第三章 奥羽軍の戦い
更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
その分ボリュームはあると思います。
あと今回作中に過激な描写があります。苦手な方はご注意くださいませ。
◆◆◆
奥羽国 平泉付近 山中――源義國
「ああ、義國様っ、城が、我らの城が……」
「あの美しかった平泉城が、なんということだ……」
「くそっ、大雅の奴らめっ」
ガクリと大地に両膝を付き、歯を食いしばりながらむせび泣いている家臣たち。
平泉の城が、燃えていた。
遥か遠く離れた山の上からでもはっきりと見える、燃え盛る炎で朱く染め上がった奥羽国の象徴たる平泉城の天守閣。
「……………………くっ」
義國もまた涙で視線を滲ませ、ギリリと奥歯を噛みしめながらただじっと焼け落ちていく己が居城を眺めていた。
義國たち源家ゆかりの者にとって、あの城はただの城ではない。
遥か昔、次元の裂け目の向こう側にあるという世界より政争に敗れて逃げるようにこちらに渡ってきたという初代様――源義経王一行が、同じく大陸の亜人狩りから逃れてきたという玉藻様たち亜人と共に手を携えようやく得ることが出来た安住の地の象徴であり、この世界に縁を持たない源一族及び家臣たちにとっての精神の拠り所でもあった。
よそ者である自分たちを温かく仲間として迎えてくれた亜人たち。
その恩に報いるため、義経は大陸より攻めて来る亜人排斥軍の前に自ら先頭を切って立ちはだかった。
政治の闘争では頼朝に敗れた義経であったが、こと戦場での縦横無尽の戦いぶりは正に鬼才と呼ぶべきものであった。
己が配下と亜人たちを率いた義経は、王道・奇策あらゆる戦術を駆使して幾度にも渡り大陸の兵たちと激戦を繰り広げるもその全てに勝利し、敵を退け続けた。
この功績が認められ、やがて義経はこの世界にとっての外様であるにもかかわらず、元来の配下のみならず玉藻を始めとする亜人たちを含んだその総意を以てこの地を治める王に推挙されることになる。
こうして義経が王となりこの地に興したのがここ奥羽国であり、その首都として定められその居城が築かれたのが平泉なのである。
初代義経が築き、長きに渡ってこの奥羽の中心であったその平泉の城が今、白煙を上げて燃えている。
優先すべきは人の命。
たとえ歴史のある奥羽の民の心の拠り所である平泉城であっても例外ではない。
それがやむを得ぬ犠牲であるのだとは分かってはいる。しかし、行き場のない虚しさとやるせなさはどうしても止めることが出来ない。
「皆の者、すまぬ。全ては我がふがいないばかりに……」
「殿ぉっ!」
「殿!!」
「殿! そのようなことをおっしゃられますな。やむを得ぬことと皆分かっており申す」
「さよう! 城よりも街よりも民の命を優先する決断をした殿を責めるものなど、この国の人間には一人たりとておりませぬ」
「みな殿の優しさを理解しておりますれば」
「それに敵の空駆ける爆槍の前には下手に籠城などしても城もろとも爆散されるだけのこと。いまさら城に固執しても何の意味もございませぬ。なれば山や森に身を隠し、木々や地形にまぎれ臨機応変な奇襲戦に打って出んとする殿の選択は決して間違いではござらぬ」
「すまぬ……そう言ってもらえると少し救われる」
義國は、ともすれば零れ落ちそうになる涙をこらえるために強く瞳を閉じる。
(雪乃たちが旅立ってから早八か月、無事であったならそろそろあんりえすととやらへ辿り着いた頃だろうか?)
西方から帰還した商人たちは道々で商いをしながら片道一年以上かけて移動するという話だが、雪乃たちは商人たちのように道中無駄な寄り道をしない上に移動速度を向上させる天狗術が使える。
順調に旅が進んでいるならばそろそろ目的地についていてもおかしくない頃だ。
あくまでも順調に進んでいれば、ではあるが……。
残念ながら義國はそれが儚い希望に過ぎないことを知っている。
義憲、義竹親子――あの売国奴どもの卑劣な裏切りにより、雪乃たちの西方行きの情報が敵方である大雅国に筒抜けであったことが発覚したからだ。
ご丁寧にも大雅は妹たちの身柄に巨額の懸賞金を賭けてくれたらしく、どうやら有名無名の賞金稼ぎどもや、果ては東方最強とも名高いSランクパーティー『狂火の猟犬』までもがその賞金に食らいついたのだという。
大陸に放った草からその知らせを聞いてから、義國としては雪乃たちの安否について最悪の事態を想定せねばならなくなってしまった。
雪乃たちの息災を願う義國の気持ちに偽りはない。
しかし、どうしても彼女たちが東方世界随一ともいわれるその実力を持つとされる『狂火の猟犬』から逃れきるイメージが湧いてこないのだ。
これがただのSランクパーティーだったならば、奥羽最強の葉山黒鉄がいれば何とかしてくれると希望も持てよう。
しかし、『狂火の猟犬』は6名いるパーティーメンバー全員がSランク。
それでも鬼神の如き黒鉄の強さを思えば、体調が万全ならばあるいはとも思うが、彼女だって人間だ。賞金目当ての追手は『狂火の猟犬』だけではない上に強行軍の長旅の疲れも蓄積しているはず。
そんな状態で果たして東方最強のSランクパーティーから雪乃たちを守り切れるだろうか?
外れていて欲しいとは思いつつも、正直なところ、厳しい……というのが義國の見立てだ。
せめてSランク相当の実力を持つ片岡か伊勢が雪乃の元に残っていればとも思うのだが、雪乃が彼らをこちらへよこしてくれていなければ、周到に計画されていた義憲の謀反は間違いなく成功していた。
片岡と伊勢のいずれか1名だけではおそらく待ち構えていた義憲の手の者から逃げおおせることは出来なかったはずなので、二人揃っていなければ義憲の謀反の報は義國には伝わってこなかった。
この点に関して、雪乃は最善手を打ったと言える。
でなければ、こうして落ちた城を憂いている義國の首だって今頃は胴体とは繋がっていなかったはずなのだ。
――不甲斐ない。
己の現状を見やって改めて義國はそう思う。
◆◆◆
思えばこの戦い、最初からケチがついていたのだ。
大雅との戦端が開かれ、最初に敵軍が攻め寄せてきたのが奥羽国の中で海を挟んで最も大陸に近い領土である藤宮領であった。
しかし、ここの領主である源義憲・義竹親子が大雅国と共謀していたがためにあっさりと最初の上陸を許し、こちらが知らぬ間にこの地に海岸保を築かれてしまった。
初手で遅れを取ってしまったのは致命的であった。
その後は大陸の兵士と藤宮領の兵士たちを相手にしてひたすら都へ向かって退却戦を繰り広げてきたが、それもついには首都にまで到達してしまった。
とはいえ、義國たちとてただ敵の勢いに圧されじりじりと戦線を後退させていた訳ではない。
大雅兵たちの略奪に遭わぬよう、奪われた領域の住人達はあらかじめ財産などを持って未だ侵略を許していない地域へと逃がしてある。
特に食料に関しては収穫の近いもの済んでいるものに関しては米粒一つ、大根の葉一枚すら残さぬよう徹底させている。
略奪による現地補給だけは絶対に許さない心算だった。
大軍を動かす者はその兵全ての腹をきちんと満たしてやらなければならない。
せいぜい頑張って大陸から大軍を賄えるだけの補給をせっせと運び込むがよいのだ。
それに、戦線をずるずると後退させてきたとはいえ、防衛にあたったサムライたちとてむざむざやられてきたわけではない。
あらゆる戦術や地の利を生かして敵に与えた被害は、こちらの受けた被害の少なくとも3倍以上。
兵の数も武器の質も大きく劣っていて、である。
数字だけを見るならばこれは大善戦と言ってもいいだろう。
しかし、恐ろしきは武器の力と数の暴力。
実際に戦場で向き合ってみて分かったが、敵兵の大多数は生まれてこのかた戦闘の訓練など一度も行ってきていないようなズブの素人だった。
そのおかげか、敵兵もあまり武器の扱いに慣れてはおらず、性能の割には銃の命中精度がいまいちだったのは義國たちにとっては幸いであったが、それでも銃自身の優れた連射性能と大雅軍自体の数の力によって少しずつ、だが確実に奥羽軍はその数を損耗させられてしまっていた。
それでも義國たちは何とか都にだけは踏み込ませまいと必死に抵抗を続けていたのだが、ここで敵が決定的な一手を打ってきた。
突如として平泉近郊の海上に鉄製の巨大な艦が姿を見せたかと思うと、備え付けられていた大砲で海から直接都を砲撃してきたのだ。
これには驚いた。
正直なところ、本当にそんなことが可能なのか、何かの間違いではないのかと義國は何度も我が目を疑ってしまったくらいだ。
しかもその砲撃の精度たるや、信じ難いことに義國たちが鉄砲でより近い敵を狙い撃つよりも遥かに正確。
迎え撃つためにこちらが送り出した虎の子の大型船3隻も、敵艦を前に何も出来ぬままあっという間に全て撃沈されてしてしまった。
未知の技術で作られた鉄艦と商船を改造しただけの間に合わせの船、悔しいが両者の性能差は歴然としていた。
鉄艦から放たれる大砲と、それとはまた別の、義國たちがいまだ見たことも聞いたこともない炎を吐きながら空を飛び、命中すると爆発する謎の攻撃。
その両者の攻撃によって平泉の街はあっという間に炎に包まれてしまった。
このままだと海の上から狙い撃ちされるだけ。
そう悟った義國は、即座に首都を一時的に放棄することを決断した。
もちろんこれには配下や商人を始めとする都の住人達からも多数の反対の声が上がったが、義國は強硬に己の意見を押し通した。
義國だって己の決断に絶対の自信を持っていた訳ではない。
しかしこのまま何も決断できないまままごまごしていたら、助かる命も助からなってしまう。
決断を先延ばしにして時間だけ無駄に浪費し、結局何の行動も起こせないままただただあたふたと敵の攻撃の為すがままになる愚。
それだけは何としても避けなければならなかった。
まずは女子供を優先して逃がし、義國たちサムライはしんがりを務める。
一部の配下から町民はそのままにして戦闘員だけ逃がしたらどうかという意見も出されたが、義國はそれに対してだけは頷くことはできなかった。
大雅国と天竺国の戦闘の様子を伺わせている草の者たちから、大雅の支配下におかれた領土の民たちの扱いについて事前に聞いていたからである。
大雅の支配に下った者たちの運命――それは、悲惨の一言だ。
財産は全て奪われ、男は殺されるか過酷な労働奴隷として大陸に連れ去られて満足な食事も与えられず家畜のような扱いを受けながら苛烈なまでの強制労働を課され、女は慰み者になった上で大陸へ連れていかれてやはり奴隷となる。
そして、過酷なその運命は幼い子供であったとしても変わらない。
大雅の支配者たちにとっては、被支配下にある領土の民など家畜と何ら変わることはないのだ。
大雅の支配に少しでも抵抗しようとする者は、他の者への見せしめとしてそれはもう語るも恐ろしいような残虐な手段で殺される。
それどころか、奴らは少しでも気に入らないことがあると八つ当たりで人を殺す。
ちょっとしたきまぐれでも遊び半分に人を殺す。
まるで狩りでもするかのように。気に入らない玩具を壊すかのように。犠牲者の断末魔の声を音楽にするかのように。
やつらは笑って、心底楽しそうに人の命を奪う。
被支配者たちにとって大雅兵とは血も涙もない略奪者であり、破壊者であり、殺戮者であるのだ。
当然ながら、義國は奥羽国の王として民にそのような悲惨な目に遭わせることは出来ないし、させるつもりもない。
詳しい事情を知らない商人たちの中には敵に都を空け渡すことに不満を感じている者もいるようで「勝っても負けてもいいから早く戦争を終わらせて欲しい」などと嘯いている者もいるようだったが、義國たちが抵抗をやめること即ち奥羽国が大雅国に下るということであり、そうなれば財産どころか生殺与奪の権利全てを敵に奪われることになる。
結局困るのは彼ら自身なのだ。
だから誰から何と言われようが、どれほど無様であろうが義國たちは決して勝利することを諦めてはならないのだ。
では、具体的にはどうするのかということになるのだが、義國たちが立てた作戦はこうだ。
敵の砲撃の標的になりやすい城のような固定した拠点を作らず、山林の中などに密かに築いた複数の拠点を絶えず移動しながら奇襲夜襲あらゆる手段を持って襲撃を加えていく。
敵軍に痛打を加えたら深追いはせず相手が体勢を整える前に素早く引き上げる。
海を越えてきたため主力は徒歩である敵軍とは異なり、こちらには騎馬という移動手段の利がある。
山林に潜伏するにも森の中での行動に適性の高い亜人たちの存在はプラスに働く。
今までは自分たちの背後にある都市を守るため敵を正面から迎え撃たなければならなかったのだが、都の住人を避難させた今となっては都市を防衛することに固執する必要もない。
こちらにあって敵にない機動力を活かすこと、それこそが義國たちが見出した起死回生の一手であった。
実際、この作戦は効果があり、奥羽軍は今までの劣勢が嘘であったかのように大雅軍を蹂躙した。
当然ながら大雅軍もただ手をこまねいているだけではなく、不利な現状を打破せんと山林に隠れた奥羽軍の居場所をつきとめようと山狩りを始めるのだが、それこそ義國たちの思うつぼであった。
そびえたつ木々が障害物となるので山林での大軍の一斉運用は難しい。
そのため、大雅軍は奥羽軍が潜伏していると思しき山に小隊単位の部隊を広域に分散して送り込むことでその居場所を掴もうとした。
しかし、これは愚策であった。
個々の実力で劣る大雅軍が部隊を細かく分散させて山に分け入ってたその状況は、奥羽軍からみれば鴨がネギを背負ってきた絶好の標的であった。
大雅軍は大軍であるから怖いのであって、それを小分けにしてしまったら各個撃破の絶好の的でしかなかったからだ。
茂る木々などの障害物が多い山林ではただでさえ平地などに比べて銃器の射線が大きく制限されてしまう。
その上茂みの中や岩の陰、木の上など奇襲のために姿を隠すところはいくらでもあるのだ。
とはいえ、敵もただ黙って奥羽軍に蹂躙されているだけではなかった。
一度などは、襲撃の帰路で変な気配のようなものを感じて目を凝らして空を見上げてみたら、自分たちを監視しているかように今まで見たこともない真っ白い巨大な虫のような奇妙な物体が追尾してきていた。
試しに玉藻様の陰陽術で撃ち落して貰ったら、それはすべすべツヤツヤした奇妙な白い外殻と思しき物の内側から明らかに人の手によるものであろう絡繰りが露出している物体だった。
それがどういう仕組みでどんな働きをするものなのかはさっぱり分からなかったが、拠点に帰る自分たちをつけてきたのだからおそらくは奥羽軍の潜んでいる場所を割り出すための何かなのだろうと予想して、進路上にある拠点は即座に放棄し、物資は他の拠点へ移送して跡地に大規模陰陽術による罠を仕掛けて置いたら、案の定大雅軍がそれに引っかかって大被害を出してくれた。
以降、義國たちは空への警戒も絶やさないようにし、見つける度にその白い絡繰りを撃ち落していたらある時から敵がその絡繰りを送り出してくる回数が激減した。
効果がないとあきらめたのか、さもなくば数に限りがあるものだったのかもしれない。
いくら敵が優れた技術を持っていようが森の中は完全に亜人たちの領域である。
地の利は100%こちらのものだ。
種族特性そのものが森の生活に順応していることに加え、こちらは森に潜みながら自分たちを捜索している敵軍の好きな場所を好きなタイミングで攻撃すればいいのに対し、敵軍が奥羽軍を攻撃するためにはその都度麓から山登りをしなければならず、いざ自分たちと戦うとなった時には既に疲労のピークを迎えているという残念な状態だった。
ならばいちいち拠点に戻らず山で野宿すればいいではないかということになるのだが、そんなことをしようものなら夜目の効く亜人が多い奥羽軍の絶好なカモになってしまう。
したくとも出来ないのだ。
事実、山狩りを始めた当初は大雅軍も森の中で野営をしていたのだが、闇に紛れて近づき、敵の監視が届かない場所から陰陽師たちの範囲攻撃術式と鉄砲隊と弓術隊の一斉射撃をしかけて即座に撤退するという行為を何度も繰り返していたら、懲りたのかぱったりと敵が森で野営をしなくなってしまった。
こうして戦況は完全に奥羽軍有利で推移していくようになる。
そんな中、ついに義國たちは大雅軍に決定的な一撃を加えることに成功した。
標的は、兵ではない。
彼らの食糧だ。
義國たちは兵を半分に分け、片方を必死で山林を捜索している大雅軍を上手くあしらうために使い、本命であるもう半分には、大雅軍の捜索範囲を越えて大きく迂回しながら大雅軍の最後尾にある本陣を強襲させたのだ。
兵数の少ない奥羽軍がさらに兵力を分散させるなど普通に考えれば愚策中の愚策だ。
しかし、危険を冒したその先にこそ勝機が見えて来る。
まさか奥羽軍が直接本陣を狙ってくるような大胆な手に打って出て来るとは思っていなかった大雅軍首脳部は、その兵の大部分を奥羽軍の拠点を発見するために山に送り込んでいた。
もちろん本陣の防衛や補給物資を運び込んである天幕にもそれなりに兵は配置してはあったが、襲撃してきた奥羽軍に対してその数は決して十分なものとはいえなかった。
結果、いつものように山林で奥羽軍の奇襲を受けて痛打を被り、怒りに駆られて後を追うも今度は巧妙に仕組まれた罠にはまって大損害を被って、山の中をいいように引きずり回されたあげく、いたずらに兵を失っただけで何の成果も得られなかった捜索部隊が意気消沈しながら自陣に戻って目にしたのは、その中身のほとんどが持ち出されてすっからかんになった補給天幕と、無残にも血塗れになって地に伏した味方のショッキングな姿だった。
食料を奪った奥羽軍がゆうゆうとその場を立ち去った後、本陣につめていた者たちの中で指揮官を含めて誰一人として無事でいられた者は存在しなかった。
脅威度が高かったからか、魔術士たちだけは念入りに殺されていたが、それ以外の兵士たちに関しては、打ちどころ斬られどころが悪かったなどよほど運のない兵以外は無事命を取り留めることに成功した。
しかし、それが大雅軍にとって果たして本当に幸いであったかは疑問が残る。
奥羽軍は彼らを殺せなかったのではない。
あえて殺さなかったのだ。
本陣にいた兵たちはみな揃って両手を切り落とされていた。
切り落とされた手はというと、ご丁寧にも一か所に集めて念入りに燃やされていた。
これではもう治癒魔法を以てしてもどうすることも出来ない。
義国たちはただ両手を切り落としただけでなく、止血のために傷口を炎で炙って丁寧に塞いでおいてやった。
彼らを失血死させないためだ。
なんでそのような面倒くさい手当をしてまで彼らを殺さなかったのかというと、こと戦場において怪我人というものは味方の死人よりもやっかいな存在だからだ。
死人は物も食べないし薬や包帯などの医薬品も消費しない。
しかし、怪我人は違う。
生存しているだけで食料は消費するし、貴重な薬品も消費する。
両手を失っているのだから兵士として復帰することはできない。
魔術師だけは念入りに息の根を止めたのは、彼らには両腕を失っても戦闘能力が残されているからだった。
手がないということは、彼らが生きていくためには常に誰かの助けが必要になるということだ。
食事だって、着替えだって、排泄の後始末だって一人では出来ないのだ。
もちろん、ある程度その状態に慣れて努力を重ねればその限りではないのかもしれない。しかしそれは少なくとも両腕を失って間がない今ではなかった。
この場に見捨てて置いて行こうにも、両手以外は別に悪いわけではないのでその気になれば歩いて付いて来ることも出来る。
それに下手に彼らを見殺しにしようものなら兵たちの士気ががっくりと落ちてしまう。
それはそうだ。
楽しみだった略奪をしようにも手に入れた街や村は人も金目の物も影も形もなくすっからかん。
それなのに国のために戦ってみれば、怪我しただけで簡単に見捨てられる。
こんな状況で兵たちにやる気を出せというのは無理な話である。
しかし、兵全体を満足に食べさせるだけの兵糧がないこの状況であれば、指揮官によっては全体を生かすために兵士として役に立たない怪我人たちを切り捨てるという非情な決断をすることもあるだろう。
だが、此度の大雅軍の指揮官はその決断を下すことが出来なかった。
怪我人を切り離すことができない人情味あふれる人物だったからか?
否。
他ならぬ指揮官自身が両腕を切り落とされた被害者であったからだ。
大雅軍の指揮官はどちらかといえば平気で味方を切り捨てる非情な人間性であるらしいのだが、さすがに兵たちの手前、自分以外の怪我人は全員飢え死にさせろと言ってのけるほどの厚顔無恥ではなかったようだ。
おそらく理由はもう一つある。
今回の山狩り、大雅の高級将校のほとんどがそれに加わらずに本陣でふんぞり返っている状況だった。
そのため、遠征軍の役職の上にいればいるほど腕を切り落とされた者が多いという皮肉な結果になってしまった。
いくら遠征軍の最上位指揮官といえども、同じ怪我具合で他の上級将校を皆飢え死にさせておいて、自分だけがのうのうと美味いものを食べて生き残ってしまえば、後々組織内でまずい立場になるだろうことは容易に想像できる。
仮にも上級将校に任ぜられているということはエリートコースに乗っているということである。つまりその生まれもまた上流階級である可能性が高いということだ。
ここで大事なのは、本人の階級が自分より低いからといって、必ずしもその親兄弟の階級が自分よりも低いとは限らないということである。
敵と戦っての戦死ならばともかく、自分の家族が食事を与えられないことによって餓死させられたなどという情報が万が一にでも彼らに伝われば、後々恐ろしい報復が来るだろうことくらいは馬鹿でも分かる。
かといって部下に「両腕を落とされた一般兵には食い物を与えるな」などと命じようものなら「お前たち幹部はどうなんだ?」と聞き返されるのがオチであろう。
同じ兵士同志にだって家族もいれば友人もいる。
もしそんなことを実行しようものなら、同じ現場にいる兵士の遺族やその友人たちから「同じ状態の怪我人を見捨てた中で自分たちだけは飯を食ったのか?」と突き上げを食らうのは目に見えている。
階級による命令権でその場は抑えることができるかもしれない。
だが、負傷者たちを飢え死にさせた場合、遺族にとって直接彼らを殺したのは奥羽軍ではなく指揮官たち上級将校になるのだ。
中には逆恨みをして復讐のための襲撃をかけてくる者も出て来るかもしれない。
しかし、いざそうなったとしても、両腕がない上官たちでは満足に抵抗することさえままならないのである。
これでは遺族の怒りの矛先が自分一人か上級将校全員になるかの違いでしかない。
それだけではない。
この命令の一番の問題点は、「両腕を落とされた一般兵には食事を与えるな」と命令を与える側の上級将校はみな負傷のために満足に動けない状態で、その命令を実際に実行するものたちがみな五体満足な一般兵だということだ。
一般兵に生殺与奪の全てを握られている状態で、一般兵の生殺与奪を奪う行為の実行を命じる状況の怖さ。
特に指揮官ともなれば、看病されている場所も一人で占有する天幕となる。
つまり、命令をする側も受ける側も事実上の密室の中なのだ。
「足手まといになるから自分を含む全ての負傷者を殺すように命令を受けました。軍隊において上官の命令は絶対。自分は指揮官の命令を忠実に遂行しただけです。本当に良いのかと確認したら、両腕のないこんな不自由な姿で生きながらえても辛いだけ。今も両腕を失った傷口が痛くて痛くてたまらない。だからこれ以上苦しまないよう今すぐ殺してほしい。いや、これは上官としての最後の命令だ。すぐに実行せよ……と。私は嫌だったのですが、上官の命令は絶対ですので嫌々ながら実行しました」
自分たちが密室の中で殺された上で、後々本国にしれっとそう報告されたとしても、書面で命令書を出している訳でもなし、そもそも書面を書ける状況でもない以上、部屋の中にいた者数人だけが口裏を合わせてしまえば完全犯罪が成立してしまう。
かように、指揮官は慎重であればあるほど、臆病であればあるほど疑心暗鬼に陥り負傷者たちに対して非情な命令は容易に出せなくなる。
せいぜい敵軍には仲間内で疑いあって不和の和を広げていって欲しいものである。
ということで、ここで、義國たちはさらに大雅軍に対して罠を仕掛けた。
大雅軍の糧食を奪った際、全ての食糧を持ち出さず、大雅軍全体が半日かあともう少しくらい満たすことが出来る分の僅かな食糧をあえて残して帰ったのである。
現地で略奪して手に入れようとしても義國たちのしかけた事実上の焦土戦術によって奪える場所も相手もなく、奥羽国の領土で唯一敵に落ちている義憲の領地から新たに支援を受けようにも距離が離れすぎているので簡単に届くわけもなく、その上そもそも義憲の支配する藤宮領一領だけでは大陸から渡ってきた遠征軍全ての食糧全てを賄うことなど到底できはしない。
中央に対する納税を逃れるために田畑の量を過少申告していたとしても、まず無理だ。
糧食が全て奪われてしまえば上級将校も一般兵も揃って配給ゼロになるだけだが、この場合不満はあっても立場は平等だから仕方ないと納得することは出来ずとも理解することは出来る。
しかし食料が少し残っている中で上級将校はいつもと変わらぬ量を食べ、一般兵の分の量だけがガクッと減ったならば、腹を減らした彼らの怒りの矛先はその上に向くことになる。
自分たちが活動するための糧食はタダで手に入れ、更に欲張りすぎずあえて敵の中に少量の食糧を残すことで敵軍全体の不和を煽る。
義國の仕掛けた正に一石二鳥の作戦だった。
しかし、それだけではつまらないので、ここでついでに残した糧食の山にこっそりと無色無味無臭の毒液を振りかけておいた。
これで一石三鳥だ。
糧食の量に対し毒薬の量は十分ではない上に手早く上からぱっと振りかけただけだから、毒が仕込まれているのは糧食の山の表面近くにあるものだけだ。
当たるか当たらないかは完全に本人たちの運しだいとなる。
配分を欲張った分結果として上級将校からの犠牲者が割合的に多かったようだが、当選の確率を自ら高めてしまったのだから自らの強欲さをあの世で悔いてもらうしかないだろう。
◆◆◆
ここまであまりにも順調だった義國たちの機動戦であるが、追い詰められた敵将が何をとち狂ったのか、ここに来て義國たちが想像もしていなかったような突拍子もない行動を起こし始めてしまった。
大雅軍の司令官は、森の入り口付近に大軍を展開し、更にその前に攫ってきた奥羽人をずらっと数百人を一直線に並べたかと思うと、拡声魔法をつかって森に向かって声高らかにこう宣言した。
『卑劣なる奥羽軍よ、いいか、よく聞け! 今すぐ顔を揃えてここまで出てこい! でなくば今から一刻過ぎる度に一人お前たちの国の人間を殺していく。お前たちが姿を現すまでずっとだ!』
遠く離れた奥羽軍の拠点にまで響いてきたその声を聞いた時、義國は最初敵の指揮官が何を言っているのかちょっと分からなかった。
こちらを卑劣呼ばわりしておいて自分は堂々と人質を取るという支離滅裂な行動はさて置いたとして、問題は彼らが連れてきた奥羽人の出自である。
先ほどから何度も触れているように、義國たちは撤退戦を行いながら住人たちを安全な地域に避難させてきた。
であるから彼らは略奪で食料を手に入れることが出来なかったのだ。
では、かれらは一体どこからあれほどの奥羽人を連れてきたというのだろうか。
首を刎ねるために並べられた人の一定以上の割合に亜人がいることから奥羽の民であることは間違いない。
仮に撤退戦の際に何らかの理由で避難漏れが出たと考えても、並べられた人数はあまりに多すぎる。
先祖代々の土地からどうしても離れたくないと撤退を拒んで逃げた者がいるという報告は受けてはいるが、それを加味しても人数が不自然に多すぎるし、そもそも土地から離れたがらなかった者の多くは老人たちである。
しかし、今大雅軍が自軍の前にズラッと並べている者は明らかに若い者が多い。中には赤子を連れた母親や妊婦、幼子の姿まである。
では、彼らは一体どこから来た何者なのであろうか?
その答えは、意外な部下からもたらされた。
「あんれまぁ、あそこにいるのはおらの幼馴染の田吾作さでねぇか、田舎にいる筈のあいつがなんでまたこんなところにいるんだぁ? んでも敵に捕まっぢまって可哀想になぁ……」
並べさせられている人々の一人を指しながら見張りの男が呟いた。
どういうことかと思い詳しく聞いてみると、男の地元は藤宮領の小さな漁港で、幼馴染であるあの男は地元に残って漁師をしているはずなのだという。
「つまり、あの男は今や敵地である義憲の領地の者だということか?」
「んだ。殿様は義憲様だぁ」
それはつまり、大雅軍は義國たちへの人質として味方の領民を利用しているということである。
「なんとあつかましい作戦だ」
配下の者が憤るのも分かる。
敵将のやっていることは無茶苦茶だ。
そんな作戦を実行しようとする敵将も敵将だが、その無茶苦茶な作戦を是とし自領の領民の命を平気で差し出した義憲こそ意味が分からない。
同じ奥羽人であっても大雅軍に味方してこちらに攻め入ってきているのだから藤宮領の者は敵だ。それは間違いない。
しかし、それは本来領主の義憲が悪いのであって強制的に従わされる領民には何の罪もない話だ。
そもそもが兵士としてこちらを攻撃してきた者ならばともかく、あそこに並べられた者たちは戦闘員ではなくただ人質のために連れてこられたもの。
まして人質に中には女や幼子までいるのだ。
まともな神経を持ちあわせていれば、自分の国の者でなかったとしても何とかしてやりたいと思うのが人の道であろう。
「殿、あからさまな罠です。ここは我慢ですぞ」
「…………分かっている」
配下からの忠告に憮然として答える。
分かっている。一時の義侠心に駆られてこの場を飛び出したとしても万全の状態で待ち構えている敵の前からそれを奪還して逃げ切るのは不可能であるし、万が一自分たちがやられてしまえば、もう大雅国の暴虐から民を守れる者はいなくなってしまうのだ。
目の前の数百人の犠牲を惜しんで、数百万人の犠牲者を生んでは本末転倒である。
しかし、だからといって大雅陣で繰り広げられている殺戮劇に対し、許しがたいという殺意にも似た義侠心が湧きおこることは誰にも止めることは出来なかった。
「ほらほら、いいのか? お前たちが出てこないとどんどん人がしぬぞぉっ! ふははははははぁっ」
夫の前で妻が多数の男たちによって犯された上で首を刎ねられ、その一刻後に愛する妻の首を抱きながらまるで発狂したかのように泣き叫んでいる夫の首を刎ねる。
妊婦の腹から生きたまま腹を割いて胎児を取り出し息の根を止め、腹を割かれた母親は我が子を失った絶望感に苛まれたまま、そのまま放置されて苦しんだまま出血死で命を閉じた。
兄弟と思しき少年たちには、片方に重さ3.40キロほどもありそうな荷物を背負わせ、荷物を背負った少年が耐えきれず地面に膝を付いたらもう片方の弟と思われる少年の心臓を刺すなどという悪趣味極まりない遊びに興じ。
そして今、10歳にも満たないだろう少女が細長い材木の上に片足立ちで立たされていて、その首には即席に作られただろう絞首台からぶら下げられたロープがかけられている。
少女がバランスを崩したら足元の踏み台になっている材木が外れ、そのまま首を絞められたまま宙吊りになって絞首刑が実行されるという悪趣味な趣向だった。
「お……お姉ちゃん…………」」
「望っ、頑張るのよ! 一刻、一刻我慢すれば解放して貰えるから!! そう約束して貰えたんだから」
傍で姉と思われる少女が必死に叫んでいる。
だが、幼い少女にとてもそんなことが実行できるとは思えない。
ゲスい顔でニヤニヤしている指揮官の表情から考えても、少女が失敗するのを前提でゲームを進めているのは明らかだった。
「おらおらどうした? 時間はまだまだ残っているぞ。今からそんなふらついていて大丈夫なのかぁ? 奥羽軍に奪われた俺の両腕の傷がうずくんだ、もっと俺を楽しませて痛みを忘れさせてくれよぉ。早く終わっちまったらつまらねぇ。もっと頑張って俺たちを楽しませろよなぁっ」
なんというゲスなのか。
人としての性根から腐っているとしか思えない。
義國は怒りに身を震わせ固く拳を握りしめる。
敵将も許せないが、それ以上に自分のことが許せない。
この国を救うと大口を叩いておきながら、あの哀れな少女一人助けに行ってやることすら出来ないふがいない自分。
無力。あまりにも無力だった。
(すまぬ……)
自分の無力さがあまりにも悔しくて、悔しくて、目に浮かぶ涙で視界が歪む。
遠見の術で苦しんでいる少女たちの表情まではっきりと確認できるのが、なおさら辛かった。
(すまぬ……)
しかし、目を背けるわけにはいかない。
この少女たちの苦しみも、これまでに無残に殺されてきた民たちの無念も、この国の王たる義國が全て背負っていかねばならない。
(すまぬ……。この仇は必ず取るからな…………。必ずや大雅軍を蹴散らし、この国を奴らの手から守り切ってみせるから、ゆるしてくれ!)
「ふははははぁっ…………。この娘思ったより頑張るではないか。予想以上に楽しませてくれる…………とはいえもう時間の問題だろうがな」
大雅の指揮官の言う通り、幼いながらに少女は生きようと必死に頑張っていた。
しかしまだ開始から四半刻も過ぎていないにもかからず片足立ちになった右ひざは小刻みに震え、体がゆらゆらと左右に揺れる。こうして説明している次の瞬間にも力尽きて倒れてしまいそうだった。
「望、あきらめちゃ駄目よ! 頑張って! 頑張って!」
横で必死に姉が声をかけている。
「うっ……ううっ…………」
少女も何とかそれに応えようと懸命に歯を食いしばりながら耐えているが、誰がどう見てももう限界だった。
「はははっ、頑張ったがもう駄目そうだなぁ。さて、つぎは姉のお前だ。お前にはどんな処刑をしてやるとしようか…………そうだ、この剣で腹を一突きにしてやる。その傷と出血でも一刻後にまだ生きていられたなら見逃してやるぞ。どうだ? 嬉しかろう?」
「………………っ!」
少女の姉は何も言わず一瞬だけキッと指揮官を睨みつけたが、すぐに視線を戻して苦しみに耐えている妹を激励し始める。
悔しくて言い返したいこともあっただろうに、自分の処刑方法を直に突きつけられて怖かっただろうに、自分のことよりも妹のことを優先した。
なんと気丈な娘だろうか。
そしておそらくその幼い体の限界などとっくに過ぎているだろうに、姉の声に応えていまだ生還を諦めていない妹の生きざまも見事としか言いようがない。
どちらもこのまま成長していけばひとかどの人物になっていたかもしれない。
それだけに彼女たちを己の手で救い出してやれないことが無念でならなかった。
自分の死に様をつきつけられてもっと姉がうろたえることを期待していたのだろうが、姉妹たちは二人だけの世界に入ってしまい、その場を支配している筈の自分の存在が完全に無視される状態になってしまった。それまで上機嫌だった指揮官の男の表情が一変する。
「小娘、なぜもっと怖がらない? そうか、恐怖が足りないか? ならばもっと苦しませてやる。さんざん犯しつくした後、腹を引き裂いて生きたまま腸を引きずり出してやる。俺を無視したことを後悔しながら死んでいくがいい!」
指揮官の男がそう叫んだ直後、それまで懸命に耐えていた少女の右ひざが全ての力を失ってしまったかのようにガクリと沈み込み、大きく体がぐらついた。
「望っ! いやぁぁぁっ!」
姉の口から悲鳴があがる。
バランスを大きく崩したことでついに少女の足場になっていた材木が倒れ、幼子の身体は重力に引かれるままなすすべもなく地面に落下していく。
首に架けられた縄が締め付けられてそのまま絞首刑が完成する。
誰もがそう思った。
しかし、絞首台から吊り下げられた縄は不意に何者かに切断されて、少女の細首を締め上げるその本来の役目を果たすことはなかった。
一方で、絞首台から落下した少女の方はというと、地面に叩きつけられる前にいつの間にか現れた青年に抱きかかえられていた。
「もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
青年は優しく少女に声をかける。
しかし、突然の状況の変化に少女は上手く事態を飲み込めていないようで、不思議そうな瞳でぼーっと青年の顔を見つめている。
「もう、大丈夫だ。心配はいらない」
青年はもう一度少女に声をかけた。
少女の方もようやく彼が自分の命を救ってくれたということが理解できたのか、弱り切った表情ではあったが、ニコリと一つほほ笑んだ。
「望っ」
少女の姉が青年の元へ駆け寄る。
「大丈夫だ。力を使いつくしたことで脱力しているが、命に別状はない」
幼子の身柄を青年から引き渡されると、少女の姉は安堵したように妹の身体を抱きしめた。
「良かった。良かった。どなたか存じ上げませんが、ありがとうございます。踏み台が落ちた時にはもう駄目かと……」
瞳いっぱいに涙を浮かべて喜んでいる姉。
しかし一方で、自分が企画したイベントの最もいいところでいきなり邪魔が入って気持ちの治まらない男がいた。
「なんだ貴様は? その恰好、奥羽の者ではないな? 一体何者だ?」
その指揮官の男の疑問は、そのまま義國の疑問でもあった。
ただ一つ分かっていることは、彼が大雅軍と敵対する立場の者であるということだけだった。
「…………確かお前は『この剣で腹を一突きにしてやる。その傷と出血でも一刻後にまだ生きていられたなら見逃してやるぞ』……とか言っていたな? ならいい、まずお前が見本を見せてみろ」
「き、貴様、一体なに……を?」
指揮官の男がそう呟いた時には、既に彼の腹を貫通して背中から刀が生えていた。
「…………………っ!!」
様子を伺っていた奥羽軍の兵皆が思わず息を飲んだ。
遠く離れた場所から俯瞰的に状況を把握している義國たちでも何が起こったのか分からないほどの早業だったからだ。
百戦錬磨のサムライをして思わず全身に鳥肌が立ってしまう。それほどの恐るべき手練れだった。
「ぐっ……グハッ……い、いつの……間に…………」
がっくりと膝を付き、驚いたように己の傷口を見つめている男を尻目に、青年は指揮官の身体に刺さったままの刀を一気に引き抜くと、空を斬るようにして刀の血を振り払ういわゆる『血振り』を行い、そのまま腹に穴が開いた苦しみにうめいている指揮官の眼前に刀を突きつけた。
漆黒の刃から立ち昇る青白いオーラが遠く離れたここからでもはっきりと視認出来る。
あれは、奥羽で霊刀または妖刀と呼ばれているもの。大陸の呼び方では魔剣といったか。
それも、あれほどの逸品となると義國でも見たことがないレベル。
「さて大雅軍のみなさん、大勢で雁首揃えているところ申し訳ありませんが、急所は外してありますからあなた方の大切な指揮官が今すぐ死ぬということはありませんのでとりあえずは安心してください。でももしあなた方が少しでも不穏な動きをしようものなら指揮官の首は即座に飛びます。いいですね? ではまずここから二百メートルほど後ろへ下がってください」
落ち着いた声音で青年が要求する。
しかし、肝心の大雅兵たちはいまだ目の前の状況についていけていないのか、互いに顔を見合わせておろつくばかりで動きが極めて鈍かった。
「私は下がるように言いましたよ」
言うと同時に青年の持つ刀が振り降ろされる。
――――ザンッ
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ」
その場に指揮官の男の絶叫が響き渡る。
彼の足元にはついさきほどまで男の顔の横側についていた耳が転がっていた。
指揮官の耳を切り落としたその青年の動きに一切の躊躇が見られなかった。
彼はやると言ったらやる男なのだ。
その恐ろしさを一番肌身に感じていたのは、実際に斬りつけられた指揮官本人だった。
「おっ、お前ら、命令だ。この男の言う通り距離をとって下がれ! 早く!」
「ほら、司令官もこういっていることですし、早く下がってください。でないと次は鼻を削ぎ落しますよ」
薄ら寒い笑みを浮かべながら再度青年が要求すると、大雅兵たちはザッと潮が引くように一斉に距離をとって後退していった。
「ひ、人質を取るとは、卑怯だぞ!」
「自分たちは人質をとって散々外道な行為を行っておきながら、いざ自分たちが人質を取られたら相手を卑怯呼ばわりですか。冗談にしても笑えないですね」
苦し紛れに発せられた大雅兵の文句は、青年の冷笑によって一刀両断されてしまった。
「ではこちらの人質は解放させてもらいましょうか。さあ、人質の方々はこちらへ」
ずらっと一列に並べられていた処刑者たちは、青年に声をかけられるとハッとしたように希望の表情を浮かべ、いそいそと青年の後ろに移動していく。
「あなたたちはこれから森に入ってもらい一度奥羽軍に合流してもらいます」
「それはありがたいしええことなのじゃろうが、わしらではこの地に全く土地勘がないゆえ森に入ったところで迷っちまうだけでとても大殿様の軍に合流などできんと思うのじゃが……」
「心配には及びません。ちゃんと土地勘のある案内をつけますから」
そう言って彼が指し示したその先には、一人の女性の姿があった。
彼女を見て、思わず義國たちの目が見開かれる。
「…………あ、あれは…………黒鉄っ! では、あの青年は!」
遥か西の彼方にあるあんりえすとという強国へと向かったはずの彼女の姿があることで、事細かな事情などは一切分からないが、一人で大雅軍と対峙しているあの青年が自分たちの味方かもしくはそれに等しい存在であるだろうことを義國たちは推察しえた。
「雪乃たちは役目を果たし遂げたのか? では……では……」
そう呟いた義國は、頬にボロボロと熱い涙を零しながら、暖かく力強い風が西から吹いてくるのを感じていた。




