7.
──がららららっ!
画面が、突然遠くなる。
PCから――仕事から引きはがすように、高城が僕の椅子を引いたのだ。キャスター付きのチェアはあっさりと机から離れる。
僕が動くより先に、高城が僕を担ぎ上げた。
「よいしょっと」
「な、」
身体が浮いた。
「いきますよ、オジサン」
「はあ!?」
突然おじさんと言われて、そちらに意識がいく。突然失礼ではないか!?
先ほど、若いヤツと言ったから、意趣返しのつもりか。
「あれ? 知りません? ああ、世代が違うか」
しかし高城は、高城は先ほどの怒りなどなかったかのようにどこか楽しそうに喋る。僕の意表を突いたのが嬉しいのか、それともこの非現実的な行動のせいか。
「や、瀬川さんをディスったわけじゃなくて。子供のとき見てたアニメのシーンで」
「意味がわからん!」
「すいません、湊さんに通じたんで、瀬川さんもわかるかと思って」
「は!? 君は湊にまでこんな事を!?」
小学生の休み時間の光景が脳裏をよぎる。それも、湊とクラスメイトが取っ組み合っているのを、少し羨ましく思いながら、子供っぽいと馬鹿にしていた、あの時の光景。
「いや、無理っす、湊さんはさすがに持ち上がんないっす」
「たしかに、最近さらに丸くなったもんな……」
脳裏の小学校の教室がオフィスに、小さかった湊が腹の出たオッサンになる。湊は僕と反対で、ストレスがたまると食べるタイプだ。
「……って、違う! おろせ!」
ストレスで瘦せる方の僕は、鍛えた若者には力では到底敵わなかった。
「あはは、全然弱いっすね。やっぱ筋トレとかした方がいっすよ。向かいのビルのジム、割引になるの知ってます?」
「福利厚生の担当は僕だ! 当然知ってるわ!」
ジムは、湊がどうしてもというから契約した。しかし当の本人はもう飽きている。
「そうでした。……あ、ランチ半額のやつ、あれ、いいですね。助かります」
「アレは利用率が高い……いや、いまその話じゃないだろ、降ろせよ!」
結構暴れているつもりなのだが、高城は僕の抵抗をものともせず、「ノリツッコミっすね」とにやにやしながら、そのまま廊下へ向かう。
「待て! や、やめろって!」
「帰るって言うなら、下ろしますけど。タクシー呼びますから」
「ふざけるな、馬鹿か君は!」
高城は顔色一つ変えず、そのまま数歩歩いた。
「下ろせ、高城、訴えるぞ」
「パワハラで? あ、これだとセクハラになります?」
「は、はああ?」
「要件とかちゃんと調べたんですよ。ゆーえつ的な関係、すよね。そうすると瀬川さんが被害者は、ちょっと難しいんじゃないですかね。あっ、パワハラ上司にZ世代が逆切れして~なんて、なんか、今どきの事件っぽいすね」
混乱して固まった僕を見て、廊下に出るドアの前で止まる。
「どうします?」
「……わ、わかった」
「帰ります?」
「帰る」
「わかりゃーいいんすよ。結局最後はフィジカル」
高城は踵を返して、席に戻ると、静かに僕を下ろした。
地面に足が付いたことにほっとする。高城に怒りも感じない。疲れだけがどっと残っていた。
僕はシャットダウンしようとマウスに手をやる。しかし操作する前に、高城の手が伸びてノートPCをバタンと畳んだ。
繋がっていたモニターが暗くなる。
「もう終わりです」
「わかってる」
今終了するところだったのに、と言うのも子供のようだ。もう面倒くさい。ケーブルを外して鞄に入れようとしたら、またデカい手が伸びてきてパソコンを掴んだ。
「おい」
「手伝います。袖机でいいですね」
「自分でやる」
「じゃあちゃんとしまってくださいよ、鞄じゃなくてキャビネに」
つまり、持って帰るなと言いたいようだ。まあ、この時間なら家で仮眠をとって明日朝早く来ればいい。……言い合いも面倒だ。言われるままに、キャビネに仕舞う。
高城は、満足したようにスマホを取り出した。
「タクシー呼びますね」
そう言って少し操作をしただけでスマホをしまう。配車アプリを使ったのだろう。
「アプリで2台呼べるのか?」
「え、一台でいいでしょ。一緒に乗っていきましょうよ」
「君は練馬の方だろ、方向が違う」
「そうなんすか? 瀬川さんどこ住みです?」
「どこでもいいだろ。なんで教えなきゃいけないんだ」
「俺の家は知ってるのに」
「社員の個人情報の担当は僕だ。全員知ってる」
「あー、今度遊びに来ます?」
「目的以外の利用は禁止」
「本人がいいって言ってんのに」
「君が無断欠勤でもしたら、引きずり出しに行ってやるから」
「こわっ。取り立てじゃないすか」
「労働の義務を甘く見るなよ」
「じゃあ、無断欠勤するんだったら、部屋掃除しとかないとですね」
「何でだよ。……おい、これ何の話だ?」
「どこまで一緒に帰ろうかって話です」
「違う」
「違いましたっけ」
「……」
ものすごくどうでもいい話をしていたら、だんだん眠くなってきた。
大人になってから、意味のない会話をする機会は少なくなった。飲み会でも話題に気を使う。
ああ、でも。
起業したばかりのころは、湊ととりとめのない話を良くしていたな。狭いアパートの一室、無理やり入れた机が三つ。
学生時代に──高校時代に戻ったような毎日だった。池上はほとんど喋らないから、ずっと喋っている湊に相槌を打つのは僕の役割だった。
あの頃は、よく事務所に泊まったけど、あまり疲れなかったな。
ぼんやりしていた僕を、高城の声が引き戻した。
「あ、もう来るみたい。行きましょう」
軽くて心許ない鞄を抱える。目の前には黒いリュックを背負うデカい背中。
電気もセキュリティの設定も高城が手際良く済ませた。
ピー、ピピピピピ
セキュリティの設定音が暗いフロアに響く。
「ほら、瀬川さん行きますよ」
「ん」
自分でやることが奪われる感覚。
なのに僕は、どこかふわふわとした気分で、……要はリラックスしていた。
頭の芯が痺れたようで、身体が勝手に高城の声にしたがう。何も考えたくない。ああ、これは相当疲れている。
……こうして、何も考えず、誰かについて行くのは、いつぶりだろうか。
虫取り網を持った湊の背中を思い出した。




