マルク・ステードの人生【中編-35】
ソファに座りその本を膝の上に乗せて、表紙を開く。古い本なのか古紙の臭いが鼻についた。ザラザラとした紙を指で確かめながら一枚、ページを捲る。
『ルナリスの子、二人に分けられたダナとリュートは繁栄のため、子を産み育んだ。ルナリスの恩恵を受け、ダナとリュートの一族は静かに平和に暮らしていた。しかし、その平穏を壊した男がいる。』
神話を基にしたこの話は子供向けなのかだいぶ読みやすい。しかし、貴族向けということは文体や紙の質でよく分かる。平民ではなかなか手にすることは出来ない代物だ。マルクがこの話をなんとなく知っていたのは、ロベーヌ神父が教えてくれたから。あの時、なぜ神父はこの話をしたんだろうか。
『ダナの十人目の子はダナの体では耐えきれぬほど腹の中で大きく育ち、ダナの命が危ぶまれた。リュートはダナに子をルナリスの元に還そうと説得を試みるも、ダナは首を縦には振らない。リュートは分からなかった。子がルナリスの元へ還ることはこの地に生きるより幸せなことだ。なのに、ダナは頑なに子を還そうとはしなかった。日に日に大きく膨れ上がるダナの腹をリュートは見続けることが出来なかった。結果、リュートはダナの元から去った。九人の子を引き連れて。』
あぁ、情けない。なんてくだらない。リュートはダナを支えることなく自分のことばかりで自分が辛いからと逃げ出したのだ。自分を支えてくれるだろう子達だけを連れて。なんて自分本位で身勝手で。マルクは怒りが沸いてきた。
『ダナはリュートが去った小屋で一人ベッドに横たわり、腹の子と十月十日向き合い続けた。毎日、腹を撫でたり声を掛けたり。返事をするかのように子も腹の中で動いている。尋常ではなく膨れ上がる腹でもダナは変わらず子に接し続けた。そしてきっかり十月十日経ったある晩、ダナは子を産み落とした。産声が小屋に響き渡ると同時にダナはルナリスの元へと還った。子に名付けることなく親であるルナリスの御許へと。母が亡くなったことを知らず、三月泣き続ける子を哀れに思ったルナリスは子に名を与えた。その名はデュロス。【罪】という意味を持つ名である。』
マルクは勢いよく本を閉じた。額には大量の脂汗が浮かび上がっている。まるで息をすることを忘れていたかの様に肩で息をし、そして遠ざけるように本を投げた。鈍い音を立て、床に落ちた本を睨む様に見つめると顔を覆った。
デュロスはマルクだ。母の命を奪い、【罪】を背負った哀れな子供。なぜ、この本が数多ある中にあったのだろうか。なぜ、マルクは選んでしまったのだろうか。これはルナリスの意思なのか。
額を何度も拳で打ちつけるも同じ考えがぐるぐる回り続け、答えはないのに探し続けてしまう。だから嫌いなのだ、物語は。めでたしめでたしで終わる都合の良いストーリーも、説教臭い上から目線のストーリーも。全部、嫌いだ。
ソファから立ち上がるとふらついた足でベッドへと向かい、倒れ込んだ。膝を抱える様に丸くなると目を閉じた。読まなければ良かった、読まなければこんなに心を乱されることがなかったのに。
ぐっと奥歯を噛んで強く目を瞑った。そして、ふと気がついた。自分の心が動いていたことを。嫌な感情ではあったが激しく揺り動かされたことを。ここしばらく、凪いでいたのに。
体を起こし、床に落ちている真紅の本を見下ろすとしばらく見つめ続けた。そして白い足で絨毯の上にしっかりと降り立つ。まっすぐに本の側まで行くと胸に抱えるようにして持つと、そのままソファに座り再び本を開いた。




