マルク・ステードの人生【中編-11】
慌ただしく人々が行き交う邸内の廊下をマルクは歩く。ほんのりと甘く花のような芳しい香りを漂わせながら。マルクの横を通り過ぎた使用人は必ず足を止め、振り返る。まるで絵本からでてきた妖精のような、女神のような美しさに、ほぉと感嘆していた。
応接間の扉をノックすると、僅かに開いた。帯剣した険しい顔の男が扉の隙間からこちらを覗くように睨んでいる。マルクは臆せず微笑めば男は蕩けた笑みを浮かべたが、すぐさま表情を引き締めるとマルクに頭を下げ、扉を全開にする。
豪華な装飾の室内に不釣り合いな壮年の男がソファに座り、身を縮こまらせていた。茶色の所々煤が付いたハンチング帽を膝の上で力一杯握りしめている。顔面は蒼白で表情が硬い。手紙を受け取り中身を読んだがまさか、マルクが公爵夫人とは思いもしなかったのだ。きっと何かをしでかした、処罰されるのだと思っているのだろう。急いでいたとはいえ、ロブには悪いことをした。
「ごめんなさい、ロブ。色々と黙っていて。」
向かいのソファに座ったマルクの声に弾かれたように顔を上げたロブだがすぐに俯き首を横に振った。
「と、とんでもございません、奥様。」
「奥様なんてやめてちょうだい。私はロブの技術に惚れ込んでロブと対等にお話ししたくて手紙のやり取りをしていたのよ。」
これは本当。毎日手紙をまだかまだかと首を長くして待っていた。ロブは文面で分かるくらい教養があり実直で更なる高みを目指そうと日々研鑽している。そんなロブだからこそマルクは尊敬しているし、手紙のやりとりが楽しかった。手紙の内容が全てダルニス共和連邦の話と金継ぎの技法の話ばかりだったから検閲する侍女も呆れていたが。
「手紙でも伝えたけれど、あなたの力が必要なの。早速だけど、作品を見せてくれる?」
そういうとロブは気まずげに視線を漂わせ口を真一文字に閉じた。考えるように瞼をぎゅっと閉じると何も言わない。
痺れを切らした侍女が声を上げようと息を吸う音が聞こえたので、手で制した。
「ロブ、わたくしはあなたが施した金継ぎのお皿を見た時、その高い技術と美しさ、そして金継ぎが今世まで脈々と受け継がれている意味に感銘を受けたの。」
白髪が多く、光が当たるときらきらと輝く頭頂部をまっすぐと見つめた。オリビアのような鈴の音を転がすような可憐でふんわりとした声ではない。マルクの、ロブ自身を尊敬しロブの技術に惚れ込んだ一人の男としての意志の強い声だ。
ロブと目が合った。ほんの数秒、僅かな時間だが何か通じ合った気がした。
「あなたは素晴らしいものを持っている。その力をわたくしに貸してください。」
頭を下げると侍女が悲鳴にも近い声でオリビアの名を叫び、側に寄ってこようとした。それをマルクは強い口調で留めた。
ロブは自分の頭を乱暴に掻くと、決意したように息を吐いた。強張っていた顔が僅かに緩んでいた。
「金の採掘量が少なく、この技法は新しいもの好きなこの国には合わなかった。割れたものを直してまで使いたいという奴はいなかった。けれど奥様はこれを素晴らしいと言ってくれた。好きだと言ってくれた。」
徐々に、徐々にロブの表情が明るくなり眼差しが力強くなっていく。
「私は奥様に救われた。」
そういうとロブはソファに置いていた包みをローテーブルの上に置き、丁寧に包みを開いていく。
皿の模様が見えてくる。縁取りは淡い藍色、中央には同じ色で描かれた鷲が三羽、互いを牽制するように睨みを効かせあっている。躍動感があり、アルナレス王国で最近増えているありふれた輸入品だ。しかし一点だけ違うのは絵にも負けない輝く金が割れた皿をつなぎ合わせていること。
マルクはゆっくりと金継ぎ部分に指を這わせた。やはり素晴らしい。元の皿もまあ、素晴らしいと思うが金継ぎを施されたこれは雄々しさもあり繊細さも持ち合わせている。
「ロブ、わたくしが必ずこの国でも金継ぎの技法の価値を高めましょう。」
口元がゆっくりと弧を描いた。




