21.
「瀬川さん、Slackに来てる備品の発注の承認、急ぎでお願いしていいすか」
「え? ああ、見落としてた」
発注サイトを立ち上げて承認ボタンを押す。ほかにもいくつか見落としていた事に気づき、慌ててさかのぼる。僕らしくないミスだった。
「備品の承認まで瀬川さん通す必要あります?」
「昔、トイレットペーパー1000個来たことがあってな。それから最終確認してる」
「マジすか、ウケる」
雑談しながら対応していると、高城の声が少し低くなった。
「……さっきはすみません。俺、断るの思いつかなくて」
「君が謝る事じゃないだろ」
あの目を思い出すと頭が重くなる。あの声は僕を容赦なくあの頃に引き戻す。でもそろそろ、本当に克服しなければならない。この仕事をしている限り、上手く行けば行くほどあの人と遭遇する機会は増えるだろう。
「空気読めない新人みたいな感じで、ガッと、殴っちゃえばよかったですかね?」
「なんでだよ、出禁になるぞ。今までの仕事がパーだ」
「だって、なんか……」
「あの人は凄いんだよ。本当に。……敵には回せない。絶対変なことは言うなよ」
あの人は湊を気に入っている。新規の商談の時に、緒方さんから聞いたと言われることも多い。だからもしも嫌われたら……その反動は恐ろしい。
「今日、俺も行きますからね」
「は、余計な気を回すな。僕の仕事が増えるだろうが」
1対1なら僕さえ我慢すればいいが、高城をフォローしつつうまく切り抜ける自信がない。
「社長命令でーす」
高城はパソコンの画面をこちらに向けた。slackのDM。
『いざとなったら、空気読めない振りして、殴ってヨシ』
「……意味が分からん」
ヨシじゃないだろ。誰のためにやってると思ってるんだ。
脱力して頭を抱えた僕に、高城がははっと笑った。
「湊さん、まじ瀬川さんのこと好きですよね~」
+
「ええ~連れてきちゃったの? 相変わらず空気読めないねえ、お前」
指定された店に行くと、カウンターの端に腰掛けた緒方さんは早速、片眉を上げた。
「お邪魔しちゃってすみません。私が、無理言って同行させてもらったんです。いやあ、さすが良いお店をご存じですね。こういうところ初めて来ました」
僕が何か言う前に、高城がきょろきょろしながら突っ込んでいった。本当に恐れ知らずだな。
「コンサルの仕事、興味があって。どんなお仕事なんですか?」
「ストップストップ、僕は今日はね、瀬川君と飲みたいの。いてもいいけど、君はそっち。おい瀬川、ちゃんと教育しとけよ」
「はは、すみません」
まずい、呼び捨てになった。首筋がヒヤリとする。僕の中に眠っていた『緒方さん機嫌センサー』が動き出したのだ。
多分これで緒方さんの中で高城の評価は下がった。空気の読めない低能。もう隣で大人しくさせておくしかない。
高城を押しのけて緒方さんの隣に座る。高城に顎で僕の隣に座るように示して見せた。メニューを見ずに「同じものを二つ」とバーテンダーに頼む。幾分か緒方さんの機嫌が戻ったのを感じる。
「ホント驚いたよ、まさか辞めちゃうなんてさあ」
「その節は、お世話になりまして」
「そうだよ、謹慎で済ませてくれって、根回ししてさあ。何とか通りそうだったのに」
辞めた……いや、復帰できなかった本当の理由の当人は、表向きの理由を信じているらしい。ちがうな、信じているふりをしているのか。
多分僕と飲みたかったというのは、僕が余計なことを言わないように念押しするためだろう。
「すみません、尽力していただいたのに。勝手ながら、他の事にチャレンジしたくなって。若気の至りです」
すまなそうな顔で謝って、自己都合の退職だったと強調する。僕が湊の道の邪魔になるのは、絶対に嫌だ。
「へえ、他の事って?」
「税理士事務所を開業しました。でも全然ダメで。湊から声をかけてもらいまして、今はこの通り、零細企業で事務をやっております」
実際は少し違う。開業は家族に状況を知られたくなかったから、持っている資格で体裁を整えただけだった。会計士資格で税理士登録するには時間がかかる。開業準備に半年ちょっと、登録してすぐに湊に声をかけられたから、実際には営業していない。
それでも、独立したいとか、キャリアアップとか。そういうのは表向きの本音の理由として優秀だ。
緒方さんはグラスを揺らして、にこりと笑った。意図は通じたようだ。
「でも、あの湊君と組むなんて、お前本当に運がいいんだね。どこで知り合ったの」
「小学校から一緒なんです、そのまま高校まで」
「あー、そうだった、湊君から聞いたわ。そういうの、ほんと大事にしなよ」
「はい」
「なんかないの? 面白い話」
「そうですね……」
よし、ご機嫌が戻ったぞ。このままやり過ごせば、乗り切れるだろう。
当たり障りのない話をしながら、ヒリヒリするような時間を過ごす。高城は空気を読んで隣にただ座っていた。でも僕は、その存在感に随分と助けられた。……高城が受けた命は、『いざとなったら殴ってヨシ』だ。殴らせるわけにはいかない。
しかし。
「あ!」
1時間くらいたったころだろうか。話の切れ目に、緒方さんはわざとらしく胸ポケットを叩いた。
「タバコ忘れちゃったよー。最近控えてたんだけど、瀬川君といると懐かしくて、つい吸いたくなっちゃうね」
1000円札を出して高城に突き出す。
「駅の向こうに、タバコ屋さんがあるから、買ってきて。コンビニじゃ売ってないんだよね」
「え?」
「中南海っていうやつね。どっかでみたんだよなー、北口だったか、東口だったか」
高城はそんな扱いされたことはないだろう。今まで完全に無視されていたのに、突然のパシリだ。ぽかんとした顔をしていた。
しかし、僕が行くというのもおかしい。どう見ても、緒方さんは高城を追い出したいのだ。
覚悟を決めて、手を払うようにして行くように命じる。
高城は心配そうに出て行った。




