マルク・ステードの人生【中編-32】
音を立てて舗装されていない道を馬車が走る。マルクはオレンジ色に染まりつつある街並みを窓から眺めていた。公爵は特に口を開くことなく、目を閉じている。この男は何を考えているのだろうか。そっと公爵を盗み見る。
精悍さを携えながらも、まるで繊細なガラス細工のような澄んだ肌。しゃんと伸びた背筋からも分かるように背は高く、鍛えているのか腕も胸板もマルク、いや他の貴族より厚いのだろう。夕日を浴びて輝くブロンドの髪が公爵をさらに神々しくさせている。
この、何もかも恵まれている男になんの事情があるのだろうか。会ったこともない母さんにあんな暴言を吐ける理由が。女を憎んでいる理由が。
母さんを蔑んだことについては未だ怒りを覚えている。マルクが不幸の元凶だとしても、他人に母さんを貶されるのは許せなかった。やはり、どうでもいいわけではない。
でも、公爵の何を知っているかと尋ねられたら容姿と尊大な人間性しか知らない。そこに至った経緯を知らない。公爵がマルクの歩んできた人生を知らないように。男から得体の知れないものに成り果てていることを知らないように。
ぼんやりとロベーヌ神父の言葉を思い出す。
『あなたの知らない苦悩や苦痛が公爵様にもあったかもしれない。』
知らない、何も知らない。知るべきだろうけど、知ったら許さなければならない。母さんへの暴言もマルクへの蔑みも。知ったならば許す、それがマルクが二の足を踏んでしまう理由なのかもしれない。
馬車が停まるといつの間にか見慣れてしまった公爵邸に到着した。扉が開くと公爵が先に降り、マルクに手を差し伸べてきた。薄く微笑みながらその手を取ると、スカートを摘み優雅に降りる。こんな時でさえご令嬢の仕草が自然と出てくるなんて、と内心自嘲した。
地面に足を付けると添えられていた公爵の手に力がこもった。見上げてみればこちらを苦しげな表情で見ている。何か言いたげな、何かを乞うような表情で。マルクは気がつかないふりをして取ってつけた笑みを浮かべるとするりと公爵の手を離した。
「沢山の事がありすぎてお互い疲れてしまいましたね。」
眉を下げて少し困ったように微笑めば、公爵がぐっと言葉を飲んだのが分かった。
「公爵様にご迷惑をおかけいたしましたのにこんな事を申し上げるのは忍びないのですが、今日はこのまま休ませていただきますね。」
口の端が少し震える。この顔を保つことが難しくなってきている。公爵に悟られないように側に控えていた侍女に顔を向けた。
「マーガレット、湯船の準備だけしてくれるかしら。休む前に心と体を癒したくて。」
そう言うと侍女は、ぱぁっと表情を明るくしマルクの手を取った。
「もちろんですとも。お疲れでしたらわたくしが湯浴みのお手伝いをいたしますわっ。」
「やめてっ!」
侍女の顔が固まり、公爵も驚いている雰囲気が背中から伝わる。侍女はみるみるうちに顔を青くしていった。オリビアが維持出来なくなってきている。だめなのに、ここではマルクではなくオリビアなのに。
「っか、体を見られるのが嫌なの。傷だらけで、酷いから。信頼しているマーガレットであっても。だから、いつものように一人で入らせて。」
優しく侍女の手を握りしめると悲しげな笑みを浮かべた。でも、と言い淀む侍女の手を更に強く握ると納得したのか小さく頷いた。それに応えるようにマルクも頷くと公爵に顔を向けた。
「本日のわたくしは声を荒げてばかりですね。」
ごめんなさい、と謝ると侍女を引き連れて部屋へと歩みを進めた。公爵はどんな顔をしていたのか、見る事ができなかった。




