マルク・ステードの人生【中編-4】
公爵邸を初めて訪れた日、オリビアは緊張していた。それもそうだ。金でオリビアを売っぱらうような貧乏伯爵家ではなく、国の中枢を担う公爵家も相手とも関わることになるからだ。
こちらの事情を話して同情を誘い、伯爵家の悪事を公にする。オリビアも自分を取り戻しハッピーエンド、なんて御伽話だけの話だ。
庶子なのは公爵家側も承知している。ただ女ではなかったと分かれば、公爵家を騙したこととなる憎き伯爵家は罪に問われる可能性が高い。そして、オリビアも連座で処刑される。道連れにするのは簡単だ。だからこそ、最終手段としなければならない。オリビアが生きて伯爵家を嘲笑わなければ意味がないのだから。
目標は男ということを隠し通し、姿を眩ませ国を出ること。
そのために逃亡費用も稼がなければならない。手元には銅貨一枚もない。稼ぐためには公爵だけではなく使用人たちからの信頼を勝ち取る必要がある。金銭と引き換えに何かしらの仕事を与えてもらうために。自分の有用性を示し、公爵家の利になると思わせなければ。
だからこそ、まずは公爵がなぜ金を払ってまでオリビアを嫁にしたか、真意を確認しなければならなかった。
どうも嫁に困っている、という訳ではなさそうだった。公爵との結婚話が出た際、異母姉が「なんで私じゃなくてあんたがっ!」と怒り狂っていたからだ。
だとしたらなにかしらの事情が公爵家側にある筈。そこに糸口がある。
そう考えながら馬車から降りた。オリビアの前には頭を下げている初老の男性とオリビアと同年代か少し上の女性の二名のみ。じっと二人の後頭部を見つめていると顔を上げた。感情のない能面みたいな顔を。
「公爵様がお待ちです。」
こちらも感情が乗っていない声で初老の男性から告げられると静々とオリビアを公爵邸の中へと案内した。中はしんと静まり返っており、冷え冷えとした印象を覚えた。廊下を歩いていても三人しかいないのに複数の視線を痛いほど感じる。
案内された部屋にはオリビアの代わりに異母姉が結婚を熱望していた眉目秀麗な公爵と教会の司祭がいた。確かに美しい容貌だ。手入れのされた艶めいた金髪に横長でシャープな目、新緑を思わせる綺麗なグリーンの瞳。全てのパーツが左右対象だ。それにすらりとしながらも男性らしい筋肉質な体躯。異母姉が怒り狂うわけだ。
窓辺に立っていた公爵はオリビアに近づくことも言葉を発することもなく、立派な革張りの椅子に腰掛け、立派な飴色の執務机の上に置かれていた一枚の紙をずいと差し出した。
言葉を発しない公爵の代わりに老齢の男性がオリビアに執務机の前に行くように促すと、言われた通りに公爵の目の前に立った。にこりともしない公爵に思うところがある。しかし、金で買われたオリビアには愛想良くしろと言う資格はない。
紙には婚姻証明書と書かれており、署名欄には『ディートリヒ・オブライアン』と美しい筆記体でサインされていた。その下には『オリビア・リヒテンシュタイン』とこれまた綺麗な筆記体でサインされていた。庶子で平民で貧乏なオリビアには、文字なんて書けないだろうと勝手に判断されたらしい。公文書偽造ではないかと思ったが相手は公爵だ、些細な問題なのだろう。
「この婚姻証明書の提出をもって、お二人は夫婦として認められます。」
そう同席していた司祭に告げられた。
「これから未来を共に歩む若い夫婦に幸あらんことを。」
目を閉じ指を組んだ司祭は、そう祝福を美しい公爵と薄汚れたオリビアに送った。
オリビアはこれから秘密を胸に、なんとか目的を果たさなければならない。悟られないように戸惑った表情を見せたが、強く強く拳を握った。




