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『……是非一緒に行きましよう、支払いをしてみましょう』
そう言って、ローズは楽しそうに笑った。
「その他にも色々な物を見て、カフェでお茶して、そこでもお金を使えますね。セス様?」
「そうだね、ローズ。一緒に買い物に行こう」
「はい、セス様」
ああ、やっと、ローズの特別な笑顔が戻ってきた。
ローズ……。
君は、支払いなんて一生心配しなくて良いことをやってみたいなんて……ドレスや宝石を見に行こうと言われる方が良かった。
いや、それではまた私の押し付けになってしまうのか?
そうだ、百貨店を貸し切ろう、服や宝石を欲しがるかもしれない。
「旦那様、お嬢様、ホテル・フォンテーヌの商業棟にも高級額縁専門店がございますが……」
「マイ・レディ、敵情視察になりますね多少の変装も必要かと」
「変装? 百貨店でも敵情視察になりますか?」
「フォード卿もですが、マイ・レディは目立ちます」
「先日、旦那様とお嬢様が王都を回った順路は『甘い散歩道』と呼ばれ定番のデートコースになりました。大変な賑わいとなっております。
昼食を取ったレストランでは、旦那様とお嬢様の座った席は向こう一年間の予約が入ってしまい、あの日と同じメニューには『姫のためのランチ』という名前がついております。
百貨店で購入した場合、フォンテーヌの額縁専門店は立ち行かなくなることも」
「これから色々な意味で、フォード卿とマイ・レディが立ち寄ったことで広告に使われてしまう懸念もございます」
ローズが遠い目をしている。
昨夜みたいに、どうしたら良いのか分からないと困惑している。
「ローズ、百貨店とフォンテーヌは斜向かいだ、両方行こう。百貨店にしかないものが欲しい時は、フォンテーヌのショップで取り寄せをかけよう」
「はい、そうですね。そうすれば角が立たないですね」
ああ、またローズが笑ってくれた。私の心までフワッと軽くなる。
「ヨハン、日程調整をしてくれ」
「かしこまりました」
「あと、フォンテーヌに入っていない系統のカフェで話題になっている店があるか探してくれ」
「かしこまりました」
ローズ、昨夜みたいに切ない涙を流さないでくれ。
昨夜ローズは、寝付くまで側にいてくれと言ったが、私は一晩中ローズを抱きしめていたかった。深く何かに心を痛めているようなローズの涙は、私の心に深く刺さった。
君には、心に決めた人がいたのかな? 悲しい思い出があるのかな?
私の思いを口にするのは、君には悲しい思いをさせてしまうのかな?
「旦那様、持ち帰られた書類の件で少しよろしいですか?」
「ローズ、夕食の時に迎えに来るから」
「はい」
ヨハンと共に執務室に向かった。
「旦那様、よくぞお嬢様を王宮から連れ帰られました。私は安心いたしました」
「ああ、ローズが戻りたいと、私も嬉しかった」
「屋敷の者たちも喜んでおります」
「ヨハン、書類というのは?」
「旦那様、この誓約書という子どもが作ったような文書は何でしょうか?」
「ああ、ローズとの取り決めの草案だが……ローズに矛盾点があると指摘されて、それはボツになったものだ、次を考える」
「旦那様! これをお嬢様に見せたのですか?」
「ああ、たしか……アカデミーの試験のあった日に確認してもらった」
「あ~、何という事でしょう」
「ヨハン、また出来の悪い子を見る目をしているようだが?」
「お、お嬢様は何と?」
「その場で矛盾点をいくつか指摘されたので、年明けまでには修正することで了承を得ている」
「お嬢様は、長時間の試験の後に、こんな物をご覧になられて……さぞお疲れになった事でしょう」
「ヨハン、こんな物とは失礼な……」
「それにしても、恋は盲目と言いますが重すぎます。お嬢様が疲れている時で良かったのかもしれません」
ヨハンは、何をブツブツと嘆いているのだ?
「旦那様、少しでも挽回しましょう。わが国の通貨の種類と支払いの仕方を今から徹底的にレクチャーしますので、よろしいですね」
私は、ローズの部屋で過ごしたかったが……。
ローズは、ヒースに『支払いの仕方を教えてください』と言った。私がローズに教えたい。
「ああ、頼むヨハン」
「旦那様、まずお嬢様のいうお買い物で使う通貨について――」
怒涛の通貨と支払いについての説明が終わった。
ローズが興味を示すのも頷ける。
今までも国の強さ豊かさを考えていたが、実際通貨を手にしたことは無かった。
予算・決算は数字のパズルをしている気分だったが……、これからは実情に即した配分にも気を使おう。
「ヨハン、ローズにはどこまで見えているのだろう?」
「お嬢様は、旦那様が現金を使った事がないことに気づいていましたね」
「今まで、あんな質問や提案をされたことが無かったからなぁ」
多くの貴族は、通貨の単位だけで実際の通貨を知らずに終わる。
それを『支払いをしてみましょう』なんてゲームを楽しむみたいに……。
「お嬢様は、お金の使い方、人の使い方を知っている方なのでしょう」
「使い方?」
「はい、お金に使われるのではなく、お金を使える方なのでは? 聡明な方です」
ローズは、生きたお金の使い方だけでなく、人の使い方も知っている。
メイドへお礼を言うが無駄な話をしない、強い態度で出ることもない。使用人たちへの態度も良く、言葉も綺麗だ。
この屋敷のローズに会ったことない使用人達まで、ローズを慕い始めている。
それに……いつも暗い目をしていたヒースが、ローズの事を第一に考え始めている。それだけ、ローズが気を配っているのか?
自然と人に好かれる人はいない、そうなるには理由がある。
ローズの気配りが、良い形で伝わっているせいか?
ローズ、今は気配りをやめてくれ、君の心と身体が心配だ。
「ヨハン、ローズが痩せてきている」
「サリからもドレスのサイズが少し合わなくなっていると聞いております」
「食事を無理に食べさせるわけにもいかないし……」
「お嬢様の読書量が問題かもしれません。頭脳労働自体は問題ないのですが、読書中はお菓子どころかお茶も遠慮されてしまいます」
「ローズは、王宮でも書物を読んでいたな」
「アカデミーの専科への進学は、慎重になられた方がよろしいかと」
「ローズも困惑していたから、休学になるだろう。それすら負担ならば、入学辞退でもいい」
「お嬢様の食事についてランスと相談いたします」
「そうしてくれ、私はまずローズの読書の時間をへ減らすようにしよう」
※
「お嬢様、今晩はパジャマにしますかナイトドレスにしますか?」
選択肢が多いのが、悩みの原因になる。
でも、私はこのお部屋に戻ってきた。
いつもの飴色のダイニングルームでの食事は美味しかった。黒いアイアンフレームのガラス張りの窓の外は変わらぬ景色だった。いつもと同じが、私には一番だ。
パジャマという選択肢は聞かなかったことにしよう。
「ナイトドレスにします」
「かしこまりました」
夕食前に私はゴロゴロしたかったが、ドレスの調整で体力を消耗した。
明日以降、ゴロゴロ生活にどうやって入ろう?
「サリ、サリには休暇とか無いの?」
「希望すれば、月に3日まで取れます」
年間36日の年休かぁ、まずまずかな?
……私が召喚されてから、毎日サリは良くしてくれている。
「サリ、希望とかに関係なく週休とか公休というものは無いの?」
「はい、特段ございません」
酷い、労働基準局というものはないのかしら?
働き者の国なのね、私にはこの国の労働者は勤まらない。
「サリ、私が言うのも変ですが、無理をしてでも休暇を取得してくださいね」
「ありがとうございます、お嬢様」
「お嬢様、おやすみなさいませ」とサリが出て行き、扉が閉まった。
あ~、やっと一人になれた。




