第四章 戦争編 ⑨
次話は明日更新いたします。
◆◆◆
最初にその敵の襲来に気がついたのはノワールだった。
ピクリ……と彼女のその黒い猫耳が動いたかと思うと、おもむろに剣を手に取り立ち上がる。
「来たにゃ!」
「!!」
ノワールが発した言葉にセリネたちにも緊張が走る。
「敵は一人。他の兵には目もくれず直接この本陣まで浸透してきたにゃ!」
説明もほどほどに、彼女は本陣の天幕から飛び出していく。
(やはり使徒自ら乗り込んできたわね。予想していたよりも随分と早かったけれど……)
戦況が膠着すれば、業を煮やした敵がナトーヤの使徒を直接この本陣に送り込んで来るであろうことはあらかじめセリネたちによって予測されていた。
異教徒相手に戦争する場合、味方の戦意高揚と教会の実力の誇示のために使徒を直接敵本陣に送り込んで敵の有力な将軍を討ち取らせるのはナトーヤ神殿の常套手段であるからだ。
事実、かつて繰り広げられたヒト種と亜人との戦争でも、それぞれの種族を率いた亜人の族長たちが次々とナトーヤの使徒により倒されていった。
これによりヒト種はより勢いづき、かたや亜人たちは主導者を失い混乱に陥って種族同士の連携どころか同じ種族内での情報伝達すらままならなくなり、個人個人の判断に任せてバラバラに戦うしかなくなってしまった。
現在のアンリエスト軍は数でこそ大きく劣っているものの、うまいこと地の利を生かして終始この戦闘を優勢に進めている。
その状況で敵が何を狙ってくるのか?
そう、アンリエスト軍総大将カタリナ王妃の暗殺……である。
こちらの精神的支柱であるカタリナを潰されてしまえば、アンリエスト軍の士気は一気に下降する。そうなればこちら側に傾いている戦況を一気にひっくり返すことが出来ると考えてのことだろう。
そして、こちらの戦力のほとんどが敵主力に引き付けられてカタリナの周りの守備が薄くなっている今の状況は、ナトーヤの使徒にとって絶好のチャンスでもある。
奸智に長けた彼らがこんな機会を逃すはずがない。
ナトーヤの使徒が自分を殺しに現れる――。
それを分かっていてなお、カタリナはあえて自らの身を晒して彼らに付け入る隙を見せた。
なぜか?
敵の精鋭中の精鋭である使徒がカタリナを殺しに来るということは、逆に言えば自分たちがそのナトーヤの使徒を返り討ちにするチャンスでもあるということ。
この戦争が始まる前、湊は自分たち異世界から来た者がこの戦闘に参加しない理由を、亜人たちが失った誇りと自信を取り戻すためには亜人自らの力でトンガールに勝利しなければならないからだと説明した。
その理屈に立つのであれば、この戦争に参加してくるであろうナトーヤの使徒から逃げ回った結果戦いに勝利したとしても、本当に自分たちの誇りを取り戻したことにはならない。
単純に戦争に勝つだけならば、それでもいい。
しかし、この戦いが持つ意味は単に領土紛争だけのものではなく、ナトーヤ教徒と非教徒との間の宗教戦争という別の一面も併せ持つ。
いくら領土戦争自体に勝利を治めようが、強敵だからという理由でナトーヤの使徒との戦闘を避けてしまえば、後々『使徒が戦えば負けなかった』『この戦争はトンガールが負けたのであって、ナトーヤ教が負けたのではない』という逃げ道をナトーヤ教側に与えることになる。
相手にそんな言い訳をさせないためには、ナトーヤ教を背負って出てくる使徒を正面切って撃破しなければならない。
それも、自分たちだけの力で。
もちろん相手はナトーヤ神から強力な祝福を授けられた使徒。
確実な勝利の保障などありはしない。
しかし、これを乗り越えなければ、自分たちの誇れる未来もまたないのだ。
「私たちも行くわよ」
「はい!」
己の武器を手にノワールを追う従妹に続いてセリネも天幕から飛び出した。
そんな彼女の目に入ったのは、既に大柄な男と壮絶な斬り合いを繰り広げている相棒の姿。
男が豪快に振り回しているのは節くれだった人の身長ほどもあろうかという大剣。
「あの特徴的な大剣……第5使徒、ジョセフ・アルノッグ!!」
男を見たカタリナが声を上げる。
第5使徒、剛断のジョセフ。
ナトーヤの誇る使徒たちの中でも随一の剛剣の使い手として知られている。
相手は上位使徒、これ以上ない強敵。
しかしこちらにはマスタークラスの剣の天才、ノワールがいる。
そういう意味では決して相性が悪いわけではない。
事実、彼女はあの使徒の繰り出す剛剣相手に互角以上の戦いを繰り広げていた。
なにしろノワールは日頃あの湊や五十鈴に師事して訓練を積んでいるのだ。それを考えればいくら使徒とはいえ、彼女が純粋な剣技で遅れを取ることなどあり得ない。
まるで大地ごと勝ち割ろうかというジョセフの豪快な一撃。それをノワールは小刻みなステップを踏みながら紙一重のところでかわし、両手に持った小剣で急所めがけて的確に反撃する。
「……ッチッ」
あの一撃で勝負を決めるつもりだったのだろう。ジョセフは己の思惑が外れたとばかりに忌々しげに舌打ちした。
それに対して彼の体は、直撃こそないものの、既にノワールによって付けられたかすり傷が幾つも体に刻み込まれている。
単純な剣技だけであれば、確実に彼女が上回っている。
そしてそこへ更に自分とカタリナの援護が加わる。
明らかにこちら側優位の立ち回り――。
しかし、ここで気を抜くことは許されない。
問題はジョセフがただの剛剣使いではないということ。
使徒が使徒たる由縁である強力な祝福。
ショセフはまだそれを使っていない。
未だ明らかになっていないその力がある以上、油断することなど出来るはずもなかった。
そのまま三人がかりで攻め入るが、さすがは使徒というべきか、なかなか決定的な隙を見せない。
戦闘に支障のない小さな傷は幾つも与えることが出来ている。しかし本当に致命的な攻撃だけは確実に見切ってさけてきた。
さすがに使徒を名乗るだけのことはあるということか。
幸いと言おうか、この場に現れた使徒はジョセフ一人。
こちらは彼一人に三人で対することが出来る。
不完全で不安定ではあるが、一応奥の手も用意している。
とはいえ、それでも敵がここにあと一人でも使徒を投入してきていたら戦況はかなり厳しかったかもしれない。
もしそういう事態に陥ってしまっていたならば、苦肉の策として単騎で使徒と戦うことが出来る『神人』蜘蛛の女王ウルミラを前線から呼び出さねばならないところだったからだ。
ただでさえ数で劣っているアンリエスト軍。
一騎当千の実力もさることながら、余人に代えがたい優れた指揮能力を持つ彼女は出来ることならばそのまま前線に張りついて軍を率いていて欲しいというのがセリネたちの正直な気持ちであった。
そのため、セリネたちはもう一つ手を打っている。
敵使徒が前線に現れてもウルミラが指揮に専念できるよう、こちら側の切り札の一つである祝福者ロジエ・ロロッサを前線に送った。
彼女も予定通り第11使徒と戦闘に入ったという報告が入ってきている。
そして、報告こそないものの、遠く離れたここでさえ感知できる荒々しい魔力の波動――。
魔力の発信源は恐らく第4使徒のフィラド・ランガート。
案の定というべきか、ルシルの放つ強大な魔力に引かれて上位使徒が食いついてくれた。
使徒の立場から考えて、あの飛竜部隊を全滅させた遠距離攻撃を持つ彼女を放置出来るはずがない。
この戦場に投入された使徒の一人ないし二人は確実に彼女に引き寄せられる……と、そう思っていた通りである。
結果として、自分たちは三人がかりで目の前の第5使徒一人の相手に専念できるという訳だ。
全ては、セリネとカタリナが立てた作戦通りである。
あとは全力で目の前の敵を倒すことだけ。
前衛でノワールがジョセフと接近戦を繰り広げ、その隙を見つけてセリネが援護魔法を放つ。そしてカタリナは後方から二人に指示を出すとともに回復魔法と障壁魔法でノワールをサポートする。
ノワール自身の剣技がジョセフに勝っていることと訓練どおりの連携も相まって、あっという間にジョセフは追い込まれていく。
「くっ……」
彼は苦し紛れに大振りの一撃を繰り出すと、それを回避するために少し距離が取ったノワールの隙をついて大きく後退した。
「やるじゃないか……」
体のあちこちから少なくない血を流しながらも、彼の口調にはまだまだ余裕があった。
「まさかお前たち相手にこれを使うことになろうとはな……」
言うなりジョセフはその場で大剣を振りかぶる。
通常であれば、あの距離から剣を振り降ろしたとしても到底自分たちへ届く距離だとは思えない。
しかし……。
「気をつけるにゃ! 何かスキルを使うつもりにゃ」
そう、彼にはナトーヤ神から渡された祝福がある。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!」
ジョセフが大剣を振り下ろすと、剣として一つにまとまっていた節がバラバラに分かれてまるで鞭のようにしなりながらセリネたちへ向かって伸びてくる。
ズズーーン!
周囲にまるで大木が倒れたかのような重い音が響き渡る。
「凄い破壊力。ちょっとでも気を抜いたらあっという間に人生が終わってしまいかねないわね」
先ほどまで自分たちがいた場所に目をやると、まるで巨大なスコップで掘り起こしたかのように大地が大きくえぐれ上がっていた。
とっさに横に飛ぶことで何とか大剣の軌道から逃れることが出来たが、もしかすりでもしていればただでは済まなかったであろう。
セリネの首筋に冷たい汗が伝い落ちる。
「分割された刃と刃を魔力の糸で繋いでいる? それは、まさか……俗に蛇腹剣と呼ばれているモノですか?」
「……ほう、驚いたな。まさかこの剣の名前を言い当てられるとは思わなかった」
ジョセフの武器の正体を見破ったカタリナに、感心したようにジョセフがニヤリと嗤う。
「そういう剣と鞭の機能を併せ持った剣があると小耳に挟んだことがあるだけです。もっとも、蛇腹剣に関してはあくまでも構想上のもので、現在の鍛冶技術では理論上実現不可能なものだと伺っていました。ですが……なるほど、祝福によって具現化された剣であるならばそれも不可能ではないということですね」
「そういうことだ……なっ!」
口を動かしながらも、ジョセフは攻撃をやめない。
「くっ、これは、やっかいだにゃん!」
今までの剣戟とは比べ物にならないほど多彩な角度から襲ってくる。
それでいて威力も跳ね上がっている。
あれは見た目以上に危険なシロモノであった。
先ほどまでの攻勢から一転しての劣勢。完全に攻守が入れ替わってしまった。
「はははは、さっきまでの威勢はどうしたよ? おらおらおらおらっ……」
ますます調子付いていくジョセフの攻撃。
しかもその勢いは増していくばかり。
「くっ、直撃をかわしても奴が粉砕した大地の欠片が襲ってくるにゃん」
そう言ったノワールは砕けた岩などの破片で小さい傷だらけだった。
そして状況は大小の差こそあれセリネもカタリナも変わらない。
「あの剣、予想以上に危険だわ。このままだとまずい……」
「そうですね」
セリネはカタリナに同意する。
蛇腹剣……あの異形の剣の持つ鞭のような自在な動きと広い攻撃範囲、そして大剣の持つ圧倒的な破壊力。
今のまま手をこまねいていては遠からずジリ貧になるのはもはや明らか。
こちらも覚悟を決めなければならない時が来たということだ。
「カタリナ様っ!」
セリネが視線を送ると、それに気がついた彼女も頷いて返す。
「そうですね。いまだ不完全とはいえ、このまま全力を尽くさないままやられたのでは後悔してもしきれません」
「セリネさん、ノワールさん、あれをやりますよ!」
「はい!」
「分かったにゃん!」
皆の瞳に強い光が宿る。
「どうした? 今更やる気になったところでこの劣勢をどう挽回できる? 何をしようが無駄無駄無駄無駄ぁーーーーっ!」
「無駄かどうかはやってみなければ分からない!」
セリネは精神を集中すると慎重に力を解放していく。
「……なんだ、その光は?」
ジョセフが訝しがるのも無理はない。
今のセリネは全身を青い光に包まれているように見えるはずだからだ。
「どういうことだ? そんな全身が光る魔法なんて見たことも聞いたこともないぞ」
「さあ、なんでしょうね?」
見たことも聞いたこともない? それはそうだろう。なにしろこれは魔法ではない。
だが、もちろんそのことを敵に親切に教えてやる義理などありはしない。
セリネは腕を伸ばすと、魔法を発動する。
発生したのは中級魔法の火の弾。熱量も大きさも特筆すべきことのないごく普通のありふれたものだ。
だだし、発現したその魔法の量と発動速度が尋常ではない。
「行けっ」
実に50以上の火の弾が同時にジョセフに殺到する。
一つ一つは大した威力ではない。しかし、複数同時に炸裂すればその限りではない。
その破壊力たるや、祝福者であるジョセフとて無事ではすまないレベル。
おそらく死ぬことはないだろう。だが全くの無傷であるということもない。
だからこそ、ジョセフは防御に専念せざるを得なかった。
「むっ」
小さく唸ると、ショセフは自分に向かって放たれた炎の雨を迎撃するために慌てて伸ばした刃を引き戻した。
「うらぁぁぁぁぁっ」
大きく吼えながら大剣を横薙ぎに振り抜くと、まるで円を描くようにジョセフの周囲を回りながら襲い来る炎の玉の雨を払い落としていく。
全ての炎を迎撃し終えた彼は完全な無傷。
「ふん、どうだ!」
そう言って得意げにこちらに視線を向けた彼の目が、次の瞬間驚きに見開かれる。
セリネの頭上に既に第二陣の炎の弾50個が待機していたからだ。
「ば、馬鹿な! どこからそれほどの魔力が!」
言いながらも彼は火の弾の射程距離外まで距離を取ろうと慌てて逃げようとする。だが、はかなくもその試みは失敗した。何かにつまずいたようにその場で膝をついてしまったからだ。
「ぐっ……。か、体が重くて思うように動かん……な、なぜ急に……」
そこへ再びセリネの放った炎の弾が殺到する。
「……くっ!」
ジョセフは先ほどと同じく蛇腹剣を操作して迎撃しようとするが、体勢が崩れた分打ち漏らしが発生してしまう。ジョセフの引いた防衛線を突破した炎の弾が次々と目標に突撃していく――――。
ドドーーン
轟音とともに巻き上がる爆炎。
煙が晴れてくると、その中心から足をよろつかせながらショセフが出てくる。
見たところ四肢に影響はないようだが、その様子はとても無事とはいいがたい。
身にまとった服はボロボロで、全身火傷だらけ。もしかしたら内臓にまでダメージがいっているかもしれない。
「く、くそったれが……」
ふらつきながらもジョセフは剣を振るって攻撃を飛ばしてくる。
そんな状態でも攻撃してくる気概は大したものだが、攻撃に先ほどまでの威力がない。
セリネめがけて繰り出されたその攻撃はあっさりとノワールに叩き落され、そして今度は彼女の反撃のターンが始まる。
ノワールは攻撃を弾いたその位置で剣を振り上げると、裂帛の気合とともに振り下ろした。
「馬鹿が! そんなところから攻撃しても届くはずが……」
ノワールとジョセフの間には10メートル以上の距離がある。得意げにそう言いかけたジョセフ。しかし、そんな主を裏切るかのように彼の右腕がボトリと音を立てて地面に落ちた。
「な……に…………?」
傷口から吹き上がる大量の鮮血。
先ほどのノワールの攻撃で肩口からスッパリと斬り落とされていたのだ。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
肩口を押さえながらうめき声を上げるジョセフ。
「なぜだ! なぜあの位置から攻撃が届くっ」
そう叫んだ次の瞬間、残されたもう片方の腕も斬り飛ばされる。
「…………くそっ」
両腕を失った状態では勝ち目がないと悟ったのか、彼はくるりときびすを返して逃亡を試みようとする。
あっさりと己の敗北を認めて逃走を選ぶいさぎ良さは評価できる。
――しかし、残念ながらそれは叶わなかった。
一歩目を踏み出したところで先ほどと同じようにガックリ膝をついて倒れてしまう。
「くそっ、また体が重く……なんだこれは……」
必死にもがいているが、体が地面に貼り付けられて、ましてや両腕を失っている状態では起き上がることすらままならない。
「勝負ありましたね。ノワールさん、とりあえず彼の両足を……」
カタリナの言葉にノワールは小さく頷いて返すと、まるで舞うような美しさでヒュヒュッと剣を二振りする。
彼女の剣は寸分たがわずジョセフの両足の腱を断ち切り、もはや彼は満足に立ち上がることすら出来なくなってしまった。
「さて、何か言いたいことはありますか?」
厳かさすら感じられるカタリナの穏やかな口調に、ジョセフは呪い殺さんばかりの視線を向ける。
「まさか……き、貴様ら……祝福を得て……?」
「はい、そうですよ」
問われて、彼女はニコリと微笑みながらあっさりとそれを認めた。
カタリナの言うとおり、先ほどセリネたちが使った力は祝福の力。
セリネは自身の魔力を特殊強化する力。
ノワールは真空の刃を飛ばす力。
そしてカタリナは対象の重力を操る力――である。
もちろん、敵であるジョセフにそんなことまで教えてやる義理まではない。
「ば、馬鹿な! 貴様らが祝福者だなどという情報は聞いてないぞ!」
「それはそうです。私たちがこの力を得たのはごく最近のことですから。とはいえまだ身につけたばかりでコントロールに不安がありますけどね。今の状態ではさすがに三人がかりでなければあなたに勝つことは出来なかったでしょう」
「祝福者になった? 三人ともがか? とすると天然の祝福者ではなく眷属? そんな……ありえない!」
「あり得ない? なぜです? あなたたち使徒だって人為的に祝福を得ているではないですか?」
「だからだ! 大いなるナトーヤ神が貴様ら異教徒を眷属に選ぶはずがない! 忌まわしい嘘を並べるのもいい加減にしろ!」
「なぜ私たちがナトーヤなんかの眷属に?」
怒り交じりのジョセフの言葉に、逆にカタリナが不愉快そうな顔になる。
「なんかだと? しかも大いなる神を呼び捨てにするとは……」
「なぜ信者でもない私たちが、自分たちに害しかなさないナトーヤを様付けしなければならないんです?」
「それは、お前たちが忌まわしき亜人であるのだから当然ではないか」
「ならば、私たちが忌まわしいナトーヤを呼び捨てにしようが私たちの自由のはずです。とはいえ、こんな言い争いをしてもどちらも相手の言い分など認めないのですから意味のないこと。あなたは私たちの力がナトーヤの手によるものではないと納得すればそれでよいのです」
「……だが、祝福者になるためには二通りの方法しかないはず。一つは偶然開く異界の門からやってくる神の霊をその身に宿すこと。そしてもう一つはナトーヤ神より祝福を賜ること。しかし、前者の場合、異界よりの神霊がその身に宿るための相性は極めて低い。たまたま一人がというのならばともかく、三人が三人とも祝福を得ることなど確率上絶対にあり得ない!」
「でしょうね。ですからその前提が間違っているのです」
「前提だと?」
「そう、『ナトーヤから祝福を得ないと祝福者になれない……』そうあなたは言いましたね? では、自分の配下を眷属化出来るのがなぜナトーヤだけだと思ったのです? 対象を眷属化するというのは、ある一定のレベルを超えた、いわゆる覚醒した能力者であれば自然と備わる能力なのだそうですよ。自身の忠誠と生殺与奪の全ての権利を相手に渡す代わりに莫大な力を得る。あなたたち使徒と全く同じです」
カタリナの言葉にジョセフは大きく目を見開く。
「で……では、まさか…………」
ジョセフの問いたいことを察したカタリナは一つ頷いてそれに答える。
「そうです。私たちは三人とも眷属。我が夫にして我々の王『肆十無湊』の眷属なのです」
それを聞いたジョセフの顔が絶望に染まる。
「ば、馬鹿な……それでは、我が神と貴様らの王が全くの同格ということになるではないか……」
それを聞いたノワールが苛立たしげに眉を寄せる。
「ふざけんなにゃん。湊様をお前らのキモイ神ごときと一緒にするなにゃん!」
「そうです。そもそも救う対象をえり好みして全てに等しく救済できない神など無能もいいところ。そんな俗物が神を名乗るなど冗談が過ぎると思いますが?」
「セリネさんの言うとおりですね」
同意とばかりにカタリナも頷く。
「貴様ら、我が神に対するその度重なる暴言、ただで済むと思うなよ!」
「これ以上笑わせるなにゃん。ただで済んでないのはお前の方だにゃ。他人の心配より自分の心配したほうがいいにゃん」
「神に守られた我が身の心配など不要! それより貴様ら異教徒は神に逆らえば逆らうほど来世での苦しみがその身にのしかかるのだ」
「神に守られるも何も、現実のお前は手足失って身動きもまともに出来ない状態にゃん? そんなお前に神は何をしてくれたのにゃ?」
「ふん、例えわが身がどうなろうと、神に導かれた我が同胞がきっと貴様らを必ずや滅ぼし尽くすであろう」
「…………で、その神に導かれた同胞というのはこいつのことかしら?」
不意に、先ほどまで確かにこの場にいなかったはずの場に、ノワールでもカタリナでもない少女が突如として現れ、セリネの背中越しにジョセフに問いかけた。
驚いて声の下方向に振り向くと、その先にいたのはセリネやカタリナと同じ銀色の髪の毛を持った絶世の美少女――。
ルシル・テンペスト。
使徒の一人と戦闘を繰り広げていただろう彼女は、傷一つ埃一つつけられた様子もない。
「…………ルシルさん、ご無事でしたか」
「当たり前。例え目を瞑っていたとしてもこんな雑魚に不覚を取ることなどあり得ない」
カタリナの問いかけに不遜な口調で答えると、彼女は右手で掴んでいたものをジョセフの真横へと無造作に放り投げた。
ドサリ、と重い音を立てて投げ出されたモノに、一同は息をのむ。
それは、ぼろ雑巾のように成り果て、全身が腫れ上がってぱんぱんに膨れ上がった無残なヒトの姿――。
「ふぃ、フィラドっ!!!!」
それを目にするやジョセフが狂おしいまでの声を上げる。
「心配しなくとも生きているわよ。少なくとも心臓は動いている。もしかしたら心は死んでいるかもしれないけれど……」
天使のような少女から、悪魔のような言葉が囁かれる。
「さて、こうしてわざわざジョセフさんたちを生かしているのは他でもありません。あなたには他の使徒の持つ祝福の力を私たちに教えて欲しいからです。大人しく話してくれれば命だけは保障いたしますよ」
「はっ……我らが命惜しさに仲間の情報を売るとでも? 仮ににどのような拷問を受けようが我が信仰を覆すことなど叶わない。いいから殺せ!」
カタリナからの提案を、ジョセフは鼻で笑って突っぱねた。
「そうおっしゃるとは思っていました。さすがは使徒と言っておきましょうか。ですが、これまであなた方が行ってきた非道はとても許されるものではありません。ですのでもちろんその罪は命で贖っていただくことになりますが、その前にあなたは真の絶望を知る必要があると私は思います」
「真の絶望だと? はっ、我が信仰の前にはどんな苦痛であろうとも意味はなさない。それだけ我が魂の位階が上がるだけだからな」
「ああ、今生で苦しめば苦しむほど来世での格が上がるというナトーヤ教の教えですか? あなたの心を折るのに丁度いいから説明いたしますが、あれ、ナトーヤが信者を上手く利用するためについたただのでまかせです。つまり痛み損、苦しみ損というわけですね」
「嘘だ! 何を言う! 貴様らにいと高きところにおわす神の何が分かるというのだ!」
「それが、分かるんですよ。私たちはあなた方が神とあがめているモノの正体を知っていますからね。せっかくですからあなたにも教えて差し上げましょうか」
そう言うと、カタリナはジョセフにだけ聞こえる位の小さな声でゆっくりと説明し始める。
「――――――――――…………という訳です」
「そんな馬鹿な! 嘘だ! 嘘に決まっている!!」
「嘘ですか……真実から目をそらすのに都合のいい言葉ですね。私の話を聞いてどう思うのか、それのはあなたの自由です。信仰を持ち続けるのもナトーヤ教に都合の良い偽りを盲目的に信ずるのもあなたの自由です。ただ、私の話に辻褄の合わないところはありましたか?」
「……………………」
ジョセフは黙り込んだまま何も答えない。
しかし、それ自体が己に都合が悪いことだと認めたも同然であった。
だからといって、それがジョセフの信仰を崩壊させる決定打足りえるとはセリネは考えない。カタリナも同じであろう。
しかし、それでいいのだ。
カタリナの話を聞いて彼は己の神にわずかばかりの疑問を持った。
認めようが拒絶しようが、彼の心の中に疑念の種が生まれた。迷いが生まれた。
壮絶な苦しみを経た末に来世の幸福が約束されるというナトーヤ教の教義に、その硬い信仰心に見えないほどの小さなひびが入った。
ナトーヤ教の信者は今現在どれほどの苦しみを受けようとも、来世ではその分だけ幸せが加算されると思えるからこそそれに耐えることが出来る。
しかし、約束されたはずの来世がないとしたら?
仮にあったとしても約束された幸せが偽りで、信者を体よくこき使うための単なる方便だとしたら?
――残るのは現世での苦しみだけである。
疑念というのは100の中にほんの1%でも刷り込めればそれでいい。
来世のことなど実際に死んでみなければ分からないのだから。
今生で証明できない以上、どうあがいても疑念を晴らすことなど出来やしない。
当然カタリナ自身ジョセフに囁いた真実を証明することが出来ない。
ただし、それを聞いたジョセフも口先はともかく心の中で明確にそれを否定することも出来ない。
《人はそれを『悪魔の証明』という》
人は希望があるから苦しみに耐えることが出来る。
では、その希望が偽りであるかもしれないと疑念を抱いてしまったら?
どれほどの苦しみや痛みに耐えて耐えても、ただ苦しいだけでなんの意味もない行為かもしれないと気づいてしまったら?
そしてその苦しみが生ある限り永遠に続くと理解してしまったら?
――その先にはもはや絶望しかありえない。
「実際にありもしない来世を謳うナトーヤの教義が虚言であること、それを証明することなどあたしにだって出来ない。でも、確固たる現実としてお前からナトーヤの加護を消し去ることは出来る。四肢を失い、使徒の力を失い、脆弱なただ一人の人間になって果てのない苦しみとともに己の罪と向き合うといい」
冷たく、感情の籠っていない口調でそう告げたのはルシル。
言うと、彼女は静かにジョセフへと近寄り、その背中へピタリと手のひらをそえる。
「か、神の加護を消し去るだと? ま、まさか、そんなことが本当に……やめろ! やめてくれっ!! 頼む、それだけはっ!」
己の心の拠り所である神との繋がりを絶つといわれ、信じられないほどに取り乱すジョセフ。もはや使徒の矜持さえかなぐり捨てて懸命に懇願する。しかし、そんな懸命で哀れな彼の様子を見てもルシルの表情は微塵たりとも動かない。
「そうやって懸命に頼んだ異教徒の意を汲んであなたは何も奪わなかったのかしら? 嫌だと、許してくれと、それだけはやめてくれと懇願する少女の叫びを聞いてあなたは犯さなかったのかしら? せめて子供だけは助けてくれと足元にしがみつかれてあなたは殺さなかったのかしら? さあ、神に祈りなさい。胸の十字架に祈りなさい。あなたたちの神が真に全能であるのなら、この状況からでもきっとあなたを助けてくれるはずよ。この世に神はいない。それをあなたはその身で痛いほど思い知るといいわ」
「や、やめっ、やめ、あ―――――――っ」
ジョセフの体からまばゆい光が立ち昇り、その背中に添えられたルシルの右手がまるで全てを吸い尽くすようにそれを吸収していく。
「ち、ちからが、加護のちからが……失われていく……。頼む、それ以上は――――ああああああああああああああっ」
絶叫も空しく、彼の体から発する光は全てルシルに飲み込まれ、抜け殻になったジョセフはまるで体中の全ての力を失ったかのようにガクリと地面に顔を埋めた。
「あなたの守護神は私が全部いただいたわ。ご馳走様」
満足げにそう告げたルシルをよそに、大事なものを奪われたジョセフは焦点の合わない瞳で中空を見ながら呆然としていた。
「か、感じられない! 神の声が聞こえない! そんな! 加護を奪うなど、そんな……そんなことが本当に……では、ナトーヤ神は本当に……」
おそらくショックによる無意識の行動であろうが、彼は使徒としてあるまじき疑念を口にしていた。
「心配ない。神に疑念を抱いたのはお前だけじゃない。私が戦ったその男も加護を奪ってナトーヤの正体を話してやったら最初は嘘だ嘘だと騒いでいたが、じきに静かになって、気づいたら目が死んでいた。疑惑に心当たりがある証拠」
追い討ちをかけるようにルシルがフィラドを指差す。
「安心してください。簡単にはあなた方を殺しません。奪い、犯し、そして無残に殺す……あなたたちが神の名を借りて今まで振りまいてきた数え切れないほどの不幸に対する責をその身で贖わなければならないのですから」
絶望を抱いたままジョセフたちの苦しみは続く。
長く、長く、死という安らぎがその身に降りかかるその時まで――。




