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 執務室に入ってきたローズは、陛下を見るなり強い動揺を示した。

 心が裂けるような痛みが走った。

 勘の鋭いローズは身に迫る危機を感じ取ったのだろうか……。


「ローズ? ……ローズ、大丈夫だよ」


 私は、ローズの手を取った。

 陛下から聞いた内容をそのまま伝え、先にヒースと共に王宮に行って欲しい旨を伝えた。


「ローズ?」


 ローズが、私の手を握り返して離そうとしない。

 こんなことは、今までなかった。


「ラムセス、明日の早朝でも──」

「陛下、急ぐ案件かと……。

 ローズ、先に王宮に向かってくれ、ヒース頼む」

「かしこまりました」


「ローズ、今夜の治療をちゃんとするから、そんなに怖がらないで」

「セス様……」


 やっと、ローズが声を発した。


「セス様、記憶操作に魔力を使うなら……今夜の治療はお休みにしましょう」


 ローズの目が潤みはじめた。

 ローズの不安が心に伝わってきた、陛下も反応している。


「ココ、ラムセスは大丈夫だ。ラムセスと二人で話す時間が必要ならば──」

「陛下、急ぎましょう。ローズ、座って」


 私はローズを座らせ、ローズの胸と背に手を当て、いつものように丁寧に術式を展開した。


 ローズの目から涙が溢れそうになり、ヒースが慌ててローズの手を取った。

 どうしたというのだ、ローズだけでなくヒースや陛下までもが沈痛な面持ちだ。


「ローズ、苦しい?」


 私は、ローズの顔を覗き込んだ。

 ローズは、私の目を見たまま左右に小さく首を振った。

 ローズの呼吸は落ち着いている、ヒースも頷いてローズから手を離した。


「ローズ、今夜は寝付くまで君の側にいられないけど、深夜に君の寝顔を覗きにいくから」


 私はローズが小悪魔風に「それはダメです」とくすりと笑って答えると予想し、ローズに顔を近づけ黒い瞳を見つめた。


 ローズは、スッと私の唇に優しい口づけをした。


 えっっ、なっ、あああ~!!


 一気に血が沸いた、私の思考回路と言語機能は破綻した。


「セス様、いつもありがとうございます」


 私の燃えたぎる心情とは逆に、ローズは静かに丁寧なお辞儀をした。


「おやすみなさい、セス様。私は先に王宮に向かいます」

「ローズ! ローズ、おやすみ」


 ローズは微笑みを浮かべ凛とした姿で執務室を後にした。

 心なしかローズの背中が寂しそうに見えた。


 パタン!


 執務室の扉が閉まる音で、私の思考回路と言語機能は少し回復した。


「へ、陛下!」

「……なんだ」


「陛下!! 私の熱い思いにやっとローズが応えてくれました」

「そうだな、ラムセス」


 陛下が執務室の扉を開けて廊下を確認し、すぐに結界を張った。


 そうだ、浮かれている場合ではない。

 深夜にはローズに会える。

 今、私の成すべきことは、ローズと家人の安全のために、記憶操作に全力を尽くし、すぐに王宮に向かうことだ。


「陛下?」

「ラムセス、細部を詰めよう」

「はい」


 ローズを追いかけて抱きしめたい気持ちを抑え、陛下と詰めの段階に入った。




 ※



 セスの執務室を出て数歩進んだところで、私の涙は溢れた。

 私は壁に手をつき廊下にしゃがみ込んだ。


「うっ……うっ……」

「マイ・レディ……」


 ヒースがハンカチで私の涙を拭いてくれる。


「ヒース、これでセス様とはお別れなのね」

「少しの間です」


 私は、もうセスに会う気はない。

 会いたくても会えない、こんなことをして許されるはずがない。


 いきなりの予定変更だったけど、これで良かったはず。

 善は急げ、ということだろう。


「お辛いでしょうが、部屋に戻りマイ・レディに関する物を隠しましょう」


 そう、私には感傷に浸り泣いている時間はない。

 泣くのは後にして、明日の午前中に予定していた作業を前倒ししなくては……。

 でも、どうやって隠すの?


「ヒース、元からの私物はバッグにまとめてあるけど、机の中とクローゼットの物は?」

「マイ・レディはバッグだけをお持ちください。それ以外は、増設したクローゼットに隠します、お部屋へ急ぎましょう」


 ヒースは、クローゼットの中身を片付ける。

 私は、机の上の増殖したカクカクコロコロのオルゴールをバッグに入れる。

 袖机の引き出しにある書きかけのノート・メモ類をバッグに入れる、あとは……きょろきょろする。

 書類机の引き出しも見なくては……あっ、ドレッサーの引き出しにセスがくれた普段使いのアクセサリーが……。


「マイ、レディ。こちらへお越しください。

 保護がかかって動かせないトルソーが……」


 ヒースの声を聞いた私は、クローゼットに入った。やはり広い。

 あんなにあった服・靴・バック・小物は無くなっていた、一着を除いて……。


 私がセスから最初に告白された時に着ていた黒いドレスを着たトルソーだけが、その存在を放っていた。


「ヒース、保護って?」

「ドレスを脱がせることも、トルソーを動かすことも出来ません」

「ヒースにできないなら、私にできるはずがないじゃない……」

「マイ・レディなら動かせるかもしれません」


 そ、そうなの?


 悪戦苦闘の結果、ドレスを脱がせることはできないが、私が触れるとトルソーを移動することができた。しかし、増設クローゼットへは動かせない事が判明した。

 どんな保護だ……ゼェハァしながら頑張ったのに、もう嫌、疲れた。


 息切れしながら私は考える……時間がない、記憶操作された後のセスはこの部屋に来ない。もし来てもクローゼットは開けないだろう。最悪、クローゼットを開けたとして……。


「ヒース、このクローゼットの死角に移動させましょう」

「このドレスは何なのですか?」

「セス様のお気に入りのドレスなの……」


 私がこのドレスを着てセスも正装して、いつもより豪華なランチをいただいた。

 セスが私の指を舐め、私の耳元で「綺麗だ」「好きだ」「妻に」と……そう、バングルを渡された日だ。


 感傷に浸っている場合ではないのに、一着のドレスにもこんなに思い出が……。


 私は癖で左手首を触った。カチカチ。

 あっ、あ~~! このバングルどうしよう? 返すべきよね。

 私はそれを悩みながら、ドレスを着たトルソーをヒースの言う死角へとズルズルと押して移動させた。


「マイ・レディ。さっ、行きましょう王宮へ」

「ヒース、バングルどうしよう?」


「えっ、あっ、そのバングル……ひとまず馬車へ」

「待って、ドレッサーの中がまだなの」

「私がやりますので、マイ・レディは少し息を整えてください」


 ヒースは、ドレッサーの引き出しの中の物を手さげ籠に入れ始めた。

 手早い、それにその手さげ籠はどこから? あ~、息が苦しい~。


 私は部屋を見回した。

 一カ月以上をこの部屋で過ごした。時々、王宮だったけど……。

 私の帰る部屋はここだった。

 色々な思い出が浮かび上がる、感傷に浸ったら、セスに気づかれる。

 刀剣に触れて適合して共有を切ってから感傷に浸ろう。


「マイ・レディ、行きましょう」

「はい!」


 私は振り向かずに部屋を出て屋敷を出た。

 馬車に乗る、振り向かない。



 王宮に着くと、ランカスター卿が出迎えてくれた。


「陛下のお召で私はフォード邸に向かいます。ローズ様、何か伝言は?」

「……無事に王宮に着いたと、あとこのバングル……」


 私は、左手首を胸の前で揺らした。カチカチとバングルが音をたてた。

 ランカスター卿とヒースの打ち合わせが始まった。なぜ?


「ローズ様、そのバングルにはローズ様を守るため他を排除・排斥する各種魔力が込められています。かなり強力な……」


 排除・排斥って……ハクが嫌がったバングルにはそういう裏があったのね。


「一度、フォード卿にそのバングルの魔力を解いてもらう必要があります。

 記憶操作後にそのバングルを今の状態でフォード卿にお返しすると、バングルに込められた魔力で記憶操作が解けやすくなります。また、ローズ様が今の状態のバングルを持ち続けると、東の帝国がこちらにたどり着く可能が……」


 東の帝国の話は本当だったの!? てっきり国王陛下の創作話かと。


「ローズ様、このバングルはローズ様にとって大切なものですか?」



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