24.
大阪から戻ってきた湊は、休め休めと煩い。
早朝の現場の会議室で僕の作業を邪魔してくる。月末だ。午後からは会社に戻って作業しなければならない。
「瀬川、ホント休め!? 高城くんもいるんだし、休めるだろ!? なあ、無理すんな!?」
「ええい、うるさい、無理はしてない!」
湊の頭の中は単純で、
瀬川は緒方さんが苦手
→会ったら病む →だから会わせてはいけない →会ってしまった! →休ませなければ!
で、ある。
湊は、僕の前職の退職理由を、緒方さんのパワハラだと思っている。
実際にはそんなに単純ではない。キツい指導だけだったら僕は乗り切れた。あの時、僕のミスとされた書類は、緒方さんの指示だった。つまり不正だ。
僕はそれに加担してしまった自分が許せなかった。
もう7年前だ。告発できなかった自分にもがっかりした。緒方さんにはもちろんなにも言えなかったし、会社に相談しようにも証拠がなかった。
休んだところで思い出すだけだ。仕事をしていた方が気が紛れる。
「お前が倒れたら、俺、どうしたら良いんだよー」
「倒れないから! 安心しろ!」
「今から休めー」
「ならば君が、月末の請求処理を、僕に代わって、間違いなく、できるか?」
「……も、もうすこし頑張って?」
「ぶはっ」
弱々しい発言につい吹き出す。それを見て元気になったと思ったのか、湊もほっとした顔で笑った。
「……心配するな。それに収穫もあった」
湊には伝えておくべきだと思うことがある。
「え?」
「……緒方さんみたいな人から見て、ウチがどう見えているか」
僕のことなどはどうでもいい。緒方さんは企業の評価についてはかなり正しい目を持っている。ご自分に対しての評価は、少々過大だとおもうが。
「うん」
湊は真剣な顔になる。
「このあたりで頭打ちだろうと。上場できるほどではない、すぐに潰れもしないが、大きく跳ねもしない。緒方さんは、湊がM&Aするのではないかと予想していた」
「……そんなつもりないんだけどねえ」
湊はしょんぼりしたように机に突っ伏した。
その様子では、湊の元にはM&Aの話も来ているのかもしれない。それは、ちゃんとビジネスとして評価されているという事で、凹むところではない。でも湊の顔は浮かない。
「最近、勢いないのは分かってる。社員も、やる気あるの一部だし。……仲間になる前に辞めちゃうよねー」
古参の社員は、ここまで作り上げてきたという自負がある。だが、ある程度安定してから入ってきた社員は、キラキラのベンチャーではなく、ただの零細企業であることにがっかりする。
どうにかしないといけない、とは思う。しかし、どう教えたらいいかわからないというのが本音だ。創業メンバーでまともな職歴があるのは僕しかいないし、僕だって優しい業界ではなかったから、教え方がわからない。
そしてたまに、高城みたいな、期待を超えてくるやつが現れる。だからやはり、個人の問題も大きいと思ってしまう。そうして、教育体制を整えるのが後回しになる。
「……どうしたらいいのかなあ」
人材の他にも、課題は色々ある。調子のいいサービスはあるが、それに何かあったら終わりだ。新規事業でも取引先の開拓でも、売上につながるものは、まだまだ足りない。
資金繰り。ベンチャーキャピタルも以前より感触がよくない。おそらく緒方さんと同じことを考えているのだろう。追加で投資しても、儲けは期待できないと。
細かい数字やバランスは僕でも考えられる。しかし……
「湊はどうしたいんだよ」
僕の声は、自分で思ったよりも優しかった。
「君が始めたんだ。この会社をどうするか決めるのは君だよ」
実務は任せろ、でも、旗は振ってくれ。
一緒にやろうぜと言われた時の事を思い出す。
まとまってないビジョン、やりたい事が多すぎる事業計画。でも、湊なら何とかできそうな、そんな気がしたのだ。
湊は机に突っ伏したまま僕の顔を見て、しばらくぽかんと口を開けていた。そしてゆっくり、パチ、パチと瞬きする。
「あー、そうか」
身を起こした湊は窓に目をやる。
ビジネス街の、高層階からの景色。隣のビルの窓がExcelのセルのように並んでいる。ブラインドの隙間から見える、洗練されたオフィスのかっこいい大人たち。それから見渡す限り続くビルの群。
今、雑居ビルに住んでいる僕たちは、5年前、アパートの一室で、こういうところに住む夢を確かに見ていた。
「……そうだね」
かすれた声で湊はつぶやいた。
しばらく部屋には、僕のキーボードの音だけが響いていた。
+
「はよーざいます。あれ、お二人揃ってんの珍しっすね」
高城が入ってきたので僕は少し居住まいを正した。湊も切り替えて、いつもの能天気な明るい顔になった。
「高城君おはよう。この前はありがとな。なんかあの人、無駄に怖くない? 高城君は大丈夫だった?」
「……湊さん、その話、聞きました?」
「え?」
高城の声が少し低くなった。いつもと違う雰囲気に湊も顔を上げた。
「していいっすか? 瀬川さん」
「……」
「え、何? 何かあったの?」
高城が拗ねたように睨む。あれか? 引き抜きの話か? まさか疑っているのか? 狼狽する僕に、湊は好奇心に満ちた目を向ける。
二人の視線に負けた。
「……緒方さん、独立するんだと。それで僕に引き抜きの話があった。馬鹿馬鹿しい話だ。それだけ」
「えええ!?」
内緒にしろとは言われたが、あの様子では多分あちこちで言っているだろう。
「いや、まじなんなんすかあの人。俺ガチで瀬川さん口説かれてんのかと思って。雰囲気ありありのバーで、二人きりでさあ。俺、どこで入ろうかと……」
「はあ!? 君、もっと前からいたのかよ! 早く入ってこいよ!」
どこから見てたんだ!?まさか……
「や、なんかあの人、すっげー勢いで喋ってたから、割って入ったらまた怒られるかと思って」
よかった。その前のみっともない姿は見られていないようだ。
「手握られて嫌そうだったんで、あ、これ合意じゃねえわって思って」
「えっ? えっ?」
「やめろ! その言い方は誤解を招く!」
湊の目が興味でキラッキラしている。だが、これ以上話せることはない。
僕は咳払いをして流れを切った。
「一応、僕が喋ったのがバレたら面倒臭い。知らなかった事にしてくれ」
「うん。わかった。……そうか、だからあんなに連絡先知りたがってたのか」
湊はソワソワしながらも素直に頷く。
……まさか、妙な誤解をしていないだろうな……




