第二章 出陣準備
◆◆◆
アンリエスト上空 天下布武内執務室――四十無湊
日中に雪乃姫たちとの対談を済ませた湊は、自分が不在の間に国として進めておくべき作業を纏めていた。
一国の王ともなれば自分の国の状況を放ったまま「さあ出陣」とはいかないからだ。
「さて、奥羽国へ出陣するのはいいとして、問題は誰を守備要因としてここに残していくのかということになるのだが……」
悩まし気に湊は一人ごちる。
なにしろ大雅国を名乗って東方から征服戦争を拡大させている勢力は地球からの逃亡者である大華国の残党。
彼らを打倒しこの世界から駆逐することは、地球からやってきた湊とその配下たちにとっては何を差し置いてでも果たさなければならない使命でもあるのだ。
配下たちに大雅討伐戦への参加希望を募れば全員が我先に手を上げるのは目に見えている。
だからといって、希望者全員で奥羽に乗り込んで行くというわけにもいかないのがつらいところである。
確率は低いだろうが、湊たちが奥羽国と大雅国との戦闘に介入している間に無防備のアンリエストがナトーヤ教関係勢力から攻撃を受けるという可能性も考えられるからだ。
先の戦争で大きなダメージを与えているとはいえ、ヘムガール帝国にはまだ十分な兵力が残されているし、一部欠員が出来たもののまだまだあなどれない戦力を有しているナトーヤの使徒たちの存在もある。
ヘムガール帝国とトンガール王国については先の講和条件としての戦争権の放棄が謳われているが、ナトーヤ使徒からの攻撃に限ってしまえば、かなりのグレー判定ではあるものの両国とナトーヤ教会は別物だと言い張ることも出来なくもない。
だからこそ特に使徒たちの動向については警戒を欠かすわけにはいかないのだ。
戦争で兵力として送り込まれてくる兵士たちと違い単体で大きな力を持つ能力者である彼らは、その気になりさえすればいつでも単騎でやってきて好き勝手に暴れ回った上でゆうゆうと逃げ帰っていくことが可能になる。
もちろん来たら来たでその都度叩き潰していけばよいだけの話なのだが、主力が揃って奥羽の救援に向かっている隙を見て攻め込まれてしまうようなことになるとこちらにとってはいささか都合が悪い。
当然、使徒が攻めてきたとしても対応できるだけの十分な戦力を残していく必要がある。
居残り組に関しては完全に貧乏くじになってはしまうが、ここは内心どれほど不満に感じたとしても我慢して飲んでもらうしかないだろう。
となると、まず決定しなければならないのは、居残り組の戦力の核となる存在だ。
ナトーヤ教会の保有する戦力。特に上位の使徒たちへの対応。
仮に使徒の№1であろうが№2であろうが問題なく対処できる戦力を確保しなければならない。
先の戦争でその役を担ったのがルシル・テンペストだった。
カタリナ、セリネ、ノワール、ロジエたちも使徒への対応に当たっていたしそれぞれ戦果も上げてはいるが、それでも湊たちが安心してアンリエストを空けることが出来たのは切り札としてルシルがここに残ってくれていたという事実によるところが大きい。
カタリナたちには前回に引き続いて使徒への対応に残ってもらうのはいいとしても、ルシルに関しては前回の戦争で本人が嫌がっているところ無理を言って残ってもらったという事実がある以上、今回首を縦には振ってくれることは百パーセントない。
しかし、彼女の代わりが出来る者となると極端に候補が限られてくる。
一応同じ神人であるウルミラには残ってもらうつもりではいるが、彼女でもルシルの穴を完全に埋めるのは難しいだろう。
ウルミラならば敵が一桁使徒であろうと易々と遅れを取ることはないだろうが、上位使徒に複数で当たられたらさすがに苦戦は免れない。
つまり、居残り戦力に余裕を持たせるためには、最低でもウルミラと同等かそれ以上の戦力が最低もう一人以上は必要になってくるということだ。
使徒への対応としてかつては同じく使徒であったリスティリカ・クルネシオンを充てるという手もあるのだが、ナトーヤの使徒を抜けたばかりという微妙な立場にいる彼女ではどれだけ湊からの信頼を得ていようが、他の仲間たちから不安や不満が出てくるのはどうしても避けることができない。
単体戦力ということに関しては館林五十鈴も十分に候補に挙がってくるのだが、彼女の斥候能力は大雅との戦いでどうしても必要になってくるし、なにより湊の護衛を自認する彼女が湊と大きく離れて活動すること自体を良しとはしてくれないだろう。
単純に戦力だけで考えれば神竜族であるシクロネージュならば申し分ないのだが、そもそも彼女たちは神竜族としてヒト種との戦いには関わらないと公言しているので頼むのは少々憚られてしまう。
その一方で、彼女はお気に入りである『燈火《戦闘機》』のパイロットとしては戦闘に参加したがっているという矛盾した存在でもある。
いずれにせよ彼女自身が心の中でどのように折り合いをつけたところで『アンリエストに残って使徒戦に関しては静観』か『奥羽国へ向かって戦闘機を駆る』かの二択しかないのでアンリエストに残す戦力として考えるのであればどちらを選ぼうが結果としては変わらない。
ちなみに、選択肢という意味では一応『戦闘機に乗ってアンリエストで使徒と戦う』という第三の選択もないではないのだが、『燈火』に乗ったまま使徒とドンパチされた日にはアンリエストにどれだけの被害が出るか分かったものではないので、最初の時点で強制的に選択肢からは除外させて貰っている。
これら様々な理由から鑑みると、湊のいない留守を頼めるのは消去法でたった一人しか候補が残っていない状況だった。
「アリアレイン……」
『なんじゃ!』
右目に魔力を込めながら名前を呼ぶと、オレンジ色の髪をした少女が不機嫌そうな表情で姿を現した。
黄金竜の化身である彼女にアンリエストを任せることができたならば、防衛上の戦力としては申し分ないどころかむしろおつりが出る。
問題は、人嫌いの彼女にこのアンリエストを外敵勢力から防衛してもらうことに対していかに納得してもらうかということだ。
アリアレインが対使徒としての戦力として問題ないのは今更確認する必要もあるまい。
そもそも使徒程度で彼女をどうこう出来るのであれば、アンリエストはとっくにナトーヤの使徒によって解放されてヘムガール領もしくはトンガール領にでもなっていなければおかしいからだ。
アンリエストという極上の財宝を目の前にぶら下げられたまま数百年間も我慢し続けられるほどナトーヤ教会は無欲な組織ではない。
実際、ナトーヤ教会は幾度も黄金竜排除に動いた記録があり、その度に使徒たちが返り討ちに遭ってきたという過去がある。
この事実が示す通り、アリアレインにかかれば使徒が何人かかってこようが関係ない。
最強の神竜という称号は伊達ではないのだ。
更に付け加えるならば、今の彼女は湊との和解によってかけられていた回復阻害術式が解かれたことにより、かつて湊との死闘によって失ったはずの尻尾が復活した100%完全な状態。
つまり防衛戦力として考えるのならばこれ以上ない存在なのである。
「実は君に折り入って頼みがあるんだが……」
湊は事情を詳しく説明しながら彼女に留守役を引き受けてもらえないかと駄目元で提案してみた。
「豪華な三食におやつと昼寝付き。事が起こるまでは城の貴賓室でゆっくりしてもらっても構わない。もちろんその費用は全てこちら持ちだ」
『湊、我とそなたは確かに盟約を結んだ間柄じゃ。留守中の待遇にも不満はない。しかし、なにゆえに我がそなたの一方的な頼みを聞き届けねばならぬ?』
それに対して返ってきた返答は予想通りの否定的なものだった。
しかし、そんな彼女の反応も湊からすれば想定の範囲内。
湊は不満気そうに口をへの字に結んでいるアリアレインに正面から向き直ると、すぐさま説得に入る。
「ナトーヤ勢力の強欲さから考えて宝の山ともいえるアンリエストをこのまま見過ごすとは到底思えない。先の敗戦に懲りることなくこの先必ずアンリエストに対して侵攻してくることだろう。ただ、先の戦争が終わってから間がないということもあり今すぐ奴らが侵攻計画を企てる確率は正直なところそれほど高くはない。俺たちがアンリエストを留守にして奥羽国へと向かうという動きを事前に掴んでいればその限りではないだろう。だが、残念ながら自分たちの動きを易々と掴ませるほど俺たちは無能ではないし、奴らがようやくその事実を掴んだ頃にはおそらく東方世界の混乱は終息しているはずだ」
『ならば別に我が守りに入らずとも良いではないか』
「そこはどれほど低い確率であろうが確率がゼロでない以上は最悪の状況に備えておくというのが国を預かる者の責務というやつだろう?」
『そなた言いたいことは分かる。言っていることが正しいともな。しかし、その守りの要とやらが我である必要はないだろうと聞いているのだ』
そう、彼女の言い分は正しい――。
だからこそ、こちらからもそれなりの餌と譲歩が必要になってくる。
「アンリエストに被害を出しさえしなければ相手が何者であろうが問答無用で皆殺しにしてもらって構わない」
『…………むっ?』
「先の戦争が終結してからまだ三年も経っていない。にもかかわらずこのアンリエストの地へと侵攻してくるというのであれば、それは先の戦争の大敗から何も学んでいないのと同じということだ。前回の惨状でも生ぬるかったというのであれば、今度は一切の容赦を与える必要もないだろう。仮にその敵の中にナトーヤの使徒が混じっているということであれば、それは君の母親の仇の愛弟子ということになる。使徒が参加したその企みがあっさりと潰されたということであれば、神を自称するナトーヤの代理人はその数を減らし、君の憎むナトーヤ教会の権威はさらに落ちることになる。ある程度は君の溜飲を満たすことが出来るのではないだろうか?」
『なるほど、一理ある……か。来ぬなら来ぬで極上の待遇でそなたの帰還をゆるりと待てばよいことであるし、来たら来たで憎っくきナトーヤの使徒どもをくびり殺す正当な理由があるということじゃな。なるほど。うむ、そなたの提案、悪くないな』
「では俺が留守にしている間のアンリエストの防衛、引き受けて貰えるということでいいだろうか?」
『うむ。しかと承った』
「では、よろしく頼む」
予想以上にあっさりと済んだが、これで留守中の安全については一段落ついたと考えていい。
正直なところ、湊の見立てではトンガール王国は言うに及ばず今のヘムガール帝国にもアンリエストに対して侵攻を企てる余裕はない。
肝心のナトーヤ教会についてだが、先の戦争で無敵のはずだった使徒を複数名同時に失い、第十三使徒であったリスティリカ・クルネシオンの離脱が続いたことに加えて、不確定情報ではあるが上位使徒たちの中でも序列に変化が出たらしい。
そこへ更に追い打ちとして実は彼らがあがめるナトーヤ神が本物の神などではなく単なる祝福者に過ぎず、現世で苦しむほど来世で格が高くなるというナトーヤの教義も真っ赤な嘘であり、その証拠を直に突き付けられて十三使徒リスティリカは使徒及び信徒であることをやめたという話が急速に信者たちの間に広まっていて、教会は内部的に浮足立って混乱の真っ最中だという情報が入って来ている。
もちろん信者たちにナトーヤ教の真実の情報をばらまいたのは湊の意を受けたアンリエストの工作員の仕業だ。
勝利間違いなしと疑わなかったトンガール王国のアンリエスト侵攻の大敗北及び逆侵攻でのトンガール王国完全占領。
地域覇権国家ヘムガール帝国の20万を超える大軍でのクレッサール侵攻が事実上の全滅で失敗したというショッキングなニュース。
更に無敵の存在であると信じていた使徒たちの敗北と、信徒たちから最も親しまれていた第十三使徒リスティリカの離脱。
積み上げられた数々の失点と神の加護への疑念、そして絶妙なタイミングで流れてきた信憑性のある黒い噂。
信徒たちにナトーヤ教の教義に対する疑念を植え込むには十分だった。
今頃トンガール王家、ヘムガール王家、ナトーヤ教団関係者は流れた噂を否定するのにてんてこ舞であろう。
◆
てんやわんや今のナトーヤ教会であるが、今の西方諸国の中にそれに劣らないほど混乱している国がある。
ダルムス大公国だ。
あそこは少し前のクレッサール王国と同じで、王宮の中で親王派と親トンガール派とで真っ二つに分かれて勢力争いを繰り広げている真っ最中だ。
日によって互いの陣営の死体が堀に浮かぶというなんとも物騒な状況に陥っている。
トンガール派の中心にいるのはトンガール王国から先代のダルムス大公へ正妻として嫁いだアーリア前大公妃で、現大公のロムスはアーリアが正妻になったことで側妃に降格させられたセシリナ妃の息子で、元より両者の折り合いは良くなかったという経緯がある。
先代のダルムス大公が亡くなりロムスが即位しているにもかかわらず相変わらずアーリア前大公妃は王宮で強い発言力を持ち、親トンガール派を形成して事実上のダルムス大公国乗っ取りを企てている。
事実、アンリエストとの戦いで国庫が空になったトンガール王宮を支援するためにダルムス王国から多額の資金が流出している形跡もある。
相変わらずトンガール貴族に贅沢品が高く売れると片瀬川浩一と里見聡志の両名がその資金を搾り取るため薄ら黒い笑みを浮かべながら部下を派遣していたので、資金元のダルムス王宮のトンガール派の故郷を想う涙ぐましいまでの無駄な努力には正直哀れみが禁じ得ない。
トンガール王国の王族や貴族たち、あるいは一部の町や村の有力者の中には『冬を越すぎりぎりの量しかないから絶対に手を出さない』と約束していたにもかかわらず、アンリエストからトンガール領民への最後の情けともいえる食料援助に対して、その一部もしくはほぼ全てを弱者たちから上納させた者がいたらしい。
当たり前だが、強欲な有力者たちに食料を奪われた者たちのほとんどがあの国の厳しい冬を越すことが出来ずに餓死していった。
みんなで分け合えば全員が生き残れるだけの食糧が存在したのにも関わらず、蓋を開けてみればこのざまである。
というか、隣の国の王がそんなことをしてやる義務もないのに領民たちのことを心配して残してあげた食料を、その国の支配者層が自分たちの贅沢のために奪い取っていくなどと普通ならば考えられるだろうか?
当たり前の話だが、度を越えた飢餓に耐えかねた民衆によってトンガール王国のあちこちで反乱の狼煙があがった。
日本の中世で例えるならいわゆる一揆と呼ばれるものである。
それに対して支配者層が選んだ手段は対話や食料の配布ではなく、力による鎮圧。
湊たちはトンガールを引き上げる際に目ぼしい武器を全て持ち去ってしまっていたので、反乱軍も鎮圧する側の軍人たちも共に棒切れを持って戦うか投石をするかという極めて原始的な泥沼の戦いが繰り広げられた。
結果、戦いの趨勢は反乱軍の方に大きく傾いた。
そもそも武器の性能が同じであるならば、人数の多い反乱軍優位に戦況が傾くのは当然の成り行きである。
勝とうが負けようが相手から食料を奪えなければどのみち飢えて死ぬのだ。鎮圧軍の兵士たちとはそもそもの必死さからして違う。
反乱軍の勢いはみるみる膨れ上がり、幾つかの貴族家を踏み潰してついには地方の有力都市を占拠するまでに至った。
しかし、反乱軍の躍進もそこまでだった。
トンガール王家からの要請でナトーヤの使徒たちが暴徒の鎮圧に乗り出したからだ。
結論から言うと、反乱軍は使徒たちによってあっという間に鎮圧された。
使徒たちはナトーヤから与えられたというその超常的な力を使って無力な市民相手に虐殺の限りを尽くし、一片の情けも容赦もなく反乱軍を殲滅していった。
彼らが介入した後、見事といっていいくらいに反乱は静まった。
しかし、使徒たちが引き上げていったその後に残されたのは廃墟になった都市と、反乱に参加したしないを問わず積み上げられた数万に渡る無残な骸の山であった。
使徒たちに追い詰められた反乱軍はその追撃をかわすため、反乱に参加していない一般人に紛れてやり過ごそうと試みた。
それに対して使徒がとった対応策はその斜め上。
『実際に反乱に参加していようがいまいが構わずその場にいるものを殲滅する』というあまりにも乱暴で大雑把な手段であった。
使徒の介入により反乱は静まったが、その後に残されたのは都市だったころの面影もない完全な焼け野原だったというどうにも救われないオチだ。
それにもかかわらず、トンガール王族は使徒による反乱鎮圧の報をパーティーの席で喜びながら聞いたという。
あまりの愚かさに驚愕してしまうが、ある意味納得もできてしまう。
彼ら王族が見ているのは生み出された生産品そのもので、それを生み出した生産者たちのことではないからだ。
あの馬鹿王&王子にまともな政策は無理だったと諦めるしかないのだろうが、それに付き合わされる国民こそ迷惑であったろう。
というか、あの馬鹿王子は餓死寸前というあれだけ飢えの苦しみを自身の身体で味わっておきながら、同じかそれ以上の苦しみを味わう弱者たちの気持ちに寄り添ってやろうかという思いやりは持てなかったのであろうか?
たとえ一時の贅沢を満喫したとて、支配するべき領民たちが激減した抜け殻の領地でこの先彼らは誰に対して威張り散らしていくつもりなのだろうか?
講和条約に基づき王族を解放した際に『民から絶対に食料を奪うなよ』とあれほど湊が念を入れて注意しておいたのにも関わらず、あの始末である。
それとも彼らには忠告をしていた湊が冷たい川を目の前にして『押すなよ』『押すなよ』と連呼しているリアクション芸人にでも見えていたのであろうか?
忠告をした際に既に見えていた未来ではあるが、目先の利益だけに囚われるなど支配者としてあまりに短絡的すぎる。
いずれにせよそれが彼ら自身の選んだ道なのだ。この先国家の運営に行き詰って周辺国に泣きついてこようがもはや湊の知ったことではない。
隣国の王である今の湊に出来ることはより一層トンガール王国との境の警備を厳しくすることと、先の戦争の賠償金代わりにトンガール王国から割譲させた資源採掘権益の徹底管理だけであろう。
このように、もし次にこの西方世界で火の手が上がるようなことがあるとすれば、それはアンリエストではなくトンガールかダルムスからの確率が極めて高い。
自業自得のトンガールはともかく、ダルムスのロスク公王に関しては全く知らぬ仲というわけでもないし、半ばトンガールの被害者であるのでもっと頑張ってほしいところではある。
公王自身も何とか事態を治めようと奮闘しているようだが、上がってきている報告ではかなり形勢が不利な状態であるようだ。
これについてはあくまでも他国の内政のことなので湊としても易々と手を差し伸べるわけにはいかない。
ダルムス側から支援の要請でもあれば改めて検討ということになるだろう。
◆
次の懸案事項である留守中の内政についてだが、これは基本的には現状維持でいい。
それぞれの仕事を取り仕切っている各部族長たちも基本的には居残り組だから、湊たちがいなくても大きな問題は発生しないはずだ。
地球から湊に付いてきてくれている部下たちの中では、唯一の例外として篠原霧枝だけはこちらに残ってもらうことになる。
アンリエストの近代化施設工事や建設中の第二都市などあらゆる都市計画の要である彼女はたとえ短い期間であろうとも現場からは離したくはないからだ。
逆に言えば、湊がいなくても彼女さえいれば現場は滞りなく回るのである。
彼女が中心となって建設が進んでいる第二都市は完全に中世を飛び越えた近代、部分によっては完全に現代の技術が使われており、世界の貿易港の中核となるべく流通のための道幅の広さや、運ばれてきた荷が効率良く収納されるための計画的な倉庫街の併設などあらゆる利便性が図られている。
電気や上下水道については首都であるこちらの第一都市同様ほとんどの施設が既に完了していて、第一都市である首都と第二都市である港湾都市を直通で結ぶ線路の建設も半分以上完成している。また都市間を繋ぐ街道については線路と平行して両都市を結ぶ十分な広さを持つものを作っている最中だが、この道については最終的には隣国であるクレッサール王国の首都まで繋げる計画である。
距離を置いて建設する以上、便宜的にそれぞれ第一都市、第二都市と呼び分けているが、最終計画としては拡大していく二つの都市が両者を一つに結ぶ幹線道路沿いに発展していき、ゆくゆくは一つに繋がったこの世界の中核となる巨大都市圏を形成する予定である。
アンリエスト城――最近では『白雪宮殿』と呼ばれることの方が多いらしいが――の大規模改修工事も無事終わったところで、仮として城の中に残されていた政治機能を新たに建設したいわゆる議事堂に移し、『白雪宮殿』の方は子供たちや知識を求める者たちのための学院として新たに生まれ変わることになる。
いわゆる首都の学術都市計画である。
この学院を運営する究極的な目的としては大きく二つ。
一つ目は世界中から身分、年齢、人種、種族、貧富に関わらず優秀な人材を集めるということ。
もう一つは、ナトーヤ教の歪んだ世界観に囚われず、この世界の正しい姿と知識を見つめることが出来る若い世代を育成していくということである。
リスティリカのようにわざわざ宇宙まで連れて行かずとも、過去における地球の偉大な科学者たちと同じように数学や物理学、天文学などをつきつめていけば自ずと大地は球形であることに辿り着くし、大地は太陽の周りを回っていることにも辿り着く。
正しい知識が積もり積もっていけば自然と中世の世界観のままで凝り固まっているナトーヤ教の世界観が現実と齟齬を起こしていることにも気づくし、そうなればナトーヤ教自身の教えにも疑問を抱かざるを得ない。
ナトーヤ教、あるいはその信仰対象であるナトーヤ神の限界は、あくまでも地球の中世という中途半端な世界観に凝り固まっていることで、最新のものへと柔軟にアップデートしていけないところにある。
いつだって詐欺師の天敵は欲や甘言に惑わされず、それどころか詐欺師のやり口すら理解してそれを嘘と見抜くことが出来る正しい知識を持つ者なのだ。
この学院では知識を求める者たちに加え、絵画や彫刻、音楽や文学、工芸技術など芸術方面への支援や若手の育成も積極的に行っている。
特に浩一と聡志の暗躍によって肖像写真が貴族たちの間でブームになってから貴族のお抱えになって肖像画を描いていた者たちが大量に職にあぶれたこともあって、そういった者たちの中から特に才能があると認められる者たちに積極的に声をかけアンリエストに呼び寄せて、人物画だけでなく風景画や静物画、あるいは心象画などあらゆる手法での表現を推奨し、その活動を積極的に支援していたら、いつの間にかアンリエストが画家たちの間で絵の聖地扱いされるようになってしまっていた。
同じ手法で音楽や彫刻、声楽やオペラやなどあらゆる芸術方面及びそれを扱う道具職人まで支援していたらいつの間にか絵画だけでなく総合芸術の都市として世界中に知れ渡っていた。
なんとも面白いことに、湊たちが都市計画としてアンリエストを学術都市として作り上げている最中からとっくに世間では芸術都市と呼ばれていたのである。
絵画や音楽、工芸品などの芸術品あるいはファッションなどの芸術行為というのはそれそのものがいわゆる贅沢品、贅沢行為であり、それがなければどうしても生きていけないという類のものではない。
そして贅沢行為である以上、それを運営して生計を立てていくためには必然としてその芸術行為に理解がある出資者が必要となってくる。
俗にいうパトロンである。
このパトロンとして歴史上有名なのがルネサンス期を支えたイタリアの名家、メディチ家である。
湊は別にこのメディチ家のようになりたいとは思ってはいないが、手元に潤沢な資金が集まって来てしまう以上、都市計画などの公共工事や孤児院運営をはじめとする慈善事業、それに芸術方面の才能を育てる文化事業にも資金を使っていく必要がある。
そう、金という物は使って回してこそ意味があるもので、金持ちがじっとそれを抱え込んでいるだけでは経済が回らない。
貴族が贅沢をするというと世間一般ではどちらかというと悪いイメージがつきまとうが、貴族が贅沢をしたお金がその都市やお抱えの商人へと落ち、貴族相手に大儲けした商人が贅沢をすることでそれを生産する農家や職人たちにも金が回り、商人相手に小金を手に入れた農家や職人たちがプチ贅沢をすることで更に市場にお金が回っていく。
今の日本だって景気が悪いが、決してお金がないわけではない。
お金を持っている企業やシニア層が貯蓄として大事に自分の懐の中にため込んでいるからお金が動いていないだけなのだ。
特に企業の内部保留はここ数年連続で過去最高を記録している。
随分前に某野党の議員が当時の首相にカップラーメンの値段を尋ね、首相がそれに「400円くらい?」と答えたことで庶民的な金銭感覚がないと野党とマスコミの槍玉に上げられたことがあった。また、ある日の首相の食費をあてこすったように景気が悪いのに食費が高いなどと難癖をつけたりしていたが、金がある者が使わなければ経済は回らない。経済が回らなければ当然景気など良くなるはずもない。
それとも批判をした議員やマスコミは、自分の国の首相をはじめとする富裕層が毎日カップラーメンをすすっていれば自動的に景気が良くなるとでも思っているのだろうか?
金を持っている王族貴族にとってある程度の贅沢をするのは経済を回すためのある意味で義務のようなものだ。
もちろん身を持ち崩すほど贅沢に溺れるのは論外であるし、トンガール王族や貴族たちのように金もないのに贅沢をするのはもはや馬鹿としかいいようがない。
学術・芸術・技術、そして目まぐるしく発展するアンリエストの都市計画を縁の下で支え続けた美食。
湊たちが目指しているのはそれらの要素全てを包括した総合芸術都市であり、これらの都市計画は全て霧枝の手によって回っている。
懸念があるとすればこの急速に発展を続ける首都や第二都市とともに霧枝自身も他の勢力からのテロの対象にならないかということであるが、役割上あまり積極的な戦闘参加は推奨していないが、個人戦闘力としても一対一なら十分に彼女は使徒と渡り合えるだけの実力は持っているので、最低限自分の身くらいは守ってくれるであろう。
◆
片瀬川浩一と里見聡志の両名については、それぞれ駆逐艦 『蘇芳』と駆逐艦 『濡羽』を率いて他大陸や島々にある国々との交渉に派遣している。
具体的には、アンリエストを主体とする連邦国家の形成がその主目的となる。
連邦国家といってもアンリエストが目指しているのは一方的に所属国家から富を搾取する植民地スタイルではなく、それぞれの国が独自の主体性を持ちつつアンリエストの軍事力の傘に入る軍事同盟という色が強い。
具体的に言うと、この星全体の近代化が進み海を支配している王鯱族のくびきから解き放たれた後に起きると予測される大航海時代。
海を支配する王鯱族が強すぎるため、もしかしたら海よりも先に空から先に進むことになるかもしれないが、いずれにせよ近代化によって今までは手が出せなかった遠い国々が技術革新によってより近くなる時代というのが遠からずやってくることになる。
そうなると当然予想されるのが列強国による中小国の植民地化である。
一度国が植民地化されてしまえば、その立場から抜け出すのは極めて難しくなる。
仮に上手く抜け出せたとしても、国の中に大国に搾取されるシステムというのが既に出来上がってしまっており、それを打破しつつ大国に搾取されて貧しくなった国を元の豊かさまで取り戻すというのは容易なことではない。
また、それら植民地化の過程においては常に血生臭さがつきまとっていて、地球の実例を参考にするならば、有名なインカ文明はスペイン人に滅ぼされているし、イギリスやフランスの侵略によって原住民の人口が激減したり、場合によっては根絶やしにされて完全に絶滅してしまった民族すら存在している。
それらの悲劇をこちらの世界では起こさせないためにも、あらかじめ他の大陸の国々に連邦国家に参入もしくは同盟を結ぶよう浩一や聡志を派遣して調印のために根回ししてもらっている。
力によって無理矢理傘下に入るよう脅しているわけではないのですんなりと傘下に入る国は多くはないものの、隣の大国から狙われていてこのまま滅ぼされるくらいならアンリエストの傘下に入っていざという時に守ってもらおうと考え加盟する国や、単純に乗り付けた駆逐艦を見てその技術を自分たちも得たいという理由で参入を望む国などちらほらと存在していて、順調とは言わないが一定以上の成果はきちんと上がっている。
同じような状況でも傘下に入るのではなくあくまでも同盟で済ませようとする国々も少なくはない。というかむしろ大多数がそのタイプであるが、直接傘下に入った国に対しては相応の恩恵が存在している。
一つは、アンリエストからある程度の技術支援が得られること。
そしてもう一つは、同じく連邦国家に加盟している王鯱族の国から仲間とみなされ全ての海における攻撃対象から外されるというものである。
この二つの条件はどちらも加盟国にとって大きなメリットであるが、特に後者についてはこの世界においては革新的なものといってもいい。
今までかたくなに閉ざされていた海路が突然目の前に大口を開けて開くのだ。
海路を使えるならば陸路よりも一度により多くの物を運ぶことができる上速度も速いので、それによって得られる交易による儲けは一桁も二桁も変わってくるからだ。
おまけにタイミングよく王鯱族が居合わせていれば、他の海獣や海賊から襲撃を受けている場合でも助けてくれることすらある。
このように海上交易で大きな利益が見込める上に、悪質な虐殺行為や搾取行為は行わない、生贄などの何者かの犠牲が伴う非科学的風習などを排除するといった一定の約束事さえ守れるならば加盟国の主権はそのまま残される。
主権のみならず言語や文化、生活様式などの独自性もきちんと尊重されているという事実などが少しずつ交渉相手に広まっていることもあり、最近では連邦に加盟する国家がじわじわと増加している傾向にある。
これらはひとえに片瀬川浩一と里見聡志の二人による功績だ。
この二人に対しては雪乃姫からの支援要請を受けた時点で偶然にも奥羽国からそれほど遠くない国に逗留していたため、それぞれ搭乗する駆逐艦を率いてすぐさま奥羽国へと向かうよう指示を出してある。
両名がそれぞれ交渉中の国との折衝が中断せざるを得なかったのは痛いが、しかしその一方で交渉中の国も含め既に連邦に加盟している国々に対しても「いざという時にアンリエストはきちんと動いてくれる」のだと実際に行動で示すいい機会であるともいえた。
ちなみにアンリエストが抱える海上戦力としては浩一と聡志が乗っている駆逐艦の他に、現在建設中である第二都市の港に停泊している強襲揚陸艦『二藍』が存在しているが、こちらはいざという時には艦載機ともども留守を預かる篠原霧枝の旗下に入ることになる。
この『二藍』も大雅戦に間に合えば大きな戦力になったであろうが、残念ながらいくら性能の高い帝国製であっても今からアンリエストを出発したのでは到底終戦までには間に合わないであろうことから、残念ながら今回は留守を守る役とあいなった。
そういう意味では交渉のために比較的奥羽国の近くにまで出ていた 駆逐艦『蘇芳』と駆逐艦 『濡羽』の二隻の果たす意味合いは今後を見据えた上で非常に大きいといえる。
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残りの地球組の面々については全員『天下布武』に搭乗して大雅戦に参戦ということになる。
既におやっさんこと鷲尾竜太郎と小此木沙希は天下布武及びその艦載機の点検整備に入っているし、この天下布武の操縦者兼艦長でもある西陣宮子もまた久々に自分の力を全力使用するため天下布武を制御する自立思考型将官級戦術AI、通称『てんかちゃん』とともに戦闘準備に入った。
ルシル・テンペストは今度は湊と同じ戦場に立てることを喜びつつ愛銃の手入れを始め、羽間黒子は少しでも多くの怪我人の命を救う為に抗生剤や輸血用の血液などの準備に余念がない。
唯一普段の行いから行動に変化がないのは湊のメイドでもある館林五十鈴であるが、彼女には現在部下のロジエとシーリンとともに雪姫とそのお付きの七七嬢の世話にあたっている。
五十鈴に下手に気合が入り過ぎると戦場に転がる主不明の胴体だけの首なし死体の量が冗談でなく桁単位で増えてしまうので、下手に力が入っていない今の状態の方が戦の後処理をする者たちの精神衛生上平和なのかもしれない。




