マルク・ステードの人生【中編-2】
マルクは逃げようと思えば逃げられた。だが、平民の自分より明らかに身分の高そうな男から逃げれば、みんなに迷惑がかかる。そう判断してマルクは大人しくついて行った。
腕を縛られ馬車に押し込まれると、連れてこられたのは貴族街の屋敷だった。しかしここが誰の家で、なぜ連れてこられたのか教えらなかった。馬車を降ろされ引き摺られるように向かった先は石で作られた薄暗くじめじめとしたカビ臭い蔵のような場所。
中には男が二人。一人は痩身の神経質そうな白衣を着た男、もう一人はマルクを連れてきた男と同じ、上等な服を着た、たぶん貴族の男。
「連れてきてやったぜ、義兄さん。」
突き飛ばすように背中を押され、二人の男たちの前に倒れ込む。義兄さんと呼ばれた男がマルクの顎を掴んで上を向かせた。
「あのメイドにそっくりだな。」
そう吐くように言われた言葉にマルクは合点がいった。こいつが父親だ。
マルクは一度、母に父親のことを尋ねたことがある。母はあなたは神様との子よ、と笑いながら答えたが、母にとって予想外に出来てしまった子だと察した。だから、それ以上は聞かなかったし二度と話題にはしなかった。
母が父親の子として可愛がってくれているのではなく、母の子として可愛がってくれているのを知っていたから。それに高潔な母のことだ、不義なことはしていないだろう、そう確信があった。
だから目の前にいる、この傲慢さが滲み出ている男が母の尊厳を踏み躙ったのだ。苦々しさが表情に出ていたのか顔を力強く蹴られた。
「まさかあの女が自分の手で育てていたとはな。」
頭を踏みつけられながら母を小馬鹿にするような口調にぶん殴ってやりたかった。けれども体を動かしても縄が腕に食い込み、頭を押さえつけられていて体を起こすことは出来なかった。
「でも、本当に義兄さんの子なのか?」
軽薄そうな声に唇を噛み締める。こっちだってこんな父親願い下げだ!そう叫びそうになるのを抑えるために。
「調べさせた。出産歴は一度だけだ。」
「じゃあ義兄さんの子だね。」
ヘラヘラと笑っているのが、見なくても分かる。こいつも不愉快な男だ。もう一度、まるでボールのように蹴られる。
「さっさと始めるぞ。」
マルクは白衣の男と軽薄そうな男に腕を掴まれ壁の鎖に縛りつけられた。衣服は邪魔なのかナイフで切られた。
「これが女だったらこんな面倒なことをしなくても良かったのだがな。」
そう言われると眉間に皺が寄った。女だったら?男だったらなんの不都合がある。困惑しながらもふと、思い出したのはこの国の法律。教会で読んだ、法律全書。基本的にこの国は男子継承、男子がいない場合のみ長子継承が適用される。男のマルクが不都合ならば殺せばいい。でも、それはしない。そして、『今日からオリビア』との言葉。
マルクの中でピースが一つまた一つとはまっていく。どんどんと血の気が引いていく。口に布を詰め込まれ吐き出さないように猿轡をさせられる。
こいつら、まさか。
まるで獣のようなくぐもった声が出た。今まで味わったことのない、まるで煮えたぎった湯に入れられたような熱さと痛みが身体中に走ったからだ。泣きたくないのに大きく開かれた目からは涙が出る。息ができない、苦しい、痛い、そんな感覚がぐるぐると頭を駆け巡り気を失いそうになる。いや、気を失ってしまった方がどれほど楽か。体が自分の意思に反して震えている。
だけど、限界を迎えたのかふっと意識が途絶えた。その直前、ある言葉が聞こえた。
「死んだら死んだで別に構わない。」
ふざけんな、そう思いながら意識を手放した。
目が覚め意識がはっきりしたのは、それから三ヶ月後だったらしい。起きた時には去勢され、オリビアとして貴族院に庶子として認知されていた。




