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死ねない少女は、もう死にたくない  作者: トウロウ
第2章: アポフェニア図書館
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第22話: 輪廻の檻

「ん……」


 じんじんと痛む臀部と背中を不愉快に思い、曖昧な意識を手繰りよせ、微睡みから急速に引っ張り上げられる。


「う、わぁ!?」


 浮遊感を感じながら飛び上がる。サヨが跳ねたせいで倒れそうになる椅子をなんとか掴み、寝起きで回らない頭に手を当て、きょろきょろと現状把握に努めた。サヨの周囲には本棚と机の上に積み上げられた本、ほのかな光が漂う空間――。


「寝、ちゃってた……最悪」


 どうやら図書館の中でぐっすりと寝落ちしてしまっていたらしい。がんがん痛む頭を無視してスマホを取り出す。時刻は7時、時差を考慮すれば外は真夜中のはずだ。

 

 ここに来てからずっと歩き詰めだったし、疲労が溜まっていたのだろう。とはいえそんな言い訳を図書館の職員が聞いてくれるとも思えない。どう考えても閉館しているはずの時間だ、うっかりサヨを見逃してしまったのだろうか。

 ひとまずこうなった原因を考えるのは後にして、手早く散らばった本を集める。書架にそれぞれ戻して、出口に行って、司書がいれば謝ろう。一抱えほどある本の束をなんとか一挙に持ち、記憶を辿ってそれぞれ元にあった場所に歩きはじめる。


「これとこれはあっちで……あった」


 目当ての本棚を見つけて近寄る。よく分からなかった手書きの小説と、難読すぎた国家の形成論はこの棚の下から二段目、その端に――。


「……あれ?」


 本来隙間があるべき場所、そこは既に満員で本がすし詰め状態になっていた。記憶違いだったかと抱えた本を一旦床に置き、しゃがんでその場所を改める。周囲の本には見覚えがあった。人名だろう題名が4つ続いて、そこから分厚いエッセイ、絵画論、料理本の次にサヨが持って行った小説が収められていたはずで、

 

「なんで……?」


 本棚にないはずの小説が当然のようにそこにある。取り出して、手元にある小説と見比べてみても同一だとしか思えない。双方のページを捲って筆跡を確認する。インクの染みや汚れは完全に一致していて、写本というわけでも、オリジナルをコピーして印刷している雰囲気でもない。そのまた隣にあった国家形成論の本も同様に増殖していた。

 

 心の底から意味が分からない状況。混乱しつつも、これでは本棚に戻すどころではないと判断して本をもう一度持ち上げる。別に戻さなくていいことが分かったところで、今持っている本はどうすればいいのか見当もつかない。既に退勤しているかもしれないが、入口の方まで行って司書か誰かに指示を仰ぐべきだ。

 

「誰も居なかったら……申し訳ないけど一筆書いてカウンターに置かせてもらお」


 普段銃を撃っていて最近筋力がついてきたと自負するサヨでもこの量の本をずっと支えるのは苦しい。無作法だが、いたかもしれない他の利用者も既に帰宅しているだろうと早歩きになって入口の方へ向かう。いろいろ怒られてしまうかもしれないが、甘んじて受け止めよう。


 後ろに流れていく本棚を横目で確認しつつ大体の現在地を把握する。ひときわ黒くくすんだ年季の入った本棚で曲がって、柱の箇所で左折。このまま進んでいけば並ぶ本棚が一段小さいものになるはずだ。それを確認してずっと直進すれば出口の広い空間が見え――。


「――――っ」


 脳内の館内マップを確認していたサヨの耳に異音が飛び込み、足を止めて本棚の隙間に逃げるように入り込んだ。

 

 それが人の足音なら、出ていって事情を説明しただろう。だがこれは、きっと人のものじゃない。

 

 四つ足だろうか。ゆっくりと進んでいる何者かの足音は硬く金属質で、動くたび鋼鉄同士が擦れるような音が鳴っている。耳をすませばモータのような、何かが高速回転する駆動音まで聞こえてくる気がした。


「……警備ロボット?」


 犬の形をした館内を見回るロボット。思い当たる正体はそれくらいで、だけどこの世界にそぐわない。街を見ても極度に機械化されている雰囲気はなかったし、本を読む限りそのような技術があるとは考え難かった。もしそんなものを造れるほどの技術力があるのなら、街中で車の1つでも見かけているはずだ。

 

 推測の正誤は置いておくとしても、警備をしているのは間違いないだろう。このような音を出す存在に話が通じるのだろうか。見つかったら問答無用で排除されてしまったり――。


「嫌な考えを巡らせてても、何にもならないか」


 スマホを起動して、画面の明るさを最大まで落としておく。純正でないカメラアプリを起動して、本棚の影からレンズだけを覗かせた。

 

 かちゃかちゃと鳴る足音は本棚の間を規則的に巡っている。このまま行けば3つ先の隙間から身体を晒すはず。座して待ち、金属音が右から左へと過ぎ去っていくのを確認してスマホを手元に引き、撮れた映像を確かめる。シークバーを操作して姿が映っているであろう箇所を探し、


「……あれ?」


 何も、映っていない。確かに暗いし見通しも悪いが、光が一切ないわけでもないのだ。音からしてかなり近いし、輪郭か影くらいは捉えていてもおかしくはない。撮影した場所を通り過ぎていたのは間違いないのに……。

 

 ややパニックになるサヨの耳は依然として練り歩く機械の音を受け取っている。ずっと左の突き当り、そこで曲がって1つ手前の本棚がある通路を直進してきていた。ここで固まっていては見つかるのも時間の問題だ。幸い行動はワンパターンで読みやすく、今移動すれば見つかることはないだろう。

 疑問は一旦置いて音に気を使いながら立ち上がり、一瞬本を持っていくか逡巡して、心の中で謝りながら放置することに決めた。こそこそと影から抜け出し、1つ奥の本棚の隙間に滑り込んで左側の奥へと向かっていく。あの警備はずっと直進していくだろうし、見つからずに奥の壁に沿って出口の方に向かえるだろう。

 

 音は遠い。忍び足で壁に近寄り出口の方へ足を向け、途中で警備が進んでいるであろう通路をちらと見る。さすがに姿は見えないが、翻って言えばこちらの存在も認識されないだろう。今のうちにやや早足で目的地へ向かう。

 

「……警備」


 歩きながら、他に音がしないか注意しつつ考える。警備、その目的は分かる。本は貴重なものだし、これだけ蔵書が多ければとんでもなく価値のある……絶版のようなものがあってもおかしくはない。であれば盗みを働く輩を警戒するのも分かる。だがそれはサヨの知る図書館を前提とした考えだ。

 

 サヨはこの目で見た。この場所では持ち出した本がどういうわけか増殖するのだ。盗難を防止するにしても、盗まれた本が無限に増えるとしたら価値もへったくれもない。当然複数冊同じ本が用意されているという可能性もあるが、だとすれば手書きの小説がまるっきり同じ特徴で増えるのは合理的じゃない。

 

 ではあの警備は、一体何を見張るためのものだろうか。侵入者を警戒してのものだろう。いやそうではない、何の目的で侵入する者を警戒して――。


「――!」


 ぐるぐると回る考えを背後で発生したけたたましい音が遮る。何かの遠吠えのような甲高い音はサヨが通った場所、右側後方の少し遠い場所から聞こえた気がした。その原因はきっと、


「置いてきた本……!」


 後悔を滲ませつつ移動の速度を上げ、念のため腰に差して隠していたスマートを引き抜く。焦っていたとはいえ欺瞞工作くらいはするべきだったと反省する頭を振り、どういうわけかサヨのいる方向に一直線に向かってきている足音に恐怖を感じながら逃げるために足に力を込めた。

 

 出口は近い。逸る心と上気する身体をなんとか諫め、追跡者から逃れるべくじぐざくにルートを取って本棚の間を縫いながら走った。駆け寄ってくる音は確実にサヨに肉薄してきていて、だがサヨの方が目的地に着く方が早かった。

 

 たどり着いた本棚のない広間、その先に出口の扉があることを見定める。切れる息を落ち着かせながら駆け寄って辺りを確認する。人影はない。助けも許しも請えないことに歯噛みして、尚も近づいて来る足音を振り切るべく扉に近づいてドアノブを引いた。がちゃがちゃと抵抗する感覚、扉は開かない。


「鍵っ……」


 ぺたぺたと扉を探るが、こちらから鍵を解除するような機構は見当たらず、それどころか鍵穴すら発見できない。焦るサヨは背後の気配にはっとして振り返る。先ほどよりもずっと近くに感じる音、それがゆっくりと鳴らされていることに気づき、理由を考える間もなく『それ』が闇から這いでてきた。

 

 真っ黒で、あらゆる光を吸収する体躯はサヨの腰ほどまである。予想通り四本足で大地を踏みしめるそれは動物のような形をしているものの、まるで立体的な影のようで存在が揺らめき、顔すら見通すことが叶わない。ぐちゃぐちゃに塗りつぶされた身体からは依然として機械のような音が発せられていて、滅茶苦茶な印象を与えてくる。

 

 影がその先端を、きっと頭をこちらに向けて、じっと見据えている。喉を鳴らして後ずさりするサヨを注視したまま、頭がゆっくりと裂けていく。いや、口だ。とげとげした牙のようなものが上下に分かれて鋭く成立して、今まさにサヨに向けられて全てが攻撃の意思を湛えている。


「っ、ごめんなさい!」


 このままでは最悪なことが起きてしまう。直感に引き戻された思考で考えうる限りベストな行動を想定しつくし、スマートを扉に向けた。銃が効くかもわからない相手より、脆そうな出口を破壊して逃げ出すべきだ。

 両開きの扉、その中央辺りに照準を向けて一発、二発と撃ち込む。視界の隅で影がびくりと震えてこちらを警戒するのを見て、破壊されたであろう錠の様子を確認する間もなく力いっぱいドアノブを引く。それでも、扉は開かない。


「な、なんで……っ」


 想像よりも手ごたえがない現実に射撃した箇所を注視し、無理解に喘ぐ。確かに直撃したはずの木製の扉、そこには一切の傷すら付いていなかった。たとえ石畳でもピストル弾が直撃すれば傷は付く。それよりもずっと脆いであろう薄い木の板が防ぐどころか何の変化もないなんて、ありえない。ありえないはずだ。

 

 狼狽するサヨを影は見過ごさなかった。注意が不可解な扉に向いていたサヨは駆動音を立ててこちらに飛び掛かってくる影に反応できず、咄嗟に顔を両腕で防ぐ。


「ぐっ、うぅぅぅぅう……!」


 影の裂け目がサヨの左腕に嚙みついて肉を裂き、勢いのままサヨを押し倒す。ずっしりと上半身を圧迫する重みに肺の空気が全部抜けて、ぴきぴきと嫌な音が身体のどこかで鳴った。抉られる左腕に力を込めるが覆いかぶさるようにサヨを足蹴にする影はぴくりとも動かない。動かせない。

 

 意を決して無事な右腕からスマートを放し、そのまま影の口の隙間へと突っ込んだ。半端な間隙から侵入した腕は上下の牙にがりがりと削られ、その奥の想像よりも生々しい生の感覚を受け取って背筋がぞわりと泡立つ。それでも、影は怯まない。

 生物から逸脱した反応。右手に感じる生物の感触。ちぐはぐな印象にいっそう目前の影が恐ろしく感じられ――ぼきり、とサヨの両腕がひしゃげた。


「ぁ、っあぁああああぁあああ!!」


 折れた。折られた。前腕の骨が不気味に隆起して、裂けた皮膚の隙間から白い何かが覗いている。ありえない方向に曲がった左腕、その現実を受け止める間もなく全身を走った激痛に視界が真っ白になった。

 

 ぼろぼろだがまだ動く右腕を反射的に引き抜いて、影の顎辺りを押さえて引き剥がそうとする。それでもなお噛みついたままの影は頭を手前側に引き、力を込める。些細な動きの度灼熱感が駆け巡って、悲鳴すら出なくなった口からぽたぽたと涎が垂れた。一際大きい痛みが訪れたかと思えばサヨの腕は解放され、反動で床に頭を叩きつけてしまう。

 

 何をされたのかと浮き上がる涙を無視して瞳を向ける。影は何かを咥えていて、抉れて一部が欠けてしまった左腕からはとめどなく赤い血液が流れてサヨの服を汚していき、鼓動の度にぴくぴくと肩が震えて全身に痛みを伝え――。


「――――」


 絞られた喉は絶叫することすら叶わず、潰えていくサヨの命を嘲笑う。

 脳裏を埋め尽くす逃げたいという欲求は、一体何に対してのものだったのか分からない。過呼吸気味に喉を鳴らして痙攣するサヨを見て、影が大きく口を開けた。


「ひ」


 これから起こる惨状に頬を引きつらせて、抵抗すべく力を入れた腕が痛みを持って拒絶した。目の前に感じる生暖かい風はこれだけ近づいても黒しか見えない影の口腔内から吹いていて、それをこんなに近くから感じるということは。

 

 ぷつりと思考の糸が切れたサヨの頭を、乾いた何かが包み込んだ。遮られた目の奥が軋んで、サヨの全てが砕かれる音をどこか遠い場所で聴く。

 

 ぐちゃぐちゃと何かがかき混ぜられる音。痛みは既にどこにもなくて、欠片になったサヨの頭蓋が、漏れ出す脳漿が混ざり合って落ちていく。それでもまだ揺蕩うサヨの意識が残っているのは、何故だ。もうどこにもいなくて、宿る場所なんてなくて、終わった世界に揺られてどこかへどこへ――。



「ひ、ぃ――……っ」


 身体が跳ね、椅子を蹴り飛ばして受け身を取る間もなく全身が床に投げ出される。衝撃にじくじく痛む身体を無視して頭にぺたぺたと両手を這わせた。

 

 転がったまま、声を押し殺して泣く。頭を抱え、これ以上大事なものが消えてなくならないように必死に爪を立ててすすり泣いた。

 

 呼吸がうまくできない。あるはずの脳に酸素が回らない。

 

 自分が自分でなくなっていく感覚。サヨはそれを知った気でいた。無数の死に裏付けられたそれは、しかし死の直前と直後を結び付けたありえない実感だけ。死に瀕して、死の間際に己の全てが手の隙間から零れ落ちていくような感覚を、あんなものをサヨは知らなかった。

 

 脳が零れて、全身が混ざる錯覚が今もなお襲ってくる。なかったことにはならない。髪を掻きむしって、感じる痛痒だけを頼りにサヨの存在を許容する。でなければ、目の前の暗闇からまたあの影が表れて殺されてしまう気がして――。


「ぅあ……」

 

 ばくばくと鳴る心臓が恐怖を受け止めきれず、思わず後ずさってしまう。焦点の合わない目で呆然と暗闇を見つめながらじりじりと下がり、そんなサヨの頭を何かが打ってつんのめってしまう。

 

 衝撃に目をちかちかさせるサヨの上に何かが降ってきた。ばさばさと音を立てながらサヨの頭と肩を襲ってくる物体を抵抗もせず受け入れ、絶句する。

 

 本だ。振り返れば見覚えのある机があって、傍には本棚がある。

 これまでにない状況。現実を直視できないサヨは呆然自失として動けない。

 

 死んだはずだ。あの時の全ては夢や幻覚なんていう粗末な言葉で片づけられない。

 

 だとすればここに居るのは、違う、ここに居るということはあいつも――。

 

 うわの空で虚空を見つめるサヨは、暗闇がねじれて姿をまとい、光を裂いてこちらに近づいて来る影を認めて、しかし動かない。

 

 甲高い音と共にぱかりと開いた影の口がサヨをきつく抱きしめて、噛み切り、砕いていく。

 

 安寧など存在しないと誇示するように、砕いて、混ぜていった。

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