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死ねない少女は、もう死にたくない  作者: トウロウ
第1章: 洞穴の底から
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第15話: 望まぬ対話

 ここに来てから初めて覚えた喪失感は、きっと二度目の自殺を選んだサヨに対する優しい罰であり、救いであった。

 

 脳がクリアだ。どこまでも澄み切った感情は達観と共に現状のサヨを俯瞰してくれていて、自らが平常であることを伝えてくれる。事実、意識が戻って視界に映る景色がいつもの洞穴の中であっても動転しなかった。

 

 罪悪感も、寂寥感も、嗚咽も悲嘆も後悔も責任も何もかもが今や遠い昔の記憶のようで、その全てが喪失感となりサヨの心に留まった。

 

 サヨは昔から心情を無視して合理的すぎる判断を下すきらいがあった。誰かがそれを美徳であり、欠点であると叱ってくれた記憶がある。

 だけど今の判断は、自殺は、きっと正解だった。

 

 サヨが、サヨでなくなってしまわないための、合理的な判断だった。

 

「はぁ……」

 

 スライムとは、これからも戦える。何よりあれは最早サヨの残骸でしかないだろう。もう2回も経験したことだ、いくら自分を殺そうとしても良心は痛まない。

 あの老人の怪物への対抗策を考える頭も、まだ動く。

 

 サヨは、人を、人かもしれない存在を殺すことができる。

 

「ほんと、どうかしてる……」

 

 悲観と鬱憤がないまぜになった言葉は、誰に向けたものだったのか。

 

 のそのそと、今までないものとして扱ってきた『ログ』の前に移動する。最後の行に表示されていた胸糞悪い実績解除の文字をしかめ面で受け流し、ゆっくりと遡ってその内容を確認していく。

 想像よりも細かくサヨの行動が記録されているようだ。敵との戦闘の経過から、何を取得したか、果ては弾込めをしたタイミングまでしっかりと書かれている。ゆるゆるとスワイプする指をどこか他人のもののように感じながら、途中で目当ての記述を見つけて指を止めた。

 

 それは、迷路探索の全て、そして老人の化物との遭遇記録。遭遇したタイミング、迷宮の構造、受けた攻撃……全てをつぶさに確認して、顎に手を当てて考え込み、気づく。

 

「……これなら」

 

 決意を瞳に宿しながら、あの怪物を下すための手段に思考を巡らせて両の手を固く結んだ。


 

 迷路へ向かう通路の終わり付近で座り込んで、左腕の袖をまくる。これから起こす行為に思わず苦い顔をしてしまうが、なんとか抑えて右手に握った鋭い石をそこに突き立てる。

 

「――ッ」

 

 深く抉られた肉から鮮血が飛び出て、サヨの頬に小さな赤い染みを作る。石と骨がぶつかり合う衝撃が全身を駆け巡って、歯を食いしばって逃げられない激痛を噛みしめ、説き伏せる。

 

 痛い。逃げたい。帰りたい。

 

 震える脚を理性で制して立ち上がり、石を刺したまま歩を進めた。たどり着いた迷路の通路はこれまでと何も変化がなく、しかしその先にあるはずの分岐路が存在しない。

 一直線の廊下のように姿を変えた空間に、やはり間違ってなかったと安心しかけ、右手に力を込めて深く肉を抉る。走る激痛に思考が全てを攫われ、頭が真っ白になった。

 

 最奥は通路の微かな光では見通せず、闇に支配されている。あいつの姿が確認できないことに恐怖が脳裏を過ぎり、痛みでねじ伏せる。ゆっくりと無機質な通路を進み、痛い、この先に何が続いているのかと、痛い、待ち受けるものに、痛い、一抹の不安と、痛い、痛い、怖い――。

 

「――!」

 

 カタカタと、ずっと奥から通路全体を打つ音が耳に入る。しくじった。痛みだけでは調伏しきれない恐怖に歯を噛み、すぐさま石を投げ捨ててスマートを装備する。

 

 この空間は、私に嫌なことをする空間だ。

 

 化物に出会いたくないと思えば出会い、この先が行き止まりなら逃げられないと思えばその先が袋小路になる。

 

 より詳細に考えれば、私の感情の起伏を何らかの方法で読み取ってその負の感情が増幅するよう姿形を変える迷宮、といったところだろうか。

 なんとなくその兆しはあったが、ログで確認した『スパイラル迷宮』という名称、迷宮の変化と事前の行動などから発想を飛躍させ、試してみたところ大枠のところでは合っていそうだという結論を下した。

 

 特にわらべうたを歌っていた時に顕著だった変化。あのときは化物の行動原理を把握するためだったが、歌詞を思い出すのに脳のリソースを割いており、結果として押しのけられた感情が不規則な迷宮の変化をもたらしたのだろう。

 

 試行錯誤の末見出したのがこの狂った自傷行為だ。感情を無くすことはできない。ならば痛みで脳を麻痺させ、その痛みから逃れたいという感情すら痛みで誤魔化す。

 私の擦り減る精神を担保に行ったこの賭けは見事にハマり、死によるリセットで掛け金すらも反故にできる。

 結果、負の感情が割り込む隙の無い痛みへの思考が、この直線の迷宮を作り出した。

 

 ただ、それだけで全てがなくなってしまうほど人間の精神は強靭なつくりにはなっていない。

 

 今回も恐怖を滲ませてしまったことで無残に死んでしまうだろうが、あの化物を下す方法だって模索するべきだ。スマートの発砲が直撃したことも何回かあり、少なくない被害をあの化物に与えられていたことから倒せない敵というわけではない、はずだ。

 あのときみたいに人の形をした何かが現れたとしても、怯まない。

 スマートを構え、未だ見えない異形がいるはずの空間に照準を向けた。

 

 トリガーを押し切り、一発、二発と奥の暗がりに撃ち込む。息を整えて、止めて、三発、四発、五発。

 

 この直線は迷路を機能させなくする目的の他に、あの怪物の逃げ場を無くす舞台としても働く。通路を埋めつくすほどの巨体だ、適当に前方に撃つだけで数発は当たってくれる。

 

 六発目を撃った所ですぐさま後ろを向いて走り、怪物から距離を取る。手早くスマートからマガジンを抜き取って強引にホルスターに仕舞い、乱暴にポケットから抜き出した弾を込める。リロード用の予備マガジンがない現状、弾切れは深刻な問題だ。できるだけ最善な状況をつくり、相対すべきだ。

 

 痛む左腕がうまく動いてくれず、もたつく弾込めをなんとか済ませ、リロードする。振り向いて前方にスマートを構え、牽制兼威力偵察のための射撃をもう一度――。

 

「サヨ」

 

 いつの間にか目の前まで肉薄した醜い顔から発せられた、くぐもった、低い声に身体が震え、それ以上何もできなかった。

 

 あってはいけない、考えたがすぐに棄却した考え。積み上げてきた無数の骸が物語っていた、覆るはずのない結論。

 

「サヨ」

 

 歪で湿った唇が、縫いつけられた不細工な瞳が、痩せこけて皺だらけの頬が、確かめるようにサヨの名を呼ぶ。化物が侵してはならない、神聖な領域を無遠慮に踏みつけて乱して壊しながら、呼ぶ。

 

「サヨ」

 

 名前を呼ばれるたびに、何かが削れる感覚があった。自分の名前が自分のものでなくなっていくような――あるいは、自分という輪郭が、声のかたちに溶けていくような。

 

「――辞めて!!」

 

 突沸した激情に従って叫び、スマートを醜悪なそれに押し付けて発砲する。衝撃、遅れて飛び散る漆黒の血しぶきと肉塊が目の前で弾け、びちゃびちゃとサヨの顔に襲い掛かる。

 左半分に致命的な被害がもたらされたはずの老人の顔には見るも無残な傷が印され、しかしのけぞりすらせずこちらに顔を近づけてくる。

 

「ひ」

 

 じっと、あるはずのない老人の目に射すくめられながら、真摯に見つめられながら、サヨはこれ以上ない畏怖と嫌悪を感じた。ここに来てから感じる非日常、その全てがお遊戯だったと掃き捨て、覆されるような――。

 

 がたがたと奥歯を打ち鳴らし、眦に浮かぶ涙を抑えきれなくて縮こまるサヨを見て、初めて老人の表情が変化する。

 

 憐れむように、慈しむように、嘲るように、薄い唇を歪めて、嗤った。

 

「哀れな(わらべ)よ」

 

 言葉の意味がくみ取れず、浸透せず、響かない。

 

「生きる(よすが)を亡くしたか」

「――――?」

「己が希望を示すがいい」

 

 無理解を浮かべて後ずさるサヨにそう言い残した老人の顔が、視界からずれていく。

 斜めに滑るように、遠ざかる。

 違う、遠ざかっているのはサヨだ。

 くるくると回転する視界は、支えを失ったからで、じゃあいつも支えてくれていたものは――。

 

 ごとり、と何かが落ちる音を遠くに聞いて、薄れゆく意識の中、血液をまき散らして倒れ行く自分の身体を見て、消える。

 

 全てが、消える。

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