第四章 戦争編 ⑬
とりあえず更新を優先し、内容の修正は順次行っていきたいと思います。
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まるで漆黒の夜の闇に溶け込んだかのように気配なく、音一つ立てずに駆け抜ける。
闇の眷属たるウルミラ率いる蜘蛛人族たちにとってみれば闇夜に紛れて敵陣に近づくことなど児戯にも等しいことだった。
視界の通らぬ暗闇を常人の数倍の速さで駆け抜けるウルミラたちは、あっという間にトンガール軍本陣の目の前という地点まで接近する。
ここまで来てしまえば、暗視能力のない常人であっても野営の灯りに照らされた敵陣の様子をはっきりと捉えることが可能であろう。
それは裏を返せば、ちょっとでも油断すればウルミラたちの方も敵に発見されてしまいかねない距離ということでもある。
しかし、ウルミラたちには焦りはない。
司令官であるカタリナからウルミラたちに与えられた命令は敵陣に真正面から乗り込み、恐怖を振り撒きつつトンガール軍を混乱に陥れること。
仮に今の段階で敵の見張りに見つかって敵兵に囲まれるようなことになろうとも、やることには何一つ変わりはない。
とはいえ、遠目に現状のトンガール軍の状況を確認する限りだと、そんな懸念すらも杞憂であったことが分かる。
「ふむ、一応見張りも立てておるようだし我らのことを全く警戒していない訳でもない。その者たちも決して役目を怠っている訳でもない……。だが、警戒心そのものは比較的薄く、そして見張り以外の兵たちはおそらく酒盛りに興じている……か。全てはカタリナ殿の予想通りという訳じゃな。なるほど……昼間の軍を指揮した手腕といい、使徒を撃退したその実力といい、クレッサールの麒麟児という異名に偽りはないようだの」
今回の作戦を実行するにあたって最も重要な部分であるトンガール軍の警戒態勢をまんまと言い当てた王妃カタリナの慧眼に思わず感心してしまう。
彼女の予想はこうだ。
『敵国たるトンガール人の気質として、自分の方が優位である内は残虐的ともいえる蛮勇を見せる反面、少しでも劣勢に回り始めると他人に責任をなすりつけながら仲間を平気で見捨てて逃走してしまうという脆さと卑劣さというものがあります。しかるに、昼間の戦闘での歴史的大敗を受けて敵将たるアルマーク将軍がまず行わなければならないのは自軍の劣勢を目の当たりにしたトンガール兵たちの逃走を防止するための対策となります。しかしこれに関しては対策はさほど難しくはありません。トンガール国は既に貴族以外の大多数の国民が飢えていると言っても過言でない状態と聞いていますので、食料の解放を引き換えにすればトンガール兵の逃走を阻止することは可能でしょう。更に言うならば、明日の戦闘に対する士気を維持するために酒類を解放するという手もあります。それらは慢性的な食料不足を抱えるトンガール軍にとって大きな負担となることでしょうが、昼の戦闘で出た食い扶持の大幅な減少によってかなりの負担は補填できると考えられます。つまり、今晩はトンガール陣の各地で小さな小さな酒宴が繰り広げられている可能性が極めて高い……ということですね』
そんなカタリナの予想通り、今ウルミラたちの目の前には酒宴というにはかなりみそぼらしさがあるものの、酒を酌み交わしながら陽気に騒いでいるトンガール兵たちの姿があった。
彼らのその戦場にあってあまりに無防備な姿に敵ながら思わずため息が出てしまいそうになるが、それすらもウルミラたちの司令官の予想の範疇であった。
『堅実な采配で知られるアルマーク将軍のことですから、どのような状況であれ必ず見張りは立てるでしょうしそれらの者たちに対しても決して油断することがないように厳命するはずです。とはいえ、その命令を受けた者たちはともかく、命令を発した当のアルマーク将軍自身ですら今晩の我が軍の夜襲が実際に行われるとは思っていないのではないでしょうか。当然その分警戒心は薄くなると考えてもいいでしょう。その理由は改めて言うまでもないでしょうが、昼間の我が軍の勝利を決定づけたあの川の中にはびこる『悪魔苔』の存在です。大軍が10万人がかりの力押しで突破できなかったのですから、まさか我らがそれを易々と越えてくることはない……と彼らが考えたとしても決しておかしなことではないでしょう。しかし……』
ここまで言って一度彼女は言葉を切ってウルミラを正面から見つめる。
『だからこそ、私たちがそこに付け入る隙が生まれてくるのですけれどね」
そう言ったカタリナは、その繊細で美しい顔にぱっと花が咲いたようにニコリと華やかな笑みを浮かべた。
今回のウルミラたちの任務は真正面からの敵陣への突貫。
それもたったの10騎でだ。
普通の感覚で考えれば完全なる捨て駒である。
しかし、ウルミラたち蜘蛛人族がそれに憤りを感じることはない。
ヒト種と比べて桁違いの力を持つ彼女たちにとってみればそれは決して理不尽な命令でも不可能な命令でもなかったし、何より命令を発して送り出した当のカタリナ自身からも作戦の一環とはいえ決して無理をしないで必ず一人も欠けることなく帰還するようにと最優先事項で厳命されている。
その心配が形ばかりのものではなく彼女の心の底からでた願いであるということがきちんと伝わってくるからこそ、普通に考えれば無茶な命令であろうと実行できるし、それがカタリナのウルミラたちの強さに対する信頼によるものだと分かっているからこそ、不満一つ抱えることなく命令に従うことが出来る。
それにむしろ任務の危険性という点に関してならば、昼の戦闘でナトーヤの使徒と直に刃を交えたカタリナたちの方がよほど高かったであろう。
というか、むしろ役割とはいえ昼間の戦闘で活躍の場がほとんどなかったウルミラたちにとって、今回の任務は日頃のヒト種に対する鬱憤を晴らすことが出来る絶好の機会であって、よくぞこの任務に指名してくれたという感謝こそあれ、任務の内容に不満を抱くということなど考えられないことだった。
そしてなにより、個人的な戦意はさておいたとしても、種族の長として蟲人たちをまとめる立場としてウルミラはそろそろはっきりとした目に見える形での戦果が欲しかったところであるので、そういう意味でも今回の任務は渡りに船であったといえる。
というのも、周囲からの激しい迫害を避けるため逃げ込むように魔の森の奥地に村を作り、数百年の間ほぼ歴史の表舞台から姿を消していた蟲人族は、大多数の者から見ればその実力だけが噂話で伝えられるだけのほぼ伝説的な存在であり、その実体は定かでないというのが現実だ。
噂話を信じて怖れるだけならばともかく、その噂の内容自体話だけが一人歩きして大きく誇張されたものであり実際は大した実力はないなどと主張して蟲人族全てに対し侮った態度で接して来るものや、蟲人族というだけで一段下に見て侮蔑の視線を送ってくるような者などが味方にも存在している。
だからこそ、ウルミラは蟲人族の長として、自分たちの実力を一度きちんとした形で公に示しておく必要性を感じていたのだ。
もちろん、全ての種族は平等であると湊が発した法令の効果もあって蟲人族の実力を侮ったり差別的に接して来る者などはごく一部の者たちであり、大多数の人々は他種族と同じように自分たちを受け入れてくれている。
特に湊を始めとする神無国の、特に能力者と呼ばれる者たちはこんな異形な蟲人族でも他の種族たちと何ら変わらぬ態度、待遇で迎え入れてくれた。
ヒト種の中のいわば突然変異ともいえる能力者たちには、大多数の中に細々と紛れるウルミラたちの異物の境遇に共感出来るものがあったからかもしれない。
もちろん彼ら全てに我らに対する偏見がないとは言わない。
一定以上の割合にあるどうしても消せない虫に対する生理的嫌悪感――。
その存在に関しては、ウルミラたちは納得してはいないものの一定の理解はしている。
同じ人間同士であっても生理的に受け付けられない相手は存在する。異種族である以上それをゼロに抑えるというのは幾らなんでも望みすぎであろう。
唯一つ言えることは、我らをこの世界に連れて戻ってきた湊を始め彼の直属の部下たちに関しては、一人の例外もなく我ら蟲人族に好意的に接してくれているということだ。
それも、職務上の義務上のそれではなく、心の底から我らを受け入れ、また信頼を寄せてくれていることが伝わってくる。
そして湊の王配である聡明なカタリナ王妃や、実力主義の傾向が強いセリネやノワールらアンリエスト所属の高ランク派遣者たちも自分たちを平等に扱ってくれている。
幾百年にも渡る長い長い迫害から耐え忍ぶ日々を経て、ようやく我ら蟲人族は安息の地と忠誠を捧げるに足る理想の王に巡り合えたのだ。
そんな彼らと接することで、長年にわたって他のほぼ全ての種族から虐げられてきた我らがどれほど救われたか、その感謝の気持ちはもはや言葉にして言い尽くせないほどだった。
――とはいえだ…………。
「蜘蛛由来の脚部……こ、これはもはや多脚機構と言っても過言ではない! そしてそれに加えての魔法砲台となる上半身……。こんなところに! こんなところに人型戦闘兵器に次いでわいの、わいのいつか自分で作り上げたい兵器ランキングナンバー2である夢の多脚戦車が……。まさかの異世界で既に形を見せていたやなんて!!! 異世界は研究材料の宝石箱や――!! 湊様に付いてきて良かったー! 異世界最高!! キャッフーッ!」
……などと声高に呟きつつ、目をらんらんと輝かせ、両手をワキワキさせながら近寄ってくるあの小此木紗希という女に関してだけはどれほどの好意を向けられようとも正直……何か少し違うと思うのだが。
というか、もはや言葉遣いすら普段と異なっているわけで、完全に正気を失っているのか追い払っても追い払ってもゾンビのように近寄ってくる彼女のその執念に、ナトーヤの使徒すら恐れないはずのウルミラがかつて地球で敵として湊と戦った時以来の命の危機を感じてしまったほどであった。
あの時のことを思い出すだけで、今この場ですら「ウルミラしゃーん、私と一緒にあーそーびーまーしょー。でへ、でへ、でへへへへへへ」というありえない幻聴が聞こえてくるような気がして、思わずきょろきょろと周囲を確認してしまう。
(むっ、いかんな。今は作戦に集中せねば……)
背筋に寒気を覚えたところで我に返り、慌てて頭を振って意識を切り替える。
「ウルミラ様、そろそろではないですか?」
部下に言われて湊から支給された腕時計を確認すると、確かに彼女の言うとおり間もなく計画開始時刻である9時にさしかかるところであった。
「時間じゃ。行くぞ」
「「「「「「「「「はい!」」」」」」」」」
こうして部下9名を率いて正面から敵陣に突撃をかけたウルミラたちは、一瞬で見張りを片付けると、酒盛りで盛り上がっているトンガール兵へ次々と襲い掛かっていく。
川を越えて敵が襲ってくるはずがないと完全に油断しきっていたトンガール兵たちは、直前まで仲良く酒を酌み交わしていたはずの男が次の瞬間、突如として赤い噴水を撒き散らす首なし死体に変わっていたことにしばし呆然とていた。
しかし、やがて我に返ると――
「てっ、敵だ! 敵襲だーっ!」
「敵が攻めて来たぞーっ!」
「出合え! 出合え!」
口々に叫びながら戦闘態勢に入る。
しかし、いかに戦闘準備が整おうが両者の前に立ちはだかる大人と赤子以上の戦闘力差はいかんともしがたく、ウルミラたちは手当たり次第とばかりに次々と敵兵をその手にかけていく。
結果、奇襲開始から僅か数分で実に数百を数えるおびただしい量の死体が敵陣に転がることになった。
突然の奇襲に当初は浮き足立っていたトンガール軍も、次第にウルミラたちを個々に囲い組織だって分断するように攻撃を仕掛けるようになったが、元よりウルミラたちは突入後は固まらず分散して戦うつもりであったので何の支障も感じなかった。
周囲を囲んで前後から同時に攻撃してくるトンガール兵たち。
しかし、生憎と顔に二つと胴体部に八つある目によって蜘蛛人族の視界には隙となる死角はない。
前から攻撃してきた者はウルミラの手にする槍で瞬時に突き殺され、後ろから攻撃してきた者も蜘蛛脚によって薙ぎ払うと、バキバキバキと鎧の上から肋骨全てを叩き折られて、周囲にいる味方をも巻き込み込んで数十メートル先まで吹き飛んでそのままガフリと口元から血を吐いて力尽きる。
ゼロから瞬時にヒト種の目にも止まらぬ速度まで加速することを可能にし、一息で数十メートルもの距離を跳ぶことが可能なウルミラたちの動きを支えるその脚部から繰り出される蹴りは、馬のそれの比ではない。
攻撃を受けた兵が蹴られたことすら認識できないほどの速度で迫るそれをヒト種がどうこう出来るはずがなかった。
まして、馬程度にすら蹴られて命の危険がある彼らが、その数倍の威力はあろうかという蜘蛛人族の蹴りに耐えられる道理などあろう筈もなかった。
「脚だ! まず脚を狙え!!」
そう誰かが叫ぶと、トンガール兵たちは一斉にウルミラたちの脚部に狙いを定めて攻撃してくる。
だが、いかんせん各々の基準となる動きの速さが異なる。
速さの次元が違う世界に住んでいる。まして全周囲に死角の存在しないウルミラたちにとって、敵の攻撃を一つ一つ見てから迎撃することなど朝飯前であった。
それに万が一敵の攻撃が命中することがあったとしても、ウルミラたち蜘蛛人族の持つ防御フィールドを抜けて脚を傷つけるためには最低でも魔剣が必要。雑魚程度の持つ武器では仮に当たったとしても傷一つ付けることなど出来はしない。
ならばと遠間から弓を射かけて来るものもいたが、ウルミラたちにとってそれを見てから回避することも槍や手で叩き落とすことも余裕なので、結果として外れた矢が味方であるトンガール兵を傷つけるだけであった。
これこそが両者に横たわる圧倒的種族差。
つまり、これは囲まれているのではなく、効率を考えてあえてウルミラたちが囲ませてやっているのだ。
「くそっ、魔法部隊、魔法部隊さえ健在であれば、おまえらなぞっ!」
悔しそうな表情でそう吐き捨てるトンガール兵。
「それは残念じゃったな。その頼りの魔法部隊を無様に使い潰した無能な上官を恨むがよいぞ」
ウルミラはそっけなく返す。
残念ながら昼間の戦いで魔法部隊は壊滅してしまっていた上に、ウルミラたちにはまだ魔法と最大の種族特性である蜘蛛糸を利用した攻撃が残されているため、実のところトンガール軍に魔法部隊が残っていたところで結果に大差はないのだが、ここは言わぬが華というものであった。
こうして敵陣の中央をぶち破るように突き進んでいくと、ウルミラの視界に一際大きい天幕が見えてくる。
「ほう、あそこにおるのは……」
一言呟くと、周囲に群がる敵兵を一瞬で殲滅して目標へ向けて跳躍する。
「…………お主がこの軍の総大将か?」
目的の場所に着地すると、突然ウルミラが現れたことに驚愕の表情を浮かべている司令官らしき男に声をかけた。
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「あ……あっ……」
見るもおぞましい蜘蛛の下半身。
そしてその上に存在する女神の化身と言わんばかりの絶世の美女の上半身。
突如として目の前に降ってきた死の化身。その美しい顔から向けられる冷酷な視線に、完全にアルマークは射竦められていた。
「お主がこの軍の総大将で間違いないかの?」
まるで金縛りにあったように大きく目を見開いたまま硬直していたアルマークの喉元に槍先をつきつけながら、その蜘蛛人族の女は再度問いかけてくる。
「………………聞こえてないのかの?」
ここでようやく遠く彼方にあったアルマークの意識が帰還を果たす。
「……あ、ああ、そうだ。私がこの軍の司令官を任されているアルマークだ」
我に返ったものの、かなり弱々しい口調になってしまった。
正直なところ内心は突き付けられた死の恐怖にすくみ上っていた。しかしなんとか表面上は毅然とした態度で返事を返すことはできたのではないだろうか。
絶対的な死の象徴である蜘蛛人族の恐らくは女王を前にして、たとえ空元気であったとしても気丈な態度で返せたのは、一軍を率いる将の責任感をこの身に宿していたからであろう。
「そうか。では尋ねるが、貴国はいかなる理由あって我が国へと攻め入ろうとしておるのか聞かせてくれんかの?」
「理由だと? 決まっているではないか! 貴様らが拉致した我が国第一王子の身柄を奪還するためだ!」
アルマークは即座に返答した。
第一王子の身柄の奪還、それは今回の侵略戦争の目的の一つでかつ建前となっている理由である。
「ほう? 王子の身柄が所望か。では、王子の身柄が戻ってくれば軍を引き上げるということかの?」
「そっ、それは……出来かねる」
答えながらも、まずい……とアルマークは思った。
王子の奪還が目的と豪語してしまった以上、その王子の身柄が返還されてしまえばこの戦の建前が失われてしまう。
しかしそれでは駄目なのだ。
トンガール王国は今回の出兵のために国内のほぼ全てと言っても過言でない兵と食料と資金を既に注ぎ込んでしまっている。それは即ち、アンリエストを手に入れその富を奪い取れないということは国が破滅することと同義でもあるということだ。
このまま何も手に入れないまま撤退することなど出来るはずもない。
「なぜじゃ?」
短時間の間に必死で頭を振り絞った挙句、かろうじてそれらしき理由を思いつく。
「それは……それは、今回の出兵は我が国の王子を攫った貴国への制裁のためでもあるからだ。王子の身柄が戻ったからとて罪に対する罰を与えぬ限りは軍を引き上げることなど決してあり得ない!」
「我が国で貴国の王子の身柄を押さえたことが罪じゃとな?」
必死で思考を巡らせた結果であるアルマークのその言い分に、ウルミラはおかしさを堪えきれなそうに吹き出していた。
「な、何がそんなにおかしい!」
まるで憐れみを向けてくるかのようなその態度にアルマークは思わずカッとなって声を荒げてしまう。
「いやいや、そうカッカせずに心を落ち着かせられよ。おかしいもおかしくないも、そもそもクレッサール王国の王女であり我が国の王妃でもあるカタリナ様を最初に攫ったのは他ならぬ貴様らであろうがよ。自分の国で行ったことは無かったことにして一方的に他国を叩くのは愚者の行いだと我は思うのだがアルマーク将軍はどう思うかの?」
「い、いやしかし、現にカタリナ妃の身柄は貴国に戻っているのに対し、我が国の王子の身柄は今も貴国に拘束されたままではないか」
苦し紛れとは分かっているが、アルマークの立場としてはそう返すしかなかった。
しかし、この一言が蜘蛛の女王の怒りに火をつけてしまった。
「勘違いするなよ小僧!」
先ほどまでの穏やかな口調が一転、それだけで心臓を射竦めるような恐るべき殺気を込めて睨み付けてくる。
そのあまりの迫力に、アルマークは無意識の内に背筋に冷たい汗を流しながら数歩後退してしまっていた。
「カタリナ王妃は自ら我が国に戻ってきたのではない。まして貴国から身柄の返還を受けたのでもない。貴国から我が王が実力で奪還したのじゃ。そもそも身柄を押さえられるに足る理由も特段なく、その方法も卑怯な不意打ちによるもの。それに引き替え貴国の馬鹿王子は我が国の商会に対し放火殺人を行い更にその資産を強奪したという極悪犯罪を主導した黒幕。同じ王族の身柄拘束であっても理由が天と地ほども違うわ! 我が国の王妃と貴様らのゲス王子を同列に語るでない!」
「…………ぐっ」
あまりの正論に、アルマークは思わず言葉を詰まらせてしまう。
「し、しかし、カタリナ妃の身柄を押さえる理由がないというが、そもそもナトーヤ教の教えでは亜人である古人種は……」
「黙れ!」
必死に思考を巡らせて弁明するのだが、ウルミラの一喝によって阻まれてしまう。
「ナトーヤ教の教えではじゃと? そのような胡散臭い詐欺教団への信仰など貧しいトンガールの中だけで勝手にやっておればよいのじゃ。既に貴国の亜人は全て我が国で保護しておる。つまり今現在貴国に亜人は一人たりとも存在しないのじゃから、お粗末な貴様らの国の中でヒト種だけで好きに宗教ごっこ国ごっこでもやっておればよい。なのにいちいち国の外にまで出張ってきて他国に迷惑をかけるのはいかがなものか?」
「貴様! 我らが信仰するナトーヤ教が胡散臭い詐欺教団であるとぬかすか!」
ウルミラのあまりに酷いその暴言に激しい怒りを覚えて、アルマークは思わず剣を握りしめ正面から睨み付ける。
「ほう? 違うとでも言うのか?」
「断じて違う!」
「では聞くが、それほどまでにナトーヤ神を強く信じ、教義に敬虔であるお主の国はどうしてそれほどまでに貧しいのじゃ? 此度の戦、建前としては王子の奪還ということになっておるが、その真の目的は豊かなアンリエストを併合してその富を奪うこと。つまりお主らトンガールは国とは名ばかりの強盗の集団じゃ」
「違う、我らの目的は王子の奪還であって略奪ではない!」
「ふん、よくもまあそのようなばればれの嘘を恥ずかしげもなく吐けたものじゃ。知っておるのだぞ。王子が拘束されるかなり前からトンガールが戦争の準備をしておったことを。そしてこの戦争のためにただでさえ不足している食料を国内からかき集めて国民全体が餓え死に寸前であることもな。つまりこの戦争に勝ってアンリエストを併合しその富と食料を奪わない限りお前たちの国に未来はないということじゃ」
「………………」
まさか、自分たちの国の内情がそこまで敵に筒抜けであったとは想像もしていなかったアルマークは、驚きのあまり思わず声を失ってしまう。
「ナトーヤ神なぞゴミ屑のようにしか考えておらん我らの国は王と国民の力であれほど富んでおるというのに、お主らの信じている神は一体何をしておるのじゃ? というか、あれだけ信仰心を一神に寄せながら世界最貧国の一角とはナトーヤ神とはとんだ貧乏神ではないか」
「我が神は我らの信仰心を試しておられる。異教徒である貴様は知るまいが、ナトーヤ神を信仰する者には現世での苦しみに応じた来世の幸福が約束されているのだ」
「知っておるわ。現世で苦しめば苦しむほど来世で幸せになれるとかいう典型的な来世詐欺の手口じゃな」
「詐欺ではない!」
「ならばどうして我が国に攻めて来る? 現世での苦しみが来世での幸福を約束するのが誠であれば我らの富を求めて侵攻してくるのは道理に合わんじゃろう。むしろ今よりも壮絶に飢えるよう貴様らの持っている富や食料を根こそぎこちらに差し出すのが筋というものではないかの?」
「それでは信者全てが飢え死にしてしまうではないか。それは即ち教義が失われるということだ」
「全滅して何が困ることがある? 貴様らには幸せな来世が待っているのだろう? 来世があるのだから信心さえあれば教義もまた受け継がれるというもの。安心して天に召されるがよいぞ。どれ、こうして弁を交えたのも何かの縁じゃ。ここは一つ我らが手助けをしてやるとしよう」
なにやらちらちらとしきりに己の腕元を気にしていたウルミラが、冷笑とともにそう宣言する。
「手助け……だと?」
彼女の言葉の意図がつかめず思わず訝しげに聞き返すアルマーク。
しかし、その言葉の謎が解けたのはその直後のことであった。
ドドドドドドドド~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!!
激しい爆音とともに、陣内の一角から激しい炎が巻き上がる。
それはトンガール陣内でも最もアンリエスト陣から離れた奥まった場所――。
「あ、あの方向は、まさか!」
アルマークが浮かべた焦りの表情を見たのか、ウルミラの美貌がニヤリと歪む。
「まさか、あの炎は我が軍の糧食からっ……?」
「御明察じゃ。言うたろう? お主らが飢える手助けをしてやるとな」
ウルミラの口から最も聞きたくなかった返答が告げられ、アルマークの全身に衝撃が走る。
「ば、馬鹿な! あの川を渡れるのは糸を操ることが出来る蜘蛛人族である貴様らだけのはず……。では、一体誰が……?」
アルマークとて馬鹿ではない。正面切って突入してきた蜘蛛人族が10騎全てこの陣中央で暴れていることは把握している。
つまり、彼女たちがここから遠く離れた場所に保管されている糧食に火を放つことなど不可能なはずなのだ。
「はて、我らがこの蜘蛛の糸を使って川を渡ってきたのはまぎれもない事実じゃが、川を渡ってきたのが我々だけだとは一言も言った覚えはないはずじゃがのぅ。そもそもが、あの罠を張って待ち構えていた我らがその川を渡る解決策を事前に用意していなかったとどうして思うのかや?」
そのウルミラのとぼけたような言い草で、アルマークは何が起こっているのかを理解した。
「そうか! 正面から堂々と乗り込んでき貴様ら蜘蛛人族はあくまでも陽動。その真の目的は別働隊による我が軍の糧食への放火だったということか!」
「……正解じゃ。ま、今更気づいたところで手遅れ。時既に遅しというわけじゃがな」
なんという迂闊か!
アルマークは前歯が突き抜けんばかりに己の唇をかみしめた。
好きにこちらの隙をつける夜襲なのにもかかわらず、敵が正面から堂々と乗り込んできたことのその意味にもっと注意を払わなければならなかったのだ。
しかし、乗り込んできたのが他ならぬかのナトーヤの使徒にも匹敵する超戦力である蜘蛛人族だったことがその判断を狂わせた。
桁違いの戦闘力を有する彼女たちだからこそ正面から乗り込んできても不自然ではなかったし、その力の強大さゆえにアルマークたちはその存在を無視して考えることが出来なかった。そして完全に不意を打たれたことで彼女たちの行動の不自然さを疑う暇をも与えられなかった。
そしてそこへ加えて、糸が使える蜘蛛人族以外の者があの川を渡って来れるはずがないという思い込みも判断ミスに拍車をかけてしまった。
しかしそれもあくまで結果論。
あの場ではとにかく被害を抑えるためにあらん限りの戦力を中央に集めざるを得なかったのだ。
だが、それを見透かしたように夜襲をしかけてきたアンリエスト側の真のターゲットは最初から我が軍の泣き所である糧食であった。
トンガール軍の総大将である自分を追い詰めながらも長々とウルミラが論議に興じたのも、別働隊が仕事をする時間を稼ぐためであったと今ならば分かる。
完全なる計画的犯行。
思うようにこちらの思考を操る様はさながら悪魔のようであった。
「消せっ、一刻も早く炎を消し止めるのだ!」
慌てて指示を出すものの、命令を発したアルマーク自身が既に半ば諦めモードであった。
あれだけ大規模に炎を上げている糧食を今から懸命に消し止めたとて一体どれくらいが無事に残ってくれていることだろうか。
兵たちの士気を維持する根源である食料の大部分が失なわれ、このままだと崩壊寸前の軍を維持することすら困難になってしまう。
そこへ更にウルミラから追い打ちがかかる。
「はてさて、あの炎は古人種であるセリネ殿が放ったものだからの。普通の炎と異なり簡単には消し止められんとは思うが、まあせいぜい首尾よく消火作業が進むよう敵ながら健闘を祈っておくのじゃ」
嘲笑交じりの彼女のその言葉も、もはや呆然と炎を見つめるアルマークの心には全く届いてこなかった。
「さてと、目的も果たしたことじゃし我はそろそろお暇させていただくことにしようかの。長々と議論を交わした仲じゃし、アルマーク殿の首は次回戦場で会う時まで取っておいてやるのじゃ。これでも我々は貴殿の手腕を評価しておるのだ。軍の要たるお主がいなくなることでトンガール軍の秩序が失われたらそれはそれで面倒じゃしな」
「では、これにてさらば!」と言い残し、ウルミラは共に突入してきた部下をしたがえて堂々とこの陣から去って行った。
慌ててアルマークは追撃部隊を送ったのだが、その部隊もまるでそれがやって来るのが分かっていたかのように潜んでいた蟲人族(蜘蛛人族以外)と蜥蜴人族からなる混成部隊に側面から襲われて壊滅的被害を被って無様に敗走してきた。
その生き残りからの報告では、我が軍は数では大幅に優っていたものの、相手が亜人たちの中でも上位に入る戦闘種族である蟲人族と蜥蜴人族である上に、敵はヒト種にはない夜目の能力を持っていたこともあってか、全く相手にならず多大な犠牲を出しながら逃げてくるのが精一杯であったとのこと。
弱いから数で群れているヒト種が、彼らの領域で戦って勝負になるはずがない――。
改めてその事実を突き付けられた格好だった。
初手から最終手まで常に思惑通りに敵軍を掌の上で転がす、正に完勝。
もし自分が敵将の立場であったなら、今頃笑いが止まらなかったであろう。
こうして嵐のようにトンガール陣を荒らして行ったアンリエストの夜襲部隊だが、彼女らが去って行ったあともトンガール軍はその置き土産に散々苦しめられる羽目になった。
どうやら中央を荒らした蜘蛛人族とも糧食を燃やした別働隊とも異なる第三の存在が、混乱に乗じてトンガール陣のあちらこちらに時限式の爆裂札を仕込んでいったらしく、夜襲部隊が撤退していった後も定期的に各所でドカンドカンと爆発が襲ってくる。
このままではおちおち寝ることすら出来ないので全軍を上げてその置き土産の捜索にあたったのだが、その札はやたらと巧妙に隠されていて、ほとんどが発見されることがないままトンガール軍は一夜を過ごすことになってしまった。
その爆発による被害は時限術式ということもあってか、一つの爆発に対する被害はせいぜい5メートル四方が跡形もなく吹き飛ぶ程度のもので軍全体でみれば大した損害ではなかったのだが、それでも爆発の直撃を受けてしまえば間違いなく命はないことから兵たちは皆いつどこで起こるか分からない爆発に心をすり減らし、また翌朝の陽が高く昇るまで止むことなくランダム的に起動した爆発の副産物であるその爆音によって眠りが妨げられ、結局朝を迎えた時にまともに睡眠を取ることが出来た者はほとんど存在しなかった。
全軍が精神を疲弊しかつ寝不足であるこの状態において、指揮官たる者の判断としては本来であれば一度軍を引いて仕切り直しするというのがベストな選択肢であっただろう。
しかし、王からの命令で此度の戦争では一切の撤退が許されていないことと、何よりも昨晩の襲撃による被害で一度軍を引いてまた進軍するだけの糧食が残されていないことからアルマークたち司令部には兵たちのコンディションを無視しての進軍を選択する他は道が残されていなかった。
それがまた敵将の掌の上でいいように操られている状態であることが分かっていながら……である。
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