第三章 内政編 ④ 経済戦争-3
大勢の人出で賑わっているアンリエスト市街。
その通り中央を一台の馬車が悠然と駆け抜けていく。
見るもの誰もが振り返る豪華な装飾が施された馬車の中で、眉間に皺を寄せながら厳しい表情で物思いに耽っている中年男性――。
彼の名はグラツェフ・フェイノルト。
ここアンリエストにおいてトンガール王国大使のようなものを務める男である。
そのグラツェフがどうして「……のようなもの」などと曖昧な表現で形容され、己の立場をトンガール国の大使であるとはっきり言い切ることができないのかというと、それは、グラツェフの母国であるトンガール王国とその同盟国である大国ヘムガール帝国の二カ国が、このアンリエストの地に若き王者が興した新しい国の存在を正式に承認していないからだ。
ナトーヤ教を国教とし、支配者階級のみならず平民、それどころか最下級層たる奴隷に至るまで亜人蔑視の概念がいきわたっている両国にとって、すべての種族の平等を掲げる新国家の存在を容認することなど出来るはずもない。
出来るはずもない……筈なのだが、しかし、だからといって西方五国から伸びる街道全てと繋がる経済の中心地であるアンリエストの存在を頭から無視して交渉を絶つ……などという強硬手段に訴えることもできない。
食料自給率の低いトンガール王国にとって、それはただの自滅行為に他ならないからだ。
こと西方諸国と国境を接している――という点だけで見るならば、トンガール王国の同盟国であり事実上の宗主国でもあるヘムガール帝国も一応全ての国と隣接してはいるのだが、同じ条件を持ちながらも、ヘムガール帝国はここアンリエストのような経済の中心地とはなり得ない。
なぜなら、西方五国全てと平坦で行き来のしやすい街道で繋がっているここアンリエストと異なり、ヘムガール帝国が隣国と面しているのは強力な魔物が跋扈する往来の困難な険しい山沿いばかりであるからだ。
唯一グラツェフの母国トンガールとは無理すれば交易出来なくもない程度には道が繋がっているが、それでも第三国であるアンリエストを経由した方がはるかに早く、安上がりで、しかも安全という始末である。
先だってヘムガール帝国はクレッサール王国に圧力をかけるため国境に大軍を展開させていたが、険しい山中に大軍を駐留させたために兵たちは魔物に襲われながらの長期に渡る野宿を余儀なくされ、補給に関しても最も近い都市からの輸送に荷馬車などが使用できないためにかなりの無理を押し通したと聞いている。
逆に言えば、これは大国が正規軍を以て採算度外視で力押ししたから何とかなったというだけで、これと同じことを国をまたいで商いをする商人たちに求めるのはあまりにも酷というものであろう。
軍隊が補給なしには成り立たないのと同様に、食料の供給を始めとする経済活動を抑えられてしまえばトンガール王国はたちまち干上がってしまう。
そうなれば、来る戦争で領土を拡大するより先にトンガール王国の方が食料を求める民衆の反乱によって滅亡してしまうという可能性すらあり得る。
トンガール王国としては、少なくとも戦争を起こせるようになる麦の収穫後までは今の状態を維持しないとまずいのである。
とまあ、そんなやむに已まれぬ理由もあり、正式に国を認めた訳でも国交を結んだ訳でもない……というか完全に敵対国家である両国だが、非公式にではあっても外交チャンネルを維持しなければまずいということで派遣されてきたのがグラツェフという訳なのである。
そのような事情もあり、グラツェフの求められている役割は通常の大使と同じ。いや、ここが事実上の敵国であることを考えればそれ以上にデリケートなもので、両親がアンリエストからの難民(かの黄金竜のせいである)であったというただそれだけの理由でアンリエスト大使に選定されてしまったものの、常に他人を出し抜こうとギラギラしている同僚たちとは異なり、特に出世欲も政治的野心も持ち合わせていないグラツェフにとって今回の人事は迷惑もいいところであった。
そんな彼に対して母国より最優先で行うべきものとして下された頭の痛い命令――。
それは、つい先日トンガール系列商会が王の指示によって取り潰されたことに対する抗議とその処分の即時撤回、そして一連の事件に関わる謝罪と賠償の要求である。
……とは言っても、元はといえばトンガール系列商会の方が以前の領主と謀ってアンリエストでも有力な商会を焼き討ちしたというのがその原因で、既に実行犯と黒幕からの自白が取れている以上、本来は謝罪と賠償の要求も何もあったものではない。
しかし、自分たちがどんなに間違っていようがしつこく文句を叩き付け、駄々を捏ねて大騒ぎし、それによって相手側から譲歩を引き出すというのがトンガール王国の伝統的な外交スタイルなので、この際真実がどうとかそういうものは関係がない。
そう、トンガール王の言葉を借りて言うのならば、「歴史というものは真実を記録するものではない。自分たちに都合の良いものを作り上げるものなのだ」ということになる。
おそらく今回の事件についても、今頃母国の方では自分たちに都合が良い出所不明な証拠が「また新たに発見」されていることであろう。
そしてその作られた証拠を盾にしてアンリエスト側の言い分に真っ向から対立し、自分たちの一方的な瑕疵という不利な状況から一転、双方痛み分けでの五分の解決を狙っていくことになる。
これだけ聞くとおかしなことのように思えるかもしれない。
事実、アンリエスト出身でしかも大使として外国暮らしが長いグラツェフなどは、自分たちの国のそのような考え方が歪であることに気が付いている。
おそらくだが、過去において今と同じような他国からの弾劾の場があり、執拗に嘘八丁を並べ立てて自己正当化したことで相手側があまりのしつこさにいよいよ嫌気がさして「はいはい、もうそれでいいですよ」とばかりに引いてくれたのを、自分たちの外交の勝利だと勘違いしてしまった……という程度のことがその始まりではないだろうか。
何事に関しても経過や真実よりも結果を重視するトンガール人の気質と相まって、自分たちのその見苦しい行いが「勝利」の二文字によって正当化されてしまったのだ。
しかし実際のところ、何があっても自分の非を認めず、罪を他人になすりつけたり逆ギレしてうやむやにするような手段が当たり前のトンガール的思考にどっぷり漬かっている中央の手法は、表面上は上手くいっているように見えても内実は他国からの信用を大きく失っているだけである。
おそらく今回の一件に関しても、トンガール王や官僚たちは「亜人たちがヒト種と同列に扱われるような国家に対して自分たちが何を行おうとも自由であり、それに対して相手が文句を付けたり関係者を処分することこそが不遜であり、ちょっと脅しつければ言うことを翻すに違いない」程度に軽く考えていることであろう。
しかし、グラツェフは恫喝や逆ギレを主武装とするトンガール流外交術が既に限界を迎えていることに気づいており、今すぐにでも何とかしないと国際社会から孤立してしまいかねないと危機感を抱いているし、既にその旨を何度も上に諫言しているのだが、残念ながらその耳障りな忠告は主君の耳を素通りしていってしまっているようである。
そして、己に都合の悪い忠告に対して一向に耳を傾けようとしないトンガール王家のその悪癖は、この馬車でグラツェフの対面の位置に腰かけているゴテゴテと派手な服装を身にまとった青年――トンガール王国第一王子エドワルドにもしっかりと受け継がれてしまっている。
自分の前髪を指でくるくると巻いて悦に浸っているこの自己愛者の王子は、いつまでも成果のあがらないグラツェフを見かねてわざわざ本国から出張ってきたということになっているが、それは表向きの理由で、実のところは先日の商家取り潰しの件でアンリエスト側を脅して得る(予定の)利益と権益を自分の子飼いの別の商会に移すのが真の目的であると思われる。
わざわざ王族であるエドワルドがわざわざアンリエストまで出張ってきた原因が自分自身の仕事の遅れにあると言われてしまった以上、グラツェフとしてもあまり嫌な顔はできない。
だが、元はといえば明確な証拠も挙がっている真っ黒な案件を屁理屈こねて白にしろなどと無理難題を吹っかけられているのだから、結局のところ本当の被害者は終始トンガール王家の我儘に振り回されているグラツェフの方であった。
とはいえ、本来ならば「そこまで無理難題を求めるのならば自分たちで勝手に解決しろよ!」と叫んでしまいたいくらいのこの場面で、こちらが言い出す前に王族であるエドワルド自らこの問題の解決に動いてくれると言うのだから、考えようによってはむしろ余計な手間が省けて都合が良いという考え方もある。
そして――事実として王族である彼が事の収拾に動いたことで一応事態が好転した面もあることにはあるのだ。
母国からの命令に従い、グラツェフは今まで何度となく王に対して謁見の許可を求めてきた。しかし、その要求は(当然のことながら)ことごとく門前払いされきた。
にもかかわらず、今回はエドワルドの名を出したことであっさりと謁見の許可が下りたのである。
こういう言い方は主君の息子に対して悪いかもしれないが、腐っても王族ということなのだろう。
「あの僭王めが、金を用意して来いということは此度の面会で我が王国の威に屈して譲歩する意思の表れと取ってもよいであろうな?」
不敵にほくそ笑みながらエドワルドが問うてくる。
「……だと良いのですが。しかし、譲歩で済ますつもりであるならば金貨40枚という数字はいささか少なすぎるのが気にかかります」
「ふむ。確かに金貨40枚、それもヘムガール、クレッサール、ロンジエン、ダルムスそれぞれで発行する金貨をそれぞれ10枚ずつ用意しろとは……手間をかけさせることで我らに嫌がらせでも行っているつもりか?」
「……分かりませぬ」
言いながらも『まさか……』と嫌な予感がグラツェフの頭をよぎる。
しかし、『……いや、ないな』と彼は小さく頭を振りながら思い返した。
もしグラツェフが気にかかっていることを相手が狙っているのであれば、他国の金貨ではなくトンガール王国の金貨を要求してくるはずだからだ。
「ふん。我が王国の威光の前にはかの僭王も小さな嫌がらせを繰り返すことしか出来ぬのであろうよ。なんとも愚かしいことだ。ふははははは!」
ふんぞり返りながら高笑いするエドワルドを横目に、心の内に湧き上がる不安を押し隠すように深呼吸を一つすると、「そうですな」とグラツェフはどこか歯切れの悪い言葉を返し、己の嫌な予感が的中しないことをナトーヤ神に祈った。
――しかし、残念ながらその真摯な願いは彼の信じる神の耳に届くことはなかった。
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すいません。主人公次出てきます。




