マルク・ステードの人生【中編-30】
「しっかりおし!お貴族様に復讐するんだろ!」
叱責するように声を荒げるマリーに、俺は何も答えることが出来なかった。本当の復讐相手は伯爵家ではなく、公爵でもなく俺だから。俺が死ねば、復讐が終わる?でも、母さんが生き返ることはない。母さんが幸せになることも。過ぎた時間は戻すことは出来ないから。
「マルクっ!」
肩を掴まれると勢いがあったため、目元に当てていた布が地面に落ちた。マリーを見上げると今にも泣き出しそうな、怒り出しそうな顔をしていた。その時、蝶番が錆びた音を立てた。
「マリー、どうしたのですか?外まで声が聞こえてますよ。」
裏口からロベーヌ神父が戻ってきたのだ。マリーと俺を見た後、こちらに近づくと落ちた布を拾い上げ、マリーの背中に手を当てた。
「ありがとうございます、マリー。」
「ありがとうだなんてっ!神父様、あんたはマルクに何を言ったんだい!さっきと様子が全然違うじゃないかっ!」
マリーはロベーヌ神父に詰め寄ると、彼はただ静かに微笑んでいるだけであった。マリーの肩を叩き俺の目の前に立つと膝を付き、俺の小さな女みたいな手を大きな節だった男の手で包み込んだ。
「マルク、もうすぐ公爵様とお付きの侍女がこちらに来るそうです。」
そう言うと俺の手を包み込んだまま立ち上がらせる。そしてロベーヌ神父はスカートについた土埃を優しく払った。
「どうするか決めたら、手紙を下さい。あの暗号、覚えていますよね?」
俺は懐から紙を取り出すとロベーヌ神父にそれを渡した。彼はそれを受け取ると中身を確認し、口元を僅かに緩めた。
「やはり覚えていましたね。サラに気付かれないように何度もやり取りしましたよね。」
懐かしそうにそう呟く神父の言葉にあの頃の思い出が蘇る。読み書きが出来る母さんにバレないように、読まれても分からない、二人で考えた暗号で母さんの好きなことや夢をこっそりと神父に教えていた。神父はそれを元に道端に咲いているなんて事ない黄色い小さな花束をプレゼントしたり、公園で将来は郊外に一軒家を買いたいとアピールをしたり。側から見ても母さんと神父は楽しそうに笑い合っていた。とても幸せそうに。
「どんな結末になってもいい、必ず連絡をください。」
柔らかい眼差しの奥には強い決意が見えた。そして、俺の手を強く、まるで何かを気づかせるように握った。
「一体どういうことだい。」
眉間に皺を寄せ、困惑した表情でマルクと神父を交互に見るマリーに、神父は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「覚悟の話をしただけですよ。」
ただそう告げると神父は俺の手を引き、教会の講堂へと歩き出した。
講堂はあの頃のまま、いや、少し所々に年季を感じる。変わらないのは祭壇に鎮座するルナリス神の像だけ。ステンドグラスの光がルナリス神に降り注いでいた。しかし表情だけが昔と違って見える。紛れ込んでいる異物に静かに怒りを見せている、そんな気がした。
長椅子に座らせられて、下からルナリス神の像を見上げる。俺はこれからどうすれば、いやどうすべきなのだろうか。もう判らない。何も考えたくない。ただただ、光の当たり具合で色の濃淡が変わる像を見つめていた。
隣にはマリーが座り、少し離れた場所にロベーヌ神父が見守るように立ったままこちらを見ている。このままずっと時が止まればいい。何も考えることもなく何もすることもなく時が過ぎていけばいいのに。




