マルク・ステードの人生【中編-16】
「遅かったな。」
玄関ホールに向かうと公爵が腕を組んで待ち構えていた。マルクに合わせているのか、灰褐色の上着にくすんだワイシャツ、同色のネクタイ姿で立っていた。公爵の格好は商家の坊々だが品の良さが隠れていないのか貴族ということが丸わかりだ。
マルクは内心、苛立ちながらも驚きと少しの嬉しさが見て取れる表情を浮かべて、公爵の側に近寄った。
「公爵様、ご一緒されるとマーガレットより伺いましたが。」
頬をほんのりと染め上げ、いつもの淑女らしからぬ、まるで親との外出を楽しみにしている幼子のように声を弾ませた。
「まあ、私も用があったからな。」
ほんの僅かに頬を染め、咳払いをする公爵の姿に白けた気持ちが湧き上がってくる。公爵様が平民街なんかに何の用があるのだ。平民街なんぞに足を踏み入れたことがないだろうが。
「まあ、そうでしたの。では途中までご一緒に参りましょう。」
嘘であろうと用事があるという言質は取った。折を見てそれを盾に離れればいい。公爵なんぞ邪魔にしかならない。
笑顔を浮かべそんな事を思っていると、公爵がこちらに肘を軽く曲げて差し出してきた。引き攣る口の端をなんとか抑えながら、手を添えた。服の下は鳥肌が立っているが、そんなマルクの状態なんかお構いなしに馬車までエスコートされる。馬車は公爵家の家紋が施されたものではなく、辻馬車より豪華だが、貴族家のものには数段劣る馬車が用意されていた。
そうして、マルクは公爵と嫌々、出かける事になったのだ。
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「きちんと座っていろ。危ないだろう。」
長い長い足を組み、膝の上に手を置いている。公爵の言葉にまるで子リスのように体を縮こまらせて顔を伏せたマルク。公爵から隠れている顔は今にも舌打ちをしそうなほど歪んでいる。
「申し訳ございません、はしゃいでしまい。お恥ずかしい限りでございます。」
公爵に向かい頭を下げた。僅かに見える視界からは、公爵の手がマルクの前を行ったり来たり。焦っている様子が分かる。
「いや、別に、謝らなくても良い。」
恐る恐る顔を上げると公爵はマルクから顔を背けていた。その顔は所在なさげで目は動揺しているのか激しく動いていた。
マルクは小さく笑うと、まるで愛おしいものを見るかのように目を細め、頬を僅かに染めた。
「ありがとう存じます、公爵様。」
ああ、本当に邪魔だな。この男は。
公爵の目をしっかりと見つめていたが、恥ずかしがる振りをして窓の外を見た。賑やかだ。この景色を一人で楽しみたかった。
馬車はとても大きな建物の裏手に停まった。たぶん、今回の件で手を回した商店なのだろう。たくさんの荷物が積まれていた。しばらくして、馬車の扉がノックされる。
「到着いたしました。」
その言葉と共に扉が開かれる。公爵が先に降りると振り返り、マルクに手を差し伸べた。
「足元に気をつけろ。」
マルクは公爵の手を取るとゆっくりとステップに足を乗せて、そしてゆっくりと地面に立った。なんとも言えない感情が足元からぶわぁっと立ち上がってくる。涙が出そうになるが、堪えるように奥歯を噛み締めた。
「オリビア?」
耐えようとして、手にも力が入ってしまったのだろう。戸惑いの表情を浮かべている公爵に笑ってみせた。
「少し、緊張してしまって。」
力を抜くと公爵の手を離した。まずは情報を集める。伝手はある。向こうが覚えていたらの話だが。邪魔がいたって構わない。マルクがやるべきことは決まっている。
スカートの裾を握りしめて、マルクは前をしっかりと見据えていた。




