第三章 内政編 ④ 経済戦争-4
あらかじめ面会の予約をしていた正午から1時間ほど遅れてエドワルド一行はアンリエスト城に入った。
城への道中で予想外のトラブルに遭遇した……などという理由ではもちろんなく、「アンリエスト側から指定された予定通りに行動することなどトンガール王家の沽券にかけて出来ない」という何とも子供じみた見栄によるものであった。
正直、外交官としてのグラツェフの立場から言わせてもらえば、このような幼稚な嫌がらせを行なったところでエドワルドのちっぽけなプライドを一時的に満足させるのみであり、感情任せのその軽はずみな行動が今後トンガール・アンリエスト両国にとってどのようなマイナス要因にもなるか予測できないため、容認したい行動ではなかった。
しかしその行為の発案者はグラツェフから見れば遥か雲の上の王族。
エドワルドと取り巻きの護衛たちが嬉々として実行しているアンリエスト王への嫌がらせに、一外交官に過ぎないグラツェフが横から口を挟める訳もない。
グラツェフに出来ることと言えば、小さくため息をつきながら主の行動が今後の自分たちの外交活動に深刻な悪影響を及ぼさないで済むようにとただただ神に祈ることだけであった。
こうして指定時間に大幅に遅れて城にやってきたエドワルド一行は、待ち受けていた使用人の案内で名城と名高いアンリエスト城内でも一際立派な扉の前に連れてこられる。
ピピピと縦横3列に綺麗に並んだボタンをメイドが慣れた手つきで操作した後、備え付けの穴のようなものを片目で覗き込むと、「ウィーン」とかすかに聞こえる耳なれない音とともに扉にかけられていた鍵がガチャリと開いた。
(見たこともない鍵だな、最新の魔道鍵なのだろうか?)
そんなグラツェフの疑問をよそに、メイドは目の前の大きく重厚そうな扉をゆっくりと押し広げると、エドワルトたちに深々と一礼して「どうぞ」と入室を促す。
アンリエスト王は既に中にいるのかいないのか。
いずれにせよ、ここからが正念場である。
グラツェフは扉の前でゴクリと唾を一つ飲み込むと、先に部屋に入ったエドワルドの後に続いて意を決したように部屋に足を踏み入れた。
そんなトンガール一行を出迎えたのは……。
「遅いぞ! どれだけワシらを待たせれば気が済むのじゃ、このトンガールの糞餓鬼めが!」
予想外に大音量で攻撃的な老人の罵声であった。
それは時間に大きく遅れたという落ち度があるにせよ、一国の王族である王子にかけるのにあまりに無礼な言葉。
「なんだと! 貴様、一体誰に対して――」
当然のことながら顔が真っ赤になるほど頭に血を昇らせて声の主に反撃しようとするエドワルド。
その一方で、自分の主を怒鳴りつけた人物を目にしたグラツェフの顔は、一瞬で血の気を失い真っ青に染まってしまう。
(これは――まずい!)
今のエドワルドは鎖に繋がれていない狂犬も同然。このまま放っておいたら間違いなく碌なことにはならない。
グラツェフは一瞬で決断すると、即座に行動に移した。
先ほど口走った言葉の後に『――物を言っているのか分かっているのか!!』……と続けながら、今にも相手に飛びかかろうとているエドワルドのその背中に飛びつくと、怒りに任せて放つその啖呵をみなまで言わさぬよう背後から両手でその身体と口元を力任せに抑え込む。
「ん~~モガッ! んん~~ん~~モガ、モガガ~~っ!」
突然の部下の行動に驚きのあまり目を剥きながらも、懸命にその腕を振りほどこうともがくエドワルド。
「き、貴様っ、乱心したか! 王子に対して何をする!」
突然のグラツェフの行動に対して王子の護衛たちが殺気立ちながら取り押さえようと駆け寄ってくるが、グラツェフはそんな彼らをギロリと睨み付けると、その行動を牽制するかのように一喝する。
「馬鹿者! このままだと王子を含めここにいる我ら全員の首が飛ぶぞ! 真に王子と国のことを思うというならお前たちも私を手伝え! そして、私のこの言葉の意味が分からぬと言うなら、いいからそこで黙って見ていろ!」
王子やその取り巻きどもがどれほど強く抵抗しようとも、グラツェフがこの手を緩める訳にはいかない。
単純にトンガールとアンリエストの関係ということであれば、トンガール側は元々この秋の収穫が終わった段階でアンリエストに兵を差し向ける予定であることから、どれほど両国間の間柄が冷えきろうが正直知ったことではないのだが、今ここで王子の行動を許しては、もはやこの問題は二国のだけのものでは済まされなくなってしまう。
『王子、聞いてください、王子!』
背後からエドワルドの口元を封じつつ耳元に顔を寄せると、切羽詰まった声音で呼びかける。
この部屋の主やその客たちに対して体裁を取り繕うためさすがに声のトーンは落としているが、それでも自分の声が彼らの耳に届いていないということはあり得ない。
事実、先ほどエドワルドを罵倒した老人などは口元にニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながらこちらのなりゆきを見守っている。
この時点でトンガール王国としては既に取り返しのつかない醜態を晒していると言ってもいい。
しかし、どれだけこの場で失笑を受けようが、エドワルド王子に決定的な行動だけはさせてはならない。
即ち、相手に対する罵声、あるいは暴力行為――。
それさえなければ、今回の一件で外交的に大失敗ではあっても破滅という最悪の事態には陥らずに済む。
だからこそ、まずはこのどうしようもなく短絡的な男をどうにかしてなだめなければならないのだが……。
『よいですか! お願いですから私の言葉を聞いてください!』
『もがー、もががー!』
完全に聞き分けのない駄々っ子である。
もはやらちがあかないと悟ったグラツェフは、小さくため息をつくと、心の中で一つ覚悟を固める。そして――。
やおら主の両耳をむんずと掴み取ると、そのまま腕を捻って強引に彼の顔を自分の方へと向かせる。
「痛っ、いたたたたっ、貴様っ! 私に向かって何を……」
「い・い・か・ら、お・黙・り・な・さ・い!」
自分の人生を振り返って、過去にこれほどの大声を上げたことはいまだかつて一度もなかったのではないかと言うほどの大声でエドワルドを一喝した。
そのあまりの迫力に圧されたのか、あるいは他人から怒鳴られるという行為自体に慣れていないからなのか、先ほどまであれほど手が付けられなかった王子がまるでびっくりした時の猫のように大きく瞳孔を開き、体をびくりと大きく震わせながら急に大人しくなる。
(もう大丈夫……か?)
そう判断したグラツェフは、抑えつけていたエドワルドの体を離し、その場で片膝をついて王子に頭を垂れる。
『大声で怒鳴りつけてしまい申し訳ありません。ですが、今一度落ち着いて自分に対して言葉を投げた相手をごらんあそばされよ』
「………………どういうことだ?」
ここでようやく少しだけ落ち着きを取り戻した様子のエドワルドは、グラツェフの言うように改めて己を怒鳴りつけたその声の主に視線を移した。
途端――。
「なっ!」
驚きに凍りついた表情のまま、彼は暫し言葉を失っていた。
おそらく予想だにしなかったその人物の存在に、思わず思考が霞んでその場でしばし呆けてしまったのだろう。
「どっ、どっ、どどっ……」
今、エドワルドの前にいるのは、大きな円卓に腰を下ろして豪勢な食事に舌鼓を打っている5人の人物――。
そして、その内の4人までもがグラツェフの(そしておそらくエドワルドも)見知っている人物であった。
「……どうしてっあなた方がっ! 各国の王ともあろうものが何故にこのような場所にっ?」
声を震わせながら発せられたエドワルドの絶叫が、広い室内に響き渡る。
「……なぁに、アンリエストの王が我らが今までに一度も食したことのない美味を馳走してくれるというのでな。ついでに我ら周辺国の王を集めて話し合わねばならぬ何か重要な案件があるらしいが、それはまあこの後ミナト殿本人の口から説明があるだろうて」
先ほど自分達の遅刻を叱りつけてきた鍛え上げられた筋肉質な肉体を誇る初老の老人――ロンジエン帝国のミレガ皇帝――がニヤリと悪戯混じりの表情でエドワルドの問いに応じる。
「然り然り。ありとあらゆる美食を口にしてきた我らをして一度も食うたことのない美食を出すと豪語しただけのことはある。まこと美味なことよ」
「うむ。これだけでもこのアンリエストに来た価値があるというもの。しかも我らの身を王宮まで短時間で送迎してくれるというサービス付きなのだからな」
ミレガ皇帝の言葉に、うんうんと相槌を打ちながらもナイフとフォークを持つ手を止めることなく目の前の料理を味わっているダルムス大公国のロスク公王とクレッサール王国のアレス王。
そして、王たちと同じテーブルで食事するのが恐れ多そうに少し離れた席でやや背を丸めて、しかしちゃっかりと手だけは止めることなくせっせと食事を口に運んでいるのは、グラツェフとも見知った仲でもあるヘムガール帝国の外交官ドワイド・カーラー。
つまり、トンガール王国の王族であるエドワルドを含めれば、ヘムガール帝国の皇帝を除いた西方5国全ての国の王族がこの場で一同に会していることになる。
――だが、この場には忘れてはならない人物が、もう一人いる。
目の前の円卓を囲んでいるのは5人。
そして、その内の4人はミレガ皇帝を始めとする西方諸国の王とヘムガールの外交官であるが……。
問題は、最後に残された一人である。
彼を目にした途端、ゾクッ――とグラツェフの全身が震え上がった。
王たちが一同に囲む円卓の最奥。
そこに、この場に居並ぶ百戦錬磨の王たちと比しても別格の存在感を放つ異質な存在がいる。
先ほどから一つの言葉も発さず、表情一つすら変えず、ただただエドワルドのことを観察しているかのように冷たい隻眼をこちらへ向けている一人の青年。
互いの視線が合った瞬間、グラツェフは確信した。
まるで闇夜の恐怖をそのまま染め上げたような漆黒の瞳と髪の持ち主。
――彼こそが、おそらくこの城の主にしてアンリエストの新たな支配者、ミナト・ヨツナシ。
同じ人間とは思えないその桁外れの美貌。そしてなんと冷たい瞳の持ち主であるのか。
かの神竜をも屠る神の如き剣技を扱う武断の王と聞いているが、その身は細く華奢で、達人の常としてその身に纏う鬼気迫るような迫力は感じない。
代わりにあるのは、まるで地の果てにある永久凍土の如くただひたすらに敵に対して容赦のない氷の意思。
トンガール王宮での彼への評価は個人の武威だけが取り得の脳筋ということになっている。
だが、それはとんでもない間違いだ。
実際に顔を突き合わせたグラツェフの見立てでは、彼の本質はその桁外れの暴力などではなく、むしろその正反対の計算高さと冷徹さ。
『どれほどまでに武威に優れていようが所詮は蛮夫の勇。我らの謀略にかかれば赤子をひねるも同然よ』
……などと高をくくっている今のトンガール王宮では、気づいた時には根元から逆に足を掬われているなどという事態にも陥りかねない。
稀代の謀略家として名を馳せる今のトンガール王をしてこうなのだから、その劣化複製品であるエドワルドでは果たしてどうなってしまうのか。
(まずいぞ! ミナト王の年齢は見たところエドワルド王子とほぼ同じくらい。しかし……これは正直、器が違う!)
後にグラツェフは今の湊がエルフなどと同じ不老種で、現在の実年齢はエドワルドの父であるトンガール王と同年代であったということを知るのだが、仮にミナト王がエドワルドと同年代の頃に全く同じイベントが起こっていたとしてもその結果が変わったとはとても思えない。
両者にある歴然の差が加年による経験の蓄積のたまものではなく、その人物の本質に根差す精神性であることに気が付いたからである。
そもそも、ミナト王が武威だけの人物でないということは、彼が王位についてからのわずかな時間で急速な発展を遂げているアンリエストの街並みを見れば容易に想像できる。
トンガール王国の王都と比しても治安の良さが比べものにならず、人々は活気に満ち、それでいて街中が清潔感にあふれて他国では当たり前に散乱しているゴミがどこを探しても見当たらない。
その上夜になっても大通りや公的な建物から明かりが消えることがなく、それが一層治安の向上を後押ししている。
そもそも闇夜を照らすあの灯りは一体どういう原理になっているのか?
グラツェフは最初あれが全て魔道具ではないかと思っていた。
しかし、魔道具の中では比較的安価であるとはいえ、それでも一般的には十分高価な範囲に入る灯りの魔道具をあれだけの規模で揃えるには途方もない資金と魔力源が必要になるはずであり、そもそもこのアンリエストに立ち並ぶ街灯からは魔道具に切っても切り離せない魔力の痕跡を一切感じ取ることができない。
つまり、それは逆説的に言うと、あの灯りは魔道具ではないという結論が導き出される。
だからといって、あれが一般的に使用されている炎を灯すランプであるということはあり得ない。
光量が明確に違うし、なによりランプの炎にみられるゆらぎが存在していない。
このアンリエストの闇夜を照らす不思議な灯りは、ランプ製の街灯が照らす薄ぼんやりとした光量に頼る他の国の都市などとは比べものにならないくらいに明るい。
もちろんこの灯りに照らされているのは王都アンリエストの全域という訳ではない。
しかし、今この時でさえも新型街灯の設置工事は進んでおり、少しずつではあるものの確実にその領域を広げている。
さらに言うならば、上流階級の間で大流行している『名刺』や『写真』
出所不明のそれらの技術に対してトンガール王国上層部は何も気に留めていないようだが、これらの出所も実はこのアンリエスト王からではないかと密かにグラツェフは疑っている。
それはつまり、王族や貴族たちが我先を競うようにじゃぶじゃぶ投入している『名刺』や『写真』の購入費用が、そっくりそのままミナト王の懐に入っているということでもあるのだ。
(アンリエスト王……彼は、危険だ!)
未知の技術を当たり前のように使いこなし、極めて優秀な政治能力を併せ持つ。
頭が切れる上に柔軟な思考力を兼ね備え、ナトーヤ教の教義抜きに考えれば国民全てに対して極めて思いやりがあり、かつ公平。
善行を行うに即断という行動力があり、民の生活を大きく向上させたという実績とその類まれな容姿による圧倒的なカリスマ性を持っている。
その一方でトンガール王国側はというと……。
「えー、さきほどのはですね……。何と言いますか、突然のことであって正確な判断が下せなかったといいますか……」
己の晒した醜態を何とかごまかそうと、額から滝のように流れ落ちる冷や汗をハンカチで懸命に拭いつつぼそぼそと口元で弁解の言葉を必死に絞り出している隣のエドワルドの姿をみるだに、せめて彼に10分の1でいいからミナト王と同様の実力があってくれれば……と嘆かずにはいられない。
「……もうええわい。時間の無駄じゃからとっとと席につけい! お前の場所はそこじゃ」
「はっ……はひっ!」
あきれたような表情でため息交じりに吐き出されたミレガ皇帝の言葉を受け、そそくさと指定の場所に駆け込む――そんな王子の情けない後ろ姿を眺めながら、グラツェフを始めとするエドワルドの部下たちはなんとも言えないいたたまれなさに心を支配されてしまう。
(時として無能な味方は有能な敵よりもやっかいであるというが、まだ本題すら始まっていないのに肝心の王子はこの調子で、果たして我々は無事に本来の目的を達成することが出来るのであろうか?)
しかも、しかもだ。
なんという面の皮の厚さか、よりによってこの王子、列席する王たちと並ぶ席に腰をおろした途端、まるで今まで積み重ねた失点が消失したかのごとく横柄に振る舞い始めたのだ。
喉を潤すようにと出された信じられないくらいに精巧に作られたガラスのコップを見るなり「帰る時にこれを土産によこせ」と要求してみたり、その飲み物を運んできた美しい少女に露骨に好色な目を向け、しまいには「俺の女になれ」と口説き始めた上にすげなく断られて「俺の言うことが聞けないのか」と逆ギレし始めたり、慌ててグラツェフがなだめて何とかやり過ごしたと安心したのもつかの間、遂にはミナト王に対して「お前の国の食事のレベルを俺が食って判断してやる」だの「言われなくとも客に食事を出すのが当たり前だ」だのと今までの自分の振る舞いを完全に棚上げして上から目線で語り出す始末。
もはや、やりたい放題である。
自分の国の王子のあまりに恥知らずな振る舞いに、グラツェフたちは赤面したままその場で俯くことしかできない。
ミレガ皇帝や、アレス王、ロスク公王などもまるで信じられないものを見たかのような表情でエドワルドに視線を送っている。
とはいえ、ホスト国としてこの場に各国の代表を招いているアンリエスト王が客人の食事を用意していない訳がない。
しぶしぶとではあるが、エドワルド王子の要求を呑んでくれるだろうなと漠然と予想していたグラツェフは、この後のミナト王の想像の斜め上を行く対応によって一気に顔を青ざめさせることになる。
「申し訳ないですが、貴公に出す食事はありません」
「………………………………………………は?」
「ですから、貴公に出す食事はないともうしあげましたが?」
「………………なん、だと?」
一週間以内にもう一話投稿できれば……と思っています。




