マルク・ステードの人生【中編-12】
マルクは公爵の執務室の、重厚な扉の前に立った。まるでマルクの前に立ちはだかるような高い壁のような扉。
思っていたよりも緊張していたらしい、息が浅くなっていた。気持ちを落ち着かせるようにしっかりと呼吸をするように吸って吐いてを繰り返す。
ここがたぶん、分岐点になる。マルクが地獄に落ちるか、公爵・伯爵家を地獄に落とすかの。どちらかの一歩に。
コン、コン、コン。
ノックを三回すると、中が静まり返ったのが外側からでも分かった。薄く開けられた扉の隙間からこちらを伺い見る執事の目と合った。大きく見開かれた目を見つめ、にっこりと可憐な笑顔を見せてやる。
「急ぎ、公爵様とお話ししたいことが。」
執事が呆気に取られている内に、ドアノブを掴み力を込めて扉を押した。執事がよろめいて一歩、二歩と後退した隙に執務室の中に足を踏み入れた。しっかりと床を踏みしめるように。
「公爵様、突然の訪問、申し訳ございません。」
姿勢はまっすぐ、重心はぶれずに膝を曲げ、指先まで美しく見せるように意識をのせる。可憐に儚く見えるように、気品に満ち溢れたカーテシーを披露する。
「オリビア、なのか。」
公爵の驚きと戸惑いが入り混じった上擦った声が聞こえる。頭を上げると、目を細めて笑みを浮かべた。
「左様にございます。」
初めて会った時はズタボロのぞうきんより酷い見た目だったのが今回は妖精だ女神だと言われるような姿になっていたのだ。ここまで変化しているとは思わなかったのだろう。あまりの変わりように公爵は口元を押さえて視線を漂わせている。
女性が着飾ることを厭うていた公爵でも、流石に汚く薄汚れている女性より清潔な女性の方が好ましいだろう。
しかも、マルクは最低限の装飾しか身につけていない。豪華なドレスを着ていなければ宝石はもちろんない。絹の淡い水色のリボンだけを髪に結んでいるだけ。マルクからただようのは男を虜にするという謳い文句の香水ではなく、石鹸とおしろいのほのかな甘い香り。
公爵を不快に思わせない最低限の装い。
「何をしに来た、お前の相手をしている暇はない。」
我に返った公爵が突き放すようにマルクに言い放った。力ずくではなく言葉でそう制した時点で第一関門は突破している。
公爵家に来た時のマルクの姿だったならば、きっと執事か騎士辺りに命令して乱暴に部屋を追い出していただろう。それをしないということはマルクを無意識に淑女として扱っているのだ。
口では何とでも言えるが公爵の身に染みついた貴族としての教養がマルクの追い風となる。
マルクは侍女からロブが持ってきた作品を受け取ると、公爵に見えるように差し出した。
「こちらが解決の糸口になるかと。」
公爵の眉間に皺が寄る。しかし、金継ぎ部分に視線を這わせているのを見てすかさず言葉を続けた。
「こちら、金継ぎという技法にございます。」
マルクの白くほっそりとした指で金継ぎ部分を指でなぞる。わざとらしく扇情的に。生唾が飲む音が聞こえてきたが、公爵からかそれとも別の誰か。
「金の産出が豊富なダルニス共和連邦のものです。」
「ダルニス?海の向こうのか?」
普通に会話をし続ける公爵に笑けてくる。こいつは自分が罵倒した奴が誰なのか忘れているのか?馬鹿と会話しているのを気づいていないのか?内心ではそう思いながらも完璧に隠し、公爵の言葉を肯定するように微笑んだ。
公爵は引ったくるように皿を手に取り、食い入るように見つめた。だが、ふんと鼻を鳴らすとマルクに押し付けるように皿を返してきた。
「素晴らしいとは思うが、こんなものでは代わりにならん。」
マルクに背を向けた公爵が苛立っているのがよく分かる。流れがマルクに来ている。
「いいえ、公爵様。割れた花器を金継ぎで修復するのです。」
「壊れたものを王家に献上しろというのかっ!」
振り返った公爵は冷静さを欠いているのだろう、口調が荒々しく美しい顔を歪ませ怒りに顔を赤くしている。
かかった。
マルクはほくそ笑んだ。マルクが考えた通りにことが運んでいる。あとは、マルクの腕の見せどころだ。




