第47話 楽しませてやれⅢ
「ふざけないで!」
サラヴェリーナが叫んで、ニクラスの腕の中でもがく。松明の灯りできらめく紫水晶の瞳に、激しい拒絶を宿している。
「どんなサキュバスでもお前みたいな男だけは願い下げよ! 彼の前であんなに情けなく縮こまってたくせに! ネイト! 立ってよ! こんなやつらのためにどうしてあなたが……! 逃げてよ! お願いだから! ねえ! ネイト!」
脅しつけられた内容に怯えるどころか、俺の身の安全を優先するサラヴェリーナの姿。それはニクラスの肥大した自尊心を傷つけ、更なる屈辱を与えた。腕が振り上げられ、目の前でまたサラヴェリーナが張り倒される。衝撃で投げ出されてもなお、紫色の瞳は揺るがない。
「……っ! なによ……なによこれくらい……! 情けない男! 女を殴ることでしか強がれないなんて、本当に惨めね!」
「黙れ! 黙れ! くそっ! お前が! お前が俺をバカにしたのが悪いんだ!」
ニクラスがサラヴェリーナの左手首を掴んだ。手のひらを無理やり地面に押しつけ、血走った目で短剣の刃を指と指の間に滑り込ませる。小指の根元に狙いをつけて、鋭いエッジを押し当てる。
「……待て、やめろ……」
低く掠れた俺の声は、肉と骨を潰す鈍い音と、サラヴェリーナの悲鳴にかき消された。理解が追いつくより先に血が溢れる。場違いなほど白く美しい肉片が土の上に残される。身体を丸め、切断された小指の根元を押さえるサラヴェリーナ。うめき声と、指の隙間から止めどなく溢れていく赤。
「あ、あああ……っ! うぅっ……」
「つ、次は薬指だ! その次は中指! 黙るまで全部切り落としてやるからな! お前の指がなくたって俺たちはなんっにも困らねえんだよ!」
視界がチカチカと赤く明滅している。網膜の裏側で血管が焼き切れそうだ。耳鳴りがする。心臓が異常な速さで鼓動を刻む。沸騰した殺意が喉元までせり上がってくる。全員だ。ここにいる全員。この光景を笑って眺めているクズども全員、一人残らず殺してやる。こいつらは終わりだ。俺のものを、俺の輪郭を切り落としたこいつらを皆殺しにしてやる。
「うおっ!」
「こいつ、急に暴れ――」
体中の痛みを無視して地面を蹴る。押さえつけていた男たちを振り払い、力任せにニクラスへ突進して押しのける。
「サラヴェリーナ……!」
「っ、ネイ――」
血まみれの手を抱えこんでいるサラヴェリーナに馬乗りになり、震える体をきつく抱きしめた。慰めじゃない、哀れみでもない。伝えたいことを伝えるあいだ、引きはがされないために。
「これしかないんだサラヴェリーナ。黙って聞け」
「てめえ! 何やってんだ!」
「離れろ……! この!!」
駆け寄ってくる男たちの怒声に構わず、耳元に唇を寄せる。サラヴェリーナの体は熱を持ち、痛みをこらえて震えている。言い聞かせるように囁く。逃げ場のない、非情な悪魔の囁きを。
「泣くな、抵抗するな、それも治すな。いくら壊しても治せる玩具に誰も容赦しない」
復元魔法で傷を治せば、男たちは際限なくサラヴェリーナを壊し続ける。差別を根底にした憎悪犯罪の過激さを、異常な加害を娯楽として楽しむ連中の存在を、面白半分に損壊された人間の体を、俺は幾度となく目にしてきた。
魔族だろうが傷つければ相応に弱っていくのだと知れば、少なくとも全員に回るまで壊されるリスクは減らせる。時間が稼げる。
「従え、殺すのが惜しくなるぐらい楽しませてやれ。俺が戻るまで」
サラヴェリーナが息を詰まらせる。揺れる瞳孔が俺を映す。残酷だ。わかってる。でも、これがいまの最善だ。こいつならきっと理解できる。
「首輪、お前も聞け。こいつが俺から離れるのも、誰に犯られるのも、今は許す。絶対に傷つけるな。いいな。俺が許可してんだ。殺すんじゃねえぞ」
サラヴェリーナを傷つける可能性があるのは悪意を持った村人たちだけじゃない。この首輪も同じだ。主人との距離や貞操が隷属の契約に含まれていた場合、森で首を締めあげたのと同じようなことが起きるかもしれない。詳細がわからない以上は賭けでしかないが、俺からどれだけ離れても、俺以外の誰に体を許しても、許すと伝えることで発動を防ぐ必要がある。保険にもならないかもしれねえが……。
紋様の放つ光が一瞬だけ強くなった気がした。錯覚かもしれない。じっくり観察している時間はない。命令は受理された、そう信じるしかない。




