オリビア・オブライアンの人生【前編】
オリビア・オブライアンは十七の歳に売られるようにオブライアン公爵家に嫁いできた。
公爵家に初めて降り立ったオリビアはそれはそれは酷い状態だった。一応は体裁を整えられ小綺麗にはされていた。しかし、よく見ると結われていた亜麻色の髪は傷んでおり、満足に洗うことが出来なかったのか頭皮は荒れ、フケが所々にびっしりとある。肌も薄汚れ、顔の皮膚は爛れているように赤かった。見えている部分の体は骨と皮のみ、肉付きは悪かった。着用しているドレスは流行遅れで、ヒールも大きいのか歩くたびに踵が抜ける。明らかに冷遇されている元伯爵令嬢、そんな様相だった。
しかし、ディートリヒ・オブライアン公爵は気にする素振りはない。オリビアはそれに少し、安心した。どういった経緯で公爵家から伯爵家に縁談を持ちかけたのかは知らないが、一応は受け入れてくれる。それが嬉しかった。
結婚式はしないと初めから話はついていた。オリビアもそれには納得していた。こんな醜い姿で人前には出たくなかったからだ。教会の司祭が立会い、公爵家の執務室で婚姻証明書にサインをした。それで終わり。ものの五分で終わってしまった。
侍女に付き添われて公爵夫人の部屋に案内される。大きな扉を開けてもらうとオリビアは感嘆のため息をつく。アーチ状の大きな窓からは眩しいくらい陽の光が差し込んでいて、シンプルでそれでいてフカフカの絨毯。オリビアにでさえ、一目でわかる上質なソファに、ローテーブル。何人も寝ることが出来るほどの広い天蓋付きのベッドに、見上げれば高い天井にはシャンデリアが陽の光て煌めいていた。
それだけではない。続き扉には伯爵家で使用していた部屋より何倍も広いクローゼットに浴室、夫人専用の執務室まである。オリビアは夢のようだと思った。
初めて人に淹れてもらった紅茶に恐る恐る口を付ける。これが、最高級の紅茶なのか、香りはとても良い。ただ、味に慣れていないのか少し濃く感じた。ゆっくりと喉が少しイガイガする紅茶を飲んでいると扉をノックする音が聞こえた。扉の側に控えていた侍女が訪問者を確認すると音を立てずに近づき、落ち着いた声で囁いた。
「公爵様です。」
その言葉にオリビアは戸惑った。こんな時にどう返事をしたらいいかわからなかったからだ。侍女はオリビアの様子を察したのか表情を変えずに静かに尋ねた。
「お入りいただいてもよろしいですか?」
オリビアは何度も頷くと、侍女は軽く頭を下げて扉に戻り慣れた様子で開けた。
キラキラと輝いている公爵が足を踏み入れるとそれだけで部屋が明るくなった気がした。オリビアの目の前のソファに腰掛けると長い足を優雅に組む。公爵が軽く手を上げれば、それだけで意思疎通できたのか共に来た執事と扉に控えついた侍女が頭を下げて部屋から出た。
公爵と二人きり。二度、顔を合わせているが二人きりはこの時が初めてだった。オリビアは何を話せばよいのか、どんな顔をすればよいのか分からず深く俯いた。
「君はオリビア・オブライアンとなった。」
普段であれば女性を蕩けさせるような低い声だが、今は温度を感じさせることはない。オリビアは窺い見るように視線だけを上げると、公爵の眉間に刻まれている深い皺に目がいった。
「だが、何もしなくていい。」
その言葉の意味が分からず、少し顔を上げる。公爵とは目も合わない。
「血縁から養子を取る予定であるし、夜会も茶会も出なくていい。」
オリビアの言葉や反応を待たずに一方的に告げていく。
「私の仕事の邪魔をしなければ、屋敷で好きにすればいい。」
オリビアは繊細なティーカップを持ったままオロオロとしてしまう。辺りを無意識に見回してしまうが助けてくれる人はいない。
「私は他人と家庭を築くなど、無駄なことはしたくない。」
その言葉に息を飲む。やっとこちらに顔が向くとどこまでも冷たい、いや、これは蔑む目だ。
「君を愛することはないので、期待はするな。」
こんな時にどう返事をしたらいいか分からなかった。でも、察してくれる人はいない。震える唇をゆっくりと開いた。
「わか、りました。」
それが公爵との初めての会話だった。




