
勝利した勢いに乗って反転攻勢をかけてみたはものの、その実満身創痍といったところが奴らの現状ではないだろうか。
「迎え撃つぞ! 弓兵部隊、構え!」
義憲の号令と共に弓兵たちが一斉に弓を引き絞り始める。
「射てっ!」
掛け声とともに放たれた矢の雨が一斉に奥羽軍へと降りかかっていく。
第一撃としては上々の出来――――。
そう思った時だった。
奥羽兵たちに命中すると思われた矢が突如として何か見えない壁のようなものに阻まれたかと思うと、あらぬ方向へと一斉に弾け飛んだ。
確認するまでもない。奥羽軍に与えた損害はゼロだった。
「くっ、陰陽師どもの集団結界術式か!」
思わず舌打ちした次の瞬間――――。
バリバリリッ、ドド―――――ン!!!!!
不意に視界が青白い閃光によって埋め尽くされ、猛烈な轟音とともに激しい雷撃による反撃が藤宮軍に襲いかかった。
それも、一撃だけではない。
およそ一分の間に数十、いや数百の雷撃が縦横無尽に襲いかかってきたのだ。
「くそっ、これは玉藻の広域雷撃術式かっ! 話に聞いていた以上の破壊力。これが神人『空狐』の力なのか」
見ると、奥羽軍へ第一射を放った弓兵たちは、玉藻の放った強烈な術式によって皆黒焦げになって地に転がっていた。
一つの術式だけでこのありさまとは恐るべき威力。
自分がその一撃を喰らった時のことを想像して、義憲は腰を抜かしてしまいそうなほどの衝撃を受けていた。
しかし、懸命に自分の心を奮い立たせることで何とか配下の前で無様な姿を晒さずに済んだ。
内心ホッとしていた。
指揮官が及び腰だと全体の士気に関わるからだ。
互いの放った初撃は、確認するまでもなくこちらの敗北であった。
だが、奥羽軍の攻撃はそれでけで終わりではなかった。
玉藻の雷撃によって弓兵や銃兵たちが倒れたことにより、一気にこちら側の矢や弾による弾幕が薄くなってしまった。それによって今まで防御結界に充てられていた敵軍の陰陽師たちのリソースが一気に攻撃に傾いた。
それはこちらに降り注ぐ魔法攻撃の激しさにも現れ、彼らの放つ集団遠距離攻撃術式によって、こちらの戦力がみるみる削られていく。
陰陽師たちの猛攻により、身を隠すべき城壁が早くもボロボロになっていて、ところどころでは完全に崩れ去ってしまっている場所もあった。
両者を隔てる水堀の存在がなければ、いつ強行突入されてもおかしくない状態だった。
「凄まじい圧力。陰陽師の数も質も向こうのが上か。このままだと遠距離から一方的になぶり殺しだな…………」
そこまで考えてふと義憲は思い至る。
「いや、それにしても……いくら向こうに玉藻がいるとはいえ、陰陽師共の攻撃の圧が強すぎではないか? これはもしや敵軍における術者の割合がわしらが想像している数よりも遥かに多いということなのか?」
はっきりした確証こそないが、義憲の勘がそれを事実だと懸命に訴えている。
現状は敵軍の方が優勢であることは認めざるを得ない。
しかし、奴らがその優勢を保っていられているその絡繰りに気が付いた今ならば、まだ打てる手は残っている。
「大久保! 大久保はおるか!」
義憲は藤宮軍の侍大将である大久保定信を呼び寄せた。
「殿、いかがされしたか?」
「大久保、お前はサムライ共を率いて敵軍へ向けて打って出よ」
「もちろん命令には従いますが、事前に打ち合わせた作戦では、大雅国からの援軍が届くまでは防衛に専念するはずだったのではありませぬか?」
「その予定だったが、事情が変わった。こちらの想像を超える敵軍の陰陽師たちの猛攻、これは敵軍における陰陽師の占める割合が高いことを意味している。おそらく攻城戦を意識してのことであろうが、おそらく敵軍12000のおよそ半数は術者であろう」
「半数ですと? まさか本当にそんなことがありえるのですか? 前衛と後衛が同数では乱戦になった時にサムライたちは陰陽師どもを守り切ることができないのでは?」
「だが、それ以外に今の奴らの放っている尋常ではない術の圧力の説明が付かないではないか」
「た、確かに……」
「陰陽師どもの術は強力だが、精神力を消耗する以上いつまでも撃ち続けるというわけにもいかぬ。あれだけの勢いで術を行使しまくっているのだ。その内息切れを始めるに決まっている。その時を見計らいお前は旗下の12000名を率いて敵軍を強襲するのだ。数は同数でも敵軍の半数はひ弱な陰陽師、そのような相手、常に体を鍛え上げている貴様らにとって捻り潰すことなど造作もないであろう?」
「さすが殿! 見事な策でございます」
ひとしきり義憲を褒めそやした後、大久保は来る反撃の準備のため意気揚々と部下たちの元へと戻っていった。
奥羽軍の術式攻撃はそれからも暫く続いてこちらにも少なくない被害が出たが、徐々にその勢いが衰えていったかと思うと、ある時を境にぱったりとなくなった。
こちらに気付かれない内に一旦引こうとでもいうのか、敵軍はじりじりと少しずつではあるが確実に後退を始めていて、今となっては、冷静に観察できる者ならすぐにおかしいと気づくほど明確に先ほどまでの位置から大きく遠ざかっていた。
いよいよ待ちに待った大久保たちの出番である。
◆◆◆
「いいか、敵の半数は力を使い果たした陰陽師だ。術の使えぬ陰陽師など我らサムライの敵ではない。蹴散らしてしまえっ! 出陣だ!!」
「「「「応っ!」」」」
降ろさせた跳ね橋を渡り終えると、大久保は一度息を吐いて正面を睨みつける。
そして腰の刀をすらりと抜き放つと、即座に天狗術を発動させ、勢いよく敵に向かって突撃していく。
騎馬に跨らないのかと疑問に思う者もいるかもしれないが、天狗術の行使が可能なサムライにとってみれば、瞬間的な最高速に劣り小回りの利かない馬に跨って戦うことはデメリットでしかない。
サムライにとって騎馬とは、あくまでも長距離移動する際に使う足替わりに過ぎないのだ。
出鼻にまだ力を残していたらしい玉藻の一撃を受けて一部の配下に痛い被害が出たが、それでも大久保たちの勢いを止めることは出来ない。
義憲の目論見は見事に成功し、武器を持ってまともに戦うことの出来ない陰陽師たちを中心にして、奥羽軍は総崩れになって敗走していく。
「逃がすな、追えっ!!」
ここで逃してしまったら、明日にはまた陰陽師どもの道力が回復してしまう。
そうなれば、また自分たちは彼らの力が尽きるまで城に籠ってやり過ごすところから始めなければならなくなってしまうのだ。
大雅国からの援軍の規模によってはそれでも十分に対処することができるかもしれないが、今ここにないものをあてにするのは愚か者のすることである。
ここが勝負所だと本能で悟っていた大久保は、この場で全ての決着を付けるつもりだった。
わき目もふらず一目散に逃げていく陰陽師たち。
そんな彼らの姿を見て「無様だな」と思わず心の中で吐き捨てる。
天狗術の速度に物を言わせて一気に追いつき斬り捨てようとする大久保であったが、逃げ惑う陰陽師の首元へ向けて放った一撃は、横合いから出されたサムライの刀によって阻まれてしまった。
「そう簡単にはやらせはせぬよ。ここから先は我らがお相手いたそう」
大久保と陰陽師との間に立ちふさがったのは一人のサムライ。
その男の顔を見るなり、大久保の表情が驚愕に歪んだ。
「おまえは、伊勢三盛っ!! 貴様、生きておったのか」
「あいにくと地獄の閻魔には嫌われているらしくてな。もちろん片岡の奴もピンピンしておるぞ」
伊勢三盛と片岡六郎、大久保とこの二人の間には少なからぬ因縁があった。
西方の強国へ支援を求めるための足掛かりとして大雅国に渡った雪乃姫。
彼女はそこで義憲・義竹親子の裏切りを知ることになったのだが、その事実を兄義國へと伝えるため自身の護衛の中から腕利きの二名を選んで奥羽国へ帰還させることにした。
その二名こそが伊勢と片岡だったのだ。
雪乃姫の命を受けて密かに帰国した二人であったが、そこに待ち受けていたのは義憲の部下たちであった。
こんなこともあろうかと大雅から戻ってくる船には全て義憲の手の者の監視がついていたからだ。
当然のごとく伊勢と片岡の二人の存在はすぐさま露見して、二人は知らず知らずの内に厳重な包囲網の中に放り込まれることになる。
その時、藤宮側で指揮を執っていた人物が大久保だったのである。
「あの時はギリギリで獲り逃してしまったが、まさか生き残っているとは思わなんだ」
二人にはあと少しというところで包囲網を突破されてしまったのだが、大久保たちとて何も出来ないまま逃がすほど無能ではなかった。
伊勢と片岡、二人の体には一つ一つが致命傷になってもおかしくない深い傷が幾つも刻まれていて、逃亡に成功したとしても生き残れるような状態ではなかったはずなのだ。
生きている伊勢の顔を見て大久保が驚いたのも当然の反応といえた。
「死ぬところだったさ。玉藻様の治癒術がなければな」
「………………あの化け狐めが!」
初代義経公の治世の時代より死ぬことも老いることもなく生き続けていると謂われる狐の神人。
大久保からみれば化け物以外の何者でもなかった。
「貴様っ! 玉藻様を化け物扱いするかっ!」
「ふん、我らと敵対する者をどう思おうがこちらの自由であろうがよ!」
激昂して斬りかかってくる伊勢の一撃を、大久保はかろうじて受け流すことに成功した。
だが、剣を交えたその瞬間、大久保は自分と伊勢との実力の差に気が付いていた。
さすがは奥羽でも十指には入ると言われるだけはある。多少腕に覚えがあるとはいえ大久保には荷が重すぎる相手だった。
このまま真正直に斬り結んでいればおそらくただでは済まなかったであろう。
だが、救いの神は意外なところから現れた。
「伊勢、何をやっている! そろそろ後続が追い付いてくる。引くぞ!」
伊勢の背後から現れて彼を制止したのは、これまた大久保に因縁のある人物。
「片岡六郎!」
「お前は……大久保定信か。久しいな」
久しぶりに見る片岡は、その左腕の肘から先が完全に失われていて、利き腕だけの隻腕になっていた。
かつて自分たちが死の寸前まで追い詰めた時の傷跡が、今も深く残されているのだ。
「こんなところにどうした? もう片方の腕も差し出すために来たのか?」
「そう言う貴様は阿呆と知りながら相変わらず義憲の腰巾着か。哀れな……」
「だ、黙れ!」
そんなやりとりをしている二人の隙をついて一人の藤宮兵が背後から片岡に斬りかかった。
だが、片岡は背後を見もせずにその一撃を躱すと、その勢いを利用したまま刀を一閃してその首を刎ね飛ばしてしまう。
かつては伊勢に勝るとも劣らないとまで言われたその剣技の冴えは、片腕を失った今でも微塵たりとも衰えてはいないようだった。
そんな片岡を睨みつけると、大久保は小さく舌打ちする。
伊勢一人が相手ならば、敵わないまでも逃げ出す機会くらいなら作れるだろうと密かに算段を立てていたのだが、そこに片岡が加わってくるとなると、正直それすらも怪しくなってきてしまう。
これは絶体絶命かと思わず覚悟したのだが、この後に取った片岡の行動は、既に棺桶の中に片足を突っ込んでいた大久保をギリギリのところで救い上げることとなった。
「積年の恨みをここで晴らす! …………と言いたいところだが、お前程度の首を取る機会なぞこの先幾らでも作ることが出来る。伊勢、ここは撤退だ」
「この絶好の機会を逃すというのか、片岡っ!」
「先ほども言ったが、そろそろ敵の後続が追い付いてくる。ここでこれ以上の時間を浪費している余裕はない。もしそうなれば多勢に無勢、またかつて死にかけた時のように数で追い詰められることになるぞ」
「だがしかしっ………………………………いや、お前の言うことの方が正しいようだ。熱くなってしまって済まない」
「分かってくれればそれでいい。大久保、お前の首は次の機会に預けておくぞ。では、さらばだ」
「この場は引いてやるが、多少先に伸びたところでその首が落ちる運命は決して変わらん。覚えておけ。じゃあな」
そんなやり取りをした後、彼らは先に逃げた陰陽師たちを追ってさっさと引き返していってしまった。
「………………良くは分からないが、とりあえず命拾いしたようだな」
とりあえず安堵のため息をつく。
と、そこで改めて大久保は味方の状況を確認することにした。
「…………!!!!」
周囲を見渡した大久保は驚愕する。
そこに広がっていたのは、彼が予想していたのとは全く違う光景であったからだ。
大久保の思い描いていたイメージでは、力を使い果たして逃げるしかない陰陽師たちの死体が大量に散乱している筈だった。
しかしこうして改めて見渡してみると、彼らの死体は全くと言っていいほど見当たらず、転がっている遺体はそのほとんどがサムライのものであった。
しかも、よくよく数えてみると、そのサムライの亡骸の数も追撃していたはずの藤宮軍の方が奥羽軍のそれよりも明らかに多かったのだ。
というか、そのほとんどが藤宮軍のサムライたちのものであった。
この状況が意味するところは、敵軍にはほとんど損害は出ておらず、この戦いで勝利したと思っていたはずの自分たちは知らず知らずの内に敗北していたのだという信じたくない事実である。
「これは、一体どういうことなのだ? 我々に何が起こったというのだ?」
突然訳の分からない謎を突き付けられた大久保は、状況が飲み込めず暫し混乱したままその場に立ち尽くしてしまった。
そんな彼が正気を取り戻したのは、片岡が言っていたある一言を思い出した時だった。
「そろそろ敵の後続が追い付いてくる」
確か彼は伊勢に対しこう言っていたのだ。
しかしこれはおかしい。
大久保たちサムライ部隊は一斉に突撃したのであって、後続部隊なぞ一切存在していなかったはずだからだ。
では、片岡の言う後続とは一体何のことだったであろうか。
そこまで考えて、大久保はハッと顔を上げる。
「そうか! 天狗術のことか!」
大久保率いるサムライ部隊の総勢は12000。
それに対して奥羽軍のサムライは全軍12000の半数の6000。
普通に考えれば倍の数を有する大久保たちが圧倒的優位のはずだ。
しかし、大久保の率いるサムライたちの中で天狗術の行使が可能なのはおよそ三分の一の4000人程度に過ぎない。
そしてその点にこそ今回の自分たちの敗因が隠されていたのだ。
大久保率いる部隊の中でも天狗術の行使が可能な4000とそうでない残りの8000では、同時に突撃を開始したとしても明らかに戦場への到着時間に差が生じてしまう。
つまり、敵の陰陽師たちが逃げ出して藤宮軍がそれに追い打ちをかけた時、自分たちは12000の兵力で戦っているつもりだったのだが、実質は4000に過ぎなかったのだ。
一方で陰陽師たちを逃した後にしんがりとして残った敵のサムライたちの数は6000。
しかも、撤退の速度から考えると、彼ら全員が天狗術の使い手で間違いないだろう。
つまり、この戦は、12000対6000の戦いではなく、実際のところは4000対6000の戦いだったのである。
そして敵は天狗術の行使が出来ない者たちが戦場に追いついてくるギリギリのタイミングで撤退していった。
今なら分かる。あの時敵は逃げると見せかけて実はこちらを攻撃していたのだ。
片岡の残した言葉が示している通り、明らかにこれは綿密な計画に裏付けられた作戦であり、偶然の産物ということは絶対にありえない。
ということは、あの無様に見えた陰陽術たちの敗走もわざとということになる。
陰陽師たちの道力が尽きた後、撤退しようとするそぶりを見せながら少しずつ城から距離を取り始めたのも、道力の残っていない陰陽師という分かりやすい餌をちらつかせることでこちらを誘い出そうとする意図と、少しでも長く城から遠ざかることで我々の部隊の天狗術が使える者と使えない者との間の距離を少しでも多く広げるためという二つの目的があったに違いない。
間違いない。敵軍の中に確かな意図を持ってこのシナリオを書いた者が存在している。
大久保を始めとする藤宮軍は、最初から最後までその何者かの手によって終始踊らされ続けていたのだ。
なんと恐ろしい相手なのであろうか。
得体のしれない敵ほど恐ろしいものはない。
大久保は自身の背筋から言いようのない震えが沸き起こってくるのを感じていた。
戦で負けたことだって初めてではない。死にかけたことだって何回もある。しかし、これほどまで心から沸き起こる恐怖を感じるのは生まれて初めてだった。
しかし…………。
大久保は顔を上げると、沸き起こる体の震えを止めようとするかのように硬く握った拳に力を込める。
この戦いで天狗術の行使の可能な貴重なサムライたちを1000名以上失ってしまった。
だが、まだこちらには天狗術が使えるものが3000名と完全に無傷のサムライ8000名が控えている。
それに比べて、奥羽軍の総兵力は変わらず12000名だが、陰陽師たちの道力は尽きている。それはもう間違いない。
つまり、陰陽師たちの道力が回復しきらない今日の内ならば、敵の戦力の実数は実質6000名のままだ。
そこにこそこちらの勝機がある。
災い転じて一転、ビッグチャンスの到来であった。
大久保は即座に敵の追撃を決定した。
先の轍を踏まぬよう、今度は天狗術の使えぬ者に速度を合わせ、全員一丸となって逃げる奥羽軍を追うことにする。
敵の半数は体を鍛えておらぬ陰陽師。
全員がサムライであるこちらの方が移動速度は確実に速い。
間違いなく追いつくことはできる。
そして、大久保の予想通り、遠く前方に道に腰を下ろしてのんきに休憩を取っている奥羽軍の姿がうっすらと視界に入ってきた。
体力のない陰陽師どもに移動の限界がやってきたのであろう。
「ふははっ、馬鹿め。我らが追ってこないとでも思っておったか。残念だったな! 先ほどの雪辱を晴らす時だ。みなの者かかれっ!」
高笑いを上げると、大久保は部下たちに敵の殲滅を命じる。
まだまだ力を残しているであろうサムライ共は別にして、少なくとも陰陽師たちにはこれ以上逃げるだけの体力は残されていないだろう。
サムライたちが陰陽師どもを見捨てて逃げるならそれもよし。
見捨てず残って共に滅ぶというならそれもよしだ。
どちらに転んでも大久保たちに損はない。
そして彼らが選んだのは後者の方であった。
「共に滅びる道を選んだか……。だが、ん? 先ほどとは様子が違うな。何だこの違和感は……」
てっきり大久保は、敵がまた先ほどのようにサムライたちが矢面に立って陰陽師たちを守る体勢を取るのかと思っていたのだが、どうしてか奥羽軍の陰陽師たちは後ろへ逃げるそぶりを見せようとはいていなかった。
「まさかサムライたちの背後へ回るだけの体力もないとは思えんし、万が一そうだというならば、サムライどもが前へ出ればよいだけの話だ。では一体なにがあるというのだ? まさか自ら捨て駒になるということでもあるまいが……」
そんな疑問をよそに、あと200メートルというところまで迫った大久保が目にしたのは、迫るこちらをよそに地面からいそいそと黒い棒状の何かを拾い上げる陰陽師たちの姿だった。
「あれは……まさかっ! いかん! みなの者、さが……」
その正体に大久保が気付いた時には既に遅かった。
横一列に並んだ陰陽師たちが構える銃が藤宮軍へ向けて一斉に火を噴いた。
轟音と共に先頭を走るサムライたちがパタパタと倒れていく。
彼らの手にしているその銃。
従来の奥羽軍の物とは全く異なる。
その威力、連射力、そして正確性。間違いなく大雅軍から鹵獲したものであろう。
これは間違いなく大久保の失策だった。
奥羽軍が大雅国の大軍を撃破したという話を聞いた時点で、あらかじめこの事態を想定しておかなければならなかったのだ。
先ほど対峙した時には間違いなく誰も銃を持ってはいなかった。
そのことから、いつの間にか大久保たちは奥羽軍は大雅軍から奪った銃は持っていない。少なくともこの戦いには持ってきていないと錯覚させられてしまっていたのだ。
彼らはいつそれを手にしたというのだろうか。
考えられるのは二つ。
ここへ移動してくるまでの道中のどこかか、もしくは彼らが正に先ほどまで休憩を取っていた今この場所かだ。
おそらくは後者であろう。
そう考えれば全てのつじつまが合う。
奥羽軍がここで休憩していたのは陰陽師たちの体力が尽きたからではなく、最初からここが彼らの目的地だったから。
奴らは最初からここで藤宮軍を待ち構えていたのだ。
つまり、大久保たちはまんまとこの地点へと誘い込まれてしまったということになる。
そんな大久保の予想を裏付ける事態が起こった。
それも、考えうる最悪な形で。
進行方向左手の茂みからガサガサッと音がしたかと思うと、不意に横合いから敵が飛び出してきた。
彼らの手には陰陽師たちと同じ銃が握られている。
「くそっ、伏兵か!」
この奇襲によって敵が最初から自分たちをここに誘い込む予定だったことが確定した。
衣川城攻略のために姿を見せた奥羽軍の総数は12000。
この数は義國が動員可能な兵数に比べて明らかに少ない人数だった。
大久保も、そしてその主である義憲も大雅国の軍勢と総力戦を繰り広げたことによってその数しか残らなかったのだと思い込んでいたのだが、あらかじめこの地点に伏兵として忍ばせていたのであれば、攻城戦で見せたその少ない兵数にも納得がいく。
伏兵に隠されていた兵数も精々2000ほどと決して多かったわけではないが、前方と側方、両方から十字を描くように銃撃を受けた藤宮軍は、あまりの弾圧に敵陣に近寄ることすらできていない。
「くそっ、このまま無駄に突撃を繰り返しても被害が増すばかりだ。悔しいがここは一度撤退するしかない。撤退だ!」
指示を出すものの、集団で固まって突撃している兵たちが足を揃えて進む方向を変えるのは簡単なことではなく、前に進もうとする者と身をひるがえして逃げようとするものとで互いにぶつかり合って大混乱を起こしてしまう。
そして更にそこへ容赦なく襲いかかってくる敵からの銃弾。
大雅国の力を借りて奥羽国を滅亡一歩手前まで追い詰めることに成功した主君の義憲。
しかし今、その大雅国のもたらした兵器によって彼の軍隊は壊滅しようとしていた。
大久保の考えることは全て敵に読まれていた。いや、もしかしたら自分がそう行動するよう最初から巧妙に誘導されていたのかもしれない。
しかし、今更それが分かったところでどうすることも出来ない。
もはや大久保たちに出来ることは、背を向けてこの場から少しでも遠くへ逃げ出すことだけだった。
そんな彼らの姿は、先刻自分が無様だと称した陰陽師たちの逃げっぷりそのものだった。
天狗術まで使ってのなりふり構わぬ全力逃走。
奥羽軍による再三の追撃によって大久保に付き従う兵は大きく数を減らし、今やその数は千を割っていた。
大久保自身満身創痍で、何度死んだと思ったか分からない。
そんな思いをしながら命からがら衣川へと戻ってきた彼らの目に飛び込んできたのは、既に落城して敵の手に渡った奥羽軍の旗がひらめく衣川城の姿であった。
作中で義憲が息子の義竹がまだ生きているかのように彼の現在の様子を気遣っているシーンがありますが、これは間違いではなく、単に彼が大雅国側から自分の息子の死を知らされていないだけです。大雅国側としても人質である義竹の死亡はあまり歓迎できる状況ではなく、息子の死を知った義憲の暴走を防ぐ意味でも対外的には人質が生きていることにした方が都合が良かったからです。
義竹から便りがないのは既に死んでいるのですから当たり前の話ですね。
義憲からの知らせで雪乃姫が西方へ向かうため極秘で大雅国入りすることを知らされた義竹は、それを速やかに大雅上層部へ報告するとともに、雪乃姫の顔を知っているからとそれらしい理由をつけて彼女を捕らえるために派遣される大雅兵に独断で同行しました。もちろんこれは父義憲には内緒で行った行動です。
義竹は奥羽一の美貌とも称賛される雪乃姫に対し密かに想いを寄せており、彼女が大雅兵の手にかかって殺害、もしくは凌辱される前に何とかして自分の手の内に囲い込んでしまいたかったという思惑があります。
受け入れた人質が殺されてしまったという義竹の死は、大雅国側にとっても主にメンツ的な意味合いであまり具合の良いものではありませんでしたが、大雅国の参謀本部はその事実を受け入れた上でそれを利用してすぐに次の策を考えます。具体的には、義憲が奥羽国を完全に手に入れた直後にその事実を明かすことで、息子を失った悲しみと怒りがそのまま大雅国へと向けられる可能性に期待されていました。義憲が大雅国へ牙を剥けば、それを理由に奥羽国を滅ぼして自分たちの支配下に置くことが出来るのではないかと考えたからです。




