第20話: 大きな一歩
何度目か分からない、初めての死を経験してから15日が経った。
いまだに悪夢に苛まれ、あの時の死の光景が瞼の裏に張り付いて逃げられないサヨは――堂々と、ひきこもっていた。
「あんとゅにぇぁ……? 発音ヤバ」
といっても、ただ自堕落に過ごしていたわけではない。
現在サヨがベッドに寝転がりながら向き合っている本は、この場所の言語――ルイア語というらしい言葉のテキストと辞書だ。これらは『スキル強化』の言語習得Ⅰという欄から得たものである。
言語からして異世界なのはほとんど確定しているし、魔法っぽい現象も見せつけられたし、と手軽に不思議な力で言葉を習得する気でいたサヨがアイコンをタップした瞬間、ばさばさと複数レベルに分かれたテキストと日-レイア辞書が落ちてきたときの心境たるや、あの男に向けた怒り以上のものがあった。言い過ぎた。だが負けないほどの憤怒とも屈辱とも言えない感情がサヨを襲い――感情の全てを学習に注ぎ込んだのだ。
現にサヨはこの短期間で簡単な読み書きを覚え、記号に沿った発音もある程度ならできるようになりつつある。リスニングだけは相手がいないため不安が残るが、辞書を片手に筆談でなんとかしようと思えば意思疎通もできるだろう。元からこういう勉強は好きだったし、気分転換にも持ってこいだった。
第一の問題、言語の壁は解消できつつある。第二にして、一番大きな障害――蔓延しているであろうアルビノへの偏見により対話すら怪しいという状況には、かなり力技で挑もうとしている。
現在のサヨの髪はかつての純白がなりを潜め、薄暗い黒に近い灰色に染まっていた。試行錯誤して作り出した灰と泥により一時的な染色を施したのだ。適当に洗ってしまえば落ちる簡易的な誤魔化しだが、ぱっと見ではアルビノに見えない……はずだ。
大事な髪を染めるのにはかなりの抵抗感があったが、それで殺されていては元も子もない。別に殺されない確証もないが、まぁやれることはやるべきだ。
「……アルビノじゃなくても簡単に死んじゃう世界っぽいし、焼け石に水じゃないといいけど……」
ひとまず制覇したレベル2のテキストをぽいと枕元に投げ、寝返りを打つ。
あれから15日。少なくともここには外敵が侵入することはなかった。あの扉を抜けて誰かが侵入してくることを恐れていたが、ここまで無事で過ごせたならその可能性も排除できるだろう。どうやって回避してるのかは文字通り神のみぞ知ることだが。
だからこそ、あそこにもう一度飛び込まねばならない。ここでうだうだしていても進展は訪れないのだ。
あのときのような交通事故が起きないように祈り、アルビノであることがばれないよう願い、言語で不審がられないよう情報を――。
「結局、運頼りかぁ。こんなとこに居る時点で最悪なんだけど」
つくづく信用できないものに信を置くしかない現状を嘆きつつ、一先ず今は、と脳を動かした分のエネルギーを摂取すべくのそのそと食糧庫に向かった。
*
そっと『外界』への扉を少しだけ開け、そこからスマホを差し込んで周囲の状態を録画する。たっぷり数十秒撮ってから手を引っ込め、まずはちゃんと腕がくっついていることに安堵した。
「初めからこうしとくべきだったなぁ……」
この洞穴で薄れていたのは死への感覚だけではなく、異なる環境へ飛び込むことへの警戒心もそうだったのだろう。元から殺されると老人に示唆されていたのだし、と己の浅慮と慣れを反省しながら映像を確認する。
周りは――確かに路地裏のような雰囲気があるが、あの時のようにパイプがひしめいたりはしていない。どちらかというと地球のそれに近く、薄灰色の壁に挟まれた空間にところどころ室外機のような箱が設置されており、そこから申し訳程度に配管が伸びている程度だ。光もある程度差してきていて、薄暗くはあるが息が詰まる感じはしない。
「……もしかして、出る場所ランダム?」
現状では好都合だが、それはそれで色んな問題点が浮かんでくる。もやもやする考えを振り払って画面を注視し、事前に決めておいたチェックリストを脳内で埋めていく。
死体、なし。不審な物陰、なし。戦いの痕跡、なし。違和感もないがそれは当てにならない。
「少なくとも、出た瞬間即死ー……って雰囲気ではないかなぁ」
もたもたと扉をほんの少し開け、すぐさま閉じてを繰り返し、何の変化も訪れないことを確認してぐっと歯を噛みしめ、意を決して扉を思いっきり開けた。
前回よりも幅が広いのか、扉は向こう側の壁に干渉することなく開けきられ、反動で少しこちらに戻ってきている。まごまごしつつもようやく外に飛び出し、周囲を肉眼で確認する。確実に周囲に人影はない。認知も、歪められてないはずだ。
ひとまず生き延びられそうなことに胸を撫でおろして、改めてフードを被る。どうやら腕はまだ無事らしい。
「さて……こっちに進もうかな」
ざっと見た感じ左側に進めばすぐ外に出られそうだ、と早歩きで光の滲む方向へ向かっていく。少しでも人通りのあるところなら命を狙われる危険性もよく分からない問題に巻き込まれる可能性も減らせるだろう。何かに背中を押されるように段々と足早になる脚をそのままにして、ぐんんぐん近づく光に手を伸ばし、
「――――はぁー……」
ようやく路地裏を抜け、じりじりと照る太陽に手の甲が焼かれる感覚に安堵の溜息をもらした。生きている。五体満足で外に出られている。
ハードルの低い生の実感を噛みしめつつ、顔を上げて周囲の様子を確認する。
大通り、よりかは少し狭い程度の道路だ。地面は一面レンガで舗装されていて、少し歩きづらい。並ぶ建物は現代にあってもおかしくない4階建てほどの寂れたビルっぽいものばかりで、隙間隙間に異国情緒のよくわからない建物が挟まっている。しいて今ある知識で例えるならゴシック様式とルネサンス様式を掛け合わせたようなちぐはぐな建築物だ。人通りは少ないが確かにあって、全体的な雰囲気から類推するに中小企業が集まる工業地区のような場所なのだろう。
歩く人々も、スーツでこそないもののどこかフォーマルな空気を感じさせる異国の服に身を包み、足早にどこかへ向かっているようだ。少なくとも、よくわからない少女の話に付き合ってくれそうな人はいない。
「……にしても、あんま変わんないなぁ」
現状、アルビノを理由に通行人から敵意を向けられている様子はない。ひとまず偽装には成功したことを確認して、さっさと見切りをつけて、人が多そうな場所を探すべく道に沿って歩きはじめる。後ろに流れていく景色を眺めて、ぽつりと呟いた。
たしかに街の雰囲気は日本とは全然違う。ただ、根本からずれている感じもしない。どこか寂れた地方都市のような様相を呈するこの場所に、あるいは親近感すら覚えてしまいそうだ。
文明レベルも高そうだ。異世界、というより並行世界だとか言われた方が信じられる。異世界のパブリックイメージに引っ張られている感覚は否定できないが。
異世界といえば、と1つの考えに行き着き、周囲の人々をよく観察する。ざっと見た感じ変な人種はいなさそうだ。行く人行く人白人のような顔立ちと造形をしていて、サヨの知る生物の範疇から逸脱したものは――。
「……なんか、やたら義手っぽい人が多い?」
ふと感じたもやもやを言語化してみる。そう思って今一度見てみれば、すれ違う人の半数ほどが不自然な手の構造をしていた。メタリックな五指をたたえる人から、木の棒をくっつけただけのような人までバラエティに富んでいる。見えないが、きっと脚も例外ではないのだろう。
少なくとも、現代日本とは一線を画す要素だ。
「やだなぁ。過酷じゃん」
分かってはいたことだが、四肢がうっかり取れることなんて日常茶飯事だと言わんばかりの特徴だ。辟易としつつも、周囲の観察を怠ることなく道を進んでいった。
*
道に沿って歩いてから二時間ほど。やたらぐねぐねした街の形に苦心しながらもやっとたどり着いたメインストリートらしき場所をきょろきょろと見まわす。
背の低い建物が多い。建築様式は木造からレンガ造り、果てはコンクリートっぽいものが多様に入り乱れており、個々人が好き勝手建てたのだろうという感想が出てくる。人の往来も激しく、一昔前に行った都会を思わせる発展の仕様だ。通行人を観察してみると先ほどよりも義手を付けている人が見られない。あの区画特有のものだったのだろうか?
掲げられた看板の1つをじっくり読んでみると酒場と書かれていて、察するに繁華街のような役割も兼ねているのだろうか。
「こ、こんにちは」
途切れない人の波、その隅で段差に腰を落ち着かせている柔和な女性に意を決して話しかける。
ここまでずっと歩いてきて、一度だけ男の人に声をかけられた。そこには敵愾心は全くなく、純粋に一人で下町をふらついているサヨを心配しての声掛けだった。いきなりのことにびっくりしすぎて頷くことしかできず、情報を聞きだすことこそ叶わないままその人とは別れてしまったが、少なくとも今のサヨは迫害されるべき人間ではなく、心配される普通の女の子になったことを図らずも教えてくれた。感謝だ。
であれば、と勇気を振り絞って自分から情報を集める決断を下したわけだ。そんな決意とは裏腹に人目の多い場所と、優しそうな人を選んだサヨの臆病心は笑わないでほしい。文字通り命がけなのだ。
がちがちに緊張した様子のサヨに女性は一瞬目を丸くして、すぐにたおやかな笑みに切り替える。
「どうしたの、████。██になっちゃった? お母さんは?」
一部聞き取れない単語はあるが、大枠は理解できる。文脈から判断するにこちらを迷子の子供だと思っているようだ。
今更だが、小柄なサヨの詳細な身長は139cmである。一般的な18歳と比べて頭1つ分小さい。普段ならコンプレックスを刺激されてちくちくとした気持ちが渦巻くところだが、現状――右も左も分からず、言語もおぼつかない今はその勘違いがちょうどよかった。複雑な心中に黙りこくっていたサヨを心配して女性が首をかしげる。
「あ、ええと……だいじょうぶです。ききたいことがあって」
この世界に来て初めて行うまともな人とのまともな会話に感動すら覚えながら、拙い発音で要件を伝える。いくら低身長とはいえ未就学児のような言葉遣いだろう、どうにかスルーしてくれと必死に祈るサヨとは対照的に、女性は微笑んで「何でも聞いて」と言ってくれる。優しい。好きになりそうだ。
「しゅうきょうのひとがいるばしょ、それかほんがたくさんよめるばしょ。どちらかしりませんか」
「シューキョーの……あぁ██かな。うーん……ここからだと███歩くことになるよ? 大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです。ばしょだけ、ききます」
悩まし気な顔をしつつもこちらの言いたいことを正確に汲んでくれているだろう女性の言葉に頷く。本当に何歳だと思われているんだろうか、とちょっとした疑問が過ぎりつつも、優しい言葉遣いで道のりと目印を教えてくれる女性に感謝してなるべく全てを頭に叩き込む。メモのために思わずスマホを取り出しかけたが、さすがに持ってる人を見かけないし自粛するべきだ。
必死に聴いているサヨを慮ってか女性がさっと紙と筆を取り出し、さらさらと道順の概略を図示してくれた。
「はい。ここが今の██で、こっちに行って……███言った███を██に……えーっと、肉屋さんが見えたら左、で███が見えるからそこに入るといいよ」
「あ、ありがとうございますっ」
望外の対応に驚きつつ、精一杯に礼を言う。渡された紙を見ると、確かにかなりの距離がありそうだ。少なく見積もっても6つほど区画を抜けなければならない。……想像よりも権威のない宗教なのだろうか?
「で、ほんがよめる……███は近いよ。一人で大丈夫? 一緒に行く?」
「あ、だ、だいじょうぶです。もじはよめます」
出会ってからずっと優しさの洪水で溺れそうだ。正直お言葉に甘えたい気持ちは多分にあるが、ずっと手を煩わせるわけにはいかないし、一緒にいる時間が長くなればなるほどサヨの正体が露見する確率も高まる。とんでもなく惜しいが、一人で行くほかないだろう。
そんなサヨを気遣ってかやや食い下がる女性を制止すると、諦めたように笑って場所を教えてくれた。この道をずっと登っていくと時計塔? があるからその周囲の案内板を読めとのこと。
「そしたら時計█のすぐそこにあるから、分かると思うよ。……██に一緒じゃなくて大丈夫?」
「そこまでごめいわくをおかけするわけには」
「……█な子。ん、█に聞きたいことはない?」
サヨの言葉遣いがおかしかったのか吹き出す女性に首を振って、十分だと伝える。「気をつけてね」と手を振ってくれる女性に改めて礼を述べて、未だ気がかりそうにこちらを見つめてくる視線を背後に感じつつも目的地に向かうべく人の波に飛び込んだ。
「優しかったなぁ……」
気づけばずっと女性の言葉を反芻している自分がいる。サヨにとってはここに来て初めての殺しにこない相手との会話だったのだ。許してほしい。
とにかく。今のサヨは既に二時間歩き詰めで、さすがに教会に向かうことはできないだろう。向かったとしても先ほどの女性のように対応してくれるかは怪しい。元から行く気はなく位置だけ教えてほしかっただけだが。
つまるところ、教えられたもう1つの場所――図書館で得られる限りの情報をかき集めて、今後に備えることが今すべきことだ。
「よし……全部の疑問を潰してやるからな」
ぽわぽわしている気持ちをそっと退けてチョーカーに触れて気合いを充填し、この不可解な状況を打破すべく歩き続けた。




