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第四章 奥羽国奪還戦 ⑤

 今話は多分に政治的な話が含まれております。あまりその手の話がお好みでない方は読み飛ばすことをお勧めいたします。

 なお、この話はフィクションであり、現実に存在する国家、団体、人物、出来事とは一切関わりがないことをご理解の上お読みくださいますようお願い申し上げます。


 奥羽国首都平泉 平泉城大広間




 「…………………義國殿」


 「はっ!」


 「いい加減みなさん面を上げて欲しいのですが……」


 奥羽国の国主幹部が集まるこの大広間で、有無を言わさず上座に祀り上げられて感謝の言葉と共に一斉に平服されてしまった湊は、彼にしては珍しく困惑の表情を隠せないまま義國に皆の面を上げてもらうよう促した。


 なにしろ、湊がこの上座の席を押し付けられてしまってから早15分。どんなに楽にしてくれと言っても皆かしこまるばかりで誰一人として顔を上げようとしてくれないのだ。


 彼らのこの行動が、自分たちの窮地を救ってもらったことに対する感謝の気持ちの表れだということは分かる。

 理解はできるのだが、いささか大仰に過ぎる。


 これ以上平伏されたままだとこれから予定されている藤宮領開放に関する話し合いを持つのに不都合が生じてしまうし、なにより全員が平伏したままピクリとも頭を上げようとしないというこの異常に張り詰めた状態で、いったい何をどう話し合うことが出来るというのか。


 地球においては帝国の六大公爵の一角に叙せられている湊であるが、帝国の身分制度は中世の絶対王政の頃と比べれば随分とゆるいこともあり、相手を自分の目の前で跪かせるような命令を出すことはなかった。

 アンリエストにおいては一応王ということもあり正体を明かしてしまえば同様の対応をされることもあるだろうが、街に繰り出すにあたって自分が王だと名乗ることは滅多(シーリンを助けた時くらいか)にないため、目の前のような対応をされることはまずない。

 というか、湊自身、他人を自分の目の前に跪かせて喜ぶような趣味を持ち合わせている訳でもないので、そのような対応をこちらから積極的に求めることもない。


 ただただ困惑…………というのが今の心境だった。

 

 そもそも、この奥羽国の国主である義國は本来下座(しもざ)で平伏するような立場ではなく、湊の隣に座って上座から幹部たちに相対しているべき存在であるはずなのに、どうして幹部たちが居並ぶ最前列で率先して頭を下げているのだろうか?

 実のところ、彼のその必要以上にへりくだった姿勢こそが、今の湊を困らせてくれている一番の要因なのである。


 「何とかしてくれ」とばかりに横に控えている雪乃姫にチラチラと視線を向けるも、ただただ苦い笑いが返ってくるのみ。


 これでは完全に参拝される御神体の扱いである。

 じりじりと過ぎていく沈黙の時間があまりにも重かった。


 湊の背後に控えている五十鈴が、まるで『大政奉還図』に描かれている二条城大広間の光景を見ているかのようだったと後にその感想を漏らしていたが、事実としては正にその通りで、湊はその時「ああ、昔の将軍様はこんな風景をみていたのか」と考えることで軽く現実逃避をしていた。


 「みなさん、お気持ちは十分にいただきましたから、どうか面を上げてください」


 とりあえずもう一度声をかけてみる。

 が、どうしてか、義國を始めとする奥羽国の面々は頑なに頭を上げようとしてはくれない。


 もはやこれが謝意などではない何か新手のいじめなのではないかと疑いたくなってしまうくらい、彼らの扱いに窮してしまう。


 「お兄様、感謝の気持ちを表すのは結構ですが、これ以上は逆に失礼になってしまいますよ」


 ここに至ってようやく雪乃姫から救いの手が差し伸べられた。


 「……ま、まことか? まことに面を上げても失礼ではないのだろうか?」


 「はい。もう十分すぎるほどお兄様方の気持ちは湊様に伝わっております。これ以上はさすがに謝意ではなく嫌がらせとして受け取られてしまいますよ」


 「そ、それはいかん!」


 言うなり義國はガバりと勢いよく面を上げた。


 「皆の者も、疾く面を上げよ」


 「「「ははーっ」」」


 義國の合図で一斉にサムライたちが顔を上げた。


 「あんりえすと王湊殿、我らに失礼があったならば皆を代表して私がお詫びいたす。我らなにぶん東方の田舎国家の出ゆえ西方の作法に明るくなく、ひたすら頭を下げる以外にこの感謝を伝える術が分からなかったのだ。決して悪気があってのことではない」


 焦りを含んだ表情を浮かべつつ、自らの失態を恥じるようにやや早口でまくし立てるように弁解してきた義國。

 何のことはない。彼らが頭を下げたまま上げようとしなかったのは、「西方諸国で使われている感謝を表す作法・仕草が分からないからただひたすらに頭を下げておけばとりあえず間違いないだろう」というあまりにも単純かつ大雑把な理由によるものだった。


 それでもこちらは「面を上げてくれ」ときちんと言葉にして言っているのだから、無視して頭を下げっぱなしというのは謝意を示す対応としてちょっとどうなのかと思うのだが……そこはまあ互いの意志の齟齬があったということで仕方がないと割り切るしかないのだろう。少し釈然としいないが。


 「それは(何となくは)理解していましたので、ご心配なく」


 湊はニコリと笑ってみせることで義國たちの安堵を誘う。

 多少言葉は濁しがちではあったが、それは仕方がない。


 「それに、西方の作法に明るくないとのことですが、案ずることはありません。なぜならば、千年近い年月の隔てはありますが、我々とあなた方は同じ祖先をもつ同胞だからです。住む地が分かたれ、互いに年を経たことによる礼儀の変化や、異なる文化に接したことによる常識の変遷による差異こそあれど、基礎となる作法やその精神には共通するところも多いはずです」


 「なっ、我らは同じ故郷を持つ同胞であると?湊殿、それは真でありましょうか?」


 「はい。間違いないです。雪乃姫から伺ったところによると、奥羽国の王家である源家の開祖は鎌倉幕府の追っ手から逃げ延びてきた源義経公であるとか。既に姫から伝え聞いているかもしれませんが、私はこの世界とは異なる世界からやってきました。義経公が渡ってきたのと同じ世界、そして同じ国からです。私の祖国にはあなた方の祖先である義経公の記録が残されています。それも、国民であれば誰でも知っているほどの英雄としてです。記録上は兄頼朝との政争に敗れ約860年前に自害したことになっていますが、実は亡くなっておらず偶然発生した次元裂からこちらの世界に配下と共に逃げ延びてきていたのだと解釈すれば、辻褄は合います」


 「確かに、我が一族にもほぼ同じような言い伝えが残されております。して、義経様去りし後の鎌倉幕府はいかがしたか教えて貰っても?」


 「構いませんよ。鎌倉幕府自体は150年ほど存続しましたが、源氏の正統は三代将軍実朝が暗殺されたことで滅亡しました。以後は頼朝の遠縁である藤原頼経を傀儡として将軍に据え、政治の実権は頼朝の妻の一族である北条氏が握り、代々執権として事実上鎌倉幕府を支配しました。しかしそれも後醍醐天皇が倒幕計画を企てたことで大きくゆらぎ、後醍醐天皇に加担した足利尊氏によって六波羅探題が落とされ、さらに挙兵した新田義貞によって有力武将が悉く討ち死にしてしまい、ついに鎌倉が陥落。追い詰められた北条一族はみな東勝寺で自害し、鎌倉幕府は滅亡しました」


 「なるほど、頼朝めの子孫は三代で滅亡したか…………」


 どことなく嬉しそうな口調で義國は呟き、一度天を仰ぐように顔を天井に向けると、うっすらと涙が滲む目を閉じた。

 静かな想いに浸っているようだった。


 義経を追い落とした頼朝の血脈は三代で途絶えたのに対して、追い落とされた方の義経直系の血筋はこうして脈々と続いている。代を重ねた子孫が勝利者であった兄の血脈を知らず知らずの内に逆転していたのだと思えば、その感慨もひとしおであろう。

 

 「……では、次の世はその倒幕を企てた後醍醐天皇とやらが手に入れたのであろうか?」


 「いえ、倒幕を果たした後醍醐天皇は、その後天皇を中心とした世を目指しましたが、それは武士たちの反発を生み、結局その施政は二年ほどで反乱を起こした足利尊氏に敗れてしまいます」


 「では新たな幕府はその足利尊氏が起こしたと?」


 「はい。尊氏が足利幕府を起こしました。しかしその足利幕府も末期になると将軍家の力が弱まって群雄割拠の戦乱の世となり、15代将軍の義昭が織田信長によって京より追放され、滅ぼされてしまいます。しかしその織田信長も天下統一を目前にして配下の明智光秀に裏切られ、不意打ちを受けて孤立無援の状況に追い込まれて本能寺で自害して果てました」


 「諸行無常とはこのことか。しかし、配下の裏切りによって天下統一の夢が阻まれるか……義憲・義竹親子の裏切りによって一族滅亡の危機に陥った我が身としては、決して他人事とは言えぬな」


 「仮に裏切りが成功したところで、他の武将たちが必ずしもその人物に従わなければならない訳ではないですから、その後も順風満帆にいくとは限りませんけどね。事実として、明智光秀は同じ信長の配下であった羽柴秀吉に敗れ天下を手に入れることは出来ませんでした」


 「とはいえ、此度の義憲・義竹親子の裏切りを事前に察知出来なんだ我が身の不明さには恥じ入るばかり。とてもではないが奥羽の民や先祖の英霊たちに顔を向けることができぬ」


 「時が戻らぬ以上、配下の裏切りを許してしまった事実は決して後から変えることは出来ません。しかし、抗う術を知らぬ民を優先して逃し、結果として人的被害を最小限に抑えた義國殿の判断と手腕は高く評価されてしかるべきだと私は思いますよ。そもそも他人の心の内を覗くことなど常人には到底不可能な話です。事実として我が祖国である帝国も、そして更にその前身である日本国も、過去に身内の裏切りを経験しています。人の心に叛心があれば、それが計画的な物であればあるほどそれを察知するのは難しくなります。ですから、そこまでご自分を卑下なさる必要はないのではないでしょうか?」


 「かたじけない。湊殿にそう言っていただけると、少し救われた気がいたします」


 安堵の表情を浮かべた義國だったが、湊からすれ彼は気にしすぎなのだ。

 裏切りなんて裏切られる側に全く瑕疵がなくたって、人に野心がある限りどこにだって起こりうるものであるからだ。

 義國に話した通り、帝国もかつて名古屋公爵家の皆本清十郎によるクーデターを許しているし、日本国に至っては不意打ち気味に時苗(ときなえ)県に造反されたという過去がある。


 皆本清十郎の起こしたクーデター自体は皇帝御影数馬や湊によって事前に動きが読まれ、あえて泳がされていたこともあり、わずか一日で鎮圧されるというスピード収束を見せた。

 だが、時苗県に裏切られた日本国のケースは、こちらもかなりのスピード決着ではあったが、最終的な結末も含めて落ち着くまでにかなり滅茶苦茶な展開をたどった。


 話は、日本国から独立したばかりの帝国が、合衆国・日本連合と太平洋上で戦闘を繰り広げた第二次太平洋戦争の時代にまで遡る。

 

 結果はご存じの通り、史上初めて投入された能力者専用戦闘機『神無』の活躍により帝国の圧勝で終わったのだが、この戦いが始まった当初、世界に向けて流れたニュースは『合州国・日本連合軍、帝国に苦戦!』の一報だった。

 

 実際のところは苦戦どころではなく鎧袖一触であったのだが、まさか世界一の実力を持つ合州国が正面切って戦って負けるようなことがあるとは、世界中の誰も考えなかったのだ。


 そしてそれは大華国の首脳も同じだった。


 元々大華国は帝国と合州国・日本連合が戦っている隙をついて湾台に侵攻する準備を整えていたのだが、太平洋上で合州国が大苦戦しているという情報を得た大華国首脳は、急遽目標を変更して帝国へ向けて侵攻する決定を下したのだ。


 湾台へ侵攻すると国際社会からの非難が免れないが、実際に日本や合州国と戦っている帝国に侵攻すればその限りではないからだ。

 仮に国際社会から非難されたところで、「合州国や日本だって大義名分なく帝国に侵攻しているじゃないか」と言い返せば大抵の相手は何も言えなくなってしまうからである。


 端的に言えば目先の漁夫の利を狙いに行ったのだが、結果から言えばこの判断は大間違いだった。


 判断を下した大華首脳部の一番の失策は、合州国が帝国に苦戦しているその根本的な原因を読み間違ったことと、合州国よりも先に帝都を陥落させてやろうと焦るあまり、合州国艦隊がなぜ苦戦しているのかをきちんと分析しないままに見切り発車してしまったことだ。


 大華上層部は、もし世界一の軍事力を誇る合州国軍が出来たばかりの新興国に苦戦することがあるとするならば、それは『合州国艦隊が何らかの手段をもって帝国の能力者たちに上手く乗り込まれてしまい、その超常的かつ不可思議な能力によって内側からダメージを受けてしまったに違いない』と分析していた。


 「あんな訳の分からない力を持つ連中と正面切って戦うのは馬鹿のやることだ。あんな連中をまんまと艦隊に乗り込ませるからしなくてもいい苦戦を強いられるのだ。能力者などまともに相手にせず、遠距離から淡々と帝都に向けてミサイルによる飽和攻撃を加えるだけで容易に勝てるじゃないか。合州国艦隊の司令官は何と愚かな人物なんだ。これでは我が国が世界の覇権を握る日も近いな」


 ……と、世界NO1超大国の見せた醜態を密かに嘲笑すらしていた。

 合州国が正にその戦術を採用して現在進行形で失敗している最中であるという事実に気が付かないまま……。


 しかし、それもある意味仕方がない判断だったかもしれない。


 『太平洋上で合州国・日本連合艦隊が帝国に大苦戦しているらしい』


 ……なにしろ手元にこれしか情報がなかったのだ。


 実際、この限られた情報しかない中であえて帝国の善戦の理由を考えろと言われたなら、他のどの国の情報部であっても同じような分析をしたであろう。

 能力者という未知の力を持つ存在がいる国が強大な力を持つ国家に善戦しているのなら、当然それに彼らが関わっていると考えるのはむしろ自然な流れであるからだ。

 なので、この時の大華上層部の分析があながち的外れなものだったとは言い切れない部分もある。


 結果的に大きく読み間違えてしまったのは、根本的に情報が不足していたからに他ならない。


 しかして、意気揚々と帝国へ向けて侵攻した大華国艦隊を待ち受けていたのは、事前に想定していた能力者たちではなく、たった一隻の超性能潜水艦(実際には違うが当時はそう思われていた)『死屍累々』。


 そしてその『死屍累々』一隻の持つ戦闘力は、大華国の送り出した全ての戦力を遥かに上回っていた。


 大華国艦隊から撃ち出されたミサイルも、本国から発射された弾道ミサイルも、空母から発進した艦載機も、そして侵攻してきた艦隊の砲弾さえも、全てたった一隻の潜水艦によって迎撃・撃墜・撃沈させられてしまう。


 合州国から盗み出したデータを元に心血を注いで開発した世界に誇る第五世代ステルス戦闘機『滅20』も、範級原子力潜水艦も、最新鋭の装備を備えた大艦隊も、大華国の威信をかけて帝国に侵攻した戦力のことごとくが海の藻屑となり、一機・一隻・一兵たりとも本国に帰還することは叶わなかった。


 それこそ正に絵にかいたような史上稀にみる見事な全滅っぷりであった。


 大華国と国境問題を抱える他の国々に対する示威行為も兼ね、保有する戦闘艦の実に七割を投入したこの作戦の失敗は、大華国首脳部にとって大きな誤算だった。


 この敗戦で受けたダメージはあまりにも大きく、以後の大華国の海洋進出に大きくブレーキがかかることになってしまう。


 そして、この戦いでの大華国の敗北は、当事者である大華国以外の国にも予想以上に大きい影響を与えていた。


 大華国の艦隊が帝国に向けて出港したという一報を聞いて、千載一遇のチャンスとばかりに動き出した勢力が他にもあったからだ。


 その一つが新鮮国だった。

 

 新鮮国は大華国と異なりあらかじめ出兵の準備を整えていたわけではなかった。なので、大華国が帝国へ向けて侵攻したという一報を受けてから、そのおこぼれにあずかるべく慌てて出兵の準備を始めることとなる。

 しかし、その出兵の準備を整えている最中に、合州国・日本連合軍と大華国がそれぞれ敗北したというニュースが飛び込んできてしまったのだ。


 当然、準備が進んでいた派兵は急遽中止。

 まだ出港すらしていない段階だったので、大華艦隊のみならず日本・合州国連合艦隊すら一蹴した帝国と直接戦端を交えるという最悪のシナリオは回避することが出来た。 

 その点から鑑みればただひたすらに幸運だったと言える。


 しかし、新鮮国大統領府は一つだけ大きな、そして決定的な失敗を犯してしまっていた。


 大華に続いて帝国に侵攻すると決定した直後、帝国に対して正式に宣戦布告をしてしまっていたのだ。

 出兵に関しては大きく出遅れることが確定していた。なので帝国を占領した後の利益分配の恩恵を少しでも大きくする既成事実作りのため、派兵決定と同時に慌てて宣戦布告だけは行ったためである。


 「ウチも大華軍の出兵と同じタイミングで宣戦布告して帝国に戦争をしかけているんだから、少しでも多く分け前を頂戴ね」というわけだ。

 少なくともこの時点では帝国を蹂躙してしゃぶり尽くす気マンマンだった。


 しかし、予想に反して合州国や大華国が敗北してしまったことで大きく状況が変わってしまった。


 実際には攻撃していなくとも、戦争を吹っ掛けた事実には何ら変わりがないからだ。

 それも、大華軍と合州国・日本連合軍全てを二正面で同時に相手取って勝利を勝ち取ることが出来る、あからさまにやべぇ国家に対してである。


 宣戦布告は受けたものの実際に攻撃を受けたわけではなかったので、さすがの帝国も報復の武力行使にまでは踏み切らなかった。

 代わりに行ったのは国交の断絶と、それにともなう経済制裁である。

 そしてこの帝国からの経済制裁の影響は、殊の外大きかった。


 それまで新鮮国の太客であった日本、合州国、大華国の三か国、その全てが揃って帝国との戦いに敗北してしまっていた。

 敗戦とそれに伴う賠償金の影響で三か国全ての生産消費量が落ち込んだことに加えて、揃いも揃って『今はこれ以上帝国を刺激したくない』と帝国と戦争中である新鮮国との貿易を控えてしまったからである。


 また、帝国の友好国である湾台、そして一部のアジア・ヨーロッパの国々からも後を追うようにして取引が停止されてしまう。

 これらの動きは国家財政における貿易の比率が高い新鮮国にとっては大打撃であった。


 だが、それらの国々の動きは、必ずしも帝国の政治的圧力によるものだけではなかった。


 帝国の独占技術である『超性能小型バッテリー』『シート型極薄基盤』『1fm小型量子半導体』『小型大容量記憶媒体』『超性能中央処理装置』……より正確に言えば、それらの製品の大幅性能劣化版である海外輸出用のモンキーモデルであるが、自国や他国の製品で代用の効かないこれらの品々の輸出を禁じられたことで、新鮮国の中核ともいえる製造業は他国に大きく性能の劣る製品しか作ることが出来なくなってしまった。

 元々安かろう悪かろうな面は強かったが、もはやそんなことを言っていられるレベル差ではなくなってしまったのである。

 スマートフォン全盛の時代にいそいそとPHSを売り出したところで何の意味もないのだ。

 新鮮国から貿易相手が離れていくのは当然の話だった。


 この問題を是正するため、第三国を経由することでなんとか帝国製部品を手に入れようと試みたのだが、『いかなる理由を問わず、帝国と戦争中である新鮮国に対し帝国製品の横流しを試みた国は、その事実が発覚した時点で帝国に対する敵対行為とみなし、以後一切の取引を永久かつ不可逆的に停止する』という声明が帝国から発せられると、水面下で交渉中だった国からの一切の連絡がピタリと途絶えてしまった。


 ならばと、どうにかしてコピー製品を作ろうとするのだが、技術力が足りなくて帝国製部品の複製どころかその解析さえ出来ない有様だった。


 そんなハードウェアに加えて、新鮮国の製品に採用している合州国製OSも帝国製の超性能AI搭載製品に太刀打ちすることができず、性能差に加え操作性・利便性にまで大きく水をあけられてしまう。

 

 どんなに自国製品を安く売りだそうともその価格差以上に離れていく性能の差。

 そしてこの差が小型通信端末、パソコン、家電、映像装置、玩具、自動車。造船等々全ての製品にのしかかってくるのだ。


 新鮮国最大の稼ぎ頭である製造業は壊滅的打撃を被った。 

 お家芸であるダンピングすら一切効果がなかった。

 もはや自力では打開できる術も見込みも全くない状態であった。

 

 この状況を打破するための手段はただ一つしか存在しない。

 帝国と和解することだ。

 しかし、当たり前のことだがそれが容易なことではなかった。


 何とか帝国と和解したいと思うのだが、和解の条件として帝国から突き付けられたのは、第二次世界大戦後に日本が新鮮国に所有権を放棄して残していった莫大な資産と同額の賠償金であった。


 終戦当時の金額で52億ドル(6千億円)。現在の価値に直すと数十兆円にも上る。

 しかもその支払いは帝国円・日本円もしくは合州国ドル、いずれかの一括払いのみに限定された。

 当たり前であるが、新鮮国のローカル通貨であるウョン建ての支払いなど歯牙にもかけられていない。


 「実際に戦闘したわけでもないのに高すぎる」と文句を言いたかったが、『戦争を経ず併合しただけの日本が貴国に残していった資産と同じ金額だ』と指摘されてしまうと、それ以上何も言うことができなかった。


 さりとて、すでに国家として斜陽の段階に入っている新鮮国にはとてもではないが要求された賠償金額を捻出するだけの余力はなかった。一括払いであるのだからなおさらだ。

 ならばと、賠償金額相当の領土の割譲で手を打てないかと帝国へ診したのだが、『いずれ必ずやってくることが分かっている領土問題のゴタゴタ、特に極東地域でのそれを許容することは到底できませんので』と丁重にお断りされてしまった。


 結果、新鮮国は帝国と和解することができないまま、真綿で締め付けられるようにじわじわと衰退の道を進んでくことになる。


 迂闊な判断のあまりにも痛すぎるしっぺ返しであった。


 そして、別の場所でも、この新鮮国と同じように大華海軍が動いたのと同時に行動を起こした。いや、起こしてしまった組織があった。


 それが、当時まだ日本国に属していた時苗(ときなえ)県である。


 もちろんこれは時苗県民の総意の元に行われたものではないので、より正確に言うのならば「時苗県知事とその愉快な仲間たち」による暴走ということになるだろうか。


 その時苗県知事一派が一体何を行ったのかというと、出港した大華艦隊の動きとバッチリ呼応する絶妙なタイミングでの時苗の日本国からの独立宣言と時苗共和国の建国宣言、そして帝国と戦うために全艦船が出撃していって隙だらけになった在日合州国基地への大華海軍の駐留許可の発行である。


 つまり知事一派は、常日頃なんだかんだと理由をつけては口うるさいくらいに戦力の放棄と反戦を訴えていたくせして、大華国の帝国に対する攻撃に間接的にではあるが加担し、毎年振興予算を数千億も支払い続けてくれていた日本国とその国民をあっさりと裏切り、たまに凶悪な事件を起こして迷惑を被るものの、基地周辺に結構な金を落として地元経済に少なくない貢献をしてくれていた在日合州国軍の基地へ大華海軍を招き入れる許可を出したことで、合州国をも敵に回したのだ。


 しかし、そこまでして大華国に加担したのにも関わらず、頼みの綱の大華国は時苗に入る前に帝国に敗れ去ってしまい、後ろ盾を失った時苗の前には、強力な能力者と世界最強の合州国をも上回る軍事力を併せ持つ帝国に喧嘩を売ったという目も当てられない結果だけが残ってしまった。

 かといって、ひとたび声高らかに独立宣言を行ってしまった以上、いまさら日本に戻りたいですと頼み込む訳にもいかず、大華国に在日合州国基地を売り渡そうとした事実がある以上、合州国に泣きつくわけにもいかなかった。

 

 特に在日合州国基地を大華国に売り渡そうとした事実は想像した以上に重かった。

 艦隊は全艦出払っていたとはいえ、それで基地が無人になっていた訳ではない。まだ職員たちは残っていたし、出兵していった兵たちの家族だって残っていたのだ。


 つまり、基地を売り渡したということは彼らの身柄を大華国に売り渡したにも等しい行為だったということだ。


 これにより、時苗はいつ合州国に報復攻撃されてもおかしくない状況に陥ってしまっていた。

 実際に攻撃が行われなかったのは、許しがたい行為ではあるがあくまでも未遂だったことと、第二次太平洋戦争の敗北で第七艦隊が壊滅的なダメージを受けていたこともあり、合州国側にそんな余裕がなかったという幸運が作用していたからに他ならない。


 こうして、意気揚々と独立を宣言したはずの時苗は、裏切者の汚名とともに瞬時にして世界の中で孤立した存在へと変貌してしまった。


 とはいえ、この時苗の独立と時苗共和国の建国は、時の知事が一方的に日本に対して宣言したものであり、あくまでもそれは自称に過ぎなかった。


 そもそも勝手にそんな宣言をしたくらいで都道府県の独立が簡単に認められるわけがないのだ。

 もしそんなことが簡単に認められるようになってしまったなら、ちょっと頭が残念な知事が現れる度に日本国の中に独立国が増え続けていくことになってしまうからである。


 事実として、日本国政府は時苗の独立を認めてはいなかった。

 時苗県出身というだけで世間から不当に白い目で見られてしまうという重い十字架を背負いながらも、実のところ時苗は宣言通りの独立すらできていなかったわけである。


 つまり、この時点では時苗県の所属は変わらず日本国にあった訳であるが、問題はこの日本国も戦争で帝国に敗れた敗戦国だったということから生じてしまう。


 戦争で帝国に負けた日本国は近畿・中国・九州以外の全ての領土を手放すことになったのだが、それとは別に全ての島は大小にかかわらず帝国に属するという取り決めが行われた。そのため、沖縄本島と宮古島の間に挟まれるように存在する時苗本島は、九州に属しているにもかかわらず帝国に属することになったのである。

 

 なってしまったのだ……。


 そう、よりによって自分たちが攻撃に加担しようとしていた相手の支配を受けるはめになってしまったのである。 

 この知らせを聞いた時の時苗県民の絶望は想像に難くない。


 しかし、一方でこの時苗を領有することになった帝国の方も、「大華国側に付いて日本から独立しようと企むような知事を支持する有権者のいる領土を編入しなくてはならないなんて、正直なところ、面倒くせぇな……」と思っていたのだ。


 そんな状況下で帝国が採った方策は、世界中を驚愕させた。


 なんと時苗本島を南北に分割して、本島の北側と他の島々を帝国が直接管理し、本島の南側は半独立の自治区として独立を企んだ知事一派に施政を丸投げしたのだ。


 棚からぼたもち。

 当然、知事を始めとする左派一派は狂喜乱舞した。


 それだけではない。

 帝国は新たに帝国領になった領地も含めた全ての帝国国民に、希望するのであればこの新たな自治区へ国籍を移す許可を与えたのだ。

 ただし、双方を自由に行き来出来るものではなく、決められた期限内において一度きりのものである。

 この発表を受けて、帝国国内にいた左派支持者たちは諸手を挙げこぞって南時苗へと移住していった。


 しかし、左派支持者たちがみんな南時苗に移っていったのは、必ずしもそこが彼らの楽園であるという理由からだけではなかった。


 彼らには、無理を押してでも南時苗へと移住しなければならない切実な理由があったのだ。


 即ち、自国内での共産主義と社会主義の活動を法律で禁止し、違反する者は厳しく取り締まるという布告が帝国政府から公式に出されたからである。


 帝国主義と共産主義・社会主義は制度上両立し得ないというのがその理由であった。

 当然、共産主義者や社会主義者たちからは文句が出た。しかし、


 「大華国やソ連などの例を見れば分かる通り、その思想の理想形はともかく、人が人を管理する社会構造上、共産主義・社会主義を突き詰めていくと結局特権階級が市民階級を支配する疑似帝国主義のような社会になります。そこには帝国貴族(われわれ)が支配するか共生党幹部(あなたたち)が支配するかの違いしかありません。ですので、共産主義者(あなたたち)帝国貴族(われわれ)を非難するのは理に合わないですし、両者が共存することもまたあり得ません。この国には既に帝国主義がある以上、あえてその中で類似品である共産主義・社会主義を主張していく意味はないのではないですか? あなたたちのために理想郷の器はこちらで用意して差し上げたのですから、そちらで存分に力を揮って自身の理想とする社会を作り上げればいいだけの話です」


 そう説明されると、誰も反論することが出来なかった。

 

 そもそも帝国主義とはいっても、帝国貴族の立ち位置はエイングランドの王族や貴族のそれに近いと言えるのかもしれない。

 即ち、民主主義の上に王室と貴族がのっかっている状態だ。


 皇帝も領地を持っている貴族も、その運営の方針を指示はするが、実際に運営を行っているのは結局のところ民から選ばれた政治家であり官僚であり公務員であるからだ。


 そもそも帝国は30年近く皇帝が行方不明でも滞りなく回っていたようなお国柄だ。国民の日常生活における帝国皇帝の影響力なんてお察しといったところである。


 貴族が存在している以上身分制度はもちろんあるが、面と向かって悪口を言ったところでせいぜい一時的に身柄を拘束されて警察のおじさんからお叱りを受ける程度、最悪でも罰金だ。プロサッカーの試合に勝手に乱入した観客が係員に取り押さえられた後の処分と同程度と考えれば案外大したことはない。

 先にも触れたエイングランドに代表されるように、貴族制度が残っている国なんて世界中に幾らでも残っている。

 インディーにだってカースト制度が残っている。

 大華国の共産党員なんて名称が異なるだけでその立ち位置は完全に貴族だ。


 民主主義国家である日本国には貴族制度そのものはないが皇室は存在している。

 だがその皇室を除外して考えても、国民全てが完全に平等というわけではない。生まれにだって格差はあるし、職場などにだって当たり前のように階級は存在しているのだ。

 世界的大企業の創業者一族なんて、もはや現代の貴族と言っても過言ではない。保有資産と部下の数次第では並の貴族以上の権力を持つことだってあるのだ。

 身分制度がはっきりしていた江戸時代だって、下手な武士よりも豪商の方が力を持っていた。

 逆に言えば貴族と言えどその程度の存在でしかないということだ。

 

 皇帝や領地貴族は己の領地の最終決定権を持っているし、貴族院も衆議院と参議院に優越している。だが、貴族院が強権を発動するような事例は滅多にないし、その強権が発動されるのは政治家や官僚が勝手に好き放題やっているケースにやむを得ず外から介入する時くらいのものである。

 湊たち貴族はみな能力者であり、おのおのが領主としての日常業務や国の防衛を担う能力者としての訓練に忙しいため、政治専任の政治家たちと違ってそんなにしょっちゅう貴族院に集まってなどいられないのだ。


 事実として、一般市民の生活は、貴族制度が導入される前と後ではなんの変化も起こっていない。


 帝国に男爵以上の貴族の人数など総勢300人程度しかいないのだから、普通に生活している限りそうそう遭遇するものではないのだ。街中で芸能人に遭遇するよりよっぽど確率が低いのである。


 帝国になってからの方が腐敗している役人や政治家を積極的に取り締まったり、用途のおかしい税金の使い道や補助金を取り締まって是正、回収したり、元々良かった治安がさらに向上したり、超発電量を誇る重力場機関の実用化により電気代が大幅に安くなったり、強力な軍を持つことで隣国からの脅威に怯える必要もなくなり、他国を圧倒する技術力を背景にする記録的な景気向上にともない就職率が向上し、さらに平均給与額が大幅にアップして、それに伴って懸案事項であった出生率も向上するなどなど、良いことの方が多かったため、一般市民には以前よりも歓迎されているくらいだ。

 

 しかし、それでも自分たちの活動を封じられた左派支持者たちにとっては生きづらい社会であったのかもしれない。

 彼らはこぞって帝国を捨てて南時苗に引っ越して行った。


 時苗県知事が南時苗に作った自治都市は南時苗共和国と命名された。

 国を名乗っているのは、半独立国として帝国が認めたからである。


 しかし、帝国も無条件でそれを認めた訳ではない。


 一条 時苗共和国は南時苗共和国成立以前に時苗県に支払われていた振興予算総額の四分の一を年一回帝国に分割返済する。


 二条 時苗共和国は、共和国成立直後から六か月を経過するまでの間に一度限り、南時苗共和国の理念に賛同しない者の北時苗もしくは他の帝国領土への移動を認め、またこれを妨げてはならない。


 三条 魔法帝国神無は、南時苗共和国の内政に対して一切の口出しをしない。ただし、国の主権を帝国の許可なく第三国その他の団体に委ねる、もしくは他国の傀儡となった事実が発覚した時、または南時苗共和国内に帝国の了承なく他国の軍の駐留を許可するような決定があった場合にはその限りではない。


 四条 時苗共和国は憲法に日本国憲法第九条と同一の条文を採用し、陸・海・空・宇宙いかなる戦力及び核兵器を保持しても持ち込ませてもならない。また、これら戦力の保有は自衛のためであったとしても一切認められない。


 五条 魔法帝国神無は南時苗共和国の防衛に関し一切の手出しをしない。

 

 六条 上記五項目が順守されている限りにおいて帝国は南時苗共和国の自治権を認め、帝国領である時苗南部を南時苗共和国に無期限かつ無償で貸与することとする。ただし、南時苗共和国側において本条約に違反する行為・事実が発覚した場合、魔法帝国神無は南時苗共和国の自治に関する権利を即時に破棄し、速やかに帝国の管理下に置くこととする。また、その場合に適用される憲法・法律は帝国のものに準拠することとする。


 南時苗共和国の半独立に関して帝国はこれら六つの条件の完遂を求め、それに同意した南時苗共和国との間に正式な和解条約を結んだ。


 一条に関しては他県にはない振興予算が帝国(日本)国民の税金から投入されていたのだから、独立するのならばそれの返還を求めるのは当然であるという趣旨だ。

 

 二条については、南時苗共和国の領土となる時苗南部に住む人の中にも南時苗共和国の掲げる理念に賛同しない者がいるであろうことから、一度に限って移動希望者を帝国領内で受け入れるということ。


 三条に関しては条文通り、帝国は南時苗共和国の政治に一切口出ししないし、困ったことがあっても一切の手助けをしないという宣言である。事実上の絶縁宣言でもある。ただ、知事一派が合州国基地に大華軍を招き入れようとした前科があるため、条文によって明確にそれを禁止したわけである。


 四条は、時苗県知事及び左派支持者たちはこれまで日本国政府が国防のための戦力を揃えようとすると、やれ軍靴の音が聞こえるだの、兵器はいらないだの、自衛隊はいらないだの、日合安保は反対だのと難癖をつけてきた訳であるから、自分たちの国が出来た途端に防衛のための戦力が必要だと主張するのは道理が通らない。なので、彼ら自身の主張してきたことを有言実行してもらうためにつけた条文である。


 五条については、例え帝国以外の国が南時苗共和国に武力侵攻してきたとしても、帝国は南時苗共和国の防衛に関して一切戦力を出すことはないという確認であり宣言でもある。四条の条文により南時苗共和国は一切の戦力を持つことは許されていないため、周辺国の野望に対して完全に無防備な状態ではあるが、仮に武力で攻め込んで来ようとする国があったとしても頑張って話し合いで解決して欲しいという帝国からの激励のメッセージでもあった。

 

 六条については条文通りであるので特に説明は必要ないだろう。


 帝国のつきつけてきた条件について、当初、時苗県知事は特に四条について「これでは国民の安全が……」と難色を示した。


 しかし、「こちらはあなた方が日本国に所属している時に声高に主張していた内容をそのまま順守しろと言っているわけですが、何か問題でもありますか? 今まで散々日本の防衛力の強化を邪魔して外敵からの日本国民の安全を脅かしておきながら、まさか自分たちが国を持った途端に都合よく己の主張を変えるなんて下種極まりないことは言いませんよね?」と帝国の折衝担当に睨まれると、本当に渋々ではあるがその条文を了承し条約を締結した。


 こうした経緯を経て遂に南時苗共和国は半独立という立場を手に入れた訳であるが、同時にこの南時苗共和国国民の苦難の日々はこの日この時から始まったともいえる。


 まずはじめに起こった問題は、時苗の重要な収入源の一つである観光業の不振である。

 観光客が全く来なくなってしまったのだ。


 観光地としての時苗ブランドは相変わらず人気であったが、そういう需要は全て北時苗に吸い取られてしまった。

 これに関しては当たり前としか言いようがない。

 代替えが効かない唯一無二の観光地であるならまだしも、同質の近似観光地がちょっと北にいったところにあるのだ。帝国国民にしても日本国民にしても、わざわざ自分たちを裏切った南時苗共和国に旅行へ行こうと思う理由がなかった。


 次に、長らく時苗県に居座っていた合州国軍が敗戦にともない撤退していったことで、彼らを相手に商売していた人たちの収入が急激に落ち込んでしまった。


 更に言うのなら、合州国基地のあった場所を所有していた地主には日本国から基地用地の借り上げ費用が支払われていたのだが、合州国軍の撤退に伴い土地は元の所有者に返還された(帝国は地主が存在する場所に基地を置かなかった)ため、地主の中には期待していた安定収入が入らなくなって困る者も出てきてしまった。とはいえ、これに関しては、悲願であった土地返還がなされ喜ぶ地主もまた存在していたので一長一短の問題ではある。


 様々な要因で収入が減ってきている共和国の国民にその次にのしかかってきた困難は、条約第一条で定められた帝国に分割返済しなくてはならない振興予算(の四分の一)の返済資金調達名目で行われた増税である。


 なにしろ時苗には戦後の復帰からおよそ75年で14兆円近い振興予算が支払われてきた。帝国と日本国に分かれた以降は日本国から時苗県に支払われる振興予算は半分になったが、それでもつもりつもってこの金額である。

 名目は南時苗の独立するにあたっての今までに支払われてきた振興予算の返還ということになっているが、実質的には時苗が帝国に侵攻する大華国に加担したことに対する懲罰的賠償である。


 賠償金の負担は大きいが、その代わりに実質的な独立を手に入れることができたのだから、実は収支マイナスというほどでもない。

 ただしそれは国としてはマイナスではなかったということであって、国民個人個人の家計には大打撃であった。


 他にも共和国民の家計を直撃する事件があった。

 帝国も日本国も南時苗共和国に輸出する品目にきっちりと関税をかけるようになったことである。

 特別な貿易協定を結んだ間柄というわけでもないのだからこれは仕方がない。

 関税といっても日本と帝国が共和国に対してかけている税率は、取引額のほんの数パーセントの話である。

 とはいえ、消費税の税率が1パーセント上がっても世間は大騒ぎするのだ。決して暴利というほどの数字ではないものの、それらは地味に庶民の財布にダメージを与え続けることになってしまった。


 この関税により外から手に入れる品物については以前に比べて割高になり、逆に南時苗共和国で作られた品物を日本や帝国に輸出しようにも関税フィルターを経由することで高くなり、商品が以前に比べて売れづらくなってしまう。


 そして何より共和国民を追い詰めたのは、南時苗で作っているものは大抵北時苗でも作っているという事実である。

 品質が同じならば、関税がかかっていない分、より安いそちらの方が売れるのは当然の話であった。


 そのような状況下で、どうしても手元の商品を売り切りたいのであれば、自分たちの利益を削ってでも北時苗産より大胆に値下げするしかなかった。

 また裏切りの後遺症は思っていた以上に大きく、どんなに安くても南時苗産の者には手を付けないという消費者もいたし、それを理由に仕入れの段階で業者に買いたたかれることもあった。


 そして、自分たちの作る商品に値が付く付かない以前の話として、もう一つ共和国には深刻な問題が顕在化していた。


 共和国のある南時苗は元来比較的市街地が多い地域である。

 もちろん農産物も作られてはいる。だが、それだけでは全ての人口の需要を満たすのは難しかった。

 元々山間部の多い時苗県の食料自給率は30~40%くらいしかない。その半分は北部で作られているとどんぶり勘定すると、その数字は15~20%にまで落ち込んでしまう。


 しかし現実の共和国の食料自給率はその数字よりも更に低かった。

 なぜなら、南時苗の人口は独立を機に左派支持者が帝国全土から集まってきたことによって急激に増加していたからだ。


 もちろん南時苗共和国の理念に賛同できないからと逆に離れていった人の数もかなりのものではあった。

 しかし、それにも増して増加した人口の方が多かったのだ。

 該当者全員が移住したわけではないのであくまで概算だが、人口一億として左派支持者が8%いたとすれば800万人である。

 あまりにも増加した人口が多すぎて、住宅の供給さえ十分に満たされずテント暮らしをしている者まで出ていたほどである。

 そんな状況で食料の供給が不足するのは、誰がどう考えても当然のことである。

 

 当たり前だが足りない分は外から輸入するしかない。

 しかし距離的に近い帝国の食品も日本も食品も、共和国に入る時点で関税がかかるため、以前に比べればどうしても小売価格が割高になってしまう。

 そしてそこに人口が増えたことによる品薄が重なると、商品の価格はどんどん高くなっていってしまう。


 そもそも時苗県知事が目論んだ時苗県の独立は大華国の支援ありきのものであって、帝国を大華国への餌として差し出し、その功を以て大華国の庇護の元で属国なり衛星国なりの立ち位置で甘い汁を啜ろうと企んでいたところに、大華国が帝国に敗北するという青天の霹靂によって、他国の支援がないまま時苗南部が単独で独立国として自立せねばならなくなってしまったのだ。

 しかし、他国の支援を受けず南時苗単体で以前の生活水準を維持していくのは現実的にはかなり困難な話であった。


 そんな共和国を何よりも苦しめたのが、帝国日本のみならず、共和国と交易を行おうとする全ての国々が円もしくは帝国円とドル以外の取引を認めてくれなかったことである。

 共和国内で独自通貨を発行しても対外的には信用が全くないので仕方がないことではあるが、それによって為替がとんでもなく円ドル高になってしまい、それに合わせてどんどん自国通貨を刷っていくことでインフレ傾向に陥ってしまっていた。


 おまけにといっては変な話だが、急遽刷ったその独自紙幣だが、時苗県には日本や帝国における大蔵省造幣局のようなしっかりとした偽造防止の技術を備えた立派な施設や製造に関わるノウハウが存在していなかったこともあり、その質はお察しといったところで、それなりの設備を備えた印刷所であれば偽造し放題になるという致命的な欠点が存在していた。

 ATMから偽造紙幣が出てくるなどという某大国で報じられた冗談のような本当の出来事が共和国でも日常的に起こっていたのだから、住民からすれば本当に笑えない状況であっただろう。

 これら偽札が横行したことによってますます独自通貨の価値が下がりつづけ、最終的にはゴミのようになり、結局のところ物々交換が一番間違いないという人類史上最も退化した経済状態にまで移行していったのだが、この混乱は武士の情とばかりに提供された(もちろん無料ではない)帝国製AI搭載携帯端末が普及して偽造不可能な完全電子マネー化が完了するまで長らく続くこととなった。

 

 しかし、混乱していたのは経済だけではない。

 共和国において経済と同じく、いや、それ以上に混乱していたのは政治の分野であった。


 帝国が内政不干渉を貫いたことで理想の社会が築けると共和国国民が喜んでいたのは最初の内だけ。

 実際に起こったのは時苗県知事一派と帝国から逃れてきた共生党総書記一派の展開する壮絶な内ゲバであった。

 結局人が三人集まれば派閥が出来あがるわけで、知事一派と総書記一派が二手に分かれて共和国内の主導権を握ろうと盛大に争い合ったわけである。


 地元出身者中心の支持基盤があり、実際に帝国から共和国の半独立を勝ち取った知事とその一派。

 主に帝国から逃れてきた者を中心とした支持基盤を持ち、長らく共生党を主導し、また合州国基地反対運動などに人員を送り込むなど時苗共生党の活動を表に裏にと支えてきた総書記一派。


 どちらの派閥が中心となって共和国を運営していくべきかで世論が真っ二つに割れ、その対立は時には武力衝突にまで至るなど政治的に混乱に混乱を極めた。


 そしてその南時苗共和国の混乱を最大限に増幅させる結果となったのが、予期せぬ第三勢力の登場である。


 具体的に言うと、大華国が海を越えて武力侵攻してきたのである。


 元々は政治的立場も近く親交の深かった両者であるが、共和国が独立するにあたって帝国と交わした条約によって、大華国が共和国を傀儡化することも、大華軍が共和国内に駐留することも出来なくなってしまった。そのため地理的には喉から手が出るほど欲しい立地にありながらも、大華国にとっての共和国の利用価値が急速に薄れてしまっていたのである。


 『利用価値がないのであれば、自分たちに都合のよい価値をそこに新たに作り直してしまえばいい』

 大華国首脳がそう考えたことによる侵攻であった。

 他国への侵略を企む国家にとって、一切武力を保持していないノーガードな国などネギを背負ったカモでしかなかったのである。


 しかも、大華国が時苗に侵攻するにあたって最大の懸念材料となる帝国は、南時苗共和国の防衛には一切関わらないと公言している。である以上、大華国にとってもはや侵略を躊躇する理由など存在していなかった。


 元々大華国の標的であったのは湾台であったが、大華海軍が帝国に痛い敗北を喫したせいで全盛時の三割程度しか艦隊は残っていなかった。そのため、元からそれなりの兵力を保有していてさらに今も合州国の援助を受けている湾台と戦うのは少々リスクが高かった。

 そんな時に現れたのが、武力を一切保持しない隙だらけの国家だった。


 そして何より、南時苗共和国の立地は、大華国の悲願である太平洋進出の野望と、いずれ必ず復讐すると誓った帝国に対する橋頭保としての役割を果たす絶好な位置に存在していたのである。


 十分な武器弾薬を持って渡ってきた大華軍と、条約によって一切の戦力の保有を禁止された共和国。

 両者の戦力差は歴然であった。

 

 ここに至って史上初の最強と謳われる『九条バリア』と「話し合い」の出番とあいなったのだが、そんなものは侵略する気満々だった大華軍には物の役にも立たなかった。

 そもそも侵略する目的で来ているのにいまさら話し合いなんて無意味だし、そもそも現場の指揮官程度に上層部を差し置いて交渉する権利など持たされてはいない。


 「現場にいる我々には勝手に交渉する権利など与えられてはいないし、するつもりもない。である以上、自分に課せられた命令を全うするまでだ。交渉したいのならば、我が国の指導者に直接行うがいい」


 知事一派と総書記一派が共同で送り出した交渉団は、伝言役の一人を残して、みな物言わぬ首になって戻ってきてしまう。


 そんな無残な配下の姿を目の当たりにした共和国上層部は狂乱に陥った。


 何度も大華国の指導者に連絡を入れるが、梨の礫。まともに取り合ってさえもらえなかった。

 常日頃あれほど話し合いで絶対に戦争は止められると息巻いていたにもかかわらず、交渉団の第二陣を送り出すことも、自身が率先して大華軍と交渉を持とうとすることもなく、知事一派と総書記一派は国民の平穏を守る努力を放棄して迫る大華軍から真っ先に逃げ出し、安全な場所に身を隠してしまった。


 侵略に抵抗しようとする勇気ある者たちは兵士たちによって容赦なく虐殺され、抵抗を諦めた者であっても容赦なく略奪の対象となった。

 猛威を振るう大華軍の前に、共和国中が地獄に染まったのだ。

 もちろんこれは国際法に照らし合わせれば完全に違法な行為だ。

 更に言うならば、一切の武力を保持していない共和国国民に武力を行使すること自体が民間人の虐殺行為にあたる。


 しかし、いくら国際社会に主張したところで、都合よくこの窮地を救ってくれるようなスーパーヒーローは現れる見込みはなかった。


 世界の警察を自任する合州国であっても、公式に非難声明は出したものの、軍を出してまでして共和国を救おうとまではしてくれなかった。

 第七艦隊が全滅したことでそのような余裕がなかったからだ。

 更に言うのなら、独立のどさくさで自分の国の国民を大華国に売ろうとまでした南時苗を、自国の国民の血を流してまでして積極的に支援しようという気が湧かなかったというより現実的な理由もあったかもしれない。

 ある意味仕方がない判断であり、完全に共和国側の自業自得ではあった。


 一方で国連が主導する国際社会の動きも鈍かった。

 彼らが手出しを渋ったのには理由がある。

 共和国は半独立国として自治権を持ってはいるものの、南時苗の地は厳密に言うと帝国に帰属していたからである。


 仮に帝国の救援要請がないまま国連が共和国の訴えに応じて軍事派兵を行ったとすると、国際法的には国連軍が帝国の領土に勝手に侵攻してることになってしまう。

 この辺の事情のややこしさが、結果的に国際社会の共和国への軍事支援を困難にしてしまっていた。


 そして肝心要の帝国はというと、救援要請を出そうとは考えていなかった。

 そもそも帝国は共和国との取り決めにおいて共和国の防衛には一切関わらないことになっている。国連に救援要請を出す行為はそれに含まれると解釈される可能性が高かった。

 条約を破ってまで動く理由がなかったのだ。

 

 帝国が国連に救援要請を出さないことに対し、時苗県が大華国に帝国を売ろうとしていたことに対する意趣返しなのではないか? と穿った主張をする者もいた。

 もちろん帝国は明確にそれを否定し、条約を遵守した結果だと公式に声明を出している。


 しかし、帝国国民の感情はそうはいかない。

 仮にも知事一派は、帝国を攻撃するための前線基地として抜け殻になった在日合州国基地を大華国へと差し出そうとしていたのだ。

 言ってみれば、限りなく主犯に近い位置にいる共犯である。


 大華国艦隊が帝国に向けて出港したのと全く同じタイミングで時苗県が日本から独立する宣言をして大華海軍の受け入れを表明したのだ。誰がどう考えても両者は水面下で共謀していたと考えるだろう。事を起こしたのが偶然同じタイミングだったなんて言い訳したところで、そんな戯言を素直に信じる者などどこにもいやしない。

 帝国国民からすれば今の共和国の惨状は「因果応報だ」としか言いようがない状況だった。


 共和国の国民たちは、それまで「九条があれば敵は攻めてこない」であるとか、「どんな相手でもきちんと話し合えば絶対に戦争は回避できる」であるとか、常日頃自分たちがいかに能天気なお花畑的思考を垂れ流していたのか、自分の身で経験し、実際に痛い目を見ることで初めてそれを実感することとなった。

 しかし、全てが手遅れであった。


 話し合いで戦争を止めるのは大切だ。そのための努力は決して怠ってはならない。しかしそれでもきちんと現実を見据えて、話し合いで止まらない相手がいる可能性を想定しておかなければならない。

 絶対なんて存在しないのだから。


 事実、ウクレイヌに侵攻したロクシアは話し合いでは止まらなかった。

 「どんな相手でもきちんと話し合えば絶対に戦争は回避することができる」と主張している者たちは、戦争を回避するために必死に立ち回って、結局それを阻止できず無念に涙したウクレイヌ人たちが、それを聞いたらどう思うのか考えたことはあるのだろうか?

 自分たちが無責任に吐いているその言葉が、裏を返せば「話し合いで戦争を止めることが出来なかったウクレイヌは無能。自分だったら絶対に止めていた」と言っているようなものだと果たして気が付いているのであろうか?

 平和主義者がなぜか被害者側であるウクレイヌにマウントをとって執拗に死体蹴りしているというある種矛盾溢れた光景である。


 ウクレイヌに必要だったのは、耳障りの良い無責任な言葉などではなく、明確な支援だった。

 それに対して帝国は即時にウクレイヌへ軍事支援を行う旨の声明を出し、いち早く武器弾薬の供与を行い、また、同時にオホーツク海へ『死屍累々』を差し向けることでロクシア側へ強く圧力をかけた。


 直接ロクシア軍と戦闘を行うことはなかったが、そこに帝国が陣取ってけん制することによってロクシア軍がウクレイヌ国との戦争に全戦力を集中させることが出来ないようにしたのである。

 当然ながら、その帝国の動きは戦争を激化させかねない行為という理由で日本国や共和国、大華国、新鮮国などから強い非難を浴びた。

 しかし、全て過去に帝国に戦争を仕掛けたことがある国だったので、「おまゆう」の一言で軽く跳ね除けられてしまった。

 

 この世から戦争をなくしたいという理想を掲げるのは立派なことだ。だが、その理想に囚われすぎて攻め込まれている被害国に対する軍事支援を行うことにも反対するのであれば、それはロクシア側に加担してウクレイヌに滅びろと言っているのにも等しい行為だ。


 そもそも「話し合いで戦争は回避できる」と主張するのであれば、そのロジックの使用者たちが世界中を移動しながら戦争を止めて回ればいいだけの話だ。なのにどうしてその者はロクシアに乗り込んで大統領を説得しなかったのであろうか?

 本当にそれで戦争が終わるのなら、国連やEEUは喜んでその者の交渉をサポートしたことだろう。

 もちろん帝国だってその者に対する支援を行うことにやぶさかではなかった。

 真実、話し合いで戦争は回避できるというのであれば、ウクレイヌで戦争が続いたのは完全にその者が努力を怠っていたせいである。

 怠け者の平和主義者なぞ存在する価値もない。

 止められる戦争をあえて止めなかった。出来ることをあえて行わなかった。その結果として数多の命が失われたのであれば、その者の罪の大きさは侵略者の親玉であるロクシア大統領と同等、いや、下手したらそれ以上である。


 自分が行ったところでロクシアの大統領が会ってくれるわけがないというのならば、いざ自分の国に侵略してくる国があったとして、直接戦争している訳でもないロクシアの大統領にも会って貰えない人間が、どうやって侵略国の指導者に会って貰えるというのだろうか?

 そもそも話し合いというのは相手がその場を設けて交渉を持ってくれることを前提としている。

 相手が会ってくれないなどとという言い訳は通じない。

 魅力的な物(へいわ)を餌にして、出来もしないことをさも出来るかのように吹聴してまわるのはもはや詐欺師のやり口である。

 出来るのであれば余計な言葉を(さえず)らずにさっさと実行すればいいだけの話だ。


 「話し合いで戦争は回避できる」というのが口先だけで本当はそんな実力を持っていないのであれば、その者は無責任であるばかりか、国民の生命財産を守ろうとして防衛力を高めようと必死になって努力している人を悪意を持って邪魔している害悪と捉えられても仕方がない。


 最近はさすがに聞かなくなったが、まだ帝国が日本だった頃は、事ある毎に防衛戦力の増強や安全保障条約に反対して軍靴の音ガー、徴兵制ガーと叫んでいた奴に限って、『この国もスイーズ連邦のように永世中立国になればいい』などとアホな主張をするのを頻繁に耳にしたものだが、そもそもスイーズは国民皆兵を国是とし徴兵制を採用しているバリバリの武装国家だ。いわゆる武装中立というやつである。

 一家に一丁ライフルがあり、外敵が攻めてきたときにはみなそれを手にして敵と戦うのだ。

 武装放棄してノーガードでいれば絶対に敵は攻めてこないと考えているお花畑とは根本的に異なるのである。


 そもそも国際政治の世界に『絶対』という言葉はない。


 想定される侵略者に対して、話し合いで戦争を回避するのがAプランだとしたら、自国の防衛力を高めておくのはBプランだ。そして同盟国と安全保障条約を結ぶのがCプランである。

 この場合AプランとBプランとCプランは全て共存し得る。

 まずはAプランで対処し、Aプランが駄目な時のためにBプランを用意する。Bプランだけでは足りないのならCプランも適用する。このように国民の生命財産を守るため、あらゆるシナリオに柔軟に対処できるよう常日頃から対応しておくのが為政者の役目だ。いや、義務と言った方が良いかもしれない。


 なのに自称平和主義者たちの頭の中にはAプランしか存在していない。どんな状況になったとしても何が何でもAプランAプランと叫ぶばかりで、このAプランが瓦解した後のことを何も考えていないのだ。

 人はそれを無責任と呼び、無能と呼ぶ。


 Aプランの後にBプランとCプランがあることを知っているからこそ、侵略を企む国家は攻撃を躊躇してAプランに応じるのである。いわゆる抑止力というやつだ。

 侵略性国家が目の前にいながら、Aプランしか用意していないとどうなるのか?結果は明白である。

  

 要するに、共和国が大華国に侵略を受けたのは、Aプランしか持っていなかった(持てなかった)からである。


 運命とは皮肉なもので、かつて帝国がウクレイヌを支援したことを声高らかに非難していた共和国であるが、今度は自分が大華国の侵攻を受けるはめになってしまったのだ。


 抵抗する術も戦力もない共和国は、大華軍によってあっさりと占領されてしまい、遂に大華人民共和連邦南時苗省として強制的に大華国に編入されてしまうことになってしまった。


 ここまでは大華国首脳の目論んだシナリオが完璧にはまっていた。

 いや、むしろ事前に予想して以上の成果だったかもしれない。


 こうして南時苗共和国の併合という最良の報告を受けて文字通り高笑いしていた大華国首脳であったが、その高笑いもやまぬ内に驚愕の報告を受けることとなる。

 それは、南時苗を占領していた軍が全滅したという耳を疑う知らせであった。


 一体どこの組織がどうやってそんなことを行ったのか?

 疑問に思うが、やはりこの状況下でどう考えても一番怪しいのは帝国であった。


 大華国情報部は慌てて情報を収集するために動き始めた。が、彼らが結果を出す前に一早く全世界に向けてニュースの速報が流れた。


 『南時苗共和国を完全占領し共和国の大華国編入を宣言した大華国軍、その後突如として介入してきた帝国の能力者部隊により壊滅!』


 「ばかな!どうして帝国が!」


 それが正直な感想だった。動く国があるとするならばそれは帝国以外には考えられない。そこに意外性はない。だが、肝心要の帝国が動いたその理由が分からない。


 「帝国は動かないはずではなかったのか?」


 「ちくしょう、帝国め!条約違反だ!」

 

 「卑怯だ!」


 「そうだ!卑怯だ!国連を介して圧力をかけろ!」


 卑怯も何も、そもそも現在進行形で他国に侵略戦争を仕掛けている国が言っていいセリフではないのだが、計画が順調に進んで喜びの絶頂状態だったそこからの帝国介入の報告である。その憤りが妥当なのかそうでないかのジャッジはひとまず横に置いておくとして、いきなり天国から地獄に叩き落されてしまった大華国上層部のやるせなさは察するに余りあった。


 とりあえず怒りのはけ口として帝国の外交官を呼びつけて叱責を加えたいところだったが、残念ながら帝国とは国交がないのでそれは不可能だった。

 その代わりと言ってはなんだが、世界中の記者を呼び集めて記者会見を開くことで、大々的に帝国を糾弾することにした。


 『南時苗の地はわが軍により完全制圧が終了し、昨日の時点で我が大華人民共和連邦の南時苗省として既に併合済みである。にもかかわらず帝国は昨日の11時過ぎ、一方的に我らの領土に踏み入って我が国の軍と交戦状態に入りこれを全滅させた。そもそも帝国は条約で南時苗共和国の防衛には一切関わらないことになっている。これは明らかな条約破りである。従って我が国は帝国の条約破りに対する非難と、それによって大華国が被った被害に対する謝罪と賠償をここに要求するものである』


 強盗に押し入った身でありながら返り討ちにあったからと慰謝料を要求するそのあつかましい行為は、もはやまともな国家が行うようなものではなく、国際社会を唖然とさせた。

 自分たちの行いを正当化する言い訳にしても、随分と白々しく面の皮の厚い行動であった。


 そんな大華国に対し、帝国が即座に反論の会見を開いた。

 帝国を代表するスポークスマンとして現れたのは、どこぞのトップ女優かと勘違いしたくなるような若々しく美しい女性だった。

 美しい……そう、その表現は決して間違ってはいない。

 しかし、それ以上に視聴者の目を引いたのが、その整いすぎるほどに整った美しい容貌を全て上書きするかのような、見るものを畏怖させてしまうほど異様な迫力を放っているその暗く濁った瞳のアンバランスさだった。

 そんな彼女が壇上に立って自己紹介したところで、つめかけていた記者たちが一斉にざわめき始める。


 魔法帝国神無侯爵位にして、最強の十四円卓の第九位。

 『終極の破壊者』の二つ名を持ち、帝国最狂の能力者とも恐れられている夜凪虎徹子(よるなぎこてつこ)

 ――――それが彼女が名乗った所属と名前であったからだ。

 

 記者たちの上げた驚声の正体は、普段あまり公の場には出てこない円卓がわざわざこの場に出張ってきたことに対するものであった。


 記者たちのざわつきが止まないままに、司会者の淡々とした進行で会見は始まった。

 当然ながらその焦点は大華国の出した声明についてである。それについてどう思うか尋ねられた彼女の発した第一声は……。


 『ちょっと、(大華国が)何を言いたいのか分かりません』


 ネタ元(「ちょっと、何を言いたいのか分からない」は、人気お笑い芸人ハムカツサンドマンのお得意ギャグ)を分かっている帝国国民は大爆笑であったが、それを知らない大華国首脳部もとにかく虎徹子が自分たちのことを揶揄しているということだけは理解できた。

 彼らは自分たちのことを馬鹿にされていることに対して顔を真っ赤にして憤ったが、その後に続けられた帝国からの説明を聞くと、今度はその顔から一気に血の気が引いて真っ青に染め上げられていくことになる。


 『まず最初に、我が国が条約破りをしたと大華国が主張している件についてですが、これは明確に誤りであると主張させていただきます』


 「嘘だ!ふざけるな!」


 「「「「「そうだ、そうだ!」」」」」


 「なんてことをぬかしやがるんだこの女狐は!」


 その声明を画面越しに見ていた大華の首脳たちは一斉に声を上げたが、直に面と向かって話しているわけではないので当たり前だが虎徹子にはその声は届かない。


 「明確に誤りであると主張されるということは、何か根拠でもあるのですか?」


 『もちろんです』


 記者からの質問に帝国の虎徹子は答える。


 『まず前提として、我が国が共和国と結んだ条約の中でこの問題に該当するであろう条文は、第五条の「魔法帝国神無は南時苗共和国の防衛に関し一切の手出しをしない」という箇所だと思われます。おそらくですが、南時苗を占領し領有を宣言した大華軍を我が国の軍が全滅させたこと――これはこの場で事実であるとはっきり明言しておきますが――これによって、我が国が南時苗共和国の防衛に関与したと大華国側が主張しているのではないかと我々は推察しています。ですが、これが明確に誤りです』


 「誤りとは一体どういうことでしょうか?」


 『時系列をよく考えてください。まず大華国が南時苗を占領し、しかる後にその領有を宣言しました。その後に我が国の能力者たちが南時苗に入り占領していた大華軍を全滅させました。ここまではいいですか?大華国の出した声明とも矛盾していないですよね?』


 「はい。矛盾はないと思います」


 『次に防衛という概念についてですが、辞書によると「他からの攻撃に対して、防ぎ守ること」となっています』


 「はい」


 『では先ほどの時系列に戻りますが、焦点となっている南時苗は大華国が占領し、その後に領有の宣言を出しました。つまり、この時点で南時苗共和国は消滅しているということです。そして我が国の軍が南時苗に入って大華軍を全滅させたのはこの後ですから、我が軍が行ったのは南時苗の『防衛』ではなく『奪還』になります。再度念押ししておきますが、大華国が南時苗を占領した時、我々はこれに一切手出しをしておりません。逆に言うと、手を出していないからこそ大華国は南時苗を占領できたのです。これについては我が軍があっさりと南時苗を奪還できたことから見ても明らか。つまり大華国が南時苗を占領できたこと自体が、我々が『防衛』を行っていないという間接的な証拠なのです』


 「そ、それはっ……」


 「確かに!」


 記者たちからも納得の声が上がる。


 『そもそも南時苗共和国の存在する時苗南部は我が国固有の領土であり、条約によって南時苗共和国に無償貸与していた状態にすぎません。南時苗共和国が消滅した以上、その主権が我が国に帰するべきなのは誰の目にも明らかです。である以上、我が国の領土に勝手に土足で踏み入って好き放題に暴れまわってくれたばかりか、勝手にそこを自分の国の領土だと主張しているような無頼の輩を武力によって強制的に排除するのは当然のことであり、それについて他の誰からも文句を言われる筋合いはありません。そうですよね?』


 「はい。帝国の主張は理にかなっていると思います」


 『我が国の主張が正しいとご理解いただいたところで、もう一つはっきりとさせておかなければならないことがあります』


 「それは何でしょうか?」


 『大華軍が民間人に対して行った非人道的行為についてです。ではこちらの動画をごらんください』


 虎徹子がそう言った後スクリーンに映し出されたのは、無残に荒らされまくった南時苗の街並みと、うずたかく積み上げられた民間人の遺体の映像であった。


 『みなさんにご覧いただいているのは、南時苗奪還のために我が国の能力者たちが現地に入った時の第一陣が撮影していた映像です。この動画は我が国の陣営である北時苗から南時苗に侵入している時点からずっと記録してありますので、この動画に映されている非人道的行為が間違いなく大華軍の仕業であるという証明になります。ちなみに作戦の開始時間は動画の中の時計にも示されている通り、昨日の午前11時ジャストです。なお、この時間は大華国のスポークスマンが声明で我が国の能力者部隊から攻撃を受けたと主張している時間と完全に一致していることを念のために言い添えておきます』


 虎徹子が説明している間に、映像は、大華軍兵士が南時苗の住人たちを暴行している最中に帝国軍が踏み入った映像に切り替わる。


 『ごらんの通り、現行犯ですね。幸い暴行を受けていた人は命をとりとめることができましたが、それ以前に暴力を振るわれていた彼の妻や息子は既に暴行を受けた上で殺害されていました。被害者の方々におきましてはこの場を借りてお悔やみを申し上げさせていただきます』


 現地で行われていたことのあまりの凄惨さに、会場中の記者たちは思わず息をのんでしまう。


 『この映像に映し出されているような状況は、現地のあちらこちらで確認されました。明らかに組織的で、決して一部の跳ねっ返りの兵士たちの突発的な犯行というわけではありません。そして、ここでもう一つ確認しておかなければならないことがあります。それは、南時苗共和国は我々と交わした条約で一切の武力の保有を放棄しているという事実です』


 言外に虎徹子の言いたいことに気が付いて、記者たちがハッと表情を変えた。

 同じく画面越しに彼女の話を聞いていた大華国の首脳陣は、顔を青ざめさせながら頭を抱えた。


 『南時苗共和国には軍人は一人もおりません。つまり、この動画に映っている死体は一人残らず民間人であるということです』

 

 「まずい、まずい、まずい、まずいぞっ!」

 

 幹部の一人が叫ぶ。

 帝国が示しているのは、大華軍による民間人虐殺の明確な証拠だった。

 この状況下では、こちらがいくら言い訳を重ねたとしても白々しく聞こえてしまうだろう。

 ここから逆転するのは非常に困難であり、ここに至っては、もはや国際社会からの非難が自分たちに集まるのは避けて通れない。


 いっそのこと開き直るという手もなくはないのだが、そうなれば間違いなく帝国から苛烈な報復が飛んでくる。

 以前の大敗に加えて今回喫した敗戦で大華軍、特に海軍の戦力は大幅に減ってしまっている状態で、とてもではないが帝国ともう一戦交える余裕など今の大華国には残っていないのだ。


 『さて、ここで思い出していただきたいのが、大華国が我が国に向けて発した声明です。彼らは最後に何と言っていましたか? そう、「大華国が被った被害に対する謝罪と賠償をここに要求する」と言ったんですよ。白々しくも何の罪もない我が国にそれだけの要求をしたのですから、彼らの罪状が詳らかになった今、大華国首脳は自らが何をするべきなのか、何をしなければならないのかを十分に理解されていることと思います。もし理解されていないということであれば、もちろん強制的に理解していただくことになりますけれど、これは個人の意見となりますが、多分大丈夫なのではないかなと私は思っています』


 そう結ぶと、虎徹子はカメラに向かって うふふ と微笑んでみせた。しかし、やわらかい表情とは裏腹にその濁った目は決して笑ってはいなかった。

 その静かな迫力に、会見を見ていた世界中の人々が同時に震え上がった。

 そしてそれは、大華国の首脳たちも同様だった。


 こうして帝国の会見は大成功を収めて無事終了したのだが、なぜか帝国のヤバさだけが際立つ結果になってしまったのはご愛敬である。


 後日大華国は正式に帝国への謝罪を行い、巨額の賠償金の支払いに応じた。

 大華国は以前にも日本海で帝国に大敗を喫しており、その時の賠償金の支払いがまだ残っている状態で、そこに新たな賠償金が上乗せされることになってしまった。

 あまりにも巨額になったため、港香の割譲で割引できないかと大華政府から打診があったのだが、帝国政府から返した「いりません」の一言でその目論見は暗礁に乗り上げた。


 ちなみに、渦中であった南時苗共和国は、帝国の許可の元で無事に再建国された。

 新たに条約を結びなおすにあたって、帝国は以前と全く同じ条項を提示したのだが、さすがに痛い目を見たからか、共和国側から五条の条文を破棄して欲しい旨の要請があり、帝国もそれに応じることとなった。

 この条約が締結されたことで南時苗の主権は再び帝国の手から離れることになったのだが、共和国が再建されると同時に、侵略を受けている時には雲隠れしていた例の知事一派と総書記一派がどこからか表に出てきて、骨肉の主導権争いを再燃させた。

 帝国としては、自分たちに迷惑がかからないのであれば好きにやってくれというのが正直な気持ちであった。


 ちなみに、そのあとも共和国には様々な困難が待ち受けていた。

 しかし、世界にも数少ない共産主義者・社会主義者の楽園として、時には協力し合い、時にはぶつかり合ってと紆余曲折を繰り返しながらも懸命に国を立て直し、現在も細々とではあるが頑張って存続している。

 

 なお、大華国はこの時の敗戦で帝国が抱える能力者の実力とその有用性を学び、何としてでも自国にその戦力を取り込もうと密かに画策するようになった。

 そして、不完全なものではあったが、合州国の親華派議員を通じて最重要機密を盗み出すことに成功する。能力者の力の源である守護神の存在する世界と地球を繋ぐ術式のデータである。


 この分野で先行している帝国や合州国の能力者たちを数で圧倒するため、一千万人を能力者にするという壮大なプロジェクトを掲げると、実際に一億人(能力者になれる確率は十分の一程度なため)を一か所に集めて、その術式を発動させた。


 結果はご存じの通り大失敗で、それどころか不完全な術式で強引に儀式を強行した結果、時空を大いに歪め、本来は守護神たちのいる世界に繋げなければならないところを、誤って湊たちが今いるこちらの世界と繋げる結果になってしまった。

 そればかりか、一億人の命という莫大なエネルギーを消費して生成された巨大時空裂は、時空を挟んで地球とこちらの世界両方をガッチリと固定してしまい、その不安定な状態で固定されてしまった二つの世界は、このまま放っておくと空間の持つ反作用によってじわじわと重なり合って、相互の持つ巨大な質量によって共に崩壊してしまうという世界滅亡の危機を誘発してしまった。


 その危機を解決するために湊たちがこちらの世界に渡ってこざるを得なくなってしまったのだが、まさかこちらの世界で日本や帝国で伝説として語り継がれている悲運の名将の子孫と出会うことになるとは思いもしなかった。

 そもそも、雪乃姫たちがアンリエストへ向けて旅立たなかったなら、そして無事にたどり着いていなかったなら、湊たちは地球出身者の義務として大雅国本国と周辺国に展開している大雅軍を淡々と叩き潰し解放して回るだけで、目的が済んだら後は現地の人々に任せて即アンリエストへ帰還していたかもしれない。

 その場合、奥羽国と特に接触を持つこともなく、ニアミスしていた源義経の子孫の存在にも気が付かないままだった可能性もある。

 全ては、海を渡り大陸を渡った雪乃姫とその一行の決死の覚悟が引き寄せた奇跡のたまものであった。

 

 「して、湊殿、一応我らにも腹案はあるのだが、その前に貴殿たちはいかにして義憲が守りを固める藤宮領を攻略するつもりでいるのか、伺わせていただいてもよろしいだろうか?」


 「もちろんです」


 こうして湊と義國たち奥羽国の重鎮との軍議は夜が更けるまで延々と続けられた。


 

 ◆◆◆


 オリジナル設定として本話に出てくる時苗本島は、作中にも記載があります通り沖縄本島と宮古島の間にある島で、面積は湾台本島(35,801平方キロメートル)の約半分ほどの16,933平方キロメートル。沖縄本島(約1,208平方キロメートル)の約14倍の大きさがあります。九州が台湾本島よりもわずかに大きい程度ですから、九州の半分と考えていただいても良いかと思います。割と大きいですね。

 そのため、本作には沖縄県という呼称は存在せず、最も大きい時苗本島を中心として時苗県を形成し、沖縄本島や尖閣諸島を全て内包しています。

 

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