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「ローズ」
えっ? 後ろから、優しい声が聞こえる。
身体が動かない。
「ローズ、僕と帰ろう」
私の手に優しい手が添えられた。
私は、この手を知っている、また視界がぼやける。
「昨夜、ラムセスが記憶操作を解いてしまった。
今朝まで続いた雷と強風は、ラムセスの魔力が暴走したせいだ。
ココ、素直になってくれ。
ラムセスは控えよ、私は許可していない」
伸ばされた優しい腕の先を見ることが、私にはできない。
「ローズ、泣かないで」
耳元で囁く声に、私の身体が熱くなった。
少しだけ、視線を動かした。私を覗き込むネイビー色の瞳と目が合ってしまった。もう、ダメだ。何も考えられない。
「ローズ、帰ろう」
帰りたいよ。心から帰りたい、う~。
今、感情に流されるべきではない、冷静にならなくては……。
「ローズ、来るのが遅くなった。ごめんね、怒っている?」
セスは私を責めないの?
「ローズ、こんなに陛下に泣かされて……もう大丈夫だよ、帰ろう」
「おい、ラムセス。新館の廊下と扉を破壊しておきながら……条件はクリアされていない、ココから離れろ」
「セス様……」
「あぁローズ、もう一度僕の名を呼んで」
「セス様、あの……」
「ローズ、すぐに帰ろう」
どうしたら良いのかわからない私はまたバングルを見つめた。
セスが優しく私の髪を撫ではじめた。
私を責めずに「来るのが遅くなった」と謝るセスは、やさしいままだ。
涙が止まらない……セスのもとに帰りたい。
「セス様……私、帰りたい……でも……どう考えても……帰れない」
「ローズ! なんの問題もないよ、一緒に帰ろう。屋敷の皆も待っている」
セスが私の肩に手をまわし私を引き寄せた。
耳がセスの鼓動を拾った。
懐かしい音だ、苦しい時にいつも聞いていた音だ。
「この数日間……ずっとセス様に会いたかった……でも──」
「ローズ、もう何も言わなくていいから、僕から離れないでね」
「……ぅう……うっ……ぐすっ……うっ…………」
私はもう何も喋れず、むせび泣いた。
「ローズ、そんなに泣いたら……」
「ココの涙は、お前のせいだ。
ラムセス、条件は満たされていない、仕切り直しだ。
ラムセスには、今日の仕事をシッカリしてもらう。
その後、ココを交えてもう一度話し合いだ!!」
「陛下、私はこの後、長期休暇を申請します」
「承認しない、ココは『帰れない』と言った。
ラムセス、頭を冷やせ! ココの涙が落ち着くまで仕事でもしていろ」
私の涙は、止まらない。
「ローズ、目の腫れを治すからこっちを向いて」
私はセスに顔を向けた、セスの顔を見ただけで、また涙が溢れる。
もう、会えないと思っていた。
もう、笑いかけてもらえないと思っていた。
その少し困った優しい笑顔が大好きだった。
「ラムセスの顔を見ると、ココの涙は酷くなるみたいだ」
「陛下、そのようなことはございません」
「ほらっ、ラムセス、仕事だ。その前に魔力制御の訓練だ、行くぞっ」
「えっ、陛下。何をなさるのですか──」
「ココ、すぐに目を冷やせ、後ほど落ち着いてから話そう」
国王陛下はセスを引きずりながら消えた。
二人の関係は壊れていない。よかった。
「レディ・カグヤ、これで目を冷やしてください」
「ありがとう、ミヤ。ところで、この青バラは何?」
その直後、エルから王宮の白い部屋に戻るように言われた。
セスの言葉とは反対にフォード邸には帰れないとも告げられた。
記憶が戻った後のセスの魔力暴走でフォード邸内外の損傷個所が多く、修繕に数日かかるとヨハンから連絡が入ったと説明された。
新館の廊下も酷い事になっていた。ボロボロヨレヨレになり廊下に座り込んだヒースと王宮魔術師達を発見した……私は反射的に「なんだか、ごめんなさい」と謝った。
ヒースと王宮魔術師達から「お願いですからもうフォード卿から離れないでください」と懇願された。そう言われても……。
王宮医が来るまでの間、ボロボロのラナ達を手当てしようとしたら「我々は長生きしたいので近寄らないでください」と訳の分からないことを言われ、ヒースも私の手当てを拒否した。
「これでも、私は救急救命講習を受けた事がある」と主張したものの、ヒースは「そういうことではございません」と遠い目をした。どういうこと?? 何だか残念な子のように扱われたような……?
ヒースの話によると。
昨夜、記憶を取り戻したセスは早朝に王宮を訪れた。
セスは私の生死を危ぶんでいたが、私が新館で過ごしていると聞いて安心した。
その後、国王陛下から長時間に渡って事の真相の説明が始まった。その間、セスの魔力が漏れ出し政務室が青バラだらけになり、部屋をかえながら説明は続けられた。
就任の儀直後に、私が王宮から逃亡を図ったことを知ったセスは激しく動揺し、国王陛下に「ローズに会わせて欲しい、連れて帰りたい」と懇願した。
国王陛下は、私が「会いたい、帰りたい」と言うことを条件にした。
問題は……私が本心を簡単には口にしない事だった、そこで朝食時に陛下が私に探りを入れることになった。
セスはヒースと共にサロンから離れた部屋で、魔術を用いてその様子を見守ることになった。途中から、「どうしてもローズに会って話したい」とヒースの制止を振り切ってセスは暴走し、新館サロンの扉を破壊するに至った。
セスって、激しい人だったのね……。
私の中途半端な答え方のせいで、国王陛下とセスの言い分は食い違ったままで険悪らしい。
「ヒース、どうしよう?」
「マイ・レディ。はっきりと言葉でお示しください。お二人が居るところで、はっきりと」
「……はい。あの時、どうしてタブレットをバッグに入れ忘れたのかしら?」
「マイ・レディ! 話題をすり替えないでください。
過ぎたタブレットのことはもうよろしいのでは? 重要なのは今とこれからのことです。マイ・レディが『帰りたい』のか『帰れない』かであって──」
どうしよう……。
はっきりと言葉にするもなにも、それ以前に思いが定まっていない。
私はどうしたいのかな? ……もう、ハクはいない。
※
私はローズを取り戻した。
ローズは『帰りたい』『会いたかった』と私の側を選んでくれた。
それなのに、陛下は仕事を理由に私をローズから引き離した。
あんなに涙を流していたのに、目の腫れを治してあげたかったのに。
私は陛下に連れられて筆頭魔術師の部屋に入った。
すぐに、前筆頭魔術師ランカスター卿が訪れた。
「フォード卿、この度はお許しください」
「ランカスター卿、陛下から詳細を聞きました。随分前からローズの力になっていただいていたようで感謝致します」
感情とは裏腹に、私は静かに礼を述べた。
感謝などできるか、根治のチャンスを……それに前から思っていたことだが、「ローズ様」と呼ぶのをやめてもらいたい。
私の心の揺らめきとともに、増えた魔力をコントロールできていない証の青バラが部屋中に積もりはじめた。
「おい、ラムセス。 言葉とは裏腹に青バラが駄々漏れだぞ」
ローズは刀剣様を信じた。
刀剣様は、陛下の魔力放出のリミッターをはずし、私への記憶操作に力を貸した。
そうだ! 増大した魔力で「時戻り」を極め……魔導書を消滅させる直前に戻ろう、あのレイピアでローズの完治を祈って召喚魔導書を刺そう。
バチッ!
突然、数個の青バラが爆ぜた。
「おい、ラムセス!!」
気づくと、足首まで青バラが満ちていた。
「フォード卿、お怒りはごもっともです。ですがローズ様の思いは崇高なものでした、見ていて惹きつけられました」
ああ、さぞ、ローズは崇高だっただろう。
その時のローズを私は知らないのだ。
わたしの知らないローズを陛下とランカスター卿が知っている。
はじめは、ローズが無事だとわかればそれで良いと思っていた。ローズの無事を確認した今となっては、ローズから離れた7日間……ああ悔しい! 情けない!
バチッ! バチバチッ!
「ラムセス!そんなに魔力を制御できない状態でココの側に戻れると思うなっ!」
「フォード卿、その状態で繊細な王命治療を行うのは危険です」
なんだと!!
「また、ローズを私から引き離すおつもりですか!」




