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マルク・ステードの人生【中編-8】

ある日のこと、マルクは図書室で本を読んでいた。近くには当たり前のように侍女がいる。さすがは公爵家の図書室、伯爵家とは比べられないほどの広く貴重な所蔵が数多くあった。二階建ての吹抜けで壁に沿ってぐるりと本棚が並び、背合わせの本棚が等間隔に何列も並んでいて、ぎっしりと本が詰まっている。マルクはいつか来る公爵家を離れる時に、この蔵書の数々を読むことが出来なくなることだけは惜しいと思った。


一枚、また一枚とページを捲りその音だけが響く。読み終わるとその本を戻してまた新しいのを探して読む。侍女は申し付けてくれれば自分が持ってくると主張した。けれど、一つ一つ背表紙を指でなぞり、革張りの滑らかな手触りやつるりとした紙の質感がなんだか面白かった。そして、気の赴くままに読みたいと思ったものを手に取るのが楽しかった。


そういった風に探していると奥まった所まで来てしまった。少しざらりとした埃の被った本を手に取り戻ろうとしたその時、図書室の扉が開く音が聞こえた。二人の話し声が聞こえてくる、一人は家令でもう一人はたぶん、公爵だ。初対面の時以来、会話をしていないので声を忘れてしまった。だが、家令にあれこれ命令している様子から公爵だと確信できた。


反射的に隠れてしまい、侍女が声を掛けてきそうだったので侍女の唇に指を当てて黙らせた。


「あの女に随分と絆されているらしいな。」


遠くだった声が足音と共に近づいてくる。侍女の腕を取り、隠れるように反対側の本棚へと移動する。


「あの女などと、オリビア様はディートリッヒ様の隣に立とうと懸命に。」


家令が全てを言い終わる前に公爵が鼻で笑った。それだけで、随分と馬鹿にされていることが分かった。


「忘れたのか、あの女の母親は既婚の伯爵の子を孕んだ穢らわしい女なんだぞ?」


ピタリとマルクだけの時間が止まったように感じた。穢らわしい?けがらわしいとはどういう意味だっただろうか。けがらわしい、けがらわしい。マルクは頭の中に詰め込んだ知識を本のように捲り意味を探した。確か、不潔、汚い。

母が?母のどこが穢らわしいって?


「そんな女の子供だ、お前も誑かされたか?」


哀れだな、と言わんばかりの態度に流石の家令も咎めるように公爵の名を呼んだ。


「女など媚びて着飾ることしか考えていない馬鹿なやつらだ。」


声高らかにまるで無知や子供に教えるかのように言ってのける。その合間に、あれだこれだと指示を出し、本を取り出す音がする。


「あれは庶子だが両親共に貴族の血筋だ。」


更にこちらに近づいてくる気配を感じ、侍女の手首を掴んで移動する。気づかれないように気配を消しながら公爵たちの背後から様子を伺った。


「血統が分かり、躾がされている。だからあの女を買ったのだ。」


まるで犬のようだな、と自嘲した。いや、公爵にとってはマルクも犬も変わらないのだろう。伯爵家にいた時のことを思い出させる。


「馬鹿な女と結婚、ましてや子を成すなど死んでもごめんだ。」


見下し、蔑み、まるで汚物だと言わんばかりに吐き出した言葉に力が入る。奥歯が軋む。


「しかも、売女の子など虫唾が走る。」


そう憎々しげに吐き捨てると公爵の顔は酷く歪んでいた。こいつはどうしてここまで俺を、女を、母を、見下すことが出来るのだろうか。何か理由があるのだろうか。いや、あったとしてもあそこまで言われる筋合いはあるのだろうか。


確かに馬鹿な真似をして子を身籠るやつもいた。だが、貴族に手籠にされて孕んだ奴も少なからずいる、母のように。何から何まで女が悪いのだろうか、全てが女のせいなのだろうか。


唇から赤い血が流れ落ちた。


それに、母は望んでマルクを身籠ったわけではない。愛し愛された人の子を産みたかったはずだ。それなのに、母は精一杯マルクを慈しみ愛してくれた。そんな、そんな母を侮辱するなんて許さない。


「オリビア様。」


侍女が心配そうにマルクの顔を覗き込んで声を掛けてきた。公爵と家令はいつの間にか図書室を出ていた。視線を落とすと強く侍女の手首を握り締めていた。慌てて手を離すと侍女の手首には赤く握った痕がくっきりと付いていた。


「ごめんなさい、マーガレット。痕がついてしまったわね。」


侍女の手を持ち上げて優しく手首を撫でてやる。すると侍女は、はらはらと美しい涙を溢した。


「そんなに痛かった?ごめんなさい、マーガレット。」


白く細い指で侍女の涙を拭いてやると、更に涙を溢れさせた。侍女は懸命に首を横に振った。


「ちが、違うのです。オリビア様。」


マルクはハンカチを取り出し、優しく目元に当てる。真っ白なハンカチに濡れた痕が広がっていく。嗚咽を漏らす侍女の背中を優しく撫でてやると、目を真っ赤にした侍女が悲痛な顔でマルクを見た。


「公爵様の言いようが、あまりにも。」


その先の言葉が続かない。マルクは悲しげな笑みを浮かべると、そっと侍女を抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫よ。マーガレット。」


大丈夫、大丈夫だから。あの公爵も必ず地獄に落としてやるから。


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