第9話: 二度と、
「はぁ…10分くらい?」
肩で息をしながら、振り返って悠然と佇む闇を恨めし気に見やる。既にかなりの体力を消費している事実に閉口しつつ、ひとまず周囲の把握に努める。
暗闇の行軍の末たどり着いた場所、そこは『スライムの間』とは打って変わって狭い場所だ。横幅は大人が余裕を持ってすれ違える程度で、高さは恐らく2mもないだろう。
壁には一定の感覚で光る石が埋め込まれており、適度な明るさを確保してくれている。そんな通路がまっすぐ続いて、突き当りで分岐しているのが見えた。即ち――。
「迷路、って感じかなぁ……」
当たってほしくない推測ほど当たるものだ。
30分ほど探索した結果である脳内マップを確認しながら、疲労と不安をないまぜにした溜め息をつく。その一因でもあるのが、この場所の構造だ。
というのも分岐がT字路だらけなのだ。それだけならば特に問題はなさそうに思えるが、いざマッピングしてみるとひたすらに混乱してしまうし、最悪の場合ループしていても気づきようがない。チョークでもあれば多少はマシになるのだろうが。
ただ、悪いことばかりではない。
「……と、まただ」
13個めの分岐を左に進み、通路に沿って進んだ先、そこは行き止まりになっていたが……壁の手前に、いつか見たような木箱が安置されていた。
少し離れた位置から無造作に蹴ってみて、特段反応がないことを確認する。なぜこんなに警戒しているのかといえば、同じように見つけた箱にトラップが仕掛けられていたからだ。
とはいっても命に別状があったわけではなく、いうなればびっくり箱のようなものだった。飛び出してきた拳を象った陶器に強かに顔を打ち付けられた苦い経験が顔をしかめさせる。
「ま、他のが致命的でない保証にもならないし、心配はし得……と」
慎重に開けて、何も仕掛けがなかったことに胸を撫でおろし……中身を検分して目を輝かせる。金貨が複数枚に、これまで何度か見かけた青い石が数個。その他雑多な素材が何種類かと、隅の方に真珠のように白く光る小さな宝石が入っていた。
「この……宝石は見たことないな。もしかしたらレア物?」
ざっと拠点拡張の内容を思い返すが、こんなものは要求されていなかったはずだ。まだ確認しきれていない『研究』とやらに使うかもしれないし、と大事に握って手をすり抜けるのを待つ。
しかし、いつまで経っても変化が見られず、訝し気に手を広げる。宝石は未だサヨの手の中で輝いており、首を傾げた。
ともすれば『回収』の対象外かもしれない、と箱の中を見てみると、大抵のものは青い光をほのかに残して消え去っていたが、いくらかの素材は何事もなかったかのように佇んでいた。
それには前回拾ったときには消えていた素材も含まれていて、考える。
「……上限?」
指を立てて仮説を唱える。ゲームを気取ったこの場所に倣って言うならば、インベントリが満杯といったところだろう。だとして握っていた宝石が優先されなかったのは何故かとも思うが……。
「ま、しょうがないか。これはポケットに入れるとして……」
宝石は小指の先ほどの大きさだし気軽に持ち運べるのでいいとして、他に残った素材は大きめの透明な箱に入った大量のネジや、やたらと細長い何かの部品などである。かさばるし、流石に持っていけない。
後ろ髪を引かれつつも宝石だけをポケットに詰め込んで、余ったものを箱に放って蓋を閉じる。まあ、回収できるなら次回探索時に来ればいいだけだ。
「……さて……帰るしかないかな」
生活を盤石のものにするための素材はこれ以上拾えない。探索しようにも疲労を訴える脚が帰りたいと叫んでいた。嬉しいことにこれまで化物にエンカウントもしていないし、深追いして死にかけるくらいなら――と、考えたところで異音がサヨの耳朶を打つ。
こつこつ、と硬いものが何かを打つ音。石と石を無造作にぶつけ合うような思いやりのない音が、床に、壁に、天井伝いに存在感をひけらかしていた。
「――フラグっ……!」
化物に遭遇しなかったなどと考えたからだ、と理不尽な非難を自らに浴びせる。一定のペースで響く、しかし確実にこちらに近づいてくる音に身を硬くして、腰のスマートに手をあてがう。
足音、だろうか。床を打つ音、それだけなら近づいてくる物体の概形を推測することも出来た。軽く、硬質な音。靴を履いた小さな人型か、蹄のようなものをもった生物か。
足音だと断言出来なかったのは、無感情な響きが出鱈目に、不規則に、床のみならず通路全体を打ち据えていたからだ。
時折力強く壁を殴る甲高い騒音に眉根を寄せ、淡々と近づいてくる物体を待ち構えつつすべき行動を整理して――。
「――」
生じた変化に喉が締まり、か細い空気が漏れる。脳が拒絶を示し、強烈なストレスに瞼が震えた。
人の、顔だ。禿頭で、真っ白な髭をたくわえた老齢の男性。それが笑みをたおやかに浮かべながら、奥の曲がり角から直角に顔だけを出している。ぴったりと天井に耳を当てて、まるで重力が反転しているかのような高さからこちらを睥睨していた。
問題は、その頭は、その頭があるべき場所にないこと。いや、頭にあるべきものがないのだ。
ぽたぽたと、老人の頭の付け根からどす黒い液体が漏れ出ている。付け根から首に続くべき部位、しかし途切れたそこは不細工な針金のような、とげとげしく頼りない棒が突き刺さって、支えられていた。
「――――あぁぁあ!!」
考えるより先に動いた腕がスマートを抜き、反射的に安全装置を解除する。泡立つ肌を不快に思いながら、血走った眼で照準を向ける。遠い。当てる。当てなければ――。
「――ぁ?」
ぐっと込めた指の力、しかしレスポンスが返ってこない。情報を処理しきれず混乱する脳が、くるくると回転して離れていくスマートを、私の腕を、ゆっくりと認識して、遅れて赤い鮮血が花開いたのをどこか遠い景色のように右目で捉えた。
「――う、で?」
大事な右腕が、ゆっくりと落ちていく。事実を認識して捉えきれない白濁した頭を次いで激痛が支配し、ちかちかと星が飛ぶ視界で起きてしまった現実を無理やり理解させられる。
「ぁ、ぐぃ……ぃぁああああ゛!」
何が起きた。いや違う、既に腕は離れていて、切り落とされていて、手遅れだ。焼けた鉄骨を肉に押し込まれたような感覚が肩から脳天まで駆け上がり、ぱくぱくと酸素不足に喘ぐ魚のように開閉させた口の奥、喉から絞るように苦悶の声が勝手に上がった。
脚の力が抜けて、支えを失った身体が地面に投げうたれる。無様に転がりながら二の腕から先がなくなったそこを左手で必死に抑え込んで、血液を、これ以上大切なものを失わないように、死にたくなるほどの激痛をどこか遠い場所に送るために――。
「――」
何かが聞こえた、気がする。
次の瞬間、ぶつり、と意識が暗転した。




