第三章 内政編 ② 技術者たち-4
街の支配者が変わり、そして常に住民の命を脅かし続けてきた黄金竜が討伐されたことによって、このアンリエストは数ヶ月前の寂れきった活気の無さがまるで嘘であったかのように人々の笑顔と生活感に溢れた街に変貌している。
ヒト種から迫害されて街の隅に身を寄せるようにひっそりと生活していた亜人たちが堂々と表に出てこられるようになったことも街を賑わせている要因の一つであろう。
最盛期からは大きく人数を減らしていたとはいえ、それでも二十万以上の人々が生活していたのだ。
もちろんそれだけの人数がいればいかな理由があろうとも通りに全く人出がないなどということはない。
周囲の国から延びる街道が一点に交わる交通の要衝に位置する立地なのだから尚更である。
であるにも関わらず、どこか翳りを帯びた不穏な雰囲気を漂わせていたのがこのアンリエストという都市であった。
ここ数百年に渡って見られなかったほど活気に満ちている大通り。
そしてそこから延びる一人がどうにかすれ違えるかどうかという細くて薄暗い路地――。
大通りから伸びる日の光が路地裏に作りだす薄暗い――影。
そこに、ひっそりと隠れるように一人の少女が蹲っていた。
シーリン・ナタレ――それが彼女が両親から名づけられた名前である。
しかし、今の彼女は薄汚れたボロボロのローブを身を包んだただの宿無しに過ぎなかった。
そしてそんな彼女も、おそらく明日の今頃は宿無しですらないただの名もなき死体になり果てていることだろう。
今までは街角に捨てられている僅かな残飯や道端に生えている雑草などでどうにか食いつないできたが、まともな食事といえる食事はもう一月近く口にしていない。
栄養不足ですっかりやせ細ってしまった体は、もはや自分自身の力だけでは立ち上がることすらままならないほどに弱っている。
あとはこの狂おしいまでの空腹に苛まれながら、たった一人、人知れずこの場で最期の時を迎えるしかもう彼女に道は残されていなかった。
シーリンはほとんど力が入らない震える指で己が身にまとっている服の胸元に手を入れると、首元から下げたペンダントを己の目線までゆっくりと持ち上げる。
それは空腹で死にかけている少女が持っているとは思えないほど見事なエメラルドがあしらわれている一品であった。
少女は震える手でぎゅっとペンダントを握り締めると、フードから僅かに覗いた右目から一筋の涙を滴らせる。
「おと……さん、おかあ……ん。そして、じいや……ごめ、なさい……」
それは彼女の両親の形見の品だった。
もしそのペンダントを売ってお金に換えれいれば、もしかしたら今の状況になるまでにあと一、二年の猶予は稼げていたかもしれない。
大事な形見といえど、このままこの地で事切れてしまえば、結局は自分が死んだ後に誰か見知らぬ第三者の手に渡っていってしまう。
しかし、シーリンはそれが分かった上でなお形見を売る道を選ばなかった。
例えこれから僅かばかり命を永らえたところで、この先彼女に明るい未来が待ち受けていることなど決してあり得ないと分かっているからだ。
そう、顔から上半身にかけて左半分が焼け爛れてしまっているこんな醜い自分が、街行く人々から化け物同然に見られ、避けられ、邪険にされ、場合によっては嫌悪や理不尽な暴力の対象とすら見られているこんな自分が、これ以上生き恥を晒したところで一体なんになるのだろうか。
それに、仮にこんな自分が形見を売りに行ったところで、業者に足元を見られて安く買い叩かれるか、どこかから盗んできたと疑いをかけられて官憲に突き出されるのかのどちらかであろう。
ならば、このまま両親の形見を胸に抱いて、その想いに包まれたまま最期の時を迎えた方がよほどましというものだった。
「……はぁ」
シーリンは苦しげに息を漏らすと、ペンダントを握り締めたままゆっくりと瞳を閉じる。
そして懸命に記憶にある両親の姿を瞼の裏に思い浮かべた。
すらりとした長身に淡いブラウンの髪を持ち、甘いマスクと細かい気配りが他人を惹きつけてやまないシーリン自慢の父親。
ふんわりとウエーブしたやわらかい髪とどこか幼さの残る可憐な容姿が、まるで深窓のお嬢様のようだと知り合いの間で評判だった優しくておっとりとした性格のシーリンの大好きな母親。
そしてそんな二人から生まれた自分は、今でこそこんな身だが、当時は将来は母親を超えるであろうと評判をとったほどの街一番の美少女であったのだ。
このアンリエストの街でも十指に入るほどの商家であったシーリンの実家は、両親の人柄もあってか商売も順調で、優秀な使用人たちにも恵まれ、何不自由なく育った自分はその幸せな日々がいつまでも続くものだと信じて疑っていなかった。
そう――2年前のあの日までは……。
彼女の幸せな日々をぶち壊したのは、凶悪な強盗たちだった。
静まり返った夜半過ぎ、悲劇は突然やってきた。
強盗たちは屋敷に押し入ると、金庫の金を奪い、住み込んでいる使用人たちを手当たり次第に殺害しながら屋敷に火を放った。
事件が起きた時まだ夢の中にいたシーリンは、母親によって強く身体を揺り起こされると、万が一自分たちとはぐれてお金に困るようなことがあった場合これを売るようにと言い含められながら首にペンダントをかけられ、母親に手を引かれるまま親子三人この屋敷から無事に脱出するために裏口へと向かった。
しかし、逃げる途中で強盗の一味に見つかってしまい、両親はその場からシーリンを逃すため「後で必ず追いつくから先に逃げなさい!」と言い残して使い慣れないナイフを片手に彼らへと勇敢に立ち向かっていった。
後になって冷静に考えてみれば、『後で合流する』という父のその言葉はシーリンに先に行かせるための方便で、その時両親は既に自分一人を逃がすために自分の命を投げ出す決意をしていたのだと分かる。
しかし、その時のシーリンはいきなり命を狙われるという突発的な事態に頭が付いていかず、ただ言われるがまま必死に出口へ向かって走るしかなかった。
激しい炎と煙に巻かれながらも何とかこの廊下を駆け抜けて角を曲がり、ようやくあと少しで裏口に出るというところまで辿り着いたシーリン。
しかしこの世界は彼女にとって優しくはなかった。
炎に包まれた廊下をギリギリかいくぐり、外への扉を抜けたと思ったその瞬間、ゴオッと音を立てながら横からもの凄い勢いで炎が襲ってきたのである。
とっさに体を捻って直撃はまぬがれることができたが、逃れることが出来たのは半身のみ。
シーリンの左半身は一瞬のうちに燃え上がり、肉が焼ける嫌な臭いを立て始めた。
体が芯から焼き尽くされるような痛みに耐えながら、シーリンはとっさの判断で裏庭の先にある小川に飛び込むことで火が前身に燃え広がることを防ぐことができた。
しかし、体の半分近くに重度の火傷を負った彼女は、そのままその場で力尽きて意識を失ってしまう。
次に彼女が目を覚ましたのは粗末なベッドの上だった。
「おお! 良かった。お嬢様、お目覚めになられましたか?」
そう言ってベッドに横たわるシーリンの顔を心配そうに覗き込んできたのは初老の老紳士。
「……じい」
その老人はシーリンの両親が経営する商会の支配人――じいやことローラッド・アルバスであった。
「お嬢様、ご無理をなさらずそのままで」
起き上がろうとするシーリンを慌てて諌めてくるローラッド。
彼の話によると、シーリンの火傷はかなり酷い状態で、治癒術士に依頼して高位の治癒魔術をかけてもらった状態でなお三日三晩生死の境を彷徨っていたらしい。
幸い小川に飛び込んたほとんど直後と言ってもいいタイミングでローラッドがシーリンを発見し、そのまま速やかに治癒術士の元へと運んでくれたためどうにか火傷の処置は間に合ったらしいのだが、かろうじて命は繋ぎ止めたものの、焼け爛れた皮膚の再生は残念ながらその治癒術士の実力では出来なかったとのことだった。
そして、自分の半身が醜く焼け爛れてしまったというショッキングな知らせの直後、シーリンはもう一つ残酷な知らせを聞かされることになる。
――両親の死である。
自分を襲う度重なる不幸な知らせに、僅か11歳というシーリンの幼い心は絶望の淵にまで追い込まれてしまう。
それでもどうにか持ちこたえることができたのは、ローラッドの献身的ともいえる介護のおかげであった。
そして、シーリンはしぶる彼の口から今回の事件の顛末をようやく聞き出すことに成功する。
屋敷に押し入って悪逆の限りを尽くした強盗たちは結局捕まらなかったこと。
守備隊の者があまり強盗を捕まえることに積極的ではなかったことが原因らしい。
ローラッドは残された商会を運営することで何とかシーリンに資産を残そうとしたらしいのだが、無借金経営であったはずの商会にどういう訳かありもしない借用書を持ったトンガール王国系の商会の代表が押しかけてきて、経営権を含めて全て奪われてしまったこと。
領主に不服を申し立てたが、門前払いで全く相手にしてもらえなかったこと。
資産のほとんどを奪われてしまったため、このようなあばら屋しか借りることが出来ず、シーリンに対して申し訳ないこと。等々である。
ローラッドから聞いた話を総合するに、トンガールの商人とアンリエストの領主がぐるになって屋敷に強盗を差し向けてきたとしか考えられなかった。
ちょうど領主から多額の賄賂を求められて断ったタイミングの直後であったらしいので、恐らくこの推測は間違ってはいないだろう。
その後はローラッドの持つ僅かな資金を頼りにささやかな生活を二人で送ってきたのだが、そのローラッドも一月前に流行病をこじらせてあっけなく息を引き取ってしまった。
最期に残された僅かなお金でローラッドの葬式をあげると、シーリンにはもはや家賃を払うお金すら残ってはおらず、そのまま寒空の下へと放り出されることになってしまった。
あれから一ヶ月。残飯をあさり、泥水をすすってどうにか命を繋いできたシーリンであったが、どうやらここらが限界のようである。
命を賭してまで自分を逃がしてくれた両親や、生き残った他の従業員たちのようにさっさと自分を見捨ててもよかったにもかかわらず、まともに体を動かすことも出来ない足手まといでしかないこんな自分に懸命に尽くしてくれたローラッドには申し訳ないが、これ以上生きるための無駄な努力をする気になどもはやなれなかった。
他の女性たちのように我が身を売ることが出来れば生きる道もあったかもしれない。だが、半身が無残にも焼け爛れている醜いシーリンの身体を買おうなどという酔狂な男などいるはずもない。
シーリンの人生は、生きながらにして既に終わっているのだ。
(もう……いいや……)
このまま優しかった両親とローラッドの思い出に浸りながら静かに人生を閉じよう。
死を迎えるせめてその瞬間くらいは暖かくて幸せだったかつてのあの日々の余韻に浸って終わりたい。
形見のペンダントを握り締めながら、そう静かに決意した。
そんな時だった。
穏やかな最期を迎えたい――そんなシーリンのささやかな願いさえ踏みにじる最悪の男たちが偶然この場を通りがかってしまった。
「ちっ、なんだよ。このでっけえゴミは」
「ん? これは、人間……なのか? 全く、邪魔だっつーの!」
「それより見てみろよ、この死にかけやたら高価そうな宝石持ってやがるぜ」
「おめえ何を言ってんだ? そんなうまい話あるわけねえだろっ……て、おいマジじゃねぇか!」
「こんな死にかけが持ってたってしょうがねぇもんだし、せっかくだから貰ってくか!」
「……だな」
(な……にが…………?)
手放しかけていた意識が、騒がしい男たちのダミ声で呼び覚まされる。
(誰か……そばにいる?)
薄っすらと開いた瞳の先には虎人族らしき二人の獣人の影。
ぼやけていた視界が徐々に焦点を結んでいき、やがて彼らの顔をはっきりと瞳に映していく。そしてシーリンの脳が完全にその対象がなんであるかを理解したその瞬間、今にも止まりそうだった彼女の心臓は一際大きく鼓動を打ち鳴らした。
(こ……この男たち、は……!)
――忘れるはずもない。
両親を、家を、そして己の半身を――。
大事な物を全て失ったあの日、あの時、あの場所で、シーリンはこの二人と確かに出会っている。
屋敷を襲った強盗の一味。
そして、屋敷から脱出しようとするシーリンたち一家の前に立ち塞がって、両親とシーリンが離れ離れになるきっかけを作った男たち。
つまり――このふてぶてしい顔をした獣人二人組こそが、憎んでも憎みきれないシーリンの両親の仇なのである。
(ゆる……さない……。こいつら、だけはっ……!)
これが仮に両親の敵でない他の人であったなら、シーリンは宝石を自らの手から奪われるのを諦めていたかもしれない。
いくら大事な形見であったとしてもあの世まで持っていくことは出来ないのを分かっていたからだ。
しかし今、憎んでも憎みきれない敵が目の前にいる。
今にも燃え尽きそうな細々とした命のその最期の搾りかすを燃料にして、シーリンの心に暗い復讐の炎が灯った。
「……しかしよぅ、トンガールにとんずらこいたあのラムセルの野郎に置いてけぼりにされて以降あまりいい話がなかったが、意外なところに儲けのタネってなあ転がってるもんだな」
「全くだ。しかしあの豚野郎、汚れ仕事を引き受けてさんざん役に立ってやった俺たちをあっさり見捨てて逃げやがったからな。今思い出してもハラワタが煮えくり返りそうだぜ」
「だがまあ、あいつもトンガールに着く前にこの国の新しい王になったってぇ奴にとっ捕まっちまったって話じゃねぇか。それにあいつと一緒にここを出て行った家臣共もみんなその場で殺されたか捕まったかして無事に逃げおおせた奴は一人もいなかったらしい。なにしろ王女誘拐犯とその一味だ。捕まった奴らも皆拷問で黒幕の情報抜かれた後で公開処刑ってところだろう。そう考えれば以前に比べて多少羽振りが悪くなったとはいえ、この街に置いて行かれた俺たちの方が結果的に見りゃあ運が良かったってことになるんじゃねぇのか?」
「違いねぇ。あの豚野郎もたまにはいい仕事をするわ」
そう言ってガハハと下品に笑いあう男たち。
そんな彼らの言葉が、ローラッドの前領主と屋敷を襲った襲撃者たちが繋がっているという主張を裏付けていた。
(なんとか……敵を……)
そうは思うが、今のシーリンにはあまりにも出来ることが少ない。
満足に身体を動かすことは出来ない。
その代わりに、必死で思考を巡らせる。
今の彼女に出来ること。
一瞬で判断を下すと、即座に行動に移す。
とは言っても出来ることといえばただ大通りに向かって這いずることだけ。
いつも潜んでいる暗い路地裏から、少しでも明るい大通りへ。
動かない身体に必死に鞭を打って、命を燃やすようにして地面を這いずる。
だが、それでも30センチも先に進めない。
たった1メートル足らずの距離にある大通り、それが今のシーリンにはとてつもなく遠かった。
「おい、こいつ逃げようとしてるぜ」
「ぷっ、うける。こんな芋虫みたいな動きで俺たちから逃げられると思ってるのかよ」
男たちの嘲笑が耳を打つ。
だが、これでいい。
シーリンとてはなっから逃げられるとは思っていない。それにそもそも逃げるつもりすらない。
彼女のいる場所が男たちよりも表通りに近い位置であれば、それでいいのだ。
「他のやつに気づかれたら面倒だ。さっさと宝石を頂いてとんずらするぞ」
言うと、男は這いずるシーリンの髪を乱暴に掴んで上半身を引き起こす。
瀕死の彼女に抵抗されるなど露ほども思っていないのだろう。そのまま無造作にペンダントがかけられている首元に手を伸ばしてくる。
予想通りの行動。
だから、シーリンは最後の力を振り絞って、力の限り目の前にある男のその無防備な手に――――噛み付いた。
「あだだだだっ、いてっ、痛てぇっ!」
静かな路地裏に男の大きな悲鳴が響き渡る。
口の中にうっすらと広がる生温かい鉄の味。
それほど大きなダメージを与えたとは思わない。だが、少なくとも一矢を報いることは出来たみたいだった。
「ちっ、こいつ、やりやがったな!」
思わぬ反撃を受けたからか、手を噛まれた男は怒りに目を血走らせながらシーリンに向かって大きく足を振りかぶる。
それは感情に任せて反射的に繰り出したただけの怒り任せの一撃。
しかし、おそらく今の弱りきった彼女の体ではその一撃にすら耐えることが出来ないだろう。
だが――。
それを理解していてなお、シーリンの口元には薄い笑みが浮かんでいた。
この蹴りを喰らえば自分の身体は暗い路地裏から人通りの多い大通りへと投げ出される。
その瞬間から時を置かずして自分の命の炎は完全に燃え尽きてしまうことだろう。
しかしそれは同時に、シーリンがこの男たちに殺されるその瞬間が大通りを歩いている多くの人の目によって目撃されるということでもある。
あくまでも通行人たちの口に上がった噂話を耳にしたに過ぎないが、この都市に新しく国を興したという青年王は、以前にここを支配していた領主のラムセルとは異なり犯罪の取り締まりに厳しい人物だという。
であるならば、自分を殺したこの男たちもタダで済むということはないだろう。
自分の命と引き換えにして目の前の憎き敵二人を道連れにすること――。
それが、極度の衰弱によって満足に立つことすらままならない今のシーリンに可能なたった一つの復讐であった。
(お父さん、お母さん、ローラッド……これで、やっと敵が、討てる……!)
流れる時間が変わったかのように、ゆっくりと自分の腹部に迫る男の蹴り足を見ながら、シーリンはどこか満足したような穏やかな心境で目を瞑った。
――ドスッ
鈍く響き渡る打撃音。
だが、不思議とシーリンの身体に痛みはない。
(どう……して?)
訝しく思いながらゆっくり目を開くと、なぜか自分に蹴りかかってきた男が口元からダラダラと血を流しながら地面に蹲っていて、そして、自分と男たちの間にいつの間にか一人の青年が立ち塞がっていた。
◆◆◆
どうしてこの話のサブタイトルが技術者たちになるのかということについては、追々。




