第1話 全ジャンル上位に、なぜか全部俺の名前がある
白瀬冬真が目を覚ましたとき、最初に感じたのは喪失感ではなく、猛烈な空腹だった。
「……腹減った」
薄暗い部屋の天井を眺めながら呟き、冬真は布団の中で片手を腹に置いた。
昨日の夜、眠る前には確かに夕飯を食べた。
コンビニで買った生姜焼き弁当と、小さなサラダ。それなりに腹は膨れていたはずなのに、今は二日ほど何も口にしていないような空腹感がある。
もっとも、理由には心当たりがあった。
冬真は昨夜、別の世界で四十六年間を過ごしてきた。
山間の小さな村で生まれ、十六歳で町へ出て、料理人になった。
最初に雇われた食堂では野菜の皮剥きばかりやらされ、二十一歳でようやく鍋を任された。二十九歳で自分の店を持ち、三十三歳で結婚し、四十歳を過ぎた頃には弟子までできた。
最後は王都の外れで小さな食堂を営んでいた。
派手な人生ではなかった。
勇者になったわけでも、魔王を倒したわけでもない。
ただ、毎朝市場へ行き、その日に一番安い野菜を買い、常連客の顔を見ながら献立を決める。
そんな暮らしを四十六年。
そして昨夜、冬真はこちらの世界で布団に入った。
向こうの世界では、店を閉めたあと自宅の寝台で眠った。
次に目を開けたら、見慣れた六畳一間のアパートへ戻っていた。
「今日は……オムレツにするか」
向こうで何千回と作った料理だった。
冬真は布団から抜け出すと、台所へ向かった。
冷蔵庫には卵が三つ。
牛乳も少し残っている。
昨日までの冬真なら、卵を適当に溶いてフライパンへ流し込み、固まったところで皿へ移して終わりだった。
けれど今朝の手は、勝手に違う動きをした。
卵を溶く。
塩を入れる。
牛乳をほんの少し。
フライパンへ流し込んだあと、火の入り方を見ながら細かく混ぜ、半熟になったところで手早く形を整える。
「……普通にうまいんだよな」
出来上がったオムレツを見て、冬真は少しだけ笑った。
眠るたびに別の人生を送るようになってから、こういうことは珍しくなくなった。
剣士として生きたあとは体の動かし方が妙に良くなった。
商人として生きたあとは値札を見る目が厳しくなった。
医者だった人生のあとには、風邪薬の説明書を読む時間が長くなった。
だから料理人として四十六年も過ごした今、オムレツくらいは上手に作れて当然なのかもしれない。
朝食を食べ終えた冬真は、コーヒーを淹れて机へ向かった。
ノートパソコンを開く。
そして昨夜まで生きていた人生を、忘れないうちに文章へ落としていく。
これも、いつものことだった。
冬真が眠ると別世界で人生を送るようになったのは、二十歳を少し過ぎた頃からだ。
理由は分からない。
最初はただの夢だと思った。
それにしては長すぎた。
一晩眠っただけなのに、向こうでは十年、二十年と時間が過ぎる。
中には八十年以上生きたこともある。
あまりに記憶が鮮明だったため、忘れてしまうのが惜しくなり、試しに文章へ残した。
それが思ったより長くなった。
せっかくだからと小説投稿サイトへ載せてみた。
読者がついた。
それからは、目が覚めるたびに書くようになった。
剣と魔法の世界で冒険者だった人生なら、ハイファンタジー。
現代日本によく似た街で怪異に巻き込まれた人生なら、ホラー。
宇宙船の操縦士として生きた人生なら、SF。
王侯貴族の恋愛沙汰に巻き込まれた人生は、恋愛小説になった。
冬真自身にはジャンルを書き分けているという感覚がほとんどない。
覚えていることを書いているだけだ。
結果として、作者ページには統一感の欠片もない作品群が並んでいた。
「昨日までで……十六作か」
今日書き始めた料理人の話を含めれば、いずれ十七作目になる。
連載中の作品もあれば、完結したものもある。
更新頻度もばらばらだ。
一つの人生を書き終える前に別の人生を見ることもあるので、冬真自身にも次にどの作品が更新されるか分からない。
当然、読者からはよく怒られた。
――SFの続きを書いてください。
――恋愛の更新三週間止まってますよ!
――ハイファンばっかり連続更新するのずるくないですか?
知らない。
冬真に言われても困る。
夢の行き先を選べるなら、こちらだって苦労していない。
料理人だった人生の冒頭を三千字ほど書いたところで、机に置いていたスマートフォンが震えた。
一度。
二度。
それから、ほとんど切れ目なく震え続ける。
「なんだこれ」
冬真はキーボードから手を離し、スマートフォンを取った。
小説投稿サイト《ノベルスフィア》から大量の通知が届いている。
お気に入り登録。
評価。
感想。
フォロー。
レビュー。
普段から通知は多い方だったが、今朝は明らかに様子がおかしい。
冬真はサイトを開いた。
最初に表示されたのはトップページだった。
各ジャンルの日間ランキングが、横並びで紹介されている。
冬真はまず、自分が最近更新した作品の順位を確認しようとした。
ハイファンタジー。
一位。
『勇者が死んだあと、荷物持ちだった俺だけが魔王城に残った』
作者、白瀬冬真。
「お」
思わず声が出た。
昨日は二位だった。
ついに一位まで上がったらしい。
冬真は素直に嬉しくなった。
投稿を始めてしばらく経つが、一位という数字にはやはり特別なものがある。
そのまま隣へ視線を動かした。
ローファンタジー。
一位。
『ダンジョン閉鎖の日、受付嬢だけが俺の正体を知っていた』
作者、白瀬冬真。
「……こっちも?」
昨日は確か四位だった。
何かあったのだろうか。
少し不思議に思いつつ、さらに画面を動かす。
宇宙SF。
一位。
『廃星を拾った整備士、千年戦争の最後の艦長になる』
作者、白瀬冬真。
冬真の指が止まった。
「待て待て」
それは昨日十二位だった作品だ。
一晩で一位まで上がる理由が分からない。
嫌な予感というほどではない。
ただ、妙な胸騒ぎがした。
推理。
二位。
作者、白瀬冬真。
ホラー。
一位。
作者、白瀬冬真。
異世界恋愛。
三位。
作者、白瀬冬真。
現実恋愛。
四位。
作者、白瀬冬真。
歴史。
二位。
作者、白瀬冬真。
コメディー。
三位。
作者、白瀬冬真。
「…………」
冬真は無言でスマートフォンを机へ置いた。
コーヒーを一口飲む。
もう一度スマートフォンを持つ。
画面は変わっていない。
「いや、おかしいだろ」
思わず声が漏れた。
一作品なら分かる。
二作品同時でも、たまたま伸びたと言われれば納得できる。
しかし全ジャンルを見て回るたび、自分の名前が出てくるのはさすがに異常だった。
しかも上位ばかり。
冬真は念のため総合ランキングを開いた。
一位。
『勇者が死んだあと、荷物持ちだった俺だけが魔王城に残った』
白瀬冬真。
三位。
『午前三時、鏡の中の俺だけが眠っている』
白瀬冬真。
五位。
『廃星を拾った整備士、千年戦争の最後の艦長になる』
白瀬冬真。
八位。
『婚約破棄された王女の護衛だった俺は、彼女が国を捨てるまで何も知らなかった』
白瀬冬真。
十二位にも自分。
十七位にも自分。
ランキング一覧の作者欄に、何度も何度も同じ名前が出てくる。
さすがに気味が悪い。
「なんで一晩でこうなったんだ……?」
昨日、大きな宣伝をした覚えはない。
そもそも冬真はSNSをほとんど使っていない。
新作を出したわけでもない。
炎上した覚えもない。
思い当たることがなさすぎて、冬真は自分の名前で検索をかけた。
すると理由はすぐに分かった。
大型匿名掲示板の創作系板。
現在もっとも勢いのあるスレッド。
『【何者】ノベルスフィアのランキング、どのジャンル開いても白瀬冬真がいる件』
「……これか」
冬真は嫌な顔をしながらスレッドを開いた。
最初の投稿には、各ジャンルランキングのスクリーンショットが大量に貼られていた。
その下へ、ものすごい勢いで書き込みが続いている。
『ハイファン一位の作者ページ見に行ったら宇宙SF一位もこいつで草』
『俺ホラー民なんだけど昨日から急に知らない連中が感想欄に流れ込んできてるのこれのせいか』
『推理民です。返してください』
『何をだよ』
『作者』
『お前らの作者じゃねえだろw』
冬真は思わず口元を押さえた。
思っていたより平和だった。
『この人作品によって文体変わりすぎじゃない? ハイファン読んだあと恋愛読んだら作者ページ間違えたかと思った』
『SFだけ異様に宇宙船の生活描写細かいんだよな。戦闘より酸素フィルターの交換手順の方が詳しい作者初めて見たわ』
『歴史ジャンルのやつも馬の世話ばっか詳しくて笑う』
『ホラーは怪異より主人公が住んでる築四十年のアパートの湿気対策の方がリアルだった』
『こいつ小説書く前なにやってた人なんだよ』
「俺が知りたいよ」
冬真は画面へ向かって答えた。
もちろん向こうには届かない。
さらに読み進める。
『作品一覧見て思ったんだけどジャンル節操なさすぎだろ』
『ハイファン、ローファン、SF、推理、ホラー、恋愛、歴史、コメディー……』
『次は何だよ』
『エッセイ』
『やめろ。ランキングがまた一枠減る』
『白瀬冬真被害者の会作ろうぜ』
『具体的に何を被害受けたんだよw』
『更新待ち』
『それは分かる』
冬真は眉を寄せた。
「いや、それについては本当に申し訳ないと思ってるけど……」
更新したくてもできないのだ。
たとえば宇宙SFの続きを書くには、冬真がもう一度あの世界の人生を見る必要がある。
だが今夜眠ったところで宇宙へ行く保証はない。
昨日は料理人だった。
その前は魔法学院の教師。
さらに前は、日本によく似た世界で小さな探偵事務所を経営していた。
行き先は完全に運任せだ。
だから作品によって更新間隔が極端に違う。
そのことを正直に説明したところで、
『夢で別世界の人生を過ごさないと続きを書けません』
などと言えば、変人扱いされて終わるだろう。
『しかしこれ作者本人、今どんな気分なんだろうな』
『ランキング開くたび自分いるんだぞ』
『俺ならスクショ撮って額縁にする』
『俺も』
『むしろ今日を記念日にする』
冬真は少し考えた。
そしてランキング画面のスクリーンショットを撮った。
「……まあ、保存くらいはしておくか」
こんなことは二度とないかもしれない。
せっかくなので、記念に残しておいても罰は当たらないだろう。
そう思った直後、掲示板に新しい書き込みが流れた。
『速報。純文学七位にも白瀬冬真確認』
『は?』
『嘘だろ』
『マジ。去年完結したやつが急浮上してる』
『純文学まで来るなwww』
『逃げ場ねえじゃん』
『全ジャンル制覇する気かこいつ』
冬真は慌てて純文学ランキングを開いた。
七位。
確かに自分の名前があった。
「なんでだよ!」
思わず椅子から立ち上がった。
去年完結した作品である。
しかも内容は、海辺の町で時計職人として七十年間暮らした男の話だ。
派手な事件などほとんど起こらない。
投稿当時ですら最高順位は三十位前後だったはずだ。
それまで掘り起こされている。
掲示板では、もう祭りが始まっていた。
『白瀬冬真をランキングから探すゲーム始まってて草』
『見つからないジャンル報告した方が早い』
『童話にはいないぞ!』
『児童文学も現在セーフ!』
『お前らフラグ立てるな』
『作者、新作書くなよ。絶対書くなよ』
冬真は、ゆっくりノートパソコンへ視線を戻した。
画面には、今朝から書き始めたばかりの原稿が開いている。
四十六年間、料理人として生きた男の人生。
冒頭三千字。
冬真はサイトのジャンル一覧を確認した。
料理。
グルメ。
日常。
いくつか候補がある。
「……投稿しづらくなったじゃないか」
誰も聞いていない部屋で、冬真はぼやいた。
しかし書かないという選択肢はなかった。
四十六年分の記憶を、そのまま忘れてしまいたくない。
あの世界で出会った人たちも、毎朝通った市場も、弟子に初めて店を任せた日のことも、自分の中だけに残しておくには惜しい。
冬真は再びキーボードへ手を置いた。
掲示板では今も、
『次はどのジャンルだ』
『白瀬冬真包囲網』
『包囲されてるのランキング側なんだよなあ』
などと好き勝手に騒いでいる。
「別にランキングを荒らしたくて書いてるわけじゃないんだけどな……」
冬真は苦笑しながら、新しい一文を打ち込んだ。
今日も、自分が生きた人生を小説にする。
ただ、それだけだ。
その結果。
数時間後。
ノベルスフィアの料理ジャンルに、一つの新連載が投稿された。
『王都の路地裏食堂で四十六年、毎日同じ鍋を振っていただけの俺』
作者――白瀬冬真。
そして投稿から十分後。
例の掲示板には、新しい書き込みが投下された。
『おい』
『どうした』
『増えた』
『何が』
『白瀬冬真』
『どこに』
『料理』
数秒の沈黙を挟んで。
スレッドは、その日一番の勢いで加速した。




