22.
「瀬川君が上司なんてねえ。時がたつのは早いもんだ」
閉まる扉を見て、緒方さんは目を細めた。
「どう? 僕の苦労、分かったでしょ?」
「はは、なかなか難しいものですね」
「難しくなんかないよ、要は採用。最初から出来るやつと出来ないやつははっきりしてんだから、出来るやつをいかに採るかが重要」
「はい、肝に銘じます」
「ま、ベンチャーに来るやつなんて頭がいいわけないか」
「はは」
高城が大当たりだなんて、絶対に言えないな。そう思いながらグラスに口をつける。緒方さんに合わせた強い酒だ。あまり飲まないようにしていたが、高城がいない心細さに、つい進んでしまう。
「早速なんだけどさ」
緒方さんは椅子ごと僕に向き直った。
「お前に話があって。本当にずっと話したかったんだよ」
口元は笑っているが真剣な目だった。
カウンターに片肘をつき、こちらに開いた体。ジャケットのボタンは外れていて、無防備にベルトが見えている。いかにもリラックスしているポーズだ。
何が言いたい、昔の事か? それならもう、僕はなにもなかったことにする。それはさっき伝わったと思う。湊の事か? なにか僕にさせようというのか? なんだ、なんだ……
表情が読み切れなくて、センサーが暴走する。思わず食い入るように緒方さんの顔を見つめる。どこかにヒントはないか、どう動いてほしいんだ、どうしたらいいのだ……
「結局さ、お前が一番優秀だったわ」
「……え?」
つい、間抜けに聞き返してしまった。聞き返すなんて、それだけでいつもなら嫌みの一つも飛んでくるはずなのに、緒方さんは今まで聞いたことのない熱を帯びたような声で、信じられない言葉をつづけた。
「あの時、考えてみたらお前、24?25? 新卒で3年たってなかったんだろ? 新人で、あれだけ僕についてこれたの、お前以外いなかったの。わかってる?」
当時のチームは5人。緒方さんがリーダーで、他の3人はベテランだった。僕は勉強のためにとねじ込まれた。僕が一番若かった。必死に食らいついた1年、激務と疲労は若さで乗り切れた。緒方さんはきつかったけど本当に仕事は出来たから、チャンスだと思ってどんな扱いでも耐えた。
「あの後配属されたやつなんて、長くて3か月しか持たなかった。ホント使えなくてさ。お前だけが、弱音も吐かずに上を見て成長してた」
だから
「もっと育ててやりたかったなあ。ちゃんと褒めてやらなきゃって。……お前はよくやってたよ」
そう言われたら
「おいおい、泣くなよ~」
涙くらいは出ても、仕方がないのではないだろうか。
緒方さんの手が伸びてきて、僕の肩を掴む。大きくて、分厚い力強い掌。元ラガーマンだったらしいその手は、よく机をたたき、壁を殴り、書類をぶちまけていた、恐怖の対象だった。
こんなに暖かく、力強いものだとは、思ったこともなかった。
「す、すみません。みっともないところを」
慌てて涙をぬぐう。なんで僕は喜んでいるんだ。こいつのせいでどれだけ辛い思いをしたか忘れたのか。……そう思っても、嬉しさがこみあげてくるのが抑えられない。
「……瀬川もさ、いろいろあったんだと思うけど。湊君の会社、評判いいのは書類がしっかり整ってるからっての、大きいよ。僕も今回の見たけど、作ったのお前だろ。成長したな」
呼び捨てなのに、嫌な感じがしない。声を上げて泣きそうになるのを飲み込んで、何とかかすれた声で答える。
「お、緒方さんに、叩き込んでいただきましたから」
「はは、言うねえ」
「……それについては、本当に、感謝しています」
「うん」
僕が落ち着くまで、緒方さんは息子を見守るような温かい目で僕を見つめていた。ふわふわする暖かさと見つめられる居心地の悪さを同時に感じてそわそわする。気が付けば僕のグラスは空になっていて、緒方さんが新しいのを注文してくれていた。




