マルク・ステードの人生【中編-3】
マルクをオリビアとして生かした理由は金だった。母サラに似て容姿が美しかったマルクは、金はあるが嫁の貰い手がない奴や後妻として若い娘を欲している爺の慰み者として売り飛ばしたかったらしい。
体を重ねる時は暗くし、身支度も自分で行い、徹底的に肌を見せなければバレることがないと考えたらしい。まったくもって浅はかだし、馬鹿すぎて反吐が出る。そんなことのために、自分の尊厳を踏みにじられた。もう男としては生きていけないし自分の家族を持つことも叶わない。母は死に、自分はこんな血の繋がりしかない鬼畜のために生きていかなければならないのか、そう思うと生きる意味が分からなかった。
体は回復していくが心が死んでいく。食事を取らなければ無理やり食べさせられるし、臭かったら体を清めろと水をかけられる。暗いジメジメした蔵がマルク、いやオリビアの寝床だった。
あの家に帰りたい。歩くたびに軋む床に隙間風が吹き込み、隣の話し声が聞こえるほど薄い壁。
そして、楽しそうな笑い声が、温もりを感じられる腕が、優しい花の咲いたような笑顔があったあの家に。もう、この世からなくなってしまったあの幸せな空間に。
それから世話を掛けた分だけ働けと朝早く起こされて、井戸で汲んだ水を屋敷中の水瓶に補給し、料理で使うじゃがいもやにんじんの皮を剥く。庭の掃き掃除と皿を洗い終えると庭掃除に洗濯、屋敷と使用人部屋の掃除。また野菜の皮を剥き、使用人含めた屋敷の全員が食事を終えると這いつくばって厨房の床掃除。全てが終われば水のようなスープを飲み、冬でも井戸の水で体を拭い、蔵の硬い床で眠る。
そんな毎日をただただ淡々に過ごしていた。金のためにオリビアを連れてきたのに肝心な結婚は難航しているらしい。発散のために殴る蹴るの暴行をされている時にそう喚いていた。でも、オリビアには関係のないことだった。だって母に会えないから。
また朝が来るとまるで人形のように言いつけられた事をこなしていく。暴行にだって痛みもなにも感じない。
もう何年そうして過ごしていたか分からなくなったある日、オリビアは聞いてしまった。
サラは、オリビアの父親に殺されたのだと。
曰く、たまたま立ち寄った市場でサラを見つけて王都に住んでいることを知った。
曰く、サラが産んだ子が気になり調べてみたら男を産んでいた。
曰く、自分の子を妊娠しているサラは屋敷の人間全員が知っていたこと。
曰く、サラが子の権利を主張すれば伯爵家の全てが正妻の子ではなくオリビアにいくこと。
サラさえ死ねばなんとでも誤魔化せると人を雇い殺した。そう、オリビアを連れてきた男、正妻の弟と話していた。
沸々と感情が湧き上がってくる。今まで感情が死んでいたのが嘘のように怒りが、憎しみが湧き出るマグマのように溢れ出してくる。
こんな、こんな身勝手な奴らに母の命や、自分の幸せが奪われたのか。自分ならどこか大店の見習いとして働けたかもしれない。金を稼ぎ、母を助け、商人となり、好きな女性ができ、結婚する。のどかな街に引っ越して、家を買い、子供が産まれ、母は孫に囲まれて幸せに旅立つ。そんな未来があったかもしれないのに。
いつの間にか唇が切れ、濃い暗い赤い血が顎をつたっていた。乱暴に腕で拭うとその場を後にした。
その日からオリビアの生活は一変する。朝から夜までいつも通りに働くが、手を抜くところは抜き、効率を考えて動くようになった。そうして余った時間は図書室に忍び込み、知識を蓄えるために本を読んだ。最新の知識は伯爵が読み捨てていた新聞を拾い、読み終わったらバレないように捨てる。
それだけでは終わらない。弱みを見つけるために執務室に忍び込むと帳簿を調べた。さすが小悪党。小さな、だが長期に渡り数字を誤魔化し、税を上げ納めるべきものは最小にしていた。
筆跡を真似て少しずつ少しずつ帳簿を書き写していく。幸い杜撰な管理のためか、裏帳簿なんかなかったのででっち上げる。もちろん根拠となる資料を元にして。
後は体作り。去勢され、体が大きくそして筋肉が付きにくくなったオリビアは露見しない程度に食料を盗み、食べては最低限の栄養を補う。倉庫で体を動かし体力をつけチャンスがあれば帳簿の写しとすり替えて本物を持ち出し逃げる準備を始めていた。
必ず、必ず伯爵家を地獄に落とす。それがオリビアの原動力だった。
しかし、その計画は頓挫してしまう。公爵家への嫁入りが決まったからだ。
嬉々として告げてきた伯爵に堪らず唾を吐き掛けてしまった。怒りに震えた伯爵は思わずオリビアを殴り飛ばすと、しばらくは大人しくしていろと閉じ込められた。
あと少しだったのに。オリビアは冷たい石畳を拳で強く叩いた。歯を強く噛み締めると叫び出したくなるのをぐっと抑える。
まだ、きっとチャンスはあるはずだ。そのチャンスを逃さず掴み取らなければ。
それから嫁入りまで閉じ込められて、食事は一日一回水のようなスープが続き、体を清めることも出来なかった。
薄汚くなったオリビアは嫁入り前日に外に出て体を井戸水で拭う事を許された。
汲み上げる筋力が少し落ちてしまったがそれでもなんとか力を出すと、頭から水を被った。
オリビアの目は死んでいなかった。




