一日は妹さんから
朝。
けたたましい目覚ましの電子音が、何度も何度も耳元で鳴り響く。
眠気で重たい瞼をゆっくり開けると――
「お兄〜、おはよ〜」
「……おはよう」
目の前には、妹――若葉葵の顔があった。
しかもやたら近い。
まだ寝ぼけている俺を見て、若葉は小さな唇を開き、もう一度にこっと笑う。
「おはよ、だよ? お兄ちゃん♪」
……いや待て。
なんでこいつ、俺の上に乗ってるんだ?
しかも既に制服姿。
スカートの下には安全パンツすら履いておらず、水色の下着が普通に見えている。
朝から情報量が多い。
「若葉」
「はぁい」
「スマホ取って」
「どーぞ♪」
渡されたスマホを受け取り、俺は迷いなく三桁の番号を押した。
『はい、110番です』
「もしもし警察ですか?不法侵入です」
「ちょっ!? 待って待って待って!! バカお兄っ!!」
何を慌てているんだ。
他人の部屋へ無断侵入。
法律的にアウトである。
たとえ少しシスコン気味の兄でも、法の力で自分の身を守る権利くらいある。
そんなこんなで騒がしく朝を迎えた俺たちは、着替えを済ませてリビングへ移動した。
テーブルに並ぶ朝食を食べ始めたところで、若葉がぽつりと口を開く。
「ねぇお兄ってさ、女の子嫌いなんだっけ?」
「朝から重い話題持ってくるな……」
「だめぇ?」
「客観的に見れば嫌い寄りなんじゃないか。多分」
「ふ〜ん。ちなみに若葉も女の子なんだけど?」
「お前は別枠」
「えぇ〜?」
若葉はむっと頬を膨らませる。
「だって二年も一緒に住んでるし。お前の性格も分かってるからな。無理やり分類するなら、今まで会った女子の中で一番まともだと思ってる」
そう。
二年前、親同士の再婚で俺と若葉は兄妹になった。
とはいえ年齢差は一つだけ。
正直、若葉の中でも“本物の兄”って感じではないんだろう。
「実はさぁ、お兄の部屋掃除してた時にね?」
「嫌な予感しかしないな」
「机の二段目の引き出しの奥〜、国語辞典の四二五ページの間に挟まってたASMR音声のDLカードを発見しました〜♪」
「ぶっ――」
本当に人間って水吹くんだな。
自分でも驚いた。
若葉は小さな手で、そのカードをひらひら揺らしている。
そこにはしっかり書かれていた。
『大好きな先輩へ♡ いっぱい甘やかしてあげます♡ R18版』
終わった。
俺の人生が。
「わ、若葉……お前、人の部屋を勝手に漁るとか最低だぞ……? 俺、お前のこと信頼してたのに……」
「被害者ぶっても無駄だよ〜?」
椅子に座った若葉は足をぶらぶらさせながら、机の下で俺の脚を軽く蹴ってくる。
「はい、言い訳どーぞ」
「いやだから、俺だって健全な男子高校生なんだよ。三次元女子は嫌いでも、男としての欲求はあるわけ。分かる? こう……呪いみたいに血に刻まれてるタイプのやつ」
「へぇ〜……」
すごく冷めた目をされた。
俺の熱弁は一ミリも刺さらなかったらしい。
さすが学年上位常連の頭脳。
「とりあえずお父さんたちに送っとくね」
「No!!」
なんか若葉、微妙に機嫌悪くないか?
怒るポイントそこなのか?
「というかそんな怒る必要あるか……?」
「だって萌え妹系じゃなかったし」
「理不尽!!」
怒る理由そこ!?
妹という生物、難解すぎる。
そんな騒がしい朝食を終えたあと、若葉はさっさと食器を持って立ち上がった。
「洗い物しとくね〜」
「あ、俺も手伝う」
「いいのに〜。お皿ちょっとだけだよ?」
「さっきの罰ゲームってことで」
「じゃあフォーク持ってきて〜」
袖をまくりながら流し台へ向かう。
毎日ここまで家事を任せてるのは、普通に申し訳ない。
「悪いな」
「だから気にしなくていいってば。家事とかついでだし、ご飯作るのも嫌いじゃないし〜」
スポンジを泡立てながら若葉が笑う。
「お父さんたち海外出張ばっかだし、仕方ないよ」
「いや、結果ほぼ全部お前任せになってるだろ」
「じゃあ今日の帰り、駅前の黒い森ケーキ買ってきて」
「ブラックフォレストか」
「さっきの罰ゲーム追加で♪」
……本格的に妹系ASMRを検討するべきかもしれない。
「あとさぁ、お兄」
「ん?」
「あの隠し場所、ちょっと浅かったよ〜? 頭良い人ほど考えすぎるから逆に分かりやすいんだよねぇ。次は心理戦ちゃんと使わないと――」
そこまで言いかけて、若葉の口が止まった。
視線が、俺の右腕へ向く。
そこには一本、長く目立つ傷痕が残っていた。
空気が少しだけ冷える。
俺自身、たまに忘れるくらいには慣れている傷。
だから俺はわざと腕を持ち上げ、若葉の前へ突き出した。
「かっこよくない? RPGの熟練冒険者みたいで」
若葉は一瞬だけ目を丸くして――
それからふっと優しく笑った。
「……ばぁか」
そう言われた。
なのに、ちょっと嬉しかった。
◇
そんな騒がしい朝を終え、俺は教室へやって来た。
まだ人の少ない朝の教室。
この静かな空気は割と好きだ。
一人で机に突っ伏してうとうとしたり、小説を読んだり。
そういう時間が落ち着く。
「……あのさぁ、星晴景彼方くん」
星晴 景彼方俺の名前だ。
不意に、どこか眠そうな声が聞こえた。
視線を向ける。
そこにいたのは、由紀寧々。
生徒会書記を務める少女だ。
小柄な体格にツインテール。
そして常に半分くらい眠そう。
本人曰く極度の低血糖らしく、今にも倒れそうな顔を毎日している。
……なのに妙に人気がある。
「お、由紀。おはよ」
「ん……おはよぉ……」
眠そうにふらふらしながら、由紀は俺の前の席へ座った。
そしてしばらく沈黙。
その後、ぼそっと呟く。
「星晴って、心臓鉄で出来てるよねぇ……」
「急に?」
「自覚ないの……?」
「別に悪いことした記憶はないけど」
「新澄さん絡みのアレ、十分問題だと思うんだけどぉ……」
「あぁ」
適当に返す。
由紀はじーっとこちらを見る。
「違うなら違うって言えばいいじゃん。黙ってるの、なんか“一人で背負ってる俺かっこいい”みたいでちょっとやだ」
「由紀って面白いな」
「どこがぁ?」
「そこまで嫌いじゃないって意味」
「……ありがとぉ?」
「心配してくれてどうも」
「やっぱ心臓鉄だよぉ……」
でも由紀の言うことは間違ってない。
こういう真っ直ぐな女子は珍しい。
俺はもう、女子の一言一言の裏を考える癖がついている。
だからこそ分かる。
由紀寧々って人間は、多分ちゃんと善人だ。
「まぁさぁ」
由紀は机に頬を乗せたまま続ける。
「星晴はそれで良くても、妹ちゃんいるじゃん。同じ学校の中等部の」
「あぁ。うちの可愛い生物な」
「誤解飛び火したら心配じゃないの?」
俺は少しだけ笑って答える。
「大丈夫。あいつ、俺より強いから」
「へぇ〜」
「多分心臓、放射性元素で出来てる」
「シスコンが溢れてるよぉ……」
さすが知性派の由紀。
ツッコミもキレがある。
「……眠い。ちょっと寝るわ。先生来たら起こして」
「起床サービス一万円」
「ツケで」
「どんどん借金増えてるねぇ……」
新澄桜。
この学校で知らない人間はいないレベルの有名人。
エリヴィアが転校してくる前までは、間違いなく学校一の人気女子だった。
そして俺――星晴景彼方は、そんな彼女と付き合っていた。
……ということになっている。
実際は、俺たちは偽装カップルだった。
だが周囲はそんな事情を知らない
。
そしてまだなんらかの原因で俺の方から彼女を振った。
そこから徐々に俺の評判は崩れ始めた。
新澄桜はきっかけに過ぎない。
俺が女子を嫌う理由も、別に彼女一人のせいじゃない。
あれ以降。
女の子という生き物の“本質”が見えすぎるようになっただけだ。
理解したから、嫌いになる。
昨日の大藤みたいな絡みも今さら珍しくはない。
暇人って多いんだな、としか思わない。
そんなことを考えながら目を閉じる。
教室の雑音が少しずつ増えていく。
意識が眠りへ落ちかけた、その時。
耳元で、甘ったるく誘惑するような声が響いた。
同時に、頬を指でつつかれる感触。
ふわりと漂う、花みたいに甘い香り。
妙に脳が覚醒する。
「彼方く〜ん、起きてぇ♥」
……あぁ。
面倒な小悪魔が学校に来たらしい。
そう思いながら、俺は目を閉じたまま現実逃避を続けた。




