第35話
焼けた鉄板の上で、イカたちが柔軟体操をしている。
醤油の混じった煙が立ち上り目に染みる。
焦げた醤油がこれほど、猛毒に変わり果てるとは思わなかった。
「おじさん、まだ?」
ミツコちゃんを連れてやってきた重美が催促する。
誰がおじさんだ。僕はお前のニイチャンだぞ。
代表で支払うつもりか、重美が千円札を二枚握っている。
お客さんだ。
ここは我慢しよう。
重美が物珍しそうにあちこち屋台を見ている。
何を見つけたのか、ニンマリ微笑んだ。
あまり見なくてよろしい。
遠くから神輿を担ぐ威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
パックにできたての焼きイカを詰める。
「はい。お待ち」
重美が受け取る。
「‥‥‥」
言わせる気か?
「ありがとうございました」
「はい。よろしい」
重美とミツコちゃんが少し離れたところで食べ始める。
熱そうだ。
鉄板で焼きたてだ。
それにしても、うまそうに食う。
料理人冥利に尽きるな。
海部さんが戻ってくる。
「お待たせしました」
重美とミツコちゃんが、こっちの屋台を指さしている。
いいから、お前たちは黙って食え。
「空田さんも、少し休んだらどうですか?」
「僕は大丈夫。イカもあと二十杯で無くなるから。そうしたら、終了でしょ」
「あんちゃん悪いな。助かってるよ。バイト代はずむから」
隣でたこ焼きの屋台を切り盛りしているミキさんのオジサンの連れ? さんが頭にタオルを巻いて、慣れた手つきでタコを一つずつ入れている。
紫のTシャツから伸びた日に焼けた腕がたくましい。
僕も少し筋肉をつけようかな。
名前、聞きそこなったな。オジサンの連れさんじゃおかしいよな。
「ヤッホー」
今度はミキさんが来た。
「どうですか? 儲かりまっか?」
「ボチボチ、デンナ」
海部さんが、たどたどしく答える。
「そう、やればできるじゃん」
何を言わせてるんだ。
「ミキちゃん、こっちの売り上げにも協力してよ」
オジサンの連れさんが顔をだす。
「しょうがないな。シンジ君のたこ焼きも買ってあげようか」
今、下の名前で呼んだ? それも、君付けで? どう見ても三十代後半だよね。
僕は海部さんと顔を合わせた。
海部さんも驚いた表情でかぶりを振る。
そうだよね。
海部さんは君づけで呼ばないよね。
ウンウンと頷いている。
やはり、海部さんは僕の心を読んでいるんじゃないだろうか。
重美たちと合流したミキさんは、焼きイカとタコ焼きをシェアして食べている。
陽キャラ同士の交流だ。ミツコちゃんも既にうちとけている。
心の底から羨ましいと思った。
「どうしたんですか?」
隣で海部さんが心配そうに声を掛けてきた。
「ちょっと、しょうゆが目に染みて」
「あっ、すいません」
海部さんは、はけでイカに醤油を塗る係だ。
僕はヘラでイカを裏返す係。
狭い鉄板で調理するため、度々海部さんの肩とぶつかる。
海部さんは気にしてないみたいだ。
僕も、意識してないふりをする。
僕は汗だくになりながら、鉄板の上のイカと格闘した。
初めてのバイトは、心地よい疲労感で包まれた。
髪の毛に醤油の焦げた匂いが染みついていると思うが、これは今日一日の成果だ。
体を動かして働くってのもいいものだと思った。




