93
「旦那様、またこちらでしたか」
「ああ、ヨハンか」
「朝食の準備ができました」
「ああ」
大きな窓が開け放たれ、その先のテラスに白いクロスのかかった円形の大きなダイニングテーブルに着いた。
「旦那様、どうかなさいましたか? 朝食を始められないのですか?」
「ああ、少し外を眺めたい」
何かが、揃っていない。
昨日、筆頭魔術師就任の儀が終わった。
疲れているのだろうか……気分も身体も重い。
頭の中に霧がかかっている。増えすぎた魔力が身体に馴染むまで時間がかかる。魔力を上手く制御できないと青いバラとなって溢れてしまう。
皆は青バラというが、私にはどこか寂しげで切ない黒バラに見える。
テーブルに並ぶ食器を目にして疑問が湧いた。
「ヨハン、この食器とカトラリーは?」
「昨日、納品された物です。旦那様が注文されていたものでは?」
「いや……」
「薔薇の印が入っているのでてっきり……」
全体的に小ぶりで私の手には合わない、確かに薔薇の刻印が入っている。
我が家の家紋に似ているが違う。
「ヨハン! ローズの間……」
「旦那様、先ほどの客間がどうかいたしましたか?」
私はローズの間へと走った。
そこに大切なものがあると思った。
コンコンコン
扉を開ける。人影が動いた。
「旦那様?」
「サリ、どうしてここに?」
「気づくとこちらのお部屋に来てしまうのです、旦那様は?」
「ああ……私は……」
息を切らしヨハンが追ってきた。
「旦那様、どうかなさいましたか」
「ヨハン、いつからこの客間をローズの間と呼ぶようになった?」
「それは……たしか……後程、調べておきます」
いつも朝食は王宮の側近用控室で取っていたはずだ。
客間に名前など付けていなかったはずだ。
「旦那様、まずはお食事を」
「ああ、騒がせた。すまない」
「目覚められてから日も浅いですし、無理をなさらないでください」
「ああ、ありがとう。心配をかけたな」
ここ数日、何を食べても砂を噛んでいるようだ。
「いってらっしゃいませ」と屋敷の者たちに送り出された。
馬車に揺られながら目覚めた時を振り返る。
数日前、強い頭痛で目覚めた。
目覚めた場所は王宮だった。
陛下や前筆頭魔術師ランカスター卿に見舞われていた。
陛下によると、私は召喚術を展開し召喚に成功した直後に意識を失った。その時、召喚魔導書に「1月10日の就任の儀の数日前に術式の展開者は目覚める」と文字が浮かんだらしい。
召喚された者を王宮で保護していたが、「大陸を周遊したい」という本人の強い希望もあり、数日前に旅立ったと説明された。
就任の儀前日に陛下から召喚時に顕現したという刀剣を渡され「召喚魔導書を消滅させろ、即位の誓いでもある我々の悲願を叶えろ」と命がおりた。
私は、召喚魔導書の消滅を実行した。
それからは、慌ただしいスケジュールだった。
昨日の就任の儀を終えてから、力試しにいくつか魔術を展開した。午後から挨拶回りが始まり、今日も各関係者との挨拶で一日が終わった。
私の魔力が安定せず、王宮魔術師団や警護官は青バラの片付けに追われていた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ああ、ヨハン、戻った。少し庭を歩いてくる」
「かしこまりました」
いつもと変わらない庭だ、吸い寄せられるようにガゼボに入った。
幼い時以来だ、あの時は魔術を使うガゼボの仕組みが面白く夢中になった。
ガゼボに座り夕焼けを見ていた、気づくと星空に変わっていた。
妙な既視感が……魔力が安定してないせいだろうか?
「ラムセス」
声の主を見て驚いた。
「陛下! どうなさいました?」
「いや、就任直後からラムセスの様子がおかしいと報告があった」
「私は、通常通りでございます」
「ラムセス、眠れているか? 食事は取れているか?」
「はい、何の問題もございません」
わざわざ……陛下がどうしたのだろうか?
「陛下に確認したいことがあります」
「なんだ……」
「以前、この屋敷に臨時政庁が置かれた時、二階の南側の部屋を何と呼んでいたか覚えていらっしゃいますか?」
「二階の南……政務室として使っていたところか?」
「はい」
「あの時は、政務室と呼んでいたと記憶しているが」
「その後、ローズの間と呼んでいる理由をご存知でしょうか?」
「ラムセス……」
「陛下、何かご存知ですか?」
「いや、知らない」
執事のヨハンも知らない屋敷のことだというのに、私はなにを陛下に聞いているのだろう。
「陛下、大変失礼しました。サロンでお茶でもいかがですか?」
「ああ、いただこう」
陛下を屋敷のサロンまで案内した。
「ラムセス、ここは……」
気づくと、ローズの間に来ていた。
私から青いバラが溢れだした。
「あっ、重ね重ね申しわけございません。陛下、サロンへ参りましょう」
ピピピッ
ローズの間を後にしようとした時、小さな音を耳にした。陛下と私は、振り向いてローズの間を見まわした。人の気配はない……。
「なんだ?」
私は、あの音を知っている。あの電子音を知っている。
音源を探さなければならない気がした……。
テーブル、ドレッサー、書類机の上には何もない。
ドレッサーの引き出しを開けるが、なにも無い。袖机の引き出しを下からあけた。最後に開けた書類机の引き出しの中に……タブレットを見つけた。
「ラムセス、それは?」
「……タブレットです」
これはタブレットだ……誰かが教えてくれた。使い方も習った。
電源がどうこう言っていた……。
先ほどの電子音はバッテリー残量が少ないという警告音だ。
どうして、そのことを知っているのだろう。
「おい、ラムセス。やめろっ、それ以上は触れるな……」
手が動く、確か……ここをスライドして、タップして……。
タブレットから音声と映像が流れてきた。
私の視界は、映像の再生と同時に色彩を取り戻した。
『セス様、質問させてください。セス様の事をセス様と呼ぶ方は他にいますか?』
『いませんが、セスと呼んでください。私は、ローズと呼びましたよ』
『私は、エトランジェにすぎません。私だけがセス様と呼ばせていただいているのならば、何らかの関係性を周囲に示すことができ、かつ失礼にあたらないので最善と判断しました』
『ローズの本当の名前をおしえてもらえませんか?』
『今までの名前を封印してローズとして生きてみようと思います。ローズとお呼びください、きれいな名前をありがとうございます。これぐらいで大丈夫かしら?』
音声と映像は止まった。
ああ、そんな話をしたね、ローズ……。
ローズ、君と出会って、君が泣いて笑って微笑んで、春風に包まれたね。
君の心は、私との結婚を受け入れてくれた。
就任の儀が終わったら病気を治して、一緒に歩むと約束した。
頭の中の重い霧がはれたよ。
ズキッ! うっ……。
まて、私は就任の儀前日に刀剣の力で召喚魔導書を破壊し消滅させた。
すでに刀剣の力を使ってしまった。
そして……あの時、刀剣も消滅した。
ローズは、どこだ?
ローズは、どうしたのだ?
私と歩むと誓ってくれたローズが……隣に居るはずのローズがいない。
底知れぬ恐怖に襲われた私は震えた。
「陛下! どうしてローズの姿がない、どうしてその事に私は平気でいられる!」
「ラムセス、落ち着け。説明するから──」
「陛下、私の記憶をいじりましたね!!」
「ラムセス、落ち着いてくれ」
「ローズは無事ですか? 陛下!!」
東の帝国ではなく、陛下がローズを攫ったのか?
ローズが嫌がることを陛下はしない。ローズが望んだのか?
「陛下! ローズは? ローズは今どこにいるのですか?」
「王宮にいる」
「ローズは無事ですか?」
「ああ……」
「今すぐ、ローズに会わせてください!」
「ラムセス、急がなくて大丈夫だ。明日、城に来た時に──」
「陛下、事の次第によっては陛下であっても私は陛下を断罪します」
眩暈がする……ローズを失うことを一番恐れていたはずなのに、ローズの記憶を奪われるなんて、なにが筆頭魔術師だ。
私は愚かだ、なぜローズとの記憶を手放した。
私の信じた全てから、手を放されたのは私か……。
「はは、ははっ、あははっ、あはははっ」
「ラムセス?」
「陛下、筆頭魔術師の任をお返しいたしますよっ。
ローズを失う失態を犯すなんて……筆頭魔術師なんて務まりません」
「ラムセス、落ち着け! 今の発言は聞かなかったことにする。
ココから魔石を預かっている。ラムセスへの思いが詰まった映像が入っている」
「どういうことだ……なぜだ! まだ私に思いがあるなら、なぜローズは直接伝えてくれない!」
「ラムセス、落ち着け! 魔力暴走を止めてくれ、ココが過ごした場所が壊れる」
陛下は魔力を展開し、私から暴走する魔力を止めていた。




