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 私は、馬車の床に跪いた状態で、ローズを座席に座らせた。

 ローズは、息切れを起こし言葉が出ない、呼吸すら危ない、肺が悪いのか?


「ローズっ!」

「旦那様! お嬢様のドレスのポケットの物を取る許可を」

「ああ、許可する。頼む、サリ!」


 ローズの目に力が無く焦点が定まらない、喉を鳴らし肩が動いている、息が浅く弱々しい。状況は刻々と悪くなっている。


「お嬢様、失礼します」


 サリは、ローズのドレスのポケットから白い小さな容器を取り出し、ローズに握らせた。それは、ローズの手のひらに納まる大きさだ。


「ローズ嬢、それを使うんだ」

「ローズっ、サリが取ってくれたよ」


 ローズは、その白い容器に震える指をかけた。


 カシャ カチッ スッ


 ローズは、震える指で蓋らしきものをカシャと外し、カチッと簡単な操作をした。息を吐いたタイミングでその白い容器を軽くくわえスッと息を吸った、そして一瞬だが息を止めたように見えた。


 迷いのない、手慣れた作業に見えた。


「サリ、これは何だ? 教えてくれ、頼む」

「旦那様、私も分からないのです、お嬢様はどんな時もこれを手放しません」

「いつからだ、始めからか?」

「はい、以前お嬢様が咳をし、一人にして欲しいと仰った時からです」


「おい、ラムセス。ローズ嬢の息が少し落ち着いてきたのでは?」


「……ひゅー…ごほっ……あの…ぜーぜー……」

「ローズ、まだ話さないで、大丈夫だからすぐに医者に診てもらおう」


 私は、ローズを軽く抱きしめ、私の肩にローズの顔を乗せ、背中をさすった。


「ローズ、もう一人にして欲しいなんて言わないで」

「……ごほっごほっ……ひゅー……」

「背中をさすられるのは苦しい?」


 ローズが、首を小さく左右に振ったのを肩で感じた。


「ローズ嬢を横にした方がよいのでは?」


 ローズは、また首を左右に振った。


「陛下、そういえばローズは座っていれば治ると……」

「確かにあの時、お嬢様は横になるのを嫌がりました」


 ローズは、何かを隠している。


「ローズ、落ち着いたら手にあるその白い容器について話してもらえる?」


 ローズの弱い頷きが、肩に伝わった。


「ラムセス、城に着いたぞ。すぐ客間へ、医師は待機している」



 用意された客間の寝室でローズの診察が始まった、サリが付き添っている。

 ローズに用意された客間のリビングで陛下と二人で診察が終わるのを待った。


「ラムセス、喉は?」

「少し苦しいですが問題ありません。陛下は?」

「私も落ち着いてきた。

 ラムセス、少なくても数日は王宮で過してくれ、あの状態のローズ嬢を動かすな。この後、ラムセスも診察を受けてくれ」

「陛下こそ、先に診察を」

「ラムセス、何度も治癒魔法を展開していただろう、あれは消耗する。酷い顔色だぞ」

「……私の治癒魔法はローズのあの症状に効かなかった、召喚術に不備があったのでしょうか?」

「いや、失敗したのならば、あの刀剣は顕現しなかったはずだ。私の治癒魔法もローズ嬢には効かなかった。治癒魔法も万能ではないからな……」



「陛下・フォード卿お入りください」王宮医の助手の声に従い、ローズの居る寝室に入った。


 スツールに座ったローズは、私達に気づき立ち上がろうとした。「そのままで」と陛下が制した。



 ※



 最悪の場面で喘息発作が出てしまった。発作ってそういうものだけど……。

 全幕が終わったあとで良かった、せめてもの救いだ。

 救い……吸入薬を吸える余裕のある発作で良かったのかな?


 王宮医に背中の音を何度も確認された、気管支の音が違うと気づかれた?

 王宮医の診察が終わった。


 入ってきた国王陛下とセスが真剣な顔をしている。二人とも格好良すぎで真顔が怖いよぉ~。

 吸入薬の存在を知られてしまった。

 サリは気づいていた、サリの聞かない優しさに助けられていたのね。


「医局長、ローズ嬢の診断結果は?」

「はい、気管支が炎症を起こし、気道が狭くなっています」

「風邪か?」

「いえ、慢性気管支炎と言いますか……」


「慢性気管支喘息です」


 私は、かすれた声で真実を告げた。


 ここ数日は治まっていた。吸入薬も欠かさなかった。本のページをめくっても、咳が出なかった。階段を使っても息切れしなかった。


 でも、何かの刺激で発作は出る、容赦なく出る、それは変わっていないようだ。


「ローズ声が……」


 吸入後に喉を洗えなかったから声が枯れている。話しにくい。


 近くに来たセスが、私の髪を撫でた。


「ローズ、呼吸は回復した?」

「お騒がせして、大変申し訳ございません」

「ローズ、痛々しい声だ……。喉が痛い? まだ苦しい?」

「1吸入で治まる軽い発作です。感染しませんのでご安心ください」

「ローズ……」


「医局長、慢性気管支喘息とは?」

「陛下、その病名は異国の文献で目にしたことがありますが……」


「ローズ嬢、息は整ったか? 話せるか?」


 この国には……傷病名として喘息が無いようだ。


 胸痛が残っている指先の感覚もない……それでも、話すしかない状況だ。

 背中に崖を感じる。今、話さないとどんどん嘘を重ねることになり、より真実を話しづらくなり、それを考えるだけで喘息が悪化しそうだ。


 でも……何から話そう?

 喘息の概念がないところで、医療関係者でもない私の説明で大丈夫だろうか?

 話せても、あくまでも『私の場合』限定なんだけど……。不安だわ~。


「私には持病が多数ありました、召喚後に消えたと思ったのですが、気管支喘息は残っていたようです」


 陛下もセスも何も言わない。私は、続けた。


「私の喘息は、完治は難しいと診断されました。

 私の喘息は、ある程度コントロール可能な状態でした。

 生活習慣や環境の改善・投薬治療によって、発作予防を行っていました。

 今の私にとって最も有効な治療薬が、この吸入薬です」


 手にしている吸入薬に目を落とした。


「ローズ、その吸入薬がないと……」


 あっ、セスが気付いた?

 吸入薬が尽きれば……遅かれ早かれ私は終わる。


 幼い時、いくつもの病院を回った。

 喘息と診断されてから、治療方針をめぐって父母が喧嘩を始めた。あれもダメこれもダメの生活が始まり、それと関係なく発作が出る。母が泣く、「母を泣かせるな」と父が私を怒鳴りつける。

 この頃、祖父母宅に一時期保護された。


 通院先が次々に変わった、今度こそ今度こそと両親は期待を寄せる。「元気になるから、治るから」という医師や両親の言葉は呪いだった。

 それでも従うしかなかった。変な民間療法にも耐えた、あれは怪しすぎた。


 やがて「病気のお前が全て悪い」と両親から責められ、数々の心無い言葉を浴びた、病気であることを両親に謝り続けた。生きることを望まれず、死ぬことを許されずという感覚を思い知った。


 高校生になると、最大のストレスから逃れ、穏やかに生きるために円満家出を画策し始めた。


 就職した翌年に逃げるように一人暮らしを始めた。通院を続け吸入薬や飲み薬も続けていた。必死で仕事をこなした、大きな企画を任された、忙しかったが楽しかった。

 気づくと、病院で酸素と点滴に繋がれていた。


 救急搬送され大学病院で「今では禁忌に近い、古い喘息治療を行っていますね」と言われ長期入院になった。そこで最新の喘息治療について説明をうけ、薬を入れ替え、新しい治療が始まった。


 退院して仕事に戻ると、退職ではなく閑職への異動が待っていた。

 組織の思惑や周囲の態度を気にする余裕は無かった。一人暮らしと喘息治療を続けるためにも、迷うことなく勤務を継続した、体調は一進一退だった。


 呼吸が苦しい時に離れた大学病院に通うのが負担で、近所の呼吸器専門内科へ転院した。新しい主治医は、雄弁だった。

「貴女の喘息は、コントロールが上手くできていない状態です。

 治療目標は、重症喘息に移行させない、大小関係なく発作を減らす、月に一回程度の定期受診で済むように落ち着かせることです。そのために環境改善はもちろん、薬の力を借りる必要があります。薬の種類と適量を探る必要があります。

 幼少期からの長期療養で嫌な思いも多かったと思いますが、治療を頑張るのは我々医師です、貴女が頑張るのは通院することです。

 喉、気管支の音を聴かせてください。薬の効果は使用してみないと分からないものです、その効果や副作用の確認のためにも安定するまでは頻繁に通ってください。

 規則正しい生活を心がけ投薬を守っていてもどうしても発作が起きます、喘息が悪化し吸入薬が効かなくなったと不安になり治療を拒否したくなることもあるでしょう。時間はかかりますが、簡単ではありませんが、必ずコントロールできるようになります。それまで諦めないでください」

 医師のその言葉は、私の心に響いた。


 時間を要したが、吸入薬の進化と相まって症状は落ち着き始めた。


 この数年は、楽しみを見つけて細々と平和に生きていた、吸入薬とともに。

 そう、何をするにも何処に行くにも吸入薬とともに。


 その吸入薬が尽きる……。



「ローズ嬢、しばらく王宮に滞在してくれ」


 国王陛下の声で、私の意識は回想から抜けた。



喘息の症状・治療は、千差万別です。

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