第21話
電車は止まっていた。
発車時刻はとうに過ぎている。
向かいの上り電車は、いつものように満員の状態だ。
男子学生の体が斜めになっているのが見える。あの状態のまま待機はきついぞ。
アナウンスがあった。線路内に人の立ち入りがあったらしい。
安全確認のため、全線がストップしていた。
僕はスマホの画面を見る。
予定時間を十分ほど過ぎていた。
海部さんは、どうしているだろうか。
すでに、場内アナウンスでこの状況を知っていることだろう。
何もすることがない。
スマホの画面にはリアルタイムでボヤキが書き込まれ、それが流れていく。
会議に遅れる会社員、料理の仕込みが間に合わないと嘆く店員、ラッキーと喜ぶ大学生。様々だ。僕はどうだろう。
次の駅で、海部さんが待っているはずだ。
海部さんに会いたい。
電車のチャイムが鳴り止むと同時に、ドアが閉まる。
電車がゆっくりと動き出す。
よかった。海部さんにやっと会える。
次の駅で海部さんが慌てた様子で乗り込んできた。
「電車止まるの、久しぶりですね」
「線路に人の立ち入り、事故じゃないみたいだよ」
「よかったです。でも、よくないかな」
海部さんが隣に座る。
『この電車は時間調整のためしばらく停車します。お急ぎのところ‥‥‥』
「なんか、だめみたいですね」
「大丈夫? 遅刻しない?」
「走っても、もう間に合わないと思います。大丈夫です。遅延証明があれば、遅刻扱いにならないから。これでも私、無遅刻無欠席なんですよ」
「凄いね。皆勤賞だ」
「健康が取柄です。でも運動音痴ですけどね」
開けられたままのドアから風が吹き込んでくる。
風が海部さんの前髪を揺らす。
海部さんが慌てて前髪を抑えた。
「おでこ、見ないでくださいね」
僕は窓の外を眺める。
口角が上がらないよう、きゅっと唇に力を入れる。
畑の上を舞うオニヤンマはいなくなり、赤とんぼの季節に変わり始めたようだ。
でも、日差しは強いままだ。
「とんぼ」
「えっ?」
「赤とんぼが飛んでるね」
「ほんとだ。夕方じゃなくても、飛ぶんですね」
「夕焼けにしか飛ばないと思った?」
「はい」
「‥‥‥」
「違うんですか?」
「昔と違って夕方も暑いから、それより気温が上がる前の朝の方がとんぼにはいいみたい」
「詳しいんですね」
「小学校のころ、昆虫博士だったんだ」
「そうなんですね」
開いたドアから入る温かい風と、電車から吹き出す冷房の風が僕と海部さんの周りで混じり合う。
「秋は好きです」
「僕も、暑いのが苦手だから」
「得意な人、いませんよ。トンボさんと一緒ですね」
海部さんが笑う。
春に海部さんと出会い、夏が過ぎようとしている。
僕たちは、毎日この電車の中で一緒に十五分間の時を過ごしてきた。
でも秋になる前に、まだ出来ることがあるはずだ。
急いでいる乗客には迷惑な話かもしれないが、もう少しこのまま電車が止まっていればいいと思った。
不謹慎だろうか。
「もうちょっと、止まっててもいいですね。どうせ、授業には間に合わないし。不謹慎でしょうか」
同じことを考えていた。




