マルク・ステードの人生【中編-36】
『デュロスは、ルナリスの零した一粒の涙から生まれた山羊のルールーに育てられた。ルールーは我が子と分け隔てなくデュロスを育てた。ルールーのミルクですくすくと育ったデュロスは父リュートを探すために旅に出る事にした。母がルナリスの身許へ還ったことを伝えに。』
紙の捲れる音が響く。一枚、また一枚と文字を、文章を読み終えると次へと指が動く。身震いをすると少し肌寒いことに気がついた。マルクは本を開いたままローテーブルに置くとベッドへと足を運んだ。
ベッドの毛織物の上掛けを肩にかけるとしっかりと前を閉じ、再びソファに座り膝の上に本を乗せた。
『デュロスの旅は険しかった。最初の難関は激流の河であった。全てを飲み込むように激しくうねり、デュロスの前に立ちはだかった。迂回する道もなければこのうねりに耐え切れるような橋もない。デュロスはその身一つで乗り越えなければならなかった。』
マルクは膝を立てて座り直すと膝に頬を預け、ソファに本を置く。
『デュロスが悩んでいたところ、一羽の鷲が声を掛けてきた。河を渡りたいなら飛べば良い。しかし、デュロスには羽がない。そう伝えると、であれば頑丈な腕があると返された。上を見やると河を挟んだ崖の端と端に今にも千切れてしまいそうなロープが繋がっていた。』
少し腹が空いてきて、ローテーブルに置いていたブドウを一粒口に放って食べた。
『デュロスはそのボロボロのロープを己の腕一つで渡りきった。鷲は空を舞いながらデュロスを讃えて飛び去って行った。第二の難関はガルガロスの寝床。ガルガロスという巨人に気付かれないように通らなければならなかった。ガルガロスは動きは遅いが力が強い。棒切れを振り回されたらデュロスは吹き飛ばされてしまう。』
ソファに寝そべると肘を付き掌に顎を乗せながらページを捲る。
『デュロスが悩んでいると土竜が土の中から顔を出した。寝床を通りたければ土の中を通れば良い。しかし、デュロスには鋭い爪を持っていない。そう伝えると、であればよく回る口があると返された。寝床の床には拙い絵が描かれていた。』
ブドウを一粒、と思ったところでソファに寝そべったままだと絶妙にローテーブルには手が届かない。マルクは仕方なく体を起こすとブドウの入った銀の皿をソファ近くの床に置いた。
『デュロスはガルガロスの前に姿を現すと床に描かれた絵を元に面白おかしく話をでっち上げて仲良くなると難なく寝床を通り過ぎることができた。土竜は穴を掘りながらデュロスを讃えて土深く潜っていった。そうして山を越え森を抜けて、辿り着いたのは肥沃で平和な高原だった。』
マルクはいつの間にか床に座り、ソファに本を乗せて読み進めていた。ブドウを一粒口の中で転がし、味が薄くなったと感じると歯を立てて噛む。
『その高原にはリュートと九人の兄弟とその子と孫、大勢の人間が暮らしていた。突然現れたデュロスを不審がる兄弟たちに声高らかに告げた。我はデュロス、ルナリスの子であるダナとリュートの最後の子であると。ダナはルナリスの元へと還ったと。それを聞いたリュートは怒髪天を衝く勢いでデュロスに近づくと、母殺しがここに近づくことは許さぬと叫んだ。母を殺した【罪】の名は体を現す、お前はこの地に災いをもたらすと。』
マルクは強くソファに拳を叩きつけた。なんてリュートは身勝手なのだろう。殺したのはデュロスではなくリュートではないのか。弱りゆく妻を見捨てたのは罪ではないのか、と。乱暴に口いっぱいにブドウを入れる。口から果汁が溢れ出すのも気にせず食むとページを捲ったのであった。




