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第四章 戦争編 ①

 「セリネ! 偵察に出ているロジエからトンガール軍の先鋒、歩兵部隊がアンリエスト領に入ったと連絡が来たにゃ」

 

 アンリエスト軍が構えている陣、その中でも一際大きい天幕へと駆け込んできたノワールが開口一番にそう告げる。


 「そう。いよいよ来たのね!」


 知らせを受けたセリネは、険しそうに目を細めた。


 アンリエストに最も近い都市に集結していたトンガール軍が三日前にこちらへ向けて出発していたことは『じんこうえいせい』とかいう湊たちの持つ不思議な装置によって既に知っていたことであるが、その軍がアンリエスト領に入ってきたと聞くと、緊張感が一段と高まってくる。


 「シーリンはお休みになられているカタリナ様を至急こちらへお呼びして!」


 「はい!」


 「ノワールは連絡兵を使ってその旨を至急各部隊に通達して。そして構築中の防衛陣地の進捗状況を速やかに報告させるように伝えて頂戴」  


 「もう伝えてあるにゃん」


 間髪入れずに帰ってきた親友の返事にセリネはきょとんと驚いたような視線を向けるが、次の瞬間、自分の心を落ち着かせるかのように大きなため息を一つつくと、彼女に感謝の言葉をかける。


 「……ありがとう。さすがね」


 「やれることをやっただけだにゃー」


 セリネの言葉に、ノワールは口元から八重歯を見せるようにニヤリと笑って応じる。


 一見すると剣を手にして戦場を駆け抜けるとは到底信じられない、獣人族の中でも一際小柄で細腕の少女。

 しかし、彼女はその卓越した剣の腕で様々な戦場や魔物との戦いを生き残ってきた歴戦の戦士なのである。


 それ一本で派遣者という荒事の世界を生き残ってきた持前の剣技は当然のこと、戦場において何が今一番必要なのかを瞬時に選択するその判断力もまた一流なのだった。


 「いよいよ、始まってしまうのね」


 そう呟いたセリネの声音は、普段の彼女のそれとは異なりかなり固く弱々しい。


 「おや? 今までさんざん死線をくぐってきた『宵闇の魔女』の二つ名を持つセリネ・アル・ウルカともあろうものが、怖いのかにゃ?」


 「……ええ、怖いわ」


 からかうようにかけられた親友の言葉に、セリネは素直に頷いた。


 「でもね、戦争で死ぬのが怖いんじゃない。この戦いには私たち全ての亜人の運命がかかっている。ここにいる全ての種族の未来がこの一戦にかかっているのよ。絶対に負けるわけにはいかない――その大きな責任が副将としての私の肩にかかっているのかと思うと、正直、怖くて怖くて仕方がないわ」


 言うと、セリネは自分の手をノワール目の前に差し出してみせる。


 彼女のその細く美しい指先は、他人の目から見ても明らかに分かるほどに震えていた。


 派遣者にとって、命の危険のある仕事というのは決して珍しいものではない。

 派遣者たちの中でも、超一流を名乗ることが許されるA級というランクにいるセリネたちならば尚更のことである。


 しかし、しかしだ。


 どんな危険な仕事であろうと、どれほど命がけの仕事であろうと、そこにベットされている掛け金(いのち)はあくまでも自分たちと依頼者のもの(内容によっては)に過ぎない。


 もちろんセリネには自殺願望はないので、それこそ死にもの狂いで依頼達成に邁進するが、仮にそれで命を失うことがあったとしてもそれは己の実力以上の依頼を受けてしまった自分の責任である。


 依頼者だってそうだ。派遣者の依頼失敗によって命を失うことがあるかもしれない。だがそれは相応の危険があるにも関わらず安全マージンを取って確実に依頼を達成することが出来る相手にきちんと仕事を頼まなかった自己責任でもあるのだ。


 だが、この戦争は違う。

 

 自分の、自分たちのほんの僅かな判断ミスが亜人全体の危機を招きよせるかもしれない。


 もちろんセリネは副将であるから、その責任という点では全てを引き受ける立場ではない。

 だが、此度の戦でアンリエスト側の総司令官として全軍の旗印になるのは、優れた才能と魔術の腕は持つものの、戦争どころか戦闘行為そのものが全くの初めてといってもいいカタリナ王妃である。

 

 そしてセリネと並んでカタリナを補佐すべき副将についているもう一人の人物はというと……。


 「……………………」


 チラリと視線を向けたセリネの先で、彼女はじっと目をつぶったまま自身の背丈ほどもあろうかという長大な「ジュウ」を抱えながら椅子に腰をかけて不機嫌そうなオーラを振りまいている。


 同じ女性でも見惚れてしまいそうになるほどの超絶美少女――ルシル・テンペスト。


 そんな彼女の特徴といえば、セリネやカタリナ王妃と同じ神秘的な銀髪であるが、彼女と同じ湊の腹心の部下である西陣宮子が言うには、彼女たちの元いた世界においても白髪の者はいてもこのような本当の意味での銀髪を持つ者は彼女以外に存在していないのだという。


 その言葉を受けてセリネは以前、「あなたはもしかして私たちと同じ古人種の生き残りで、次元の隙間からあちらの世界に迷い込んでしまっていたのではないのですか?」と、ふと思いついた何気ない疑問を彼女にぶつけたことがある。


 突然そのような質問をぶつけられたルシルは、傍目に見ても明らかに不快そうなオーラを発していたが、それでも質問にはプイと横に顔をそむけつつも「……私は、古人種じゃない」ときっぱりとした口調で答えてくれた。   


 彼女の感情を害してしまったと感じたセリネは、申し訳なさのあまり深い謝罪の意を表したあと逃げるようにその場から立ち去ってしまったのだが、最後に一度だけ後ろを振り返った際に見た、見えてしまった……ルシルのどこか憂いを帯びた表情に、何かは分からないが上手く言葉に言い表せない微妙な違和感を感じた。

 そしてそれはまるで刺さって抜けない棘のように今もセリネの胸に残り続けている。


 その後もルシルはセリネに会う度に不機嫌そうな表情を向けてくるのだが、「嫌われちゃったかな?」と思いつつ不安げな視線で彼女の行動を目で追っていると、彼女がそのような態度を取るのは何もセリネに限ったことではなく、ノワールやカタリナ姫、それどころか共に「チキュウ」からやってきた仲間であるはずの宮子や紗希たちにさえ同じような態度で振る舞っている。


 これはどういうことなのだろうかとたまたま傍にいた黒子に尋ねてみたら、


 「ああ、彼女は好意があろうがなかろうが湊の傍に近づく女に対しては誰にでもあんな感じだよ。唯一の例外って言っていいのは、地球に残してきた彼女の親友の椎名麻耶ちゃんたちだけじゃないかなあ……」


 などと、ずいぶんと極端な答えが返ってきた。


 要するにルシルは湊の傍に寄る女性ならば誰に対してもあのような態度で接するということらしい。


 とはいえ、この本陣の天幕で他を寄せ付けないように座っている今の彼女が発している不機嫌オーラは、常日頃発されるそれの比ではないほどの怒りに満ちている。


 彼女がどうして今それほどまでに不機嫌なのか?


 その理由は単純にして明快。

 

 湊をはじめ、彼が元の世界から連れてきた仲間たちは皆ヘムガール帝国と戦うためにクレッサールへと向かっていった中、彼女一人だけがこの戦場に置き去りにされてしまったからである。


 他の女性が湊に近づくだけで敵愾心の籠った視線を向ける――というか、正式な王妃であるカタリナにすらそれを隠そうとしないほど強い独占欲を見せる彼女が、仲間内でたった一人だけここに配置されてしまったのである。

 ルシルの身からすればさぞかし不本意なことであったろう。


 だが、それはやむを得ない。

 彼女には、トンガール王国が黄金竜にこそこそ隠れて必死に揃えていたであろう飛龍部隊を潰してもらうという重要な役割がある。


 仮にルシルの手を借りずセリネたちだけで飛龍部隊を相手に戦ったとしても、問題なく全滅させること自体は可能だ。

 だが同時に、味方に尋常でないほどの被害が発生することを許容せねばならない。

 自由に空を舞う敵を相手にするということは、それほどまでにやっかいなことなのだ。


 にもかかわらず、敵にはそれとは別に主力ともいえる10万の地上部隊がいる。


 ただでさえ人数比で劣っているというのに、制空権まで取られてしまえばこちら側は更なる苦境に追い込まれてしまうことになる。


 その懸念を解消するために湊が置いて言った重要な駒がルシルなのであるが、こうもあからさまに不機嫌さを隠そうとしないその頑なな態度にはセリネも苦笑を禁じ得ない。


 しかし、なにも悪いことばかりではない。

 セリネの目から見ても異常なまでに湊に対して執着を見せる彼女が、湊の期待を裏切って仕事に手を抜くなど決してあり得ないことだからだ。


 ただ、そんな彼女に副将として全軍の指揮を任せるというのは到底無理な話であって……。


 結局その貧乏くじは全てセリネの元へとやってくるのである。


 ハア……と思わずため息が漏れる。


 そんなセリネを見て何か思うところがあったのか、 


 「……大丈夫だにゃ」 


 かけられた言葉とともに、震える手をそっと親友の手の温かさが包み込んだ。 


 「一人で全てを背負う必要はないにゃ。セリネの手が届かないところをフォローするため私がここにいるにゃ。それに、ミナト様が言ってたじゃにゃいか。この戦いで私たちが負けることなど絶対にありえない、と」


 「ええ、そうだったわね……」


 まるで自分に言い聞かせるようにセリネは呟いた。


 「しかし、あの時の演説は衝撃的だったにゃあ……」


 しみじみとした口調でノワールがそう漏らす。

 アンリエスト軍が出発する際、全軍が一堂に集ったその場所で湊はカタリナ王妃をアンリエスト軍の総司令官に指名した。

 そして皆の前でこう言い放ったのだ。


 『正直言ってしまえば、このトンガールとの戦争、私と仲間たちが出ればあっさりと勝利することができるだろう。しかし、カタリナを総司令に指名したことから分かるかもしれないが、私たちはこの戦いには参加しない』


 皆の前で彼がそう言い放つと、集まった兵たちは驚きのあまり王の演説中であるにも関わらずザワつき始める。

 そんな彼らを一切咎めることなく、湊は淡々と言葉を続ける。


 『我らがこの戦争に参加しないことについてどうしてだと疑問に思う者はいるだろうし、その疑問は至極当然のものだと私は思う。だが、もちろん我々のその行動には相応の理由がある。現在トンガール王国は最もこの国に近い都市であるラスタに兵を集めているところだが、同様の動きをヘムガール帝国がクレッサール王国に対して見せている。両国の国境線に集められたヘムガール帝国の兵力は防衛にあたるクレッサール王国のそれを大きく上回り、正直なところクレッサール一国でそれを退けることは不可能といっていいだろう。その状態にあってみすみすヘムガール帝国のクレッサール王国進出を見過ごし、クレッサールがヘムガールに飲み込まれるというような事態に陥れば、我が国は前後を敵対国家に挟まれるという苦境に立たされることになってしまう。であるからして、ヘムガールの野望を挫くためにも我が国は全力でクレッサール王国を支援しなければならない』


 湊の説明を聞いて、先ほどとは一転、彼の言葉を一言一句聞き逃さないとばかりに兵たちは静まり返っている。


 『とはいえ、我がアンリエストも自軍の数倍たる大兵力を迎え撃たなければならないからそう多くの兵をクレッサールに派遣することはできない。しかるに、私はそれに対し私と直属の部下8人でこれにあたることとした。たった9人の援軍ではあるが、我々の力があればこれで十分ヘムガールに対抗出来るだろうと私は確信している。一方で我々の力抜きでトンガールと戦わなければならない諸君であるが、正直なところ私は何の不安も抱いていない。時間をかけて十分な用意を整えているし、あらゆる状況に対応できる策も練った。兵の数こそトンガール軍に大きく差を付けられているが、その差を補ってあまりある質が我が軍にはあると思っている。かつて諸君たちの先祖は十分な準備も武器もなしにヒト種の大軍と戦い、残念ながら敗れはしたもののそれでも倍する兵相手に互角の戦いを繰り広げた。最終的には力及ばず敗北したものの、亜人たちの力は決してヒト種に劣るものではなかった』


 そこまで言うと、湊は一度言葉を切って兵たち全てに視線を送った。


 『決戦での敗北以降、諸君ら亜人は長いことヒト種によって迫害され、支配され、生命を脅かされ続けてきた。諸君の中には私たちの力無しにヒト種にかなうはずがないと思っている者も少なからずいることだろう。ヒト種の支配を長い間受けたことでそのような考えが骨の髄まで刷り込まれてしまっているからだ。それもまた仕方がないことだろう。しかし、だからこそ地球という別世界からやってきた私と仲間はその戦いには参加しない。我々が参加し、それで戦に勝ったからといって、それは私たち地球人がヒト種に勝ったというだけの話であって、諸君ら亜人が勝利したことにはならないからだ。他人から与えられた勝利では失われた諸君の誇りは決して取り戻すことはできない。ではどうすれば良いのか? 簡単だ。諸君が諸君の力だけでヒト種を、トンガール軍を打倒すればいい』


 その言葉で兵たち、特にその大半を占める亜人たちの瞳に徐々に力が宿り始める。


 『これは、この戦いは真の意味で諸君ら亜人がヒト種の支配から脱却するための戦いだ。諸君らが失った誇りを取り戻すための戦いだ。この戦いに勝利した時にこそ諸君は長い長いヒト種からの支配という不条理な鎖から解放される。亜人種がヒト種と対等なのだと世界全てに知らしめることが出来る。間もなく我々9人は援軍のためクレッサールへと出発するが、トンガールとの戦争を諸君に任せて行くことに不安はない。諸君らは強い。我がアンリエスト軍には地の利があり、将の才能も優れ、十分な策もあり、個々の戦闘能力も優っている。負ける要素など一つも見当たらない。こうは言っても今は私の言葉に半信半疑の者が多いと思う。しかしいざ戦いが始まれば私の言っている意味がきっと分かって貰えると信じている。あえてもう一度言おう、諸君らは強い。夢みたいな話だと笑われるかもしれないが、この戦いが終わって再びこの地で相まみえた際、誰一人欠けることない諸君らの姿をこの目に映すことが出来たなら、こんな嬉しいことはないだろう。また、そのようなことはないと信じたいが、万が一戦場で重傷を負ったり命を失った場合には、その者や家族に対して十分な補償を行うことをここに約束する。勇敢に戦い、そして散って行った諸君らの祖先に恥じぬよう存分に戦場で己の力を発揮してもらいたい』

  

 『以上だ』と降壇していく自分たちの王の背に、兵たちは己の手が痛くなるほどの拍手と歓声を送った。

 湊のこの演説に、兵士たちは奮い立った。


 今まで失うことが当たり前であったものが、上から抑えつけられることが当たり前であったものが、奪われることが当たり前であったものが、これが亜人に生まれてきた運命なのだと、今までは唯々諾々とそれを受け入れてきたものが、全てそうではないのだと初めて認めて貰えたから。

 

 ヒト種のちょっとしたきまぐれで親しい友人を失おうが、愛する家族を失おうが、最愛の恋人を殺されようが、どんな理不尽に晒されようとも今までは涙を飲んでただそれを受け入れるしかなかった。

 

 抵抗する気概さえも失った牙を抜かれた獣、それが自分たち亜人なのだともうすっかり諦めきっていた。


 だから、失うことは、抑えつけられることは、奪われることは、決して当たり前の事ではないのだと、すっかり抜け落ちたと思い込んでいた自分たちの牙は昔と変わらずそこにあり続けているのだと、自分たちの王からそう言って貰えたことは、何よりの希望であった。

 

 トンガール軍に敗北し、ヒト種に再び支配され、いつ何時理不尽に己の全てを奪いつくされるか分からない隷属の日々を送る位なら、いっそ勇敢に抵抗して死んだ方がましだと思えるほどに。

 長らく見失っていた誇りを自らの手で取り戻すことが出来るなら、自分の命を投げ出すことさえ決して惜しくはないと思えるほどに。


 あの場にいた者なら誰もが思っただろう――。


 あの日あの瞬間に上げた歓声こそが、自分たち亜人が掲げたナトーヤ支配からの解放宣言なのだ……と。


 「セリネ、そろそろ腹を括って覚悟を決めるにゃん。これから奪われるばかりだった私たち亜人の一世一代の反撃が始まるのにゃから」 


 「ええ、そうね。そろそろ皆も集まってくることだし、最後の会議を行いましょう」



 そしてこの二日後、トンガール王国とアンリエスト王国両国による歴史に残る戦いの火蓋がついに切って落とされた。



 ◆◆◆

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