第三章 内政編 ④ 経済戦争-7
二日連続で投稿します。
「それでは、我が国の独自通貨の件と、トンガール、ヘムガール両国の条約違反に対する制裁の内容とその調印が無事に済みましたので、次の案件に移らせていただきたいと思います」
飄々とした口調で湊からさりげなく告げられたその言葉に、追い詰められる立場であったトンガール王国、ヘムガール帝国双方の代表のみならず、クレッサール、ロンジエン、ダルムスの三王ですら「まだこの話し合いは続くのか……」と言いたげなうんざりとした表情を浮かべていた。
先の議題、特にトンガール王国とヘムガール帝国に課せられる制裁内容に関しては、制裁を課す立場と課される立場双方ともに互いの意見を譲り合わない熱いやりとりが続き、熾烈な綱引きの結果ようやく話がまとまったと油断したタイミングで、追い打ちをかけるように延長戦の存在を告げられたためである。
「そのような顔をなさらずともそんなに時間のかかる話ではありませんから安心してください」
湊はその秀麗な美貌ににっこりと笑みを湛える。
「あえていうならば確認。……そう、ちょっとした確認ですよ」
言いながら湊が合図を送ると、進み出てきた五十鈴が優雅に一礼して皆に資料を配っていく。
「むっ、これは……地図であるか?」
「ええ、そうです。アレス王が仰る通り、こちらにはここにお集まりいただいている西方五国と我が国が描かれています」
「わ……我が国がこれほど詳細に……」
「いつの間に……」
「……信じられん」
地図を見た王たちは驚きの声をあげているが、それは国の枠と代表的な河川など最低限の内容しか記されていない極めて白地図に近いものだ。
もちろん湊たちは既に人工衛星を利用したこれよりもっと正確で詳細な世界地図を所有しているが、測量技術も満足に発達していないこちらの世界において地図の存在は重要な国家機密であり、他国に対してこちらがその秘密を知っているとあえて教えてやる理由などどこにもないわけである。
「して、これでどうするつもりなのだ?」
「国境線の確認ですね」
言うと湊は地図に注目するよう視線を促す。
「その地図上に赤い線で引いてあるのがそれぞれの国の国境線となっているはずですが、これで問題ないでしょうか?」
「うむ。間違いなかろう」
湊の問いにミレガ皇帝をはじめアレス王、ロスク公王、そしてヘムガールの外交官はしげしげと地図を眺めやり、それぞれ慎重に確認した上で賛同を示した。
アンリエスト帝国分裂後この数百年間、国家間でちょっとした小競り合いはあったもののそれによって国境線が動くようなことはなかった。そのため、どこの国の代表もあっさりとその地図の正確さを認めたのである。
唯一人、空気の読めない男を除けばであるが……。
「我が国はお前の国など認めてはいない。であるからしてこの国境は誤りである!」
……などとと、その馬鹿はしょうこりもなく騒ぎ立て始めたのだ。
しかし……。
「このアンリエストについては我が国が湊殿に領土を割譲したものであり、それによってお主の国の国境線が針の先ほども動いた事実はない。つまりお主が口を出す謂れの話ではないということだ。そもそも湊殿の国を認める認めないの話はもう最初に済んだ筈であろう。今頃になってまたそれを蒸し返すというのであれば、我が国は今後一切トンガールなどという愚か者の国の存在など認めぬ。資格なき者は即刻この場から出ていけ!」
……とアレス王に一喝され、その剣幕に怯んだところへ更に
「アレス王の言う通りだ。クレッサールが国土を誰に譲ろうが我らがそれに口を出す権利などなかろう」
「然り。我らはこの地へ建設的な話し合いをしに来ているのだ。お主の独善的な絵空事を聞きに来ているのではない」
……とロスク公王、ミレガ皇帝からもそれぞれ追撃が入り、更に部下であるグラツェフからもやんわりと自重を促されてしまったエドワルドは、不機嫌そうな表情を浮かべながらもその場をしぶしぶと引き下がった。
「さて、予想外に騒ぎ立てる者がいて余計な時間を食ってしまいましたが……。この話の本命は、こちら側ではなく、こちら側です」
エドワルドに対してちくりと皮肉を込めつつ、湊は地図上の一点を指し示す。
「なんだ?」
「そこは、海……か?」
「その海がどうかしたのであるか?」
「正確には『海』ではなく、ここにあるはずの『島』についてですね。見て分かる通り、その地図は海岸線をかなり正確に描き出していますが、そこには一つも島が記載されてはいません。ですので、皆さんにはそこに自国の領土である島を書き記していただきたいのです。ここに招待するにあたって事前に自国の地図の用意をお願いしていたはずですよね?」
トンガール王国側からは「聞いてない」という恒例の苦情が出てくる。
それについては事実伝えていないので今回に限っては誤りではないのだが、「貴国の国土は海に面していないのでそもそもこの話には関係ないですよね?」と、にべもなく突き放す。
そもそもなぜ今地図を持ち出してこんな話をしなければならないのかというと、この場で細かい島に至るまで明確に領土を確定しておかないと、その所在の曖昧さが原因で後々国家間の紛争に発展しかねないからである。
逆に言えばここできちんと線引きをしておくことで、数百年後になって隣国から突然「その島は古来から我らの固有の領土だから即刻引き渡せ」などとあらぬ言いがかりをつけられて難儀する……というような事態が未然に回避できるからである。
何をそんな細かい話を……と思うかもしれない。
だが、事実として地球では帝国固有の領土にいちゃもんをつけてくるような頭のおかしい隣国がいまだに存在しているのだ。
もっとも帝国に噛みついているその両国とも今となっては国家財政が破綻して既にまともな国家としての体すら保ってはいないのであるが、とにかく自分たちのことは棚に上げて他人を批判する声だけは異常に大きく、しかも無関係な第三者を巻き込んで騒いで暴れるので相手をするのが極めて面倒くさいのだ。
まともな国であればそんな恥知らずなことをするようなことはまずないのであるが、どうにもトンガール王国やヘムガール帝国は、帝国へいちゃもんをつけてくるそれらの国と国民的アイデンティティが悪い意味で極めて酷似していることから、このまま放置しておくと同じ轍を踏む可能性が極めて高いと判断したのである。
だからこそ湊は、将来への禍根を今ここで断ち切るために、それぞれの国の代表が集まっているこの場で『国境はこれで間違いない』と確定された書面をきちんと作成しておき、それを後世に伝え遺すことで先々に渡る領土問題を回避させようと考えたのだ。
白地図を渡して各国の代表に自分達の国の領有する島を書き出させるようにしたのは、既に彼らが把握し領有している島にあえて自分たちが争ってまで所有権を主張するつもりがないという湊の意思表示である。
また、これは『島は先に発見した国の物』という西方諸国同士のルールに則った行動でもある。
とはいえ、自分たちの利益の主張を一切せずにただ相手の自己申告のままに領土の主張を受け入れた――などと聞くと、お人よしもいいところだとあきれる者もいるかもしれない。
だが、かつて地球では合州国の大統領ですら手玉に取った湊がそんな甘い男であろうはずがない。
各国の代表が自分たちの領有する島を地図に書き加えたものを受け取ると、湊は部下を使ってその自己申告が間違いないか、主張が重なっている島はないかを一つ一つ確認させる。
そして全てのチェックが終わり、彼らの申告が事実と相違なく、特に主張が重なる島もないと報告が上がったことで一同がほっと一息ついたそのタイミングを突いて、湊はにこやかな笑顔とともに彼らに問いかける。
「こちらが皆さんの主張を元にして新たに出力させた地図です。この地図上に緑で塗られた部分がロンジエン帝国、紫で塗られた部分がヘムガール帝国、黄色で塗られた部分がダルムス大公国、茶色で塗られた部分がトンガール王国、赤で塗られた部分がクレッサール王国ということでよろしいですね?」
「うむ。問題ないじゃろう」
ロスク公王の言葉に全員が異論なく首肯する。
「了解しました。それでは……」
言いながら湊は五十鈴が差し出す一枚の大きな地図を受け取ると、ニヤリと口の端を歪ませつつそれをテーブルの上にバサリと広げる。
「みなさんが領有権を主張していない――つまりはその存在を把握していないものであり、大陸中央や東方の国々の支配下にも入っておらず、かつ先住者がいないもしくは先住者の了承がある島に関しては、全て我が国の領土ということでよろしいですよね?」
「なんだ、この地図は!」
「まさか……これら全ての所在をミナト殿は既に掴んでいるということであるか?」
「これほどの物をいったいどうやって……」
王たちから次々に驚愕の声が上がる。
その地図に描かれていたのは、王や大使たちが見たことも聞いたこともない大小数千を数える島々と、一つの巨大大陸。もう一つある小規模な一つの大陸。そして南北にある極地。
それは、ここに列席している王たちが良く知る西方諸国を写した地図ではなく、かすかに交流がある中央諸国のみならず全くの未知に包まれた東方世界をも含んだ真に完成された世界地図であった。
「この世界のルールでは最初に発見した者がその島の所有権を得ることになっている筈。つまり、この地図上の青色で塗られた部分に関しては全て我が国の領土ということになります」
「で……出鱈目だ……。こんなのは出鱈目に決まってる!」
地図を見るなりエドワルドが叫んだ。
「海にはあの人嫌いで野蛮な王鯱族が常に目を光らせている。奴らの目を盗んで航海を続けることなど不可能だ! 大方我らが真偽を判断出来ないことをいいことに今の内にありもしない島々の所有権をでっち上げて、後の世で王鯱族の目を盗んで海へ出れるようになった頃になって、たまたまその地図と似たような位置に島があればそれを取ってつけたように自分たちの物だと主張する腹づもりであろう」
「酷い言いがかりですね」
激しく詰問してくるエドワルドに湊は遺憾とばかりに小さく肩をすくめる。
「その地図が正しいか正しくないかは、それこそあなた方が海を安全に航海する術を身に着けた時におのずと分かることです。数百年数千年の間には地殻変動の影響で多少の変化はあるかもしれませんが、それでもその地図の98パーセント以上は現状のまま残ることでしょう。それらを考慮してもなおその地図の一致率が低いということであれば、その時こそあなた方は存分に我が国を糾弾すればよろしい。違いますか?」
「………………」
「それと、海を渡る際の王鯱族からの攻撃でしたか? それについてはもうとっくにあちらの族長と話がついていますのでご心配には及びません」
「はっ、話がついているとは?」
「それは、湊殿の国の船は王鯱族の攻撃を受けず自由に海を渡れるということであるか?」
「ええ、その認識で間違いありませんよ。とはいえ、もちろん海における王鯱族以外の脅威――大型海魔などは自力で排除しなければなりませんけどね」
信じられぬというような表情を浮かべているミレガ皇帝とアレス王に、湊は頷いて肯定する。
「それにしてもあの凶暴極まりない王鯱族がのう……。トンガールの小僧でなくともにわかに信じがたい話であるが……」
「族長と一対一でじっくりと『О・HA・NA・SHI』したら、今後我が国の船には一切手を出さないと約束してくれましたよ。いやぁ、初めは彼も結構ごねてたんですけどね。まあ、同じ人嫌いでもあの黄金竜に比べれば随分と物分りが良くて助かりましたよ」
そう言ってあははーと爽やかに笑う湊を見て、他の王たちは思わず鼻白んだ。
『О・HA・NA・SHI』などと一見穏やかな言葉を使っているが、人を見れば反射的に襲ってくる狂犬のようなあの海の王者たちを、彼が力づくで無理やり言うことを聞かせたであろうことはその言葉尻から明らかだったからだ。
「「「………………」」」
先ほどまでと変わらず涼しい顔をしている湊とは対照的に、王たちはまるでその黄金竜と至近距離で対峙しているかのような圧力に思わず体を震え上がらせていた。
その華奢で繊細な見た目に騙されがちではあるが、目の前の青年は自分たちがどれほど被害を被ろうがただじっと巣にこもって震えながらやり過ごすことしか出来なかったあの黄金竜を、たった一人で討伐した圧倒的強者なのだということを改めて認識させられたからである。
とはいえ、若干一名だけ感性の鈍い男もいたが。
「ふん、それならば我々も力で王鯱族を従えさせればよいだけの話ではないか」
言葉だけ聞けば頼もしくも感じるその勇ましい言葉も、現実をきちんと認識している他の一同にとっては痛ましいとしか表現しようがない。
この世界にたった9種しか存在しない神獣・神人の一柱である海の王者、王鯱族を力で従えるなど、出来るものなら皆とっくにやっている。
そもそもが、言葉尻だけ勇ましく気勢を上げているそのエドワルドの母国は、王鯱族と対峙しようにも海に面してすらいないではないか――。
言葉にこそ出さないが、彼以外の全員が心の中でそう呟いていた。
やれもしない絵空事を王たちが集うこの国際会議の場にて得意顔で吹聴するその姿は、他者からみれば滑稽この上ない。
見れば、事実上の彼のお目付け役であろうグラツェフですら恥じ入った表情で小さくなってしまっている。
苦労して外交官まで昇りつめたあげく馬鹿の子守りとは、彼もとんだ貧乏籤を引いたものである。
◆◆◆
もはや愚かさを通り越してある種の空恐ろしさすら感じさせるエドワルドの醜態を見て、ダルムス公王ロスクは『トンガール王家の血は陰謀を巡らすことだけに特化しすぎて逆に他の部分は致命的に退化してしまっているのではあるまいな』と心の中で密かに疑問を抱いてしまう。
だが、そんな彼らにもほんの唯一といってもいい長所がある。
そして、それだけは本当にあなどれないのだ。
クレッサール王国においては、先日の王女誘拐にあたってトンガール出身の王妃が裏で陰謀を張り巡らせていたと噂に聞いたが、今正にそれと同じような問題が自分の国でも起こりかけている現状を考えると本当に笑えない。
両国の友好のためにとトンガールから妃を迎え入れたはいいが、風習も考え方も全く異なる花嫁を『時間がかかってもダルムスのやり方に慣れて貰えば良い』と呑気に捉えていたのが間違いであった。
トンガール人というのはその偏執性ばかりが目立って他国人からみれば全く羨ましく思えないのだが、どういう訳か民族的アイデンティティが異常に強いらしく、絶対に他国の色に染まろうとしない。
それこそクレッサールに行こうがロンジエンに行こうがヘムガールに行こうが、例え何代世代を重ねようが、絶対に染まらないのだ。
結果、気付いてみたらダルムス王宮内はダルムス派とトンガール派で真っ二つになってしまっていた。
思うに、トンガールの血というのは性質の悪い遅行性の毒のようなものである。
だから、いくら目の前でエドワルドがどれほど愚かな言葉を口走ろうが、決してトンガールを甘く見てはいけない。
その陰謀の血脈を甘く見てはいけない。
普段どんなに見苦しい言動を取ろうが、他者の弱点を正確に見抜き、そこを絶妙な悪辣さで徹底的に攻撃するという一点に関してのみ彼らは天才的な才能を発揮するのだ。
その部分だけを抜き出すならば、トンガール王家の者も十分に化物と言える。
とはいえ……。
「王鯱族だけではない。いずれは我がトンガールがきさまらに取って代わってその地図の全ての島を支配してくれるわ!」
各国の王が居並ぶこの状況で侵略宣言とか、エドワルドが救いようのない馬鹿であることはもはや疑いようのない事実であった。
◆◆◆
「全ての島を支配する……か……」
彼にその意味が本当に分かっているのだろうか……と湊は皮肉気に嗤う。
一概に島と言っても一時間もあれば一周出来てしまうような小さなものから、それこそ日本列島の数倍はある大きなものまでたくさんあり、それに加えて西方諸国全てをまとめたよりも更に大きな大陸が一つと南極に北極。
それら全ての領域を支配するとなるとこれはもうちょっとした海洋帝国である。
とはいえ、誰も住むもののいない無人島ならばまだしも、既に先住者がいる領域を湊は力で支配しようなどとは思ってはいない。
インカ帝国を征服したスペインの征服者や、インディアン戦争で先住民を虐殺しまくった白人入植者たちとは根本的に異なるのである。
というかむしろその逆で、先住者たちとの交易や文化・技術交流などで良好な関係を築きつつ、いずれはやってくるであろう海の向こう側からの征服者たちから名目上の支配者として彼らを守ろうというのがその真の目的だ。
幸いなことに海には王鯱族という絶対的な支配者がいて、それを避けるため海上での船の移動は沿岸部のみに限られている。
王鯱族の存在によって海洋進出を目論む国家の野望が未然に潰されているがために、こちらの世界ではまだ大航海時代が始まっていないともいえるのだ。
とはいえ、仮に王鯱族の問題が解決したとしてもそれで彼らが即海の支配者たる存在に上り詰められるのかというと、そう単純な話ではない。
彼らが大海原に乗り出すのに必要不可欠な羅針盤も未だ発明されてはいないし、その他にも遠洋航海につきものである壊血病の問題など、解決しなければならない課題がまだまだ山積みであるからだ。
特に後者の問題は深刻である。
壊血病というのは長期に渡るビタミンCの不足によって起こる病気だ。
単なるビタミンの摂取不足と侮るなかれ、この壊血病は原因が知られていなかった16~18世紀ごろの船乗りたちに対してかなりの猛威を振るった病で、喜望峰を迂回してインド航路を発見したことで有名なヴァスコ・ダ・ガマの船の船員の実に半数以上がこの病で命を落としている。
当時と同じ程度の技術レベルしかないこの世界においても、船乗りたちの間に壊血病による被害が広がるであろうことは疑いようがない。
もちろん命に係わる病であるので、この原因と治療法を公開することに関しては積極的に行っても構わないと湊は思っている。
だが、湊たちのようにきちんとした食料保管技術をもっていれば恐るるに足りない病気であるが、中世並の技術しかないこちらの世界では、長距離航海に出るにあたって腐りやすい野菜や果物を大量に船に持ち込むということ自体がそもそも難しい。
それなりの実力を持った氷魔術の使い手が常に船に張り付いていれば別であろうが、そもそも魔術を使える希少な人材をそのような手段で使おうと考える為政者や商人たちが果たしてどれくらい出てくるのか……。
その前途はなかなかに困難であるといえよう。
しかし、それでも人間の欲望というものには底がない。
底がないゆえに諦めるということがないのである。
今はまだその技術がないからいい。
だが、進む速度の多寡はあれど、蓄積がある限り技術というものは必ず進歩していく。
そしていずれは王鯱族の支配すら打ち破る高度な海洋技術を擁する国が現れてくるに違いないのだ。
そのような事態になった際に、侵略者による植民地支配という豪雨から、更に桁違いの技術でもって先住者を守る傘の役割を湊たちが果たさなければならない。
地球のあちこちで起こった悲惨な略奪と虐殺の歴史を、湊の支配する領土で繰り返させてはいけないのである。
とはいえ、もちろん湊たちが海の向こう側へ進出するその理由は、人道的なものだけではない。
未開の島々や新大陸などに眠る豊富な石炭、石油、天然ガス、シェールガスなどの化学燃料、ゴムや紙に代表される森林資源や水資源、鉱物資源などなどあらゆる利権を早期に手の内に収めておきたいという利己的な意図もそこには間違いなく存在している。
島々や大陸のみならず、居住には適さないが豊富な資源が眠っていると推測される極地を両方押さえたのもこのためだ。
露骨な資源回収と言われればそれまでなのだが、綺麗事だけでは世の中やっていけないのも確かである。
ただ、少しだけ言い訳をさせてもらうならば、湊たちが資源を押さえにかかっているのは自分達で資源を独占することだけがその目的ではない。
自分たちが資源の産地を押さえることによって産出する量や質のコントロールをすること。アンリエスト国内の自給率を上げること。そして世界に先じての国際港の開設すること。
この三つがアンリエストの未来にとっては絶対に必要だからである。
第一の資源産出のコントロール――。
これは皆が一般的に想像している以上に重要なことである。
その一例を出すなら、アマゾンの森林破壊。
INPEの調べによると、乱開発が原因の森林伐採で2004年には帝都(旧東京都)の約12倍の面積にあたる27,429平方kmもの森林が消えている。
たったの一年でこの状況である。
そしてそれらの大部分が違法業者による不法で無計画な伐採なのだ。
これによって生命の宝庫とまで呼ばれるアマゾンの貴重な自然が恐ろしい速度で失われつつある。今この瞬間もだ。
またこれら森林破壊による被害は、単なる森林面積の減少だけに留まらない。
山の木々が伐採されて禿山になってしまえば、それまで木の根が支えていた土砂がちょっとした雨で簡単に崩れるようになってしまう。
また、今までは森の木々によって地下から大量に吸い上げられていた水が、森林破壊によって木々を失うことで全て地中に流れ込むようになり、それによって地中の保水能力のバランスが壊れて飽和状態になってしまう。
そんなところへ大雨などで大量に水が流れ込んでしまえばどうなるのか?
答えは、洪水による大被害……である。
事実、タイランド王国では19世紀より続くヨーロッパへの木材の大量輸出が原因で熱帯雨林の森林が破壊されたことによって、今でも頻繁に洪水が起こっている。
これと同様に無計画な森林伐採が原因の洪水は、大雅国や北新鮮の経済政策の失敗によっても引き起こされている。
これを「目先の利益に走った国策の失敗」と一言で片付けてしまえばそれまでだが、こうして目の前に悪しき前例がある以上、それを反面教師にして相応の対策を練るのが善き統治者というものであろう。
幸いにしてアンリエストは流れ込んでくる川は魔の森が源泉であり、他国に対して上流の位置にある。
自分たちよりも先に他国によって森林を荒らされたり水源を汚されたりする心配はまずないと言っていい。
海の向こうの領地に関しても、湊たちが主導して慎重に開発を進めていけば良い話である。
地球の技術者たちが試行錯誤の上で積み重ねてきたそれらの手法は決して万能でも完璧でもないが、それでも確かな一つの指標ではある。
農学・環境・土木の専門家である篠原霧枝を中心に進めていくそれは、仮にどんな失敗をしたとしても無能な為政者が進める無計画な開発より悪い結果になることなどありえない。
唯一懸念事があるとすれば、もしそれが無事完遂できたとしても、潤うのは所詮湊の所有する箱庭の中だけの出来事に過ぎないということくらいだろうか。
それ以外の国々について、その問題は変わらず放置されたままなのである。
だが、それは仕方があるまい。
アンリエストの支配者である湊が、他国の王に対してそれを助言してやることは出来ても命令することなど出来ようはずもないからだ。
環境アセスメントの概念がない者に「おたくの開発方法では失敗するよ」と親切に教えてやったところで「そんなのお前の知ったこっちゃない」と返されてしまえばそれでおしまいなのである。
しかし、それでいい。
元よりアンリエストの王である湊には自分以外の支配地に口を出すつもりはない。
まして、この世界をまとめて面倒見ようなどと実現不可能な夢物語にうつつを抜かす腹づもりなど、微塵たりとも持ちあわせてはいない。
あらゆる手を尽くして自分の国と民の生活を豊かにすること――。
究極的な利己主義であるが、目標とするのはあくまでもそれのみである。
ただ『こういうやり方もあるのだ』と環境や労働者に配慮した開発の成功例を他国に見せつけることの意味は決して薄くはない……とは個人的に思っている。
それを生かすか殺すかは、後はもう彼らの問題である。
続いて、第二点の生産物の自給率の向上についての話になるが、理想は交易の重要拠点としてのアンリエストを押さえつつ、国内で消費する食物や生産品に関しては他国からの輸入に頼らず完全に自国内で賄えるようになること。
余剰生産分を他国へ輸出することができればなおいいというところだろうか。
もちろん嗜好品など生活に必ずしも必要でないものに関しては輸入頼りでも別に良いとは思うが、宗教や民族がらみで敵の多いアンリエストとしては、生活必需品や重要資源を外国からの輸入に頼りきるのは現状であまりにも危険すぎる。
そういう意味では、今回の会議で西方諸国の王たちから海の向こうの新領域の所有権を公的に認めさせることができたのは僥倖といえよう。
あれだけの広い領域だ。エドワルドは言うまでもなく、他の三王やヘムガールの外交官も本来ならば物申したい気持ちでいっぱいであったろう。
だが、西方諸国で定められた正式なルールに則って領有権を主張している以上、彼らには何も言えない。王鯱族の監視の目を躱せない以上、手を出すことも出来ない。
出来るとすればせいぜい沿岸部での海賊紛いの略奪行為だが、そんなことを許すほど湊は甘くないし、そもそも王鯱族程度の攻撃を突破出来ない彼らが、帝国の誇る最新鋭ミサイル駆逐艦『蘇芳』と『濡羽』をどうこう出来るはずがない。
それでこそ、『天下布武』に格納できない大型の強襲揚陸艦一隻とその護衛の駆逐艦二隻を、わざわざワイヤーで吊って運ぶ苦労までしてこちらの世界に運び込んだ甲斐があるというものである。
『蘇芳』『濡羽』と強襲揚陸艦『二藍』の三隻は、現在アンリエスト城から約30キロ離れた地点に停泊している。
その場所は湾内であるため波が穏やかで強い風が吹かず、大型船が停泊できるほどに水深が深く、多数の船が停泊するのに十分な広さもあり、かつ海底の地形や地質が投錨するのに適している……と良い港である条件を全て満たしている素晴らしい場所だ。
当然、湊としてはそこに港と造船所を建設し、海上貿易の一大拠点として第二都市を新たに建設する予定である。
その都市の建設予定地とアンリエストの間に若干の距離があるが、都市間の流通を促進させるために街道の整備と更にはこの世界として初となる鉄道を通して、物資の大量かつ高速な移動を可能とするつもりだ。
港を作って鉄道を通してと、かなり性急な計画だと思われるかもしれないが、湊がこの第二都市の建設を急ぐのには訳がある。
一つは、新たに領有する島々や大陸と円滑な流通を図らなければならないため。
もう一つは、今後のアンリエストの行末を見据えて……である。
アンリエストは西方五国全てから伸びる街道が一点に集まった地点にあることから、世界有数の交易都市として発展してきた。
定期的に黄金竜からの襲撃があることが分かっていながら、人口を減らしつつもそれなりの都市規模を維持してきたのは、ひとえに海路で荷物を運ぼうとするとほぼ確実に王鯱族に襲われてしまうことから、どうしても商人たちが陸路を選択せざるを得なかったからだ。
これは逆に言うと王鯱族の脅威があるうちはアンリエストは安泰であるが、いったんその脅威が取り除かれたあかつきには交易都市としてのアンリエストの価値は急落してしまうということでもある。
もちろん陸路での交易が完全にゼロになってしまうことなどあり得ないし、ここを押さえることで五か国全てに攻め入ることが出来る軍事的要衝であることには変わりないためそれなりの地位は確保できるであろうが、それでも経済の拠点としての都市の価値は大幅に失われることは間違いない。
そこで、湊は陸路の中心はアンリエストのままにして、将来必ず起こるであろう大航海時代に先駆けて、世界の海上貿易の中心地を今の内に作ってしまうつもりなのだ。
海路を通じて世界中の品々を第二都市に集め、そこから一大消費地であるアンリエストへと供給する。
『アンリエストに行けば世界中の品物が何でも揃う』
そういう都市としてのブランドを作ってしまえば、アンリエストの価値は下がるどころかむしろ向上する。
更にそこへ新たに発足させる貨幣制度を利用してアンリエストに世界の金融の中心としての価値を加え、また、現在改装中の王城は世界最高の学問・芸術の府として生まれ変わらせ、身分問わず才能ある者たちに広く門戸を開くことで、世界中から学問と芸術の徒たちを一点に集める。
これによって学問や技術、文化や芸術、ファッション、料理、音楽など様々な分野の中心地としても世界中にアンリエストの名を積極的に売っていく。
そうすれば、今までのように西方諸国から街道を通じて品物や顧客が集まるだけではなく、向上心に溢れる質の高い人材が集まってくるようになる。
世界中から様々な民族、人種、種族が集まる国際都市の形成である。
この国にやってきた者たちは湊たちがもたらした進んだ技術に度肝を抜かれ、既存の価値観が一度破壊される。
異文化に触れることで自分の国の価値観だけが世界の全てでないことを知る。
そして、自国の文化に誇りを持ちながらも、他国の文化を尊重する精神を養っていくようになる。
全てが全て思惑通りにいくことはないであろうが、大筋ではそうなるよう影に日向にと働きかけていく。
つまり、湊はアンリエストの地に世界中の物を集めることで、今までこの世界に存在したものとは全く異なる新しい価値感を持つ都市を作り、そこから生まれた新たな知識や文化などを逆に外国へと輸出していくことで偏った宗教観に凝り固まったこの世界の既存の価値観に風穴を開けるつもりなのである。
「さて、ここまでで何か問題はありますか?」
「「「「「………………」」」」」
「ないようですね。では、こちらの合意書にサインを……」
こうして西方諸国の王や外交官たちに海外の領地を認めさせ、その旨を国家の名前で正式に署名させることで、その計画の第一段階は上々の成果をもって無事に終了となった。
◆◆◆
次回で会議にケリがつき、いよいよ戦争編に入る予定です。




