第2話: やれることを
「あんまりにも怪しいけど……入るしかないなぁ……」
手をおでこにあてがって庇を作りながら、渋い顔をして歩を進める。
日傘か、せめて日焼け止めでもあれば歩いて木陰にでも行けたものだが、着の身着のままという言葉が相応しすぎる現状では選択肢が存在しなかった。長袖を着ている上半身はいくらかマシだが、他の全身、特に頭頂部がすでにつらい。メラニン色素の少ないアルビノにとって日光は天敵なのだ。
じんわりと汗ばむ身体に鞭を打って足を動かし、ようやくたどり着いた洞穴の入口の壁に手をかける。
中に入ってみると想像よりも涼しく、思ったより快適に休めそうだ、と嘆息してでこぼこした土壁に背を預けた。
汗といえば、気候も春にしては暑すぎる気がする。やや湿気の多い風は日本に似たものを感じさせるが……。
「-8時間ってことはヨーロッパのどっか……か、アフリカ? う~ん……」
チョーカーのふちを指で掻きながら益体のない思考を巡らせつつ、とりあえず持ち物を検分する。上着の中央ポケットに大容量モバイルバッテリーとケーブル。左のポケットにはスマホと、入れた覚えはないが見覚えのある財布。中にはいくらかの紙幣と保険証等のカード類。中には高校の学生証も入っていて、少しだけ安心する。
あとは、と右のポケットを探ると、じゃらじゃらと指先に当たる冷たい感触。小銭のようだがやたらと立体的で、円筒のような形をしている。その感覚に首を傾げながら1つ引き抜いて手に取ってみると、
「……んっ!? え?」
にぶく金色に輝く、短い円筒の片方だけを丸く切り抜いたような無骨な形。冷たく、軽く、しかしずっしりとした重みを感じさせられるそれは、
「弾、丸?」
凡そ現代日本には似つかわしくない所持物――丸くて小さな弾丸、ピストルか小型の銃器で用いるようなものだった。
はっと弾かれたように手を後ろに回す。振り落とされた弾が無機質な洞穴の床を叩き、甲高い音が反響した。
今まで不自然なほどに気が向かなかったショートパンツの締め付け。まるで何か、異物を挟みこんでいるような――と、「それ」に触れた。ひやりと金属の感触があり、震える手をなんとか抑えながら引き抜く。
「……まあ、あるよね。そりゃ」
諦念を滲ませたように呟き、慎重な手つきで「それ」の表面を撫でる。実物は見たことがないし、これからも見ることはないだろうと思っていた。浅く溜め息をついてゆっくりとしゃがみ、何かの間違いがないように、と念のため床にそっと置く。
「ピストル……でも見たことはない、かな? そもそもグロックくらいしか知らないけど」
あとはデザートイーグル? と現実逃避を決め込む。どうやらことが理解の埒外にある時、現実逃避を行うというのも正解だったらしい。
多分、いわゆるセミオートマチックピストルというものだ。全体的に小型で、上部は角ばったデザインをしている。そのまま下部に目を向けるとすらりとした曲線的なグリップが目を引き、恐らく人間工学に則った設計なのだろうと理解できる。あまり知識はないが、現代的な見た目をしているのだろう。
偽物、という線もちらと脳裏を過ぎったが、付随するリアルな弾丸と、やたらと重々しい感触、それに纏う雰囲気が直感的に否定させる。
あまりに現実味のない状況に陥っていることにようやく実感が伴い、今更頬を引っ張ってみる。痛い。夢ではないようだ。
「しかし……いよいよもって誘拐犯の狙いがわからないなぁ」
ここも、来るまでの道中でも人の気配は微塵もなかった。そんな場所にぽつんと放置して、危害も与えず、あまつさえ銃器を持たせる。正直に言えば頭を疑う。
この洞穴に誰か居れば、すわデスゲームかと慌てふためくことになっていただろうが、そうでもないらしい。
「ひとまず、奥まで見ようかな。……熊の住処じゃないことを祈ろ」
薄く笑いを浮かべて己を鼓舞し、数瞬の迷いを経てピストルを持つ。いざという時にはこれしか頼みの綱がないのだし、と誰ともなしに言い訳をしながら。
*
「お?」
代り映えのない洞穴の景色に変化があったのは歩き始めてすぐだった。スマホのライトをさっと前に向け、照らされたものをしげしげと眺める。それは、
「タブレット?」
地面から直角に生えている、2mもあろうかという黒くすべすべとした岩。自然にか、切り出されたのかは不明だが綺麗な六角柱になっているそれのちょうど目線の高さに、煌々と輝く板――タブレットが埋まっていた。後ろの空間は土の壁で塞がれており、ここが終着点であることを示している。
あまりにも不自然で、しかし当然のごとく鎮座しているそれに注意深く近づいた。こんなものを設置した下手人はどうせ誘拐犯だろう。手管があまりにも迂遠だが、これを見れば経緯が、あるいは少なくとも理解する切っ掛けが得られるだろうと――。
「……読めない?」
そんな希望は早々に打ち砕かれる。タブレットに浮かんでいたのは数行の文章、しかしその文字は見たこともない言語で綴られていた。ある程度有名な言語ならと思ったが、もしここがアフリカなら見たこともない少数派の――と、考えを広げつつ画面を睨んでいると変化が訪れた。
画面にでなく、サヨの頭に。
「お、お……。読めないけど、分かる? なんだこれ」
相変わらず意味のくみ取れない文字、しかしその内容だけは分かるというなんとも不思議な感覚に困惑しつつ、穴が開きそうなほどタブレットを睨み、ねめつけ、凝視し――。
「――己が希望を示せ。さすれば道は拓かれん……。気取った言い方だなぁ」
ニュアンスしか分からないので気取った言い方はサヨの裁量が多分に含まれている。その責任をまだ見ぬ誘拐犯に押し付けて、文章を咀嚼する。希望、つまり今の望み……。
「おうちに帰して」
首に当てていた手をぱっと解放して、強い、強い望みを毅然とした態度で告げる。サヨはこれから始まるキャンパスライフをとんでもなく楽しみにしていたのだ。気の置けない、大事な人も一緒に受かっていたし、きらきらとした日常が待っていただろう。
ようやく、普通に慣れて、普通になろうとしていたのに。
こんな大自然に、銃まで持って放置される状況は決して望んだものではない。
……宣言してからやっぱり説明を求めるべきだったかな、そもそも口に出して届くものなのか? ときりっとした顔を崩して不安を滲ませるが、訪れた変化に感情を攫われた。――こつんと、鼻先に土が降ってきた。疑問に頭を擡げ、次いで振動する足元に驚愕して目線を下げる。
地面が、洞穴が揺れている。
「ひっ……地震!?」
すぐさま身をかがめ、両手で頭を守る。ぱらぱらと天井から崩れる土が身体を打ち、まさか生き埋めにするつもりじゃ、と最悪の考えが浮かんだ。身体を小さくして揺れを耐え忍ぶ中、震度4くらいかな、とこんな状況でも日本人の悪癖が顔をのぞかせる。
数秒か、数十秒か。ようやく収まった揺れに顔を上げ、膝をはたきながら立ち上がる。どうせさっきの発言が原因だろう――とタブレットに向き直り、
「……どういう仕掛け?」
タブレットのその奥、土の壁があったはず場所にぽっかりと大きな穴が開いており、そんな疑問が口を突いた。




