朝から女たちの争いについて
「ねぇねぇ〜、朝から寝るのって身体に悪いんだよ〜? そろそろ起きないとイタズラしちゃうからね〜♪」
そう言いながら、腹のあたりを指でつんつんされる感触。
……ここで顔を上げたら負けな気がする。
そんな意地だけで、俺は机に突っ伏したまま微睡み続けた。
一秒、二秒――。
何も聞こえない。
ようやく諦めたか。
「えいっ♪」
――バシンッ!!
突然、背中を思い切り叩かれた。
「いっ……!?」
女の子の力とはいえ、不意打ちは普通に痛い。
「背中に紙貼っといた〜♪ えへへ」
「小学生かよ……」
「だって彼方くん全然起きないんだもん。悪いのそっちだよ?」
どうやら俺が悪いらしい。
「君には思いやりとか優しさって概念を学んでほしい」
「はぁ〜……最近ほんっと暑いよねぇ〜。誰か優しく扇いでくれたりしないかな〜?」
こいつの会話システム、根本的に壊れてるんじゃないだろうか。
エリヴィアはぱたぱたと手で風を送りながら、反対の手で制服の上のボタンを二つ外した。
少しでも涼しい空気を入れたいのだろう。
鎖骨には汗粒が並んでいて、それが白い肌を滑り落ち、制服の奥へ消えていく。
……アイドル級、という言葉が似合いすぎる。
たったそれだけの仕草で、周囲の男子の視線が一気に吸い寄せられていた。
「その無意味なぶりっ子、他所でやってくれない?」
「ひどっ!? 無意味じゃないもん!」
ぷくっと頬を膨らませた後、ぺろっと舌を出す。
「はいっ! ここからは女の子クイズのお時間でーす♪ 昨日のわたしと今日のわたし、どこが違うでしょうっ! 3、2、1――じゃんっ☆ 星晴景くん、回答どうぞ〜!」
「十キロ太った?」
「ぶっぶ〜! 大ハズレでーす!」
うるさい。
「正解はこのヘアピン〜♪ 昨日買ったばっかりのウサギさんなの! 一目惚れしちゃったんだよね〜」
「あー……そう」
エリヴィアは嬉しそうにウサギ型のヘアピンを指先で撫でながら、その場で小さく身体を揺らしている。
全身から“かわいいを見てほしいオーラ”が溢れていた。
「あ、エリヴィアさん。そのヘアピン、すごく似合ってるね」
爽やかな声が横から飛んできた。
振り返ると、クラスメイトの中一英翔が立っていた。
後ろにはいつものグループメンバーもいる。
「でも急に変えるなんて珍しいよね。なんか気分いいことでもあった感じ?」
「ううん? ただ可愛いって思ったから使ってみたかっただけ〜。女の子ってそういうものだよ?」
「そっか。前のやつも似合ってたけどね」
絶対覚えてないだろ。
中一英翔。
学校のバスケ部エースで、一年の中でも特に期待されている男子。
整った顔立ちに努力家な性格。
誰に対しても自然に接する柔らかさまで備えている。
まぁ、主人公属性ってやつだ。
「だよねだよね〜。英翔ってもっと“女の子のかわいい”を勉強した方がいいよ〜?」
「そうそう、ちゃんとエリヴィアの教え聞かなきゃ」
そう笑いながら会話に入ってきた女子二人。
一人は真雪紗奈。
ゆるふわショートが特徴的な、落ち着いた雰囲気の少女。
どこかお姉さんっぽくて、仕草にも品がある。
もう一人は佐浜屋菜波。
高めのポニーテールが印象的な陸上部員だ。
距離感が近くて、感情が表に出やすいタイプ。
「あはは……確かに、女の子への理解はまだまだかも」
英翔が苦笑しながら頭を掻く。
「英翔くん寝不足? なんかクマできてるよ?」
佐浜はぴょこんと俺の横に移動し、英翔の正面へ。
……あぁ。
なんとなく理解した。
俺、邪魔なんだな。
一瞬だけ向けられた“ちょっとどいて?”みたいな視線で全部察した。
だが断る。
朝から無駄に動くとカロリーを消費する。
俺は静かにスマホを取り出した。
「そんな分かりやすい? 昨日ちょっとゲームしててさ、寝たの十二時半くらいだったんだけど」
「かなり分かりやすいよ。……あ、襟」
真雪は英翔へ近づき、乱れていた制服の襟を整える。
細く白い指先が、慣れたように動いた。
「ごめん、全然気づかなかった」
「毎日どこか抜けてるよね、英翔くんって」
「えへへ〜、なんか夫婦みたい♪」
エリヴィアが面白そうに茶化す。
横を見る。
佐浜の笑顔が怖い。
「あ、星晴。おはよ」
「おはよー」
「相変わらず朝早いね。部活も入ってないのに」
「家に爆発物みたいな妹がいるからな……」
「それはご愁傷様。そういえば最近ゲームしてないよな? 俺、新しいキャラ練習したんだ。またデュオやろうぜ」
「それは――」
言いかけた瞬間。
ぞわり、と空気が冷えた。
視線を向けると、真雪がにこやかな笑顔でこちらを見ている。
……怖い。
拳銃を心臓に押し当てられてるみたいな圧がある。
「だ〜め♪ 昨日も言ったよね? 大会近いんだから、ちゃんと調整しないと」
「真雪ママ怒ってる〜」
エリヴィアが面白そうに俺の脇腹を肘でつついてくる。
なんで俺が巻き込まれてるんだ。
「……俺、最近バイト始めようと思ってて。グラボ買い替えたいし」
「あれ? 前4060って言ってなかった?」
「もう旧世代の遺物だよ。目標は5090」
「マジかよ……どんだけ働く気なんだ」
なんとか話題を逸らせた。
真雪様の怒りゲージも少しは下がっただろうか。
「あっ! そうだそうだ! わたし体育祭の応援団立候補したんだよ〜♪」
佐浜がぱんっと手を叩く。
応援団か。
……若葉の応援服、ちょっと見てみたいな。
「そっか、頑張れ」
「えへへ♪」
褒められて嬉しかったのか、佐浜は照れたように笑った。
女子って朝から大変だな。
「じゃ、そろそろ戻ろっか〜。エリヴィアの邪魔しちゃ悪いし♪」
俺の邪魔ならいいのか。
人権侵害で訴えたい。
「あ、そうだ星晴。先生が去年の文化祭資料探してほしいって。実行委員だったよね?」
「了解。あとで行く」
真雪は短いスカートを軽く整えながら、ふわりと手を振った。
絶対脚で勝負するタイプだ。
「あとでよろしくね〜」
俺も適当に手を振り返す。
「朝から青春って感じでいいねぇ〜」
「どこがだよ。お前が煽ってるだけだろ」
「恋のアシストって大事なんだよ? 誰が勝つか楽しみ〜♪」
エリヴィアが唇に指を当てながら首を傾げる。
「あと! 新しいヘアピン!」
「似合ってる似合ってる」
「雑ぅ!」
「前の猫のやつ捨てたの?」
「女の子はね〜、お気に入りのもの簡単に捨てたりしないの♪」
「へぇ」
どうでもいい。
本当にどうでもいい。
「で、あの三人どう思う?」
「……さぁ」
「賭けしない? 一週間奢りのやつ♪」
「自信満々だな」
「わたしは真雪ママに一票〜♪」
「へぇ」
確かに真雪が有利そうではある。
でも――。
「俺は二人とも負ける方に賭ける」
その瞬間。
エリヴィアはくすっと笑った。
朝日が彼女の金髪を透かし、まるで天使みたいに輝く。
「かもね〜♪」
……本当に性格の悪い女だ。
中等部――昼休み。
若葉は午前の授業で力尽きたのか、机にべたぁっと頬を押し付けて溶けかけていた。
「わかば〜! お昼食べよ〜!」
「ん〜……茶乃ぉ、お弁当取ってぇ〜……」
「そんなに疲れてる? 昨日ピアノ遅くまでやってたとか?」
「ちがう〜……精神〜……」
「あー……そっちかぁ。とりあえず食べよ?」
二人は向かい合って弁当箱を開く。
その瞬間、傘山茶乃の視線が若葉の弁当に釘付けになった。
「うわっ……なにこれ、めちゃ豪華……。自作? さすがピアノやってる手って器用なんだねぇ」
「残念〜。作ったのわたしじゃないよ」
「え、じゃあ……もしかして例の人?」
「例の人?」
若葉はミートボールを口へ放り込みながら首を傾げる。
「彼氏!」
「そんな生物いませーん。お兄ちゃん」
「えっ、あのちょっとヤバいって噂の先輩……? たしか若葉のお兄さんになったんだっけ」
「“ヤバい”って?」
「いや〜、だってもう高校の方じゃ結構有名だよ? 新澄先輩と付き合ってた時に浮気したとか、喧嘩したとか、女の子泣かせたとか……。見た目爽やかなのに裏ではかなり黒い、みたいな」
「ぶふっ……あははっ!」
「え、な、なに!?」
「お兄ちゃんが女の子泣かせる……っ、あははははっ!」
ツボに入ったのか、若葉は肩を震わせながら笑い続ける。
「……じゃ、じゃああれってただの噂?」
「ん〜、どうだろ。変態なのは本当だけど」
「そこは本当なんだ……」
「親身に体験済みだよぉ?」
「それ大丈夫なの!?」
「まあでも〜、お弁当作ってくれるし」
「許してる理由そこ!?もし若葉ちゃんに狙ってる男子に知ったら兄さんを消するかもしれんないねー」
「それはダメ、お兄ちゃん消えちゃったらわたしにコンビニの割り箸を食べる気?!生きることに関わってるもん。ひどいよねぇ」
茶乃が呆れたようにため息を吐く。
「あ、でも腐女子界隈では星晴先輩かなり人気あるっぽいよ?」
「どういう意味ぃ?」
「だって美形の英翔先輩と並ぶと映えるじゃん? なんか一枚絵みたいで」
「へぇ〜、いいねそれ」
「ちなみに受けは星晴先輩派が優勢」
「ぶっ――!?」
若葉は飲んでいたオレンジジュースを盛大に吹き出した。
「え、ちょ、大丈夫!?」
「げほっ、ごほっ……!」
……受け。
受け、か。
若葉の脳内で、なぜかそれっぽい構図が形成され始める。
英翔×兄。
兄×英翔。
――いや待って。
……ちょっとアリかもしれない。
「……ふふっ」
「え、なんで笑ってるの?」
「いやぁ、いいネタもらったなぁって♪」
放課後に兄をからかう未来を想像した若葉の足が、机の下でぱたぱた揺れ始める。
◇
「真雪さん、お昼食べなくていいの?」
せっかく昼休みになったというのに、俺は倉庫へ連行されていた。
「先に終わらせた方が後で楽でしょ? ……というか、なんで敬語?」
「いえ、真雪様のおっしゃる通りでございます」
なんか本能が逆らうなって言ってる。
真雪は資料を抱えたまま歩いている。
しかも紙に集中しすぎて全然前を見ていない。
……これ転んだら終わりだな。
あの短すぎるスカートじゃ何も守れない。
俺は小走りで真雪の隣へ並んだ。
「俺はちゃんと飯食ってから働きたい派なんだけど」
「なんで?」
「空腹になると人類は死ぬ」
「弱い生き物だね」
「そっちは?」
「強者思考」
真雪はやっぱり綺麗だ。
仕草も丁寧で、落ち着いていて、どこか育ちの良さを感じる。
たまに天然っぽい部分が出るのも、たぶん人気の理由なんだろう。
「そういえば朝ありがとね。英翔、ほんと大会近いんだから」
「むしろ負けたら慰めイベント発生して良くないか?優しい幼馴染ムーブで抱きしめれば一発逆転確定」
「っ……!」
真雪は一瞬で顔を赤くした。
それから周囲を確認するように視線を泳がせ、小さく睨んでくる。
「……大きい声で言わないで」
「青春だなぁ」
「だ、だって……英翔くんにはずっと笑って笑顔ていてほしいし」
「少女漫画のヒロイン?」
「元から少女なの……」
真雪は小さくため息を吐き、前髪を整える。
妙齢の少女って感じだ。
「みんなで勝って、みんなで喜んで、ご飯行って……そういうのがいいなって」
「“みんな”ねぇ」
「……星晴くんって、思ってたより普通だよね」
「ひどくない?」
「だって周りの噂、もっと人外みたいだったし」
「この学校での俺の扱いどうなってんの?」
「少なくとも危険人物」
終わってる。
◇
夕焼けに染まり始めた頃、俺はようやく帰宅した。
玄関を開けた瞬間、浴室から水音と鼻歌が聞こえてくる。
……あぁ、若葉だ。
俺は疲れた身体をソファへ投げ出し、そのままスマホを眺め始める。
すると突然。
ふわり、と甘い匂いが鼻先を掠めた。
「おかえり〜、お兄ちゃん♪」
「……おう、帰った」
振り返る。
そこには風呂上がりの若葉がいた。
身体にはバスタオル一枚。
濡れた髪から雫が落ち、白い肩を滑っていく。
「だから風呂上がりはちゃんとスリッパ履けって。床濡れるから」
「え〜? でもお風呂上がりに裸足で歩くの気持ちいいんだもん♪」
「いらない情報だな……」
若葉はそのまま冷蔵庫からお気に入りの子供向け乳酸菌飲料を取り出す。
「お兄ちゃん何飲むの〜?」
「コーラ。今日疲れた」
「はいどーぞ♪」
差し出されたペットボトルを受け取りながら、俺は少し警戒する。
……こいつ、振ってないよな?
「よいしょ〜っと♪ ちょっと詰めて〜」
若葉はそのままソファへ乗り込み、俺の隣へぴったり身体を押し付けてきた。
柔らかい感触が横腹へ伝わる。
しかも風呂上がりでほんのり熱い。
「最近ブラコン悪化してない?」
「お兄ちゃんこそシスコン進行してるよ?」
「否定はしない」
「えへへ〜、今日は疲れてそうだったから特別サービスなのです♪」
「ありがたいことだな」
「今夜のおかずにしてもいいよ?」
「検討中」
「え〜、いじわる〜」
そんなくだらない会話をしながら、二人でスマホを眺める。
「……というか若葉、ピアノ練習時間だね」
「えぇ〜、やだぁ。もうちょっとお兄ちゃんとくっついてほしい〜」
「怠惰は禁止」
「むぅ〜……」
若葉は不満そうに頬を膨らませた後、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば今日ね、友達がお兄ちゃんのこと褒めてたよ?」
「ちょっと光属性のお兄ちゃんと美型の英翔先輩二人並ぶと絵になるなんで」
「素晴らしい友達だね。大切にして」
「やっぱりお兄ちゃん絶対受けっぽいって」
「今すぐ絶交しなさい」
「えへへ〜♪」
若葉は楽しそうに笑いながら、俺の肩へ頭を預けてくる。
「ほらほら〜、押さないでよぉ」
「今日追加で一時間練習」
「やだぁぁぁぁぁ〜っ!!」




