第三章 内政編 ④ 経済戦争-5
「きっ、貴様っ、この私に――」
「陛下! 恐れながら、お聞かせ願いたい!」
激高しながらミナト王に怒鳴りつけようとするエドワルドの口を、一早く言葉を被せることでグラツェフは遮った。
王子に自由に発言させても碌な結果にならないことは明白だったからである。
「……何か?」
グラツェフの聞きたいことなど百も承知だろうに、白々しい口調で青年王は尋ね返してくる。
「そもそも正午という食事時にエドワルド王子を招待したのはそちらのはず。事実、同じようにこの場に招待された各国の王やヘムガールの外交官には食事が供されております。であるのに我が国の王子にのみ出す食事がないとは、いかなる理由があってのことでありましょうか?」
「……理由と聞かれても、私から言うべきことは特にはありませんが?」
あらかじめ話に聞いていた通り、王のものとは思えぬ丁寧なミナト王の口調。
しかし、その態度自体は極めて素っ気なく突き放すものだった。
これには、さすがのグラツェフもカチンときてしまう。
「他の国の王に供したものがエドワルド王子にだけは出せない。それは貴国が我が国を他国とは同列に扱っていないということでしょうか? そのような扱いが許されるとでも?」
非礼とは分かってはいても、ついつい口調が強くなってしまうのを抑えきれない。
「こちらにそのような心算はないとは言っておきます。ただ、出す食事がない以上そう解釈されても仕方がないところではあります。言い訳はしませんよ」
グラツェフの疑念に対し、ミナト王はそれを否定をしつつも、最終的な解釈についてはこちらに委ねるという曖昧な言い回しをしてきた。
しかし、グラツェフの立場からすれば、どのような結論になるのであれ、きちんとした答えを母国に持ち帰らないと自分の仕事をしたことにはならない。
だから、もう一歩だけ奥に踏み込む。
「……もう一度尋ねますが、此度の件に関して、アンリエストは我がトンガール王国をここに列席する王たちの国と同格の国家としてみなしてはいない……と、そうこちらが解釈してもよろしいということですね?」
これはグラツェフの外交家としてのギリギリの質問である。
ミナト王の返答によっては、アンリエストとトンガール両国の関係に決定的なヒビを入れてしまう危険を秘めているからだ。
そのような危険を把握していながらどうしてグラツェフはそこへ向かって一歩を踏み込んだのか?
それは、聡明なミナト王に限ってそのような愚かな行動を取ることはまずないだろうと高をくくっていたからに他ならない。
そんなグラツェフの内心を読んでいるかのように青年王は口元に涼やかな笑みが浮かべる。
しかし――。
「それに対してはそのような心算はないと返答したはずです。とにかく申し訳ないですが何と言われようが出せないものは出せない。理想論とか感情論とかを抜きに私は厳然たる現実を述べているに過ぎません。私が言えるのはここまでです。あとそれをどう解釈するかはそちらの自由です」
ミナト王の口から紡がれた言葉は、残念ながらグラツェフの期待していたものとは大きくかけ離れていた。
自分たちをあっさりと突き放した彼の言葉に、グラツェフは頭が真っ白になって思わず己が耳の健常さを疑ってしまう。
トンガール王国の外交権を持つとはいえ、この場ではあくまでもエドワルドの部下の一人に過ぎない自分の質問に対しても丁寧な返答を返してくれたミナト王の理知的な態度。
それとあまりにもかけ離れた姑息なそのやり口が、どうしても同一人物のものとして頭の中で重ならなかったからだ。
正直なところ、対立する立場でありながらもそのような態度を取るミナト王の気持ちも分からないではない。
故意の遅刻を含む今までのエドワルドの態度の悪さは部下のグラツェフから見ても目に余るものがあったからだ。
だが、それでも一応相手側は自分たちを公的に招いている立場なのだ。
いくら招待客の無礼な態度に内心煮えたぎっていようが、表面上はすまし顔である程度の寛容さを見せるというのが招待した側に求められる度量である。
であるにもかかわらず、敵対国家の者だからといって招待客の中でたった一人にだけ食事を用意しないなどという行為は、エドワルドの行った嫌がらせに対する仕返しとしてもあまりに低レベル。
他国の国賓を招くホスト国としての資質が大いに疑われる行為である。
これにはさすがの他国の王たちも王子の味方をしてミナト王に苦言を呈してくれるだろう……と期待の視線をグラツェフが他国の王たちに向けると、どういう訳か、自分と目が合ったとたん彼らはみなばつが悪そうな表情であらぬ方向へと視線を逸らせてしまう。
(――まさかっ!)
次の瞬間、グラツェフの脳裏をよぎったのは、ロンジエン、クレッサール、ダルムスの三王とホスト国のミナト王が共謀してトンガール王国を格下扱いすることで不当にエドワルドの立場を陥れようとしている――という陰謀論。
……であったのだが、現実はグラツェフが想像するよりももっと単純で、しかもあきれるほどバカバカしいものであった。
「……おのれぇ! 我がトンガール王国の権威がこんな小さな新興国の王風情にコケにされるなどっ!」
「うるさい! たった一食くいっぱぐれたくらいでいちいち騒ぐでないわ! このたわけものが!」
グラツェフが口を噤んだことで再び騒ぎ立て始めたエドワルドを一喝するように放たれたミレガ皇帝の叱責。
「しかし、この男は我がトンガール王国を侮辱したのですぞ!」
「だから、黙っておれと言うておる」
エドワルドを黙らせると、ミレガ皇帝は苦々しい表情を見せながらわしわしと自分の頭を掻いてみせる。
「どうやら勘違いしておるようだから言っておくが、ミナト殿はお主の昼食もきちんと部下に用意させておったよ」
「……っ、では、どうして出さないのです? 私の分も用意してあるというのならば今すぐ出せるはずではないで……」
「食っちゃった」
「……………………は?」
意外過ぎる言葉に思わず目が点になってしまってしまうエドワルド。
「……だから、お主の分はワシら三人で食っちまったと言っておる」
どこかバツの悪そうな表情でミレガ皇帝が言った。
「…………まさかっ!」
はっとグラツェフが視線を向けると、残る二人の王も自分の行いを誤魔化すようにサッと横に視線をそらした。
「……どっ、どうしてそんなことをっ!」
「仕方なかろう。あんな美味いものを食ったのは生まれて初めてだったんじゃ」
「だからって、王子の分にも手を出すなど……」
「だって、我慢しきれなかったんじゃもん」
「じゃもんって……そんなお茶目な口調で言ったからって誤魔化されませんからね! そこで頷いておられるお二方も同罪ですよ!」
エドワルドが吠えるが、王たちの顔には反省の影が見られない。
「そうは言うが、あれは我慢できずとも仕方がないだろう」
「……であるな。信じられるか? 未だ嘗て味わったことのない柔らかさと鮮烈な旨味をもった肉。一口噛むと口の中でジュワーっと肉汁が溢れてくるのだ。そして何より肉が舌の上で溶けていくのだぞ! あれは今まで私が食してきた肉と同じものだとはとても思えぬ。正直、ミナト殿の幻覚魔法で化かされているのかと疑いたくなってしまった位だ。正にそれくらいの夢心地の瞬間であった」
臨場感溢れるアレス王の感想に、王子もグラツェフも思わずゴクリと唾を飲み込んでしまう。
「……もう、残ってはいないのですか?」
「私たちの世界からの持ち込み分になりますので、今回用意した分はもうありません。あとは母国から連れてきた牛の繁殖待ちですね。それも今は試行錯誤の段階ですから、仮に上手くいったとしても次に出せるのは数年後の話になるでしょう」
「な、なんと……」
僅かな期待を込めて確認したグラツェフに返ってきたのは、あまりにも残酷な事実であった。
そうなると納得いかないのがエドワルドである。
「そんな貴重なものを勝手に食べてしまうだなんて、酷いではないですか。いくら各国の王だからと言って許されることではないですよ!」
「酷い? お主は何を言っとるんじゃ? そもそもお主がきちんと時刻通り来ていれば飯を食われることもなかった話じゃろうが。わしらが一体どれだけの時間お主を待っていたと思うておるんじゃ?」
「そっ、それに関しては……こちらの失態にて申し訳なく……」
「……失態じゃと?」
言葉を詰まらせたエドワルドに、ミレガ皇帝がたたみかける。
「たわけ! お主が故意に登城を遅らせたことが分からぬわしらだと思うてか! 元々こちらで飯を食う気もなく、あらかじめ自分たちの屋敷で飯を食うてから出発しておいて、今更わしらに飯を食われて文句をたれるなど筋違いも甚だしいわ!」
「どっ、どうしてそれを……!」
恨み節をミレガ皇帝にあっさりと一蹴されてしまったエドワルドが反射的に発してしまったその一言。
語るに落ちるとは正にこのことであった。
「ああっ」
グラツェフは思わず両手で自分の顔を覆ってしまう。
故意に遅刻した事のみならず屋敷で食事を取ってから出発したことまで完全にばれてしまっている上に、事実を突き付けられたことで動揺した王子自らが自分たちの不手際を認めるような失言をしてしまった。
このことが今後予定されている交渉にも大きな影響を及ぼすことはもはや疑いようがない。
完全な敗北である。
「では、貴国に食事がない件については納得していただけたということでよろしいですね?」
「……はい」
確認してくるミナト王に、グラツェフは弱々しく頷くことしかできない。
「結構です。では、本題に入ることにしましょう」
厳かな口調で、青年王はそう宣言した。
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