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死ねない少女は、もう死にたくない  作者: トウロウ
第2章: アポフェニア図書館
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第23話: ようこそいらっしゃいました

 頭蓋がぐちゃぐちゃになって、目玉が落ちて、脳が弾ける。


「や、だぁ……やだっ、や……!」


 許しを請うように地べたを這い、千切れた足の根元から流れる血液が床を汚して真っ赤な軌跡を描く。

 ぐしゃぐしゃな顔で泣きながら必死にどこかへ向かおうとして、腕を前に動かすたびに全身が軋んで激痛に支配された。びくりと痙攣して動けなくなるサヨの後ろからかちゃかちゃと何かが動く音が無慈悲に響く。

 

 鋭利な何かがサヨの太ももに突き刺さって、ねじられて、噛みちぎられて、咀嚼された。肉片が千切れたかと思えば骨が削られ、痛みから逃れるべく身体を震わせたサヨはもう食べられる脚が存在していないことに安堵してしまい、緩めた頬を続く腰に走った鈍痛に引きつらせる。骨盤が砕かれて、ひときわ大きく身体を跳ねさせたかと思えば全身を弛緩させた。力が入らない。力が入るべき場所はもうどこにもない。その必要すら死の絶望の向こう側へ――。


 

「――」


 サヨは目覚めるなり椅子を蹴って立ち上がり、スマホを取り出してライトを起動する。

 先ほどまでなかった脚がうまく動いてくれなくて倒れ込んでしまい、なんとか片手をついて持ち直す。スマホを四方に向けてなるべく暗闇を無くすように尽力しながら、無心で脚を動かした。


 ――逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。


 まっすぐ行って4つ目の本棚を右に曲がる。柱を3本通り過ぎたら固定が緩くて取り外せる光る石が見えて、それをもぎ取って壁に沿って左折し、進んでいくと明かりがほとんど届いていない空間があるから光る石を投げて照らしてあげる。

 

 ――逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。


 ここまであいつの音は聞こえない。直進後に曲がり角があるからその1つ手前の通路側のすかすかな本棚をぐっと全身で引っ張って倒して、あいつが追ってきたときに通れないようにする。いざという時に通れるようにちょうどいい感じに倒すのがいい。巨大な質量の物体が倒れ込む轟音が聞こえ、埃が舞って呼吸が怪しくなるから腕で口を塞いでおく。ずっと進めば広間にたどり着く。遠いがあそこに行けば、なんとか。


 ――逃げなきゃ、逃げなきゃ、……どこへ?


 開けたままの口からは粘着質な涎が垂れて、どうせ口の中にあっても呼吸の邪魔だからそのままにしておく。滂沱の涙で塞がれる視界はちょっと良くない。ぐしぐしと袖で拭ってクリアになった世界はなんとも危険な場所でいっぱいで、例えばあそこの本棚の上の暗がりとか今さっき通り過ぎた本棚の隙間の歪んだ暗闇とか――。


「――ゃぁあああああああ!」


 迅速にスマートを腰から抜いて背後を射撃する。乾いた轟音が3回鳴って、無理やりな姿勢で銃を撃ったサヨの肩が外れかける。外れてないならいい。スマートを持つ手を入れ替えて続けざまに2発撃って牽制し、この通路を走り抜けて広間に到達してあとやってないことは何だ。扉の破壊は無理だ。窓は割れなかった。抜け道や隠し通路はなかった。あいつは殺せない。何かないか何か何か何か――。


「……ぁ」


 高速回転する頭に付いてこられなかった身体がオーバーヒートして鼻血が垂れる。ぐるりと目が上を向いて意識を手放す――ことを許さない絶対的な恐怖で頬を噛みちぎり持ち直して、だけどすでによろめいた身体を支えることはできなかった。強かに頭から転んで、ずきずきと痛む額からも血が流れている。起き上がる前に腰を捻って後ろに2回射撃して、酷使に耐えかねてがたがたと揺れる手足でなんとか立ち上がり、駆け出す。あいつが追ってこれない状況で、もう考えたことは全部試したがきっとあそこに行って何かすればこの地獄からも目の前の不自然な暗闇からもきっと逃れられるはずで、


「ひ、ぃ」


 顔を歪ませて、錯乱したように前方に5発撃ち込む。怯んでこれで噛みついてはこないから大丈夫だ。手足がなくならないから大丈夫だ。逃げて、もうルートがない。


「なんでっ、ひっ、お前、お前は」


 嬉しくもなんともないのに口角が上がっていく感覚をそのままにしておき、上擦る声で譫言(うわごと)を発しながらもう一度スマートを構え直す。ぬるりと闇の狭間が姿を持って眼前に顕現して、まともに狙うことなく影目掛けてトリガーを何度も引いた。1発目、2発目と外れて3発目が運よく直撃した。鉛の弾頭が影に食い込んで、波紋のようにうねる黒い表面がすべての衝撃を霧散させる。4発目は図書を貫いて、続けざまにトリガーを引いても肩を強く叩くような衝撃がやってこない。火薬が爆裂する音と匂いが届かない。

 

 なりふり構わずスマートを逆手に持ち直して体勢を低くし、全力で床を蹴って前方に飛び出した。これは初めての試みだ。 吶喊しながら思いっきり掴みかかって、組み敷いてその頭をがんがんと殴りつけてやろう。それで怯んだら奥に走り抜けられる。それから、どうしよう。やってから考えよう。

 

 今すぐにも転げそうな姿勢で飛び込んでくるサヨが予想外だったのか影は行動を起こさない。好都合だ。影は影らしく物の足元で蠢くのがお似合いだ。掴みかかるために両の腕を必死に伸ばして、ようやく届いた指先が――するりと、空を切った。


「――え?」


 呆けた声を出して、受け止める対象をなくした勢いのままに床に滑り込んで全身を強打する。何が起きたのか分からず、立ち上がって素早く振り返るとあいつは忽然と姿を消してしまっていた。文字通り、闇に溶け込んでしまったかのように。

 

 今までにないパターン、しかし好都合だ。あらゆる感情を遠い場所に追いやってゆるゆると前に進む。進まなきゃいけない。何も音は聞こえない。

 どこに、行くべきだろうか。あの広間は進展がなさそうだ。だが他に見回った限りどこにも逃げる道なんてなかった。どこに行けるんだろうか。この閉じ切った箱庭から脱するための手段は、何かなかったか。


「……上の階……」


 あいつがいないことで良く回るようになった頭が1つの考えを提示する。ここは7階立て、誰かがそう言っていた。なら上に進める階段がどこかにあるはずだ。上に行って、身を隠せる場所を探して、夜明けを待てるはずだ。階段なんだから導線を確保した場所にあるべきで、扉に近くて光源がある、そう今目の前にあるような場所に――。

 ぶつぶつと考えを漏らしていた口を閉じて、ぴたと脚を止める。階段? 目の前の物体は階段に見える。一定の間隔で積み上げられた木の板たちが段差を作っているそれは、まごうことなく。

 救いだと思った。この閉じた地獄を切り開いてくれる慈悲だと。

 

 先ほどまでなかったはずの上階への(いざな)いを断れるはずもなく、一段一段踏みしめて上っていく。これで少なくともあいつとは合わなくて済むようになる。引き裂かれて踏みつぶされて砕かれて引きずり出されて死ぬことがなくなる。それはなんて幸せなことだろうか。

 

 虚ろな目で微笑みながら階段を進む。50段ほど上ったところで上階の床が見えて、よろめく身体を抑えて駆け上がる。

 

 息を切らしながらたどり着いた2階は何もない木製の通路がずっと伸びている。いや、奥に扉が見えた。きっとあれを開ければ光明が見えるはずだ。ここまでの苦労を全て肯定してくれるような何かが。

 ふらふらと歩いて、乗せられた体重に悲鳴を上げる床を頼りなく思い、扉に近寄って真鍮のドアノブを回す。引いて、向こうの世界に飛び込んで、ゆっくり休んで――。


「なんとまぁ██な望みでしょーか。お前みたいな██を通した覚えはねーんですが」


 擦り切れたサヨを迎えたのは、カウンターの上に胡坐をかいて不遜にほほ笑む女性の声音だった。



「……司書、さん?」


 女性の見た目はいつか見た司書とまったく同じ容姿で、同じ服を着ている。しかし傲慢ちきな表情と仕草、口調はかつての慇懃なものとは食い違っていて脳が混乱する。

 想定していなかった事態、増えた謎に目を回すサヨに瞳を細めて、


「なんですかその██な言語は。██で品のない発音……」


 ふう、と女性が溜め息をついて、切れ長の瞳の奥には口調と所作とは噛み合わない光を浮かべながら気だるげに言う。


「しかーし██としては見過ごせぬ。……ニホンゴ? あ、あー、こんな感じでしょーか。聞いたこともねー田舎から出てきたんですかー?」

「え、あ……え?」


 何事かを呟いた女性、その次の言葉は流暢な聞きなれた言語で紡がれて、わたわたと狼狽するしかない。たしかに第一声は思わず日本語が出てしまったが、まさかそれだけで学習したというのだろうか。


「あー? お前何も知らんのか。だとしたら不法侵入ですねー。さっさと出てけ出て――うわぁ!?」

「や、やめてください。助けて……私、もうあんなとこに居たくなくて、嫌なんです。嫌、いやぁ……」

 

 しっしと手を振る女性の足元に縋りついて、聞き過ごせない発言の撤回を求めるべく心の底から懇願する。ようやく手に入れた、命を脅かされない場所を守るため涙を流しながら命乞いを始めるサヨに、女性は大きな声を出して驚愕と嫌悪感を顕わにする。

 

「なんなんですかーお前……あ?」


 サヨの頭を押しのけるためにぐいぐいと手で押していた女性が急にぴたりと止まり、認めてくれたのかと顔を輝かせながら彼女の顔を見上げる。しかし女性は怪訝そうな顔ですんすんと鼻を鳴らし、すぐに先ほどの嫌そうな顔に戻って吐き捨てるように告げる。


「お前……狂ってんじゃねーですか。それも気持ちわりー方法……見たことねーですよ」

「――は?」


 クルウ。狂う。どういうことだろう。サヨはいたって平常だ。いや平常ではないかもしれないが、それは今だけだ。この女性がサヨを保護してさえくれたら普通で健常ないつものサヨに戻るだけで、死の淵に瀕した人間としてなんらおかしくはないだろう。


「逆に興味がありますねー……ちょいと失礼」


 疑問符を浮かべるサヨの頭に女性が手を伸ばし、前髪をかきあげて掌で額を覆う。言動の意図を把握しきれず混乱しっぱなしのサヨは置いてけぼりにして、目を瞑ってむむむとしばらく唸ったかと思うと、「あはっ」と無邪気な子供のような笑い声を発した。そのままやけに興奮したような相好で額に当てた手を頬に移動させて、サヨと目を合わせる。


「すごいっ、すげーヤバい奴じゃねーですかお前! ()()()()()()()()()()()()? なんて自己中心! なんて自己倒錯! なんて自己陶酔!!」

「あ、え……普通、じゃ」


 どういう意図かは分からないが、自分のあり方を罵倒されたことだけは伝わって思わず反論してしまう。食い下がったサヨの顔を両手でがしと掴んで、女性がぐっと顔を近づけてくる。


「普通! 普通!? あぁそーでしょーねー、人は誰しもが死ぬ。だけどそれは終着点! 故に人はおしなべて懸命に生き、すべからく最も遠き場所に死の恐怖を置く! 全ては道程にこそ意味があり、人は死をどこか諦観を持って受け入れている……お前と違ってね」

「――」

「お前くらいのガキならー……築き上げた社会の崩壊を一番怖がるでしょーね。違うにしても外に置くんですよ、外に」

 

 水色の髪を振り回して大仰な仕草で力説する女性に、引っ張られるサヨは呆然とするしかなかった。彼女は、至極まっとうなことを言っている、気がする。サヨとて否定する材料は見つからない。だけどその迂遠な言い方は、サヨを確かに糾弾していて、それができるのはサヨの今までのことを知っていなければならないはずで。


「あ? 見たことねーと思えばお前『選抜者』ですか。うわー久々ーでも何してきたか見たくねー」

「へ? あの、何を……」

 

 口答えしたくて、だけど言うべき言葉が見つからずもごもごと口を動かすにとどまっているサヨを放置して、次々に話を進めていく。よくわからない固有名詞について聞こうとするサヨに、女性は苛立たしげに舌打ちをしてから「あのさー」と心底不機嫌な声で遮った。


「お前、ここで何回死んだ? それによってあたしの態度も変わるんですがー」


 ひゅっ、と喉が鳴った。

 一体サヨは、何回死んだのだろう。女性の疑問の真意を問う間もなくその言葉がずっしりと心の奥底に沈み込んで、塞いでいた過去の蓋を無造作に開こうと掻きむしってくる。あぁそういえば最初の死は鮮烈だった。思い出してしまった。砕かれた両腕を気遣う間もなくかみ砕かれた頭蓋の音がじっとりと耳の奥に残っていて、ないまぜになって自分は確かに居るのに何かの中でぐちゃぐちゃになった断片たちは既にサヨのものではなくなっていて、取り返そうにも気が狂いそうになる水音がずっと脳の底に沈み込んでいて――。

 

 全身の血の気が引いて、過呼吸気味になる喉を諫めようと左の手の甲に爪を立てて肉を抉る。最低限の手入れしかできていない爪がずっと深くまで突き刺さって、大きな血管すら傷つけてぽたぽたと血が流れ出た。どくどくと痛む感覚に頼って正気を取り戻して、なんとか声を絞り出すために喉を開く。


「……分からない」

「ふーん……ちなみにそれやってる時点で正気じゃねーですから」


 サヨの思考を読んだかのような言葉を興味なさげに吐き捨てて、俯いて何も言えなくなるサヨを尻目に顔を横に向けて何かを考え込む。何分経ったか分からない沈黙に、所在なさげに女性を見るサヨにようやく向き直り、


「ま、いーでしょう。数えるのもヤになる死にざまたちを見届ける趣味はねーですし、どうやったかは知りませんが正規の手段でクリアしたことでしょー。1階のでしょ? 不正があったとしても怒られるのはユーでしょうし」

「え、っと……あの、私は帰りたいんです、けど」


 ずっと女性のペースで進む話題を断ち切るべく当初の目的をはっきりと述べる。『選抜』だかクリアだか知らないが、サヨとしてはさっさと帰っておうちでぐっすりと寝たいだけなのだ。

 おずおずと手を上げて主張するサヨを、女性は馬鹿にするように鼻で笑う。


「あのですねー、お前。どうやらいろんな手順をすっとばしてここに来たみたいなんで慈悲を込めて教えてやりますが、お前は今軟禁されてんですよ」

「軟、禁」

「試さなかったんですか? ドアを破壊して、窓を割って、外に飛び出せましたか?……ここは、あたしの許しがなきゃ出れねー空間なんですよ。許しが得られるかは、今後のお前次第ってわけです」


 たしかに、あの扉の硬さは異常というか、そもそも破壊行為がなかったことになるような感覚があった。それよりもずっと脆いはずの窓も、同じような結果に終わっていた。だとすればあの地獄に閉じ込められて無限に続くかと思った死のループもきっと外に出すまいとするこの空間が原因で――。


「あ、それはお前のせいですよ。いや死なせたのはこの空間のせいですが。1階なんで普通ならもっと簡単で単純な問題になるはずですがー……マジで何してきたんですかお前」

「……ちょくちょく心読むのやめてください。流行ってるんですか」

 

 思わずツッコミを入れ、するりと出てきた軽口に自分で驚く。すっと心臓に手を当ててみると脈拍は規則的で、頭も先ほどよりずっとクリアになっている気がする。あれだけの苦しみと絶望を味わって、飛び出てこないよう必死に抑え込んでいた心の栓も今となってはあまり必要がなくなっていて、自分はこんなにも冷静な人間だったかと首をかしげてしまう。胸に手を当てて動揺するサヨの姿を見て「お」と女性が笑い、


「効いてきましたか。やー焦りましたよ。ン百年ぶりの『選抜者』を狂い殺したなんてあったらあたしが大目玉喰らうんですよねー」

「……あなたが? どうやって?」

「ここはあたしの空間ですんで好き勝手いじらせてもらいましたよ。まー夢みたいな場所だと思えばいーです。夢なんてチンケなもんよりよっぽどリアルですけどね」

「夢……あれが?」


 落ちついた今だからこそ穏便に思い返すことができるが、あそこで味わった無限の苦痛は決して色褪せず、はっきりとサヨの心に傷を残していた。あの全てが虚構だというなら、リアルの方がよっぽど嘘っぽい。つまり外に出れたら、全てが泡沫となって消えていってくれるのだろうか。


「みたいなモンですって。まーいいです、あのまま帰してたら首吊って死んでたでしょーし」

「さすがにそれは……」


 そこまで言って、無いとは言い切れない自分に沈黙する。確かにサヨは客観的に見て静かに狂っていたのかもしれない。激しい自傷を許容して、数多の死に押しつぶされて普通の判断ができなくなっていた自覚はある。あのままでは自分が自分じゃなくなっていた予感は、最も許されない判断を下していた可能性は、ある。

 

 チョーカーに手を当てて言い淀むサヨに女性は、にやけるように微笑みかけてすっとカウンターの上に立ち上がった。

 何を、とサヨが口走る前に「いい加減始めましょーか」と宣言して、短いスカートの両角をつまんで優雅にカーテシーをした。


「苦難を見事跳ねのけし『選抜者』様。現実を捻じ曲げ虚構の鏡となる『アポフェニア図書館』へ、ようこそいらっしゃいました」

「――」

「貴方様が立たれているのは第一階層、慈愛と慈善の空間にございます。相対するのは(わたくし)、第四遺物(レリック)のアル・ミセリコルデ」


 先ほどまでの印象を塗り替えるような、丁寧で礼節に満ちた名乗りを無言で受け止める。

 

荊棘(けいきょく)の道を舗装せし私を打ち倒し、慈悲をその手に掴むことを心より願っています……ってね」


 固まるサヨに、女性――アルが最後に相好を崩して、既に見慣れた意地悪そうな笑みの奥に好奇心と期待を覗かせて宣言した。


「安心してください、死にゃしませんよ。あたしは慈悲深く、慈悲を望まれたんでね。――簡単なゲームをするだけです」

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